~楽しいトークとハイライト上演~
ナビゲーター台本最終稿
(テーマ~ファム・ファタール~)
前奏曲 |
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三澤 | いやあ、素晴らしい前奏曲ですね。血湧き肉躍るという言葉がぴったりの躍動感溢れる音楽です。 |
八塩 |
なんだかワクワクしてきますね。 |
三澤 |
数あるオペラの前奏曲の中でも最高傑作です。 (聴衆に気付いて) みなさん、こんにちは。新国立劇場にようこそおいでいただきました。「はじめてのオペラ『カルメン』」、ナビゲーターをさせていただきますのは三澤洋史と・・・。 |
八塩 |
八塩圭子です。 |
二人 |
よろしくお願いします。 |
三澤 |
ところで八塩さん、famme fatale(ファム・ファタール)という言葉をご存じですか? |
八塩 |
聞いた事ありますよ。魔性の女とかいう意味でしょうか。 |
三澤 |
フランス語でファムは女、ファタールは運命とか宿命とかいう意味です。つまり運命の女ですが、その女性と運命的な出逢いをして結ばれてめでたしめでたしという意味では使われません。むしろ男を惑わし、破滅に導く女として描かれる事が多いので、結局は八塩さんが言った魔性の女という意味に近いですね。これからお聞きいただく「カルメン」は、そのファム・ファタールの物語です。 舞台はスペインのセヴィリア。そこの連隊にドン・ホセという伍長が勤務しています。ホセは、郷里のバスク地方に許嫁のミカエラがいます。ミカエラはホセの年老いた母親の面倒を見ています。ホセはもう少し勤め上げたら、郷里の母の元に帰ってミカエラと結婚しようと思っています。 |
八塩 |
素敵な話ではありませんか。それで、めでたしめでたしですか。 |
三澤 |
いや、それじゃあオペラにならないではありませんか。 |
八塩 |
あ、分かりました。そこにファム・ファタールが登場して、話をメチャクチャにしてしまうというのでしょう。 |
三澤 |
その通り。 |
八塩 |
そのファム・ファタールがカルメンですね。 |
三澤 |
そうです。 |
八塩 |
カルメンとは一体どんな女性なのですか? |
三澤 |
カルメンは煙草工場で働いていますが、ロマ族です。ロマは、昔はジプシーと呼ばれていましたが、最近ではあまり使われません。元来は中央アジアの遊牧民族で、定住することなく放浪生活を続け、ハンガリーやイタリア、スペインなど南ヨーロッパ全体に広く住み着いています。独特の風習を持ち続けていることで市民社会から常に逸脱していて、いわゆるアウト・サイダーなのです。 |
八塩 |
ということは、カルメンも社会のアウト・サイダーということですか? |
三澤 |
そうです。カルメンの性格は自由奔放。恋愛に対しても気まぐれそのもので、一般的なモラルの外にあります。いいなあと思ったら誰とでも恋愛します。 |
八塩 |
それはとても危ない女性ですね。でも、そんなカルメンが、どうして真面目なホセのファム・ファタールになるのでしょうか。接点がないではありませんか。 |
三澤 |
そう思うでしょう。ところが接点はあるのです。誰の心の中にも・・・。八塩さん、どうしてこのオペラがこんなに人気があるのか分かりますか。 |
八塩 |
さあ・・・。 |
三澤 |
それは、誰の心の中にも、実は束縛を解き放ちたいという自由への欲求があるからです。だからアウト・サイダーにあこがれるのです。八塩さんだって、全身を焼き尽くすような大恋愛をして何もかも忘れてメチャクチャになってみたいなんて思った事ありませんか。 |
八塩 |
いいですねえ。 |
三澤 |
誰しもホセのようになってしまう要素はあるということです。でもどうしてそうならないかというと、みんながそうなったら社会が大変なことになってしまうので理性が働いているわけです。 |
八塩 |
なるほど。そうした自由へのあこがれが、この「カルメン」ではつかの間でも味わえるというわけですね。 |
三澤 |
そういうわけです。ホセも、このままいくとおとなしく田舎に帰ってミカエラと結婚して安定した生活を送るのだと思っていましたが、やはり心のどこかに、我を忘れるくらい熱く燃えてみたいという欲求が渦巻いていたわけです。 |
八塩 |
そこでカルメンにひっかかってしまった。 |
三澤 |
その通り。さあ、それでは、これからホセがどうカルメンと出逢ったか、みなさんと一緒に見ていきましょう。 煙草工場が休憩時間に入ると、女工達を見ようと男達が集まってきます。カルメンはその中でもあこがれのまと。男達はカルメンの気を惹こうと言い寄りますが、気まぐれなカルメンは一番興味なさそうにしているホセに目をつけ、彼の前に花を投げます。 |
八塩 |
それでは聴いていただきましょう。有名なハバネラの場面です。 |
三澤 |
マエストロ、どうぞ! |
ハバネラ |
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八塩 |
ホセはカルメンに誘惑されたのですね。ホセが知らん顔していたので、かえってカルメンの征服欲の餌食になってしまったというわけですか。 |
三澤 |
そうです。でもホセはすぐにカルメンに夢中になってしまったわけではありません。最初はむしろカルメンを怖がっていますね。あれは魔女だ、気を付けなければと思っていました。 |
八塩 |
この後、許嫁のミカエラが故郷からお母さんの便りを持って来ます。 |
三澤 |
そうです。ミカエラの姿を見てほっとするわけです。しかも母親からの手紙には、「真面目に勤め上げたら、この手紙を持ってきたミカエラと一緒になっておくれ。」 と書いてありました。家族、郷里、平和で安定した生活がホセの前に現れ、ホセはカルメンに誘惑されて生まれた心のモヤモヤを必死で否定しようとします。ところが運命はそれを許しませんでした。突然ある事件が起こります。 |
八塩 |
ある事件。 |
三澤 |
煙草工場の中で大勢の女工達を巻き込んだ喧嘩騒ぎが起きました。ホセは衛兵としてそれを止めに入りますが、喧嘩の張本人はなんとカルメンでした。しかもホセは少しの間縄でつながれたカルメンを見張っているように上官に頼まれます。 そうしてホセとカルメンが二人きりになる機会が訪れます。 |
八塩 |
あー、危ないですね。もしかして、ホセはそこで再び誘惑されるのですか? |
三澤 |
その通り。カルメンはセギディーリアという踊りの曲でホセを誘惑します。私はこの音楽が大好きです(歌う)。この曲の後、ホセはメロメロになってしまって、ひそかに縄を解いてカルメンを逃がしてしまうのです。では、どのようにカルメンがホセを誘惑するか見てみましょう。 |
八塩 |
それではホセとカルメンの二重唱「セギディーリア」です。 |
三澤 |
マエストロ、プリーズ! |
セギディーリア |
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三澤 |
こうしてホセはカルメンの虜になってしまいました。それだけではありません。カルメンをわざと逃がしたことがバレて軍法会議にかけられ、二ヶ月間、牢屋に入れられてしまいました。 |
八塩 |
まあ、優等生だったホセの転落の始まりですね。 |
三澤 |
ところで八塩さんね、オペラではストーリーの展開と同じくらい大事な要素があるのですよ。 |
八塩 |
何ですか? |
三澤 |
それはロケーションです。 |
八塩 |
ロケーション。つまり物語の舞台となる場所ですか。 |
三澤 |
そうです。観客はね、ラブ・ストーリーだけ追っているのではないのですよ。同時にそのオペラのシチュエーションを味わっているのです。よくテレビでも、なんとか殺人事件とかいって、その事件を追いながら金沢だとか東北のある街に焦点を合わせて、その街の景観や雰囲気を一緒に味わったりするじゃありませんか。 |
八塩 |
あ、そうですね。ラブ・ストーリーを追いながら、同時にその土地の名所を巡ったりしていますね。それも楽しみのひとつです。 |
三澤 |
プッチーニという作曲家はそこのところをよく知っていて、わざと珍しいところをロケーションに選んでいます。「ラ・ボエーム」はパリの学生街カルチェ・ラタン、「蝶々夫人」は開国直後の日本の長崎、「西部の娘」は、インデアンや保安官の出てくるアメリカ西部、「トゥーランドット」は中国です。 |
八塩 |
なるほど、そうやって考えてみると、それぞれ異国情緒に溢れていますね。 |
三澤 |
そうです、まさに異国情緒です。よく見落とされるのですが、このカルメンを作曲したビゼーはスペイン人ではなくフランス人です。 |
八塩 |
あ、そういえばそうですね。だからわざとエキゾチックにスペインを描いたとも言えますね。 |
三澤 |
スペイン人だったらきっとこうは書かなかったのですよ。昔、ヨーロッパで「蝶々夫人」を見た時に、長崎なのに富士山が背景にあって驚きました。 |
八塩 |
(笑いながら)あり得ないですね。 |
三澤 |
また、ヨーロッパでは黒澤明監督の映画が繰り返しテレビなどで流されていますが、日本では未だに人々がちょんまげと着物で町を歩いていると信じているヨーロッパ人が少なくないと聞きます。そういう人達が日本に旅行に来て東京の町並みなどを見てがっかりするわけです。そして京都とかに行ってはじめて、 「これだ!これが日本だ!」 と叫ぶのですね。それから相撲を見てちょんまげの力士に日本を感じたりするわけです。「カルメン」のマエストロ、デラコート氏も相撲が大好きで、舞台稽古の時に楽屋に戻るとずっと相撲を見ていました。 |
八塩 |
あ、そうですか。 |
三澤 |
話がちょっと横にそれましたが、自国の人達がそこで生活し、リアリティを感じている日本と、外国人が期待する日本との間には多少なりともギャップがあるということです。我々だってパリを舞台にした作品だったらエッフェル塔と凱旋門とノートルダム寺院を同じ背景に並べそうじゃありませんか。 |
八塩 |
そうですね。そういうステレオタイプというか、ありがちなものを全部並べたからこそ「カルメン」というオペラは世界中の聴衆にスペインへのエキゾチシズムを掻き立てて、ここまで有名になったとも言えますね。 |
三澤 |
その通りです。それでね、八塩さん、スペインというと(フラメンコの仕草をしながら)まず何を思い浮かべますか? |
八塩 |
フラメンコです。 |
三澤 |
その通り!よく分かりましたね。これからカルメン第二幕に入っていきますが、幕が開いて最初の曲は有名なジプシー・ソング、フランス語でシャンソン・ボエームといいます。ここではカルメンがソロを歌いますが、ダンサー達によるフラメンコの見事な踊りが見られます。 |
八塩 |
楽しみですね。 |
三澤 |
それから(闘牛の仕草をして)あとスペインというと何を浮かべますか? |
八塩 |
闘牛でしょうか? |
三澤 |
素晴らしいですね。まるで人の心の中を読んでいるようですね。カルメン第二幕では、ジプシー・ソングの後、闘牛士エスカミーリォが登場します。闘牛士というとスペインでは超有名タレントのようなもので、いわゆるカリスマ的存在です。その闘牛士エスカミーリォがカルメンのいる酒場に現れ、カルメンに一目惚れし、名前を聞いて帰って行きます。 |
八塩 |
あれれ、早くも二股ですか。カルメンのせいで牢屋に入れられたホセはどうなっちゃうんですか? |
三澤 |
この時点ではまだそれはそれで、カルメンの心はホセにあります。ホセが牢屋から出てくる時期を指折り数えている可愛いところもあるんですよ。ただ後でだんだん物語が発展してきて、この闘牛士エスカミーリォという存在がドラマの大きな割合を占めてくるようになります。 |
八塩 |
なるほど、こうしたエキゾチックな要素をドラマに上手にからめていくわけですね。 |
三澤 |
さあ、これから第二幕冒頭から闘牛士エスカミーリォの場面までをごらんいただきたいと思います。居酒屋リリアス・パスティアで繰り広げられるスペイン情緒溢れるジプシー・ソング、そこに闘牛士エスカミーリォがやってきて有名な闘牛士の歌を歌います。みなさんも一度は聴いた事があると思います。 |
八塩 |
それではお楽しみ下さい。 |
三澤 |
マエストロ、プレーゴ! |
シャンソン・ボエーム 闘牛士の歌 |
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八塩 |
素敵ですね。今の場面は、まさにスペイン情緒に溢れていますね。それに闘牛士もカッコ良かったです。 |
三澤 |
ああやってスーパー・スターを最もカッコ良く登場させるビゼーの手法は見事ですね。 |
八塩 |
それだけでホセは負けそうって観客は思ってしまいますよね。 |
三澤 |
まさにそこがねらいです。さて、これから第二幕の後半に入っていきます。いよいよ二ヶ月ぶりに牢屋から出てきたホセがカルメンと逢います。カルメンも浮き浮きしています。この場面は二人が幸せな唯一の場面なのですが、その時間はとても短い。 |
八塩 |
あらら。 |
三澤 |
そもそもこの二人ははじめから合わないのですよ。カルメンは自由奔放。一方、ホセは典型的な真面目男ですからね。 カルメンはホセの前で一生懸命フラメンコを踊ってあげます。その時遠くからホセの連隊の点呼のラッパが聞こえてきます。ホセはカルメンの踊りを止め、 「それじゃ、僕は帰るから。」 と言って帰ろうとします。カルメンにしてみると、 「ちょっと待ってよ。」 という感じですよね。 |
八塩 |
それでいさかいになる。 |
三澤 |
当然です。お互い、相手がどうしてそう思うのか理解出来ないのです。 ホセの愛し方はこうです。彼は、カルメンがかつてホセに投げた花をずっと肌身離さず持っています。すでに萎れてしまったその花の匂いをかぎながら、牢屋の中でひたすら彼女のことを想っていたことを、ホセはカルメンに向かって切々と語ります。 |
八塩 |
なんてロマンチックな人でしょう。有名なアリア「花の歌」ですね。 |
三澤 |
でもそういうロマンチックな愛し方は、カルメンには通じないのですよ。あんな美しい「花の歌」を歌った直後、カルメンはこうホセに言い放ちます。 「そんなの口だけじゃない。あたしを好きなら態度で示してよ。」 ホセもだんだん嫌気がさしてきて、 「分かったやっぱりお前とは合わないから別れよう。」 と言い出します。 |
八塩 |
早くも別れ話ですか。かえって良かったではありませんか。 |
三澤 |
そこで別れておけばよかったのですよ。よかったのだけれど、それではオペラにならないのです。さあ、ホセは別れを決心して、カルメンの元を去ろうとしますが、その瞬間、また思いがけない事が起こります。そしてそれがホセにとってはとんでもない事態に発展していくのです。 |
八塩 |
一体どうなっていくのでしょうか? |
三澤 |
それは実際にオペラを御覧になっていただきましょう。 |
八塩 |
あらいじわる。 |
三澤 |
それでは第二幕後半を御覧下さい。マエストロ、シルヴプレ! |
ホセ、カルメンのデュエット 花の歌 フィナーレ |
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三澤 |
では、ここで25分間の休憩をいただきます。 |
休憩 |
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第三幕への前奏曲 |
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三澤 |
オペラ「カルメン」は、ドラマとしてとても良く出来ています。特に素晴らしいと思うのは、ホセが一度はカルメンと別れようとするのですが、運命がホセの実直な性格を逆手にとって、別れられなくしてしまうくだりです。 |
八塩 |
中尉のスニガの登場のところですね。今まさに別れようとカルメンに言っているのに、スニガが来た事によって「あいつに渡してなるものか」という気持ちになります。 |
三澤 |
ホセという人間は、真面目なだけにプライドも高い。そして案外嫉妬深いのです。愛は消えても嫉妬だけ残るとは、よくあることではないですか。そうして上官に刃向かって連隊にいられなくなり、やぶれかぶれでカルメンと一緒に密輸団の一味に加わる事となります。この場面こそ物語の転換点です。 |
八塩 |
あの真面目なホセがついに犯罪に手を染めていくわけですね。ここから具体的にホセの転落が始まるわけですか。 |
三澤 |
さて、第三幕は密輸団の国境越えの場面から始まります。この時点ですでにカルメンとホセとの間には亀裂が生まれています。ホセは、もはや後戻り出来ないところに踏み込んでいる自分を感じています。それもカルメン故にですから、カルメンにますますしがみつく。 ところがカルメンにしてみると、ずっとホセと一緒にいるようになって、しだいに亭主面してくるホセにうんざりしてきます。というより、少し飽きてきたのですね。 |
八塩 |
なんて勝手な女性でしょう。 |
三澤 |
ここで、ジプシー女カルメンのキャラクターを強調するもう一つのアイテムが登場します。 |
八塩 |
アイテムですか。 |
三澤 |
それはジプシー占いです。 |
八塩 |
ジプシー占い! |
三澤 |
ロマの象徴的なものにジプシー占いがあります。タロット占いとも言います。キリスト教的社会では、占いやまじないの類は基本的に禁止されています。というか、そうしたものに振り回されてはいけないと教えられています。だから当時の市民はロマの占いに対し、ある種の不気味さを感じていたと思いますが、同時にロマの占いは必ず当たるとも信じられていました。そうしたことが、このオペラの中でも現れています。 |
八塩 |
では、カルメンがここで占いをやるわけですね。そして出た答えは絶対というわけですか。 |
三澤 |
そうです。カルメンは、他のジプシー女、フラスキータ、メルセデスがトランプを使って将来を占っているところに割り込んで来て、自分の将来を占います。すると、そこに出たのは“死”。 |
八塩 |
では、カルメンはこの時点でもう自分は死ぬのだと分かってしまった。 |
三澤 |
そうです。ロマの持つ宿命論がここでは表現されています。さあ、それでは聴いていただきましょう。カルタの三重唱です。マエストロ、ビッテ、シェーン! |
カルタの三重唱 |
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三澤 |
さて、密輸団の潜んでいる山奥に、ホセを訪ねて許嫁のミカエラがその身を顧みずやって来ます。 |
八塩 |
ホセが連隊を逃げ出して行方不明になってしまったことは、ミカエラや母親の耳にも入ったのですね。 |
三澤 |
しかも今やその母親が危篤ということです。ミカエラは何としてでもホセに逢って転落した彼を連れ戻そうと、人づてに居所を探し当て、ここまでやってきました。 |
八塩 |
それほどホセを愛しているのですね。なんとけなげな女性でしょう。 |
三澤 |
それでは聴いていただきましょう。ミカエラのアリアです。 マエストロ、ポル・ファヴォール! |
ミカエラのアリア |
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八塩 |
美しいアリアでしたね。ミカエラの気持ちを思うと胸が痛くなります。この後、ミカエラの想いは通じるのでしょうか? |
三澤 |
ミカエラはホセに会うことが出来て、母親が危篤であることを告げ、ホセと一緒に故郷へ帰っていきます。 |
八塩 |
よかったですね。 |
三澤 |
いや、でもそれでホセの気持ちが済むわけはありません。しかもミカエラと一緒に帰る直前、ホセは、カルメンの心がもはや自分から離れて闘牛士エスカミーリォに移っているのを知ってしまいます。 そのエスカミーリォの晴れ舞台、つまりセヴィリアで闘牛の開かれる日、ホセが再びカルメンの前に現れます。もう身も心もボロボロになってカルメンに復縁を迫ります。 |
八塩 |
どうしてそこまでしてホセはカルメンに固執するのでしょう。カルメンのような浮気な女性と一緒になったって、幸せになれないことなど分かりきったことではありませんか。それにミカエラが可哀想すぎます。 |
三澤 |
理由は二つあります。ひとつは、ホセという人間が破滅型人間の典型だということす。特に彼の自尊心の強さが徒になっています。ホセのような真面目な優等生には挫折体験がないので、挫折への免疫がありません。だから物事がうまく運んでいるうちはとてもいいのですが、ひとつうまく行かない事が起こると、今度はその事にばかり固執して、周りが見えなくなる傾向があります。そうしてますます深みにはまっていって最後にはガタガタになります。 今のホセの心にあるのは、得られないものをどうしても得たい、失ったものをどうしても取り戻したいという執着だけです。それと嫉妬心が合わさってもうどうにもならなくなっているのです。それがホセを破滅に向かって突き動かしている衝動。 |
八塩 |
なるほど。賭博などで頭に血が上って全財産を失ってしまう人の行動に似ていますね。次のお金で一気に取り戻そうと賭にでて結局全てを失ってしまう。 ということは、ホセは、もう自分がこの人と一緒になって幸せになるかどうかなんて考えてはいないのですね。 |
三澤 |
そんな余裕はないんですね。 もうひとつは、ホセのリアリティを追求すると、誰しも馬鹿だなあと思うものですが、八塩さん、オペラというものは、別の角度から読むことが出来るのです。 |
八塩 |
別の角度ですか? |
三澤 |
ホセはカルメンという存在を表現するための材料として使われている面があるのです。つまり転落したホセを描くことによって、むしろカルメンの生き方が描かれていると考えたらどうでしょうか。 |
八塩 |
なるほど。 |
三澤 |
カルメンは最後ホセに刺されて死にますが、最後まで彼女の生き方を貫き通します。ホセと闘牛場で会った時、カルメンが最初にホセに言った言葉はこうです。 「あんたはきっとあたしを殺すでしょうね。 でもあたしは決して逃げやしない。」 カルメンは、ロマの占いですでに自分が死ぬのを知っていました。それから逃れようとしても逃れられないことも知っていたのです。 |
八塩 |
それで自分の運命を受け入れたということですか。 |
三澤 |
そうです。でもカルメンの運命とは、死ぬことではないのです。そうではなくて彼女が、自分の“自由”というものを命を賭けて守り通すということなのです。これが彼女に与えられた宿命。 |
八塩 |
なるほど。 |
三澤 |
蝶々夫人もそうですけど、カルメンの生き方は最初から首尾一貫しています。蝶々夫人が「愛か死か」ならば、カルメンは「自由か死か」なのです。だから、話はドロドロしているのですが、どこかカルメンの生き方には潔さというかすがすがしさを覚えます。 |
八塩 |
なるほど、そういう風に考えると、むしろカルメンのように生きられたらうらやましいとも言えますね。でも普通の人はそんな風には生きられませんよね。 |
三澤 |
そうですよ。だからこそ、最初の話に戻りますけど、こうして日常を離れて、つかの間自由の素晴らしさを味わい、そして自由の代償として失うものの大きさを思って、やっぱり自分たちの日常に戻ろうと思って、聴衆は家路に帰って行くのでしょう。 |
八塩 |
そうしたことを、このオペラははっきり私達に見せてくれるということでしょうか。 |
三澤 |
そうです。どのオペラよりも・・・・。 ところで、ホセがカルメンを刺し殺す時は、同時に闘牛場の中でヒーローのエスカミーリォが闘牛を刺し殺した時です。裏から聞こえてくる大きな歓声と供にカルメンがホセの腕の中で崩れ落ちます。闘牛の血とカルメンの血のシンクロナイズ。なんと見事な設定でしょうか。 |
八塩 |
さあ、それではいよいよ終幕にいきましょうか。 |
三澤 |
舞台はセヴィリアの闘牛場前広場。人々が賑わっているところから第三幕二場は始まります。ここは合唱団の見せ場でもあります。それからカルメンとホセの二重唱が来ます。 |
八塩 |
息詰まる終幕ですね。それでは最後までじっくり御覧下さい。本日の社会人のためのオペラ入門「カルメン」、ナビゲーターは八塩圭子と・・・。 |
三澤 |
三澤洋史でした。 |
第四幕 ~終幕 |
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