インヴェンションは楽しい、から,さわりだけ・・・
三澤洋史
インヴェンションとは
ピアノは楽しいけれど、インヴェンションはちょっと、という生徒さんは少なくありません。いや、先生自身も、インヴェンションは大事だから教育にははずせないと思っても、生徒さんも面白がってくれないので張り合いがないし、何より自分自身がピンとこないと思ってはいませんか?
バッハは「音楽の父」と呼ばれるだけあって、その偉大さにははかりしれないものがあります。しかしそれ故に、バッハに近づくためには、他の作曲家とは違うある心構えが必要かも知れません。
まずバッハの音楽は、シューベルトやシューマン、ショパンなどの音楽と違って、雰囲気や感情的な面からのみアプローチしても、その本質は捕らえられません。バッハの演奏家は他の演目をレパートリーとしている演奏家とやや性格を異にしています。
指揮者でもそうです。バッハを振るためには、特別なバトン・テクニックというものは要りません。極端に言えば、開始さえ合えば、あとは演奏者が勝手にインテンポで進んでいきます。にもかかわらず、違いが出るとすれば、それは手先だけのテクニックではなくて、もっと内面的なところからの「作品の理解」に関係してくるのだと思います。
その理解は、実はそれが本日の最も重要なテーマなのですが、バッハが何を考えて作品を創作していたのかということを探ることから始まるのです。
Inventionという言葉を辞書で引いてみると、発明、創案、考案などと出ています。しかしこの言葉にはもうひとつ意味があります。これは、バッハの 当時ドイツで広く学ばれていた修辞学レトリックrhetoricの言葉です。古代ローマの哲学者キケロは、その論文「デ・インヴェンツィオーネ」でこう述べています。
良き演説を成し遂げるために必要なことは、1)着想Inventio、
2)配列、3)様式、4)記憶、5)演説である。すなわち良き着想を得たら、これをある様式感にのっとってうまく配列し、記憶して、上手に演説するということである。
その最初の項目が
Inventioであるわけです。
バッハは、1723年に完成した15のインヴェンションと、15のシンフォニアの草稿の表紙に次のような文章を載せています。
Auffrichtige
Anleitung
Aufrichtig
正直な、率直な、誠実な
Anleitung 手引き、指導、指示、使用説明書、マニュアル
クラヴィーアの愛好者、特に学習熱心な者が、1)二つの声部をはっきりと弾けるようにするだけでなく、上達した時には、2)三つのオブリガート(対旋律)声部を正しく、美しく処理することが出来るように。
同時に、良き
Inventio楽想を得たら、それにとどまらずに上手に発展させられるように。
演奏に当たっては、とりわけよく歌う
eine Cantabile Art
奏法を身につけ、作曲を学ぶための基礎を習得するように。
これを見ても分かるとおり、
Inventionは、先のキケロの弁論術に結びついています。自分の演説は自分で考えるのが当然だと思いますが、音楽においても、当時は作曲行為と演奏行為とは分かれて考えられてはいませんでした。むしろ良き楽想が、適切に発展され、そして最終的に美しい演奏に辿り着くという
ように、それらは一連の音楽行為の中の一要素だったわけです。だからこの
Inventionも作曲、演奏両面を適切に導くために作られた教則本だったのです。
バッハやモーツァルト、あるいはベートーヴェンといった有名な作曲家が、当時皆優れたピアニスト、オルガニストであったことや、たとえば19世紀における女流ピアニストの第一人者クララ・シューマンなどは、自分でも作曲をしていたことなどから、当時、作曲家も演奏し、一方演奏家も作曲を学ぶことが不可欠とされていたわけです。
現代において、ピアニストがみんな作曲を上手に出来る必要はないかも知れませんが、バッハを上手に弾くために、ある程度の「作曲家を理解する」アプローチは必要と思われます。さて、それではいよいよ実際に
Inventionに
入っていきましょう。
インヴェンションは、単に教則本として価値があるだけでなく、これは驚くべき作品です。特に2声のインヴェンションは、シンプルなだけに凝縮した世界を持っていて、独創的な作品なのです。
インヴェンションとシンフォニアは、いくつかの点でフーガや他の曲と違ったユニークさを持っています。
第一に、どの曲も基本的にひとつの主題を元に作られているということ。
第二に、皆2ページに収まる長さに凝縮されて作られていること。
第三に、主音上の主題に対して属音上で応答するフーガと違って、多くの場合、同じ調性上で模倣されるということ。
第四に、主題のみで始まるフーガに対して、多くの場合、他の声部で伴奏を伴って開始するということ。
第五に、平均率クラヴィーア曲集と違うところは、よく使用する調号4つ以下の調性を選び、15曲としたこと。
インヴェンション第一番ハ長調のアナリーゼ
それでは、
Inventionの中の最高傑作とも言われている、第一番のアナリーゼを開始してみましょう。この曲は、とにかくひとつの主題から曲を作ると言うことはどういうことなのかを徹底的に追求した曲です。(アナリーゼ譜面参照)
まずこの曲の有名な主題、ドレミファレミドが右手で奏されると、すぐに左手で模倣されます。この場合、フーガなどと違って同じ音(オクターブ下ですが)で模倣されます。それから右手で五度上のソラシドラシソと弾くと、やはり左手で模倣します。
驚くのはその後です。ドレミファレミドの音型の上でも下でもいいですが、鏡を立ててみますと、この上行順次進行が下行順次進行になった主題の反行形が得られます。この反行形が第三小節目で右手に現れてきます。すなわち、ラソファミソファラという音型です。これはそのまま四回繰り返されます(譜面参照)。
一方、それを伴奏する左手ですが、八分音符によるシドレミという順次進行は、主題の前半、つまりドレミファレミドのドレミファの部分を二倍に拡大した拡大形なのです。これも三回繰り返されます。
どうですか、みなさん!ここの部分は右手も左手も主題を少し料理したものを使用しています。それでいながらハ長調のこの曲は巧妙に属調であるト長調に転調していきます。
第六小節目では主題反行形の後半のジグザグ進行が繰り返され、お決まりの終止形を伴ってト長調に落ち着きます。
第七小節目からは、基本形の左手に基本形の右手が答え、第九小節目からは反行形に反行形が答えます。
特筆すべきは第十一小節目。ニ短調の属和音上で、左手に主題反行形が繰り返され緊張感を高めると、右手は拡大形で伴奏。イ短調になだれ込んで行きます。
第十五小節目は一転してのびやかな世界。右手の反行形に左手が答えているのですが、主題の後の二分音符が前の数小節の緊張した雰囲気を和らげてくれます。同じ主題を使いながらこれほどまでに違った世界を万華鏡のように見せてくれるのは見事としか言いようがありません!
十九小節目になりますと、再び緊張感が甦って来ます。シの音がフラットになって、さりげなくヘ長調に転調しています。ここで初めて左手には、主題の反行形の拡大形が登場。右手は基本形を三回繰り返しながら一気にこの曲の最高音ハイCに登りつめます。
本題は二十一小節目で終わりなのですが、最後にしゃれたコーダがつきます。シラソファラソシという反行形の右手に対応するのは、八分音符のドレミファという拡大形と、十六分音符のレミファソという基本形。最後の最後まで主題を使い切っています。
凄いでしょう、みなさん。どの小節を見ても主題及び主題から派生したモチーフを使っていない小節はないでしょう。この曲は本当に徹頭徹尾この主題のみから出来上がっている曲なのです。
よく料理で豆腐づくしとか鰯づくしとかありますけれど、上手な板前は、いろんな風に加工して、食べる人に「またか。」と思わせないでしょう。ここでもすべてこの主題を使っていながら、驚くべき多様な世界が展開されているのです。それ故にこの作品は傑作中の傑作と言われるのです。さあ、もう一度心してこの名作を聴きましょう。私がアレンジしたシンセサイザーによるサックス・アンサンブルの演奏です。
【事務局注】 インヴェンション第一番のアナリーゼ楽譜 (画像クリックで拡大表示)

インヴェンション第六番ホ長調について
パリでピアノを勉強している私の娘に聞きました。
「ねえ、インヴェンションやってた時、どの曲が一番嫌いだった?」
すると彼女は迷いなく、
「6番。主題がワケ分からん。」
と答えました。
この曲の主題は移動ド唱法で言うと、ドレミファソラシドすなわち音階から成り立っています。きっとバッハは音階を使って主題を作った場合には・・・・というコンセプトでこの曲を作ったに違いありません。こんな主題は確かに楽しいわけはありません。でもだからこそ、バッハはこんな場合はこんな風に解決するんだという見本として音楽を展開させました。
左手で奏される音階の主題に対応するのは、やはりドシラソファミレの下降音階です。でもここでひとつ工夫があります。バッハはここにリズムの変化をつけました。シンコペーションです。それともうひとつ大事なことがあります。この右手の対位の最後に動きのあるミソファソミレミドシドというモチーフをくっつけたことです。
実はこのモチーフが後で大活躍するのです。主題の順次進行は煮ても焼いても食えません。だからこそそのオマケのようにして登場させたモチーフをもってバッハは遊びまくるのです。
このインヴェンション第六番の全体構成はソナタ形式のようになっています。つまらない主題の部分が右手と左手を交換しながら二度繰り返され、それから主題から離れてシンコペーションと動きのあるモチーフで遊んでいる部分があり、この二つで第一部を終わります。その時属調にさりげなく転調しています。
第二部は属調で左右が入れ替わって二度主題が奏され、それから展開部。ここの部分でバッハは動きのあるモチーフを使って嬉々として戯れています。まさに、「戯れせんとや生まれけん。」という感じです。
第三部で主題が原調で戻ってきます。そして先ほど属調に転調した遊びの部分を今度は原調のままで再現し動きのあるモチーフをちらつかせながら終わります。
バッハは面白い人で、たとえばフーガの主題にこれといって魅力のない主題を使用した場合、主題は単なる口実と化し、その主題のない部分、すなわちエピソードと呼ばれる部分で遊びまくるのです。いや魅力のある主題でさえ、もしかしたらバッハにとって主題とは、そこから離れることを前提とした単なる「口実」なのかも知れません。
そこで私もバッハにあやかって、煮ても焼いても食えない音階主題の部分はそのままにして、バッハが遊んだ部分をさらにチェンバロの音なんか入れて遊んでみたいと思います。(音資料インヴェンション第六番)
【事務局注】 インヴェンション第六番のアナリーゼ楽譜 (画像クリックで拡大表示)

先生達にお願い
どうか生徒さんに曲を与える場合、ただ「さらってきなさい。」と突き放さないで、最初に先生が簡単にアナリーゼしてあげて下さい。決して難しい言葉でしないように。ただ、
「ここにこの主題があるでしょう。これがひっくり返ると、ほら、こうなるのよ。面白いでしょう。それに対して右手はこんな風に伴奏しているわ。そんなことを楽しみながら練習してらっしゃい!」
と言って送り出して下さい。生徒さんの一週間のエンジョイ度はまるで違ったものになること請け合いです。
【事務局補足】 「インヴェンションは楽しい」で講座の退場時に使用した曲は、「Simphonia6」です。