Bayreuth 1999

三澤洋史 

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8月23日(月) Chor Fest(合唱祭)
 一般のお客には関係ないのだが、バイロイト音楽祭で毎年必ず行われる行事がある。それはオーケストラ祭、テクニカル祭、そして合唱祭である。それらはお祭りといっても、ただ集まって飲んで騒ぐだけではない。それどころかかなりフォーマルな晩餐会といった趣きのパーティーなのだ。オフィシャルな招待状を受け取った団員達は正装で出席しなければならない。だが宴もたけなわになってきた頃に出てくる催し物だけは、どのセクションのお祭りもみんなそれぞれ工夫を凝らして楽しいものになるそうだ。たとえば大道具や照明係、あるいは舞台監督達が催すテクニカル祭の今年の出し物は、「さまよえるオランダ人」のパロディを面白おかしくやってめちゃくちゃ盛り上がったらしい。
 我が合唱祭も数日前から準備にかかっていた。今年はバラッチ最後の音楽祭だし、その音楽祭ももうすぐ千秋楽になる。どうに転んでも「バラッチさよなら合唱祭」になるのは目に見えている。
 フリードリヒがインスペクターのロストと一緒に考えた「バラッチを送るメドレー」が、みんなに渡された。伴奏を弾くのは僕だ。みんな初見でおそるおそる歌い出したが、歌詞を辿っていくうちに思わず吹き出した。そこにはいつもバラッチが練習中怒る時に言う決り文句があった。
フリードリヒが指示する。
「もっとバラッチっぽく!少しウィーン訛りを入れようか?」
一同爆笑。
「低い!低い!もっと音程上げて。全く、なんてこった!」
「あ~あ、あたしにゃ違いがわかんね~。」
こんな歌詞を「フィデリオ」終幕合唱や、「アイーダ」大行進曲のメロディーに乗せて歌うのだ。
 クリニクム演奏会で一緒にやったコリンが僕のところに来て、
「ラ・ボエームを使って面白いパロディーをやるんだけど知恵貸して。」
と言う。
合唱団の中に一人小錦のように体が巨大で、みんなからパバロッティと呼ばれているオヴィデュという奴がいる。コリンはそいつに女装させてミミを演じさせ、第一幕のロドルフォとの出会いのシーンをパロディーでやって笑いを取ろうという考えだ。コリンの頭の中では沢山のアイデアが渦巻いているのだが整理出来ないでいるので、僕が曲のアレンジも兼ねて彼と一緒にいろいろ考えてあげた。コリンと僕とは、クリニクム演奏会以来何となく気心が知れて波長が合うので、彼と共同のこうした作業はとても楽しかった。
 カンティーネの厨房では、前の晩からシンガポール人のメンが中心となって、井垣さんや韓国人女性のボーケーなどと共にアジア料理の仕込みをやっていた。 メンは、300人もの参加者の為の料理を一人で仕切ってやると張り切っていた。みんな大丈夫かなあと内心心配していたけれど、メンの気迫は他の者を寄せ付けないものがあった。いつも冗談ばかり言っていてズッコケまくりのメンの横顔が今日ほど凛々しく見えたことはなかった。
 このアジア料理が大当たりだったのだ。前菜、サラダ、メインディッシュと、どれをとっても素晴らしいの一言に尽きた。料理には何も関わらなかった僕でさえ、周りのみんながあまりメン達の事を褒めちぎるので、同じアジア人である事を誇りに思ったくらいだ。
 一通り料理が出終わってインスペクターのロストが、
「みなさんがご馳走になった本日のこの素晴らしい料理は、どこかのプロのコックを雇ったのではありません。チーフはシンガポール出身の我等がメン。それに日本人のトモコ、韓国人のボーケーといったアジア人共同体がサポートし、さらに我が合唱団員達が給仕を手伝うというスペシャル・チームによるものでした。」
と言うと、割れるような拍手、口笛、歓声が飛び交った。バラッチもヴォルフガング・ワーグナー氏も大満足のようだ。メンは照れていたが嬉しさを隠し切れなかった。

 いよいよ余興の時間になった。出し物はいくつかあって、それぞれの人達がそれぞれに工夫を凝らしていたけれど、我々の「ラ・ボエーム」組ほどみんなを喜ばせ、笑わせた催物はなかった。「冷たき手を」のアリアの中に何曲か織り込んで、パロディー的にやった試みは全て成功した。曲と曲のつなぎは僕がうまくアレンジしてスムーズに運べるようにしたので、観客はパロディーの中に身を任せる事が出来た。
 オヴィデュの演じるミミは実に不気味で、傍に居るだけで吐き気がするほどだ。彼がちょっと動くだけで観客は涙を流して笑う。コリンがアリアを歌っている間、彼は全く関係なくワインをがぶ飲みしたりしているが、後半の例のハイCの個所にさしかかると突然立ち上がって、コリンと一緒に高音を張り合って歌う。女装しているけれど、元来はテノールなのでいきなり2大テナーの競演という感じになる。
 コリンのアリアが終ると今度は「私の名はミミ」だ。オヴィデュが歌い始めるが、「でも本当の名はルチアよ」という所で、
「でも本当の名前はルチアーノ(パバロッティ)よ!」
と歌って僕のピアノがチャンチャン!
ものすごい歓声。やったね。ワーグナー夫妻もこっち向いてるよ。
 その後はエキストラ・コーラスの人達によるフランケン訛りによる合唱曲(一言も分からなかった)や、オーケストラ団員による演奏など楽しいアトラクションが続いたが、いよいよ全員合唱の時がやって来た。

 インスペクターのロストが前に出る。一通りバラッチに関する話をした後で、
「みなさん、ここに28年前のバイロイト音楽祭のテープがあります。バラッチ氏が初めてバイロイトにやって来た年のプリミエの模様です。お聴き下さい。」
と言ってテープを回させた。

 バラッチが、脳梗塞で倒れた往年の名合唱指揮者ウィルヘルム・ピッツの後を継いでバイロイト劇場にやって来た、今から28年前のその年は、当時まだ無名だったゲッツ・フリードリヒの演出する「タンホイザー」で初日の幕が開いた。聴衆は、あまりに冒険的なフリードリヒの演出にすっかり怒って、終幕後再び幕が開いたらブーを叫ぼうと待ち構えていた。幕の内側ではバラッチが緊張して合唱団の真中に立っていた。最初のカーテンコールはコーラスが受ける事になっていたのだ。
 幕が開く。バラッチの頭上に予期せぬブーが怒涛のように押し寄せた。それは当然バラッチに対して向けられたものではなかったが、バラッチはそのことによって少なからずショックを受けたという。その時の様子が(今ではほとんど伝説のようになっていることだが)今からどうやら聴けるらしい。

「タンホイザー」終幕。「ハレルヤ、ハレルヤ!」と合唱が歌い終わる。オーケストラが最後の和音を弾き終わる。通常ならここで即座に拍手のはず。ところが終わって2秒くらいざわざわ・・・。拍手なし。それからおずおずと拍手が始まる。と同時に控えめではあるが低いブーの響き。
ロストのアナウンス、
「さて、ここで幕が開きます。」
次の瞬間、物凄いブーの嵐。こりゃ自分のせいじゃないって分かっていたってショックだわな。
ロストが続けて、
「ここに今年のテープがあります。お聴きください。」
バラッチが合唱団と一緒に舞台に立った時に起こるあの怒涛のような歓声とブラボーの叫び声、足で床を鳴らす音。28年間にバラッチが築いてきた業績がここに集積されている気がする。

 我々の演奏が始まった。最初はまともに「タンホイザー」の行進曲。ピアノは僕が弾くが、バスが八分音符で弾くところだけマリーに隣にいて手伝ってもらった。
 その後で例の「バラッチを送るメドレー」。なんと「タンホイザー」第二幕最後のアカペラ女声合唱は、合唱団の女性達がウィーン少年合唱団のセーラー服を着て出てきた。
 ロストがバラッチに扮して、
「ダメダメ!もう一回。」
と、ウィーン訛りで稽古をつける。これが実にそっくり。パルジファルのさわりをやったかと思ったら、次にはパルジファルの出だしとそっくりな「美しく青きドナウ」を歌ったりずっこけまくり。それを遮って僕のピアノが二幕終わりの元の場所に無理やりもどす。
「ローマへ!」
という歌詞を合唱が歌うとロストが、
「違うだろ!」
と叫ぶ。
「ウィーンへ!」
と歌って後奏。
ウィーン少年合唱団の音楽監督になるバラッチをこれで送り出したって訳だ。

 すぐそれを受けてバラッチの挨拶。顔を真っ赤にしている。例の茹でダコ状態だ。だが怒っているのではない。
泣いている。みんなも貰い泣きして会場中がうるうる状態だ。
「ああ、バラッチとすごすバイロイトもこれが最後なんだ。」
と、みんな肌で感じている。
 挨拶が終わるといつまでも止まない拍手。僕の胸も言いようのない感激によって満たされている。素晴らしい一夜だった。素晴らしい人達。素晴らしいバイロイト音楽祭。
 帰り際にバラッチのところに行ったら、
26日の「オランダ人」の後に合唱アシスタントみんなで食事に行こう。」
と言われた。
深夜の林の中、僕は走って家まで帰った。



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