「オテロ」が生まれるまで
ヴェルディが、彼の最後から二番目の作品「オテロ」を完成したのは1886年。ヴェルディは73歳になっており、常にライバル視され、比較されていた
ワー
グナーは、すでに3年前の1883年に没していました。
この頃のヴェルディの創作意欲は極端に衰え、オペラとしての前作「アイーダ」からは、なんと15年も経っていましたし、その間に書いた大きな作品は
1974年に初演されたレクィエムのみでした。そのレクィエムからも12年も経っているのです。
その間ヴェルディは何をしていたのでしょう。彼は「アイーダ」で大成功を収め、オペラ作曲家としての地位を不動のものとした後、サンタ・アガタの別荘で
の
んびりと田園生活を楽しんでいたようです。「アイーダ」は各地で上演され、ヴェルディの臨席を求める声は相次いでいましたが、彼はそれをことごとく断って
いたといいます。
もしこのまま彼が筆を折ったまま亡くなっていたとしても、ヴェルディの名前は同じように後世に残ったでしょう。「リゴレット」の革新性から「ドン・カル
ロ」の円熟に至るまで埋め尽くされた珠玉の作品群だけでも、ヴェルディの音楽史上の地位を確保するのにいささかの不足もありません。むしろそういう意味で
は、「オテロ」と「ファルスタッフ」の二作は、“もし存在しなかったとしても差し支えない作品”ではあります。
何故なら、この二つの作品は、ある意味でヴェルディらしくない。あるいはこれまでのイタリア・オペラらしくないと言えるのです。
ワーグナーが早くから番号付きオペラを捨て、ドラマと音楽との融合をめざしたことを横目で見つつ、ヴェルディは「アイーダ」に至るまで番号付きオペラに固
執しました。
ワーグナーがライト・モチーフと呼ばれる短いモチーフを使って音楽を構築している間に、ヴェルディは、あくまでまとまったメロディーを大切にしてオペラを
形作っていきました。舞台上に人が溢れ、合唱も交えたコンチェルタートと呼ばれる部分を第三幕の終わりに配置し、グランド・オペラを指向していたヴェル
ディのオペラ作りの技法は、まるで意固地になっているように、ワーグナーの楽劇に対して、すなわちドイツ・オペラに対抗してイタリア・オペラの世界を守り
続けたように私には感じられます。
それをヴェルディは、「オテロ」で捨てました。勿論全部捨てたわけではありませんが、「オテロ」の作風を見る限り、明らかに心境の変化が見て取れます。
15年ものブランクがあるのですから、次に作った時に心境の変化があって当然です。一般には、「ドン・カルロ」あたりからワーグナーの影響というのが言わ
れていて、「オテロ」では、なおいっそうそれが進んだと言われていますが、私は単純にそう言い切ってしまうのには抵抗があります。
オテロの音楽的新しさ
さて本日の講演は、「オテロ」の新しさとその原因追及から入っていきましょう。まずこれを聴いて下さい。
(「オテロ」第二幕冒頭を演奏)
これは「オテロ」第二幕の冒頭です。「これは実に新しい!」と私が言っても、みなさんは何のことか分からないでしょう。まずこの短いモチーフに注目して下
さい。それから次を聴いてみて下さい。
(ここで第二幕の冒頭からイアーゴのクレードの前まで演奏しながら、モチーフがどう使われ、発展していくかを語る)
音資
料1 第二幕冒頭
このようにひとつのまとまったメロディーではなく、短いモチーフを縦横に使って音楽を形作っていく手法をヴェルディはここで使っています。こうした手法
は
ドイツ音楽でさかんに使われました。最も有名なところでは、ベートーヴェンのこういう音楽があります。
(ベートーヴェンの運命交響曲の冒頭を演奏。短いモチーフが発展し変奏され、様々な表情をもった楽曲が出来上がっていく過程を描く。)
短いモチーフを使う名人といえば、なんといってもワーグナーです。でも私はこうした使い方を簡単に「ワーグナーだけからの影響」とも言いたくはありませ
ん。ヴェルディはこの手法をワーグナーだけから学んだわけではないでしょう。それを言うなら、ドイツ音楽から学んだと言った方が適切な気がします。
その証明として、彼が「アイーダ」の後に書いた弦楽四重奏では、厳格なフーガが見られますし、レクィエムでも随所に素晴らしいフーガあるいは対位法的楽曲
の箇所があります。
私の推測では、ヴェルディは「アイーダ」を書いて名声を確立したことによって、従来通りの“オペラを書くという重圧”から完全に解放されて、音楽に対し
て
“より自由な立場”になったのではないでしょうか。だから彼にとって唯一の器楽曲弦楽四重奏やオペラではないレクィエムを書いたのでしょう。
ヴェルディは、全くプライベートな目的の為に書いた弦楽四重奏が評判となり、各地から演奏の申し出があったのを断り、「私の考えでは、弦楽四重奏曲はイタ
リアの気候に合わない植物です。」などと言い訳をしています。ということはドイツ的というか非イタリア的なものをわざわざ自分から作ったということでしょ
う。
さて、ワーグナーの影響についてはまた後で語りましょう。とにかくヴェルディは、長い沈黙を破って新作「オテロ」を発表しました。私は今回この講演の為
に
あらためて「オテロ」全曲を聴き直してみましたが、本当に素晴らしい作品です。これまでヴェルディの全ての作品で何を一番指揮したいかと聞かれたら迷わず
「ドン・カルロ」と答えていましたが、今は塗り替えられました。「オテロ」こそ、指揮者としては一番振ってみたい作品となりました。
その音楽の新しさを説明しましょう。先ほどの第二幕冒頭の続きに、有名な「イアーゴのクレード(信仰告白)」があります。これを聴いて下さい。
(クレードの演奏とアナリーゼ)
音資料2 Credo
名作のオペラ化
ヴェルディは早くからシェークスピアの文学に興味を示していました。シェークスピアには、人間を冷徹に見据え、その内面を深く掘り下げていくリアルな視
点
があり、それが彼の“生身の人間を描く”指向と一致していたのです。
しかし実際には、若い頃に「マクベス」を書いたきり、この晩年の「オテロ」まで作曲はしていません。彼はずっと「リア王」をオペラ化したいと考えていまし
たが、それはついに叶わぬ夢で終わってしまいました。
ともあれ、書きたい作品を書きたい時に書いていい境遇になって、作ったものが「オテロ」「ファルスタッフ」と二つともシェークスピアであるという事実には
意味深いものがあります。
シェークスピアの悲劇というのは、あまり格好の良くない悲劇であることが多いのです。「マクベス」もそうですが、「オテロ」では「壊れていく英雄」が描
か
れています。
「マクベス」では、権力者になりたいという出世欲が、殺人を呼び、次の殺人を呼び、自らを滅ぼしていきます。「オテロ」ではもっと格好悪い。すなわち嫉妬
です。初めは針の穴ほどの亀裂がだんだん広がっていって、最後には取り返しの付かない事態に発展していきます。そうした破滅を導き出す役割を担うのは、
「マクベス」では魔女、「オテロ」ではイアーゴですが、これはいわゆる自分の内面の声と解釈してもいいのです。
そういう意味では「オテロ」は内面の劇、あるいは心理劇としての性格を持っています。
シェークスピアの戯曲を読んでみれば分かりますが、とても言葉が多い中で、英雄オテロの内面がしだいに蝕まれていって破滅に至る過程が克明に描かれてい
ま
す。しかしオペラでは、そんな風にデリケートに描くことは出来ない。ロゴス、すなわち言葉の力を最大限に駆使する演劇と違って、オペラは、歌唱とオーケス
トラとで大きな感情の流れを表現することには長けていますが、微妙な心理の綾などを描くのはあまり得意ではありません。
そのため、「オテロ」をオペラ化するにあたって、重要なポイントの変更を余儀なくされました。これを探ることは、オペラが一体何を表現する芸術であるのか
を追究する格好の材料になると同時に、オペラの限界を暴き出すことにもなると思います。
「オテロ」の台本作家アッリーゴ・ボーイトは、自身が作曲家でもあり、すぐれた詩人でもあったので、音楽の力とドラマとの融合をヴェルディから最大限に引
き出すことに成功しました。
シェークスピアの原作は、五幕ものですが、ボーイトはまずこの第一幕をばっさり切って、原作の第二幕に相当する部分からオペラを始めました。イアーゴの
オ
テロを憎む動機とか、必要最低限の情報は第二幕の中で登場人物によって語られますが、いくつかの大事な情報は、そのことによって伝えられないままオペラが
始まることになります。
しかし、このオペラの冒頭はオペラとすれば素晴らしい開幕です。ヴェルディは、「運命の力」などで示したような序曲を置かず、単刀直入にドラマの中に入っ
ていきます。オペラは嵐の場面で始まります。
(冒頭の演奏と和音などの説明。たとえば冒頭の和音はヘ長調の属音上の2度7の和音。)
音資料3 冒頭-嵐
登場のセッッティング
こうした表現はオペラならでのものですね。さらに嵐の中でオテロの安否を気遣う群衆の前に主人公のオテロが現れる瞬間ですが、これがまた素晴らしい。私
は
昔、東宝のミュージカルの指揮をしたことがありますが、主人公の大地真央さんが現れる瞬間というのは必ずうまく演出されていて、会場から自然に拍手が出る
ようになっているのです。こうした聴衆へのサービスは、プッチーニなどは得意としていて、「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」とみんなヒロインの登場
が上手にセッティングされています。ちなみにワーグナーは、そうしたサービス精神は全く持ち合わせていませんでした。前期の「ローエングリン」の登場など
でやや見られる程度でしょうか。でも拍手するほどではありませんね。
ヴェルディもそうで、これまで主人公の登場にはそれほど気を遣ってはいませんでしたが、ここでは目の覚めるような登場をセッティングしました。オテロの第
一声も素晴らしいのですが、それまでの不安に満ちた合唱が一変してオテロへの輝かしい賛美の叫びとなるのです。これは音楽にも明るいボーイトなしには考え
られないでしょう。
音資料4及び5 オテロの登場
ワーグナーの影響?
さて、最初に音楽上の新しさを説明したときに、小さいモチーフを使用した例を示しましたが、だからといってヴェルディはワーグナーのライト・モチーフを
使
用したわけではありませんでした。というより、ワーグナーの影響というならば、本来ならばライト・モチーフを使用してオペラを作る手法こそがワーグナーの
ワーグナーたり得るゆえんでありますが、これを使用しなかったなら、ではワーグナーから何を影響受けたのかということになります。
ヴェルディはワーグナーをとても意識していたけれど、ワーグナーの方はヴェルディをほとんど無視していた。この事実が物語るように、ヴェルディがワーグ
ナーの影響を受けたとしても、それはワーグナーにしてみると、その音楽に入るほんの入り口のあたりでのことなのです。つまり、番号付きのオペラをやめたと
か、主要三和音だけで音楽を構築するのをやめて、もうちょっと和音を複雑にするとかというレベルなのです。だからワーグナーにとっては取るに足らないもの
であったということです。誤解しないでいただきたいのは、これはヴェルディの音楽がワーグナーよりレベルが低いとかいう問題ではありません。
ライト・モチーフを使うと、その事柄が出てくる度にそのモチーフが鳴り響くので、ヘタをするといつも同じ音楽が響いているような状態になります。現に
ワー
グナーの曲では同じような音楽が何度も使われます。「トリスタンとイゾルデ」第二幕二重唱の後半の音楽がそのまま「イゾルデの愛の死」になったり、「マイ
スタージンガー」ではドー・ソーソソーというモチーフがうんざりするほど鳴ります。
ヴェルディが、そうしたライト・モチーフを一番使ったのは、「運命の力」かも知れません。(運命の力のモチーフを弾きながら)レオノーラの二つのアリアは
二つともこのモチーフです。しかし、それ以後逆にヴェルディは、あまり好んでこうした手法を使っていません。むしろヴェルディでは同じメロディーが出てく
る方が稀なのです。
そうした中で控えめではありますが、「オテロ」では「くちづけのライト・モチーフ」だけは効果的に使われています。しかしこの音楽もオペラ全編を通して
三
回しか出てきません。
(ピアノで演奏)初めて出てくるのは第一幕二重唱の最後、次は第四幕でデズデーモナを殺すために彼女の寝室に忍び込んだとき、そしてラストで絶望したオテ
ロは自分が殺したデズデーモナにくちづけしながら死んでいきます。そのどれもが3回くちづけをします。
ヴェルディは、このくらいの使い方が最も効果的であると思ったのではないでしょうか。
音資料6及び7 くちづけ
オペラの構築
次に、このオペラ全体がどう構築されたかということについて探ってみたいと思います。それには少々乱暴ではありますが、各幕の冒頭と終幕の音楽を見るこ
とはかなり効果的なアプローチであります。
ダイナミックス | 調性 | |
第一幕 | ||
冒頭 嵐の音楽(激しい) | FF | F-Dur |
終幕 愛の二重唱(静か) | PPP | E-Durを経てDes-Dur |
第二幕 | ||
冒頭 イアーゴの行動開始と信仰告白(やや激しい) | F | F-Dur |
終幕 オテロとイアーゴの復讐の二重唱(激しい) | FF | A-Dur |
第三幕 | ||
冒頭 第二幕でのイアーゴの嫉妬についての説明の音楽(ゆっくりではないが静かな音楽) | PP | Fis-moll |
終幕 コンチェルターテと陰コーラス(激しい) | FF | C-Dur |
第四幕 | ||
冒頭 柳の歌(静か) | P | Cis-moll |
終幕 オテロの死(静か) | PP | E-Dur |