京都ヴェルディ協会講演会

ゆけ、老いたるジョンよ~人生、みな道化や!

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

ファルスタッフの成立過程
 ヴェルディは、「アイーダ」(1871年完成)の成功の後、「オテッロ」(1886年完成)を作曲するまで15年あまりオペラの筆を折ってしまいます。その空白は謎のようにも思われますが、長い目で見ると、一般的な解釈すなわち「オペラ作曲家として考えられる限りの地位と名声を獲得して、頂点に登り詰めたヴェルディは、何かを追い求める必要を感じず満足して、あとは余生を生きようとした」という事になるでしょう。ただ、よく調べると、その間にいろいろな事が起こっています。

15年の空白とストルツとの関係
 ヴェルディは、彼の住居であるSant’Agataサンターガタの農園に引きこもっています。その間に「アイーダ」は各地で大進撃を続けています。1874年には尊敬する作家マンゾーニの死の一周忌に上演するためレクィエムが作曲されました。この頃、ヴェルディと彼の妻のジュゼッピーナとの間には、ある重大な危機が訪れています。
 それは、「ドン・カルロス」のボローニャ初演で圧倒的な成功を収めたソプラノ歌手テレーザ・ストルツとヴェルディとの関係が、「アイーダ」のタイトルロールを経て、レクィエムにいたる頃には抜き差しならぬものになっていて、それにジュゼッピーナが苦しめられていたのです。
 各地から上演依頼が殺到し、レクィエムは演奏旅行というほどまとまった公演をすることになります。そのツアーの最中に、フィレンツェの新聞ではヴェルディとストルツとのゴシップが連載され始めます。なんのかんの理由を見つけては、ストルツのところにいそいそ出かけていくヴェルディに対し、ジュゼッピーナはある時堪忍袋の緒が切れてこういいます。
「病気でも公演前でもないのに、妻でも妹でもない女性のもとへ何故行くのですか?」
こうした冷たい夫婦関係はその後もしばらく続きます。


Teresa Stolz    ( http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/cf/Teresa-Stolz.jpg )

 レクィエムを作曲してから10年あまり、ヴェルディは、知人をSant’Agataに招いて、食事をしたりビリヤードをしたりしても、ピアノの蓋は全然開かなかったといいます。それを彼自身は「快適な生活」と呼んでいます。彼は作曲家としての生命をもう終えたかに見えました。

 そうしたヴェルディを再びオペラ制作に向かわせたのは、作曲家で台本作家でもあるアリーゴ・ボーイトArrigo Boitoであることは、すでにお聞きになっている方もいらっしゃると思います。そうして生まれたのが「オテッロ」と「ファルスタッフ」の二つのオペラですが、私は個人的に、この二つのオペラが生まれる背景に、先のストルツとジュゼッピーナとの三角関係があるように思えるのです。


Boito e Verdi    ( http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f9/Boito_e_Verdi.jpg )

ヴェルディとシェークスピア
 その話をする前に、ヴェルディが何故シェークスピアに惹かれているのかについて語ってみたいと思います。ヴェルディは、1847年、34歳の時に「マクベス」をオペラ化しています。「マクベス」は、それまで無心で活躍してきた武将であるマクベスが、魔女の誘惑によって自分が王になる可能性を告げられ、要するに「魔が差して」我を忘れて王を暗殺し、それがきっかけで没落していく物語です。
 また、「オテッロ」は、将軍オテロが腹黒いイヤーゴにそそのかされ、愛妻デズデーモナの浮気を疑い、嫉妬に狂って妻を殺し、自らも没落していく物語です。このようにシェークスピアの悲劇というのは、いずれも非の打ち所のないような英雄がちょっとのきっかけで自らの弱さによって自滅していく物語なのです。こうした人間の心のリアリスティックな表現に、ヴェルディはとても惹かれていました。
 では「ファルスタッフ」はというと、これが喜劇であるということによって、これらのリアリズムから遠ざかっているかのような印象を持ちますが、よく考えてみますと、「オテッロ」と「ファルスタッフ」は、ある意味表と裏の関係にある双子のような存在です。その共通性というのは“嫉妬”であります。特にそれはボーイトの台本とヴェルディの作曲によって、さらにいっそう強調されることとなります。その詳細はあとで実際の鑑賞のところで説明いたします。
 この嫉妬の表現に、先ほどのストルツとジュゼッピーナとの三角関係が大きな影を投げかけているように、私には思われてなりません。ヴェルディは、ある意味加害者ですから、こんなこと思えた義理ではないのかも知れませんが、ジュゼッピーナの嫉妬に悩まされていたことは事実で、嫉妬というものを嫌でも観察せざるを得ない状況に追い込まれていたとも言えます。

嫉妬、この激しい情熱
 嫉妬とは、嫉妬している本人にしてみると死ぬほど辛いものですし、「あの冷静な人がなんであそこまで」と思うほど、急激な感情の昂揚を引き起こし、突飛な行動を導き出すのですが、一歩距離を置いて客観的に眺めてみると、滑稽で喜劇的とも思えます。落語でも漫才でも、あるいはチャップリンやミスター・ビーンなど、すべて笑いを引き起こす材料となるのは、人間の業(ごう)であります。それはシリアスなものと隣り合わせです。たとえば、誰かがつまづいてコケると人は笑いますが、それが骨折していると分かるともうみんなは笑いません。

 さて、話をファルスタッフに絞ってみましょう。アリーチェとメグは、何故ファルスタッフを懲らしめようと思ったのでしょうか?最初彼女たちはまんざらでもない気持ちでお互いに手紙を見せ合ったわけでしょう。もし手紙が自分だけに来たのだったら、ファルスタッフをけしからんと思うこともなかったのでしょう。要するに、同じ手紙が他の女性にも行ったことについて腹が立ったわけでしょう。つまり、それは嫉妬でしょう。
 それから、自分の奥さんがファルスタッフと逢い引きすると聞かされたフォードの嫉妬が滑稽に描かれていますが、これはフォード本人にとってオテロの悲劇と何処が違うのでしょうか?そういう風に考えると、ファルスタッフとは本当に喜劇なのかという問題が浮上してきますが、それはまた後で考えることにして、とくかく今は、ヴェルディの15年の空白の後のオテロとファルスタッフの二つの作品は、この組み合わせで、この順番で作られる運命にあったとだけ申し上げておきましょう。

 ボーイトはヴェルディにファルスタッフの作曲をけしかけた時、こう言ったといわれています。
「あなたのキャリアをオテロで終えるより華々しい方法が、ひとつだけあります。それはファルスタッフで終えることです。人間の心にある叫びと嘆きを呼び起こした後に、大爆笑で終えるのです。全てがひっくり返されることでしょう!」

ヴェルディとワーグナー
 さて、次にはヴェルディとワーグナーとの関係について触れます。次の簡単な年表を見て下さい。

 ヴェルディのオペラの中にワーグナーの影響が言われ始めたのは「運命の力」からだと言われています。例の運命の動機が至るところに顔を出すことから、これがライトモチーフ的使われ方だと考えられたのでしょうが、それはむしろテーマソングと呼んだ方がよいようなシンプルなモチーフで、ラインの黄金のあのおびただしいライトモチーフを縦横にちりばめた作曲法には遠く及ばず、ワーグナーの影響とはとても言えないと私は考えます。その後「ドン・カルロス」「アイーダ」と、テーマソング的作曲法は行われますが、私はなんといっても「オテッロ」こそワーグナーの影響があると考えます。
 しかもそれはライトモチーフの使用ということではなく、むしろ和声的複雑さという点においての影響が顕著だからだと思います。それまでの三和音中心のシンプルな和声法は、「ドン・カルロス」あたりからしだいに陰影を深めていきますが、「アイーダ」においても基本は依然三和音中心でした。それが本質的に内部的変化を遂げて個性的な和声法を駆使するのは「オテッロ」が最初で、それが「ファルスタッフ」にまで受け継がれています。

 ライトモチーフ的使用法としては、ヴェルディは最後まで限定的な使い方しかしていませんでした。たとえば「オテッロ」の有名な「口づけのモチーフ」は、全曲中たったの3回しか出て来ません。逆に言えば、3回しか出て来ないからこそ、際だって印象深くなります。ワーグナーもその効果は知っていて、「愛による救済の動機」のように、限定的な使い方をすることによって、そのモチーフが出てきた時の印象を深くしていますが、それはむしろワーグナー的な使い方ではありません。

「ファルスタッフ」鑑賞
 さて、話はまだワーグナーからの影響についての話題が続いていますが、これから実際の鑑賞に入って行きます。その中でワーグナーとの関係を考えていきましょう。これは「ファルスタッフ」の冒頭です。最初のドクター・カイウスの歌が出てくるまでの小節数を数えてみると・・・・わずか7小節しかありません。
01「ファルスタッフ」冒頭

「アイーダ」までの全てのオペラにおいては、必ず序曲ないしは前奏曲がついていたことを考えると、これは画期的です。この背景にワーグナーの影響があるのは明らかです。「アイーダ」初演後の長いブランクの間に、ワーグナーはバイロイト音楽祭を開催し、「ニーベルングの指環」全曲上演を成し遂げ、ヨーロッパ中で話題になりました。その様子はイタリアの新聞でも大々的に取り上げられ、ヴェルディの元にも様々な情報として届いていたに違いありません。そして1883年にワーグナーはヴェネツィアにおいて没します。
 この「ニーベルングの指環」すなわちリングの大きな特徴として、序曲ないし前奏曲の廃止というものが挙げられます。長い変ホ長調の和音によって世界の原初が表現される「ラインの黄金」から始まり、激しい嵐の情景でジークムントの逃亡とジークリンデ達の悲劇的運命を暗示する「ワルキューレ」、ファフナーの住む深い森やミーメを表現する「ジークフリート」、そして運命の女神達ノルンが語る「没落する世界」を表現する「神々の黄昏」など、リングにおいてワーグナーは、冒頭から一気にドラマのまっただ中に聴衆を連れていく方法をとっています。

 このやり方は、その後沢山の作曲家に影響を与えます。プッチーニやリヒャルト・シュトラウスは、全く序曲という独立した楽曲をオペラ本編の前には置いていません。もはやこの方法は、その後のオペラ作曲の定番になった感があります。ワーグナー以降、序曲を書くなどというのは、もはや時代遅れとなったようにも感じられます。

 ところが、当のワーグナー自身は、不思議なことに、前奏曲を置かないのはなんとリングだけなのです。それ以前の「オランダ人」「タンホイザー」「ローエングリン」の全てに前奏曲がありますし、リングの最中に「ジークフリート」を中断して作曲した「トリスタンとイゾルデ」及び「マイスタージンガー」の両方に、しっかりした前奏曲があります。さらにリング以降に作曲された最後の作品である「パルジファル」においてさえ、前奏曲を置いています。要するに、ワーグナーはむしろ前奏曲を最後まで捨ててはいなかったのです。この理由について語り始めてしまうと、ワーグナー論が始まってしまい、それで一日が終わってしまうので、今日は詳しくは語りません。ひとつだけ短く言うと、ワーグナーは前奏曲で自分の音楽的アイデアの手の内を見せ、これを交響曲の主題提示部のようにして、楽劇本体を展開部のようにして作曲をしていたのです。

 さて、ワーグナー以後の作曲家は、新しい「ドラマと音楽との融合への方法論」をワーグナーの中に見い出し、まず前奏曲なしにダイレクトにシーンが始まるところからその追従を始めました。ヴェルディも、ワーグナーの死後最初の作品「オテッロ」の冒頭において、嵐の場面からシーンを始めています。この開始は圧倒的で、シェークスピアの原作にあった第1幕をごっそりカットして、この嵐の場面でオペラを開始したのは、オペラのドラマトゥルギーとしては大正解でした。戦いにおける敵と嵐、人間と自然の両方に勝利した輝かしい英雄の姿を冒頭から呈示して、聴衆はオテロとは何物であるかを一瞬にして知ることになります。
 ここでも音楽が始まってから最初の合唱が入ってくるまでアウフタクトを混ぜないで12小節しかありません。
02「オテッロ」冒頭

 さて、「ファルスタッフ」に戻って、「ファルスタッフ」の冒頭は、「オテッロ」ほど衝撃的ではありません。むしろ、何気なく自然に始まります。「オテッロ」の嵐の場面の前に序曲をさらにつけるのは無意味ですが、「ファルスタッフ」は、この開始の前に序曲を置いても成り立つ感じがします。それでもヴェルディが序曲を置かなかったのは、ワーグナー的な手法で「オテッロ」を作った後、ヴェルディが、それまでの因習が持つ一切の無駄を省いて真っ直ぐにドラマに向かう姿勢を徹底させた故と思われます。

ワーグナーとの相違そのⅠ
 しかしながら、そうやってワーグナーの手法に近づいていけばいくほど、逆にヴェルディが最後まで捨てきれないでこだわっていた面が浮き彫りにされていきます。それは、あくまで人間の“うた”のもつ表現力を徹底的に信じる姿勢です。これから聴いていただくのは第1幕第2場の8重唱です。ここにおいては、ロッシーニ的な重唱の楽しみがさらに進化した姿が見られます。譜面をみていただけば分かりますが、2拍子で書かれた男性の4重唱に対して、8分の6拍子で書かれた女性の4重唱が同時進行して、スリリングなリズムが聴かれます。一度ドラマの進行を止めてでも、音楽の楽しさを追求するというのは、ワーグナーが最も嫌った方法ですが、ヴェルディは彼の生涯の終わりまで、その方法を決して捨てなかったわけです。
03第1幕第2部8重唱

ファルスタッフという人間
 さて、オペラの中で表現されているファルスタッフとはどういう人間でしょうか?先ほど、全て笑いを引き起こす材料となるのは人間の業と申しましたが、ファルスタッフもその例にもれず、ワガママで欲張りで好色な人間です。そして欲に目がくらんでいるが故に周りが見えずに愚かになっています。だからみんなに仕返しされるわけですが、ひとつだけ注目すべき点があります。それは「名誉を嫌う」という点です。次に聴いていただくのは、第1幕第1場を締めくくるアリアです。
「名誉だと、この盗人め!」というタイトルで知られています。
04第1幕第1場ラスト「名誉で腹がいっぱいになるか?」

 この歌詞にヴェルディは一体どんな気持ちで曲をつけたのでしょうか?私がこう言うのは、ヴェルディこそ、今や誰よりも名誉を獲得しているではありませんか?しかしその名誉が、彼を本当にしあわせにすることは出来なかったのだと、彼は言いたいのでしょうか?ともあれ、ヴェルディは、今や劇場に雇われて数々の妥協を強いられることなく、何物にも囚われずに、書きたい題材で書きたいように書ける環境にあるわけです。

 さて、リコルディ社の社長であるジューリオ・リコルディは、ある時、ヴェルディから送られてきた「ファルスタッフ」の分厚いスコアを手にします。その時、スコアの中にうっかり挟み込まれた紙片を発見します。そこにはヴェルディの言葉が書き込まれていました。
「全て終わった。ゆけ、ゆけ、老いたるジョン。行けるところまで、お前の道を・・・・さようなら!」
 この言葉は、第2幕第1場で、ファルスタッフが歌うセリフです。こう書き記したところを見ると、ヴェルディは恐らくこの歌詞をかなり気に入っていたのでしょう。80歳になるヴェルディの悲哀や自嘲を感じながら、彼はこの曲を書いたことでしょう。
05第2幕第1場「ゆけ、老いたるジョンよ」

喜劇か悲劇か?フォードの場合
 嫉妬というものを題材にしながら作った悲劇が「オテッロ」だとすると、それと全く同じ題材で喜劇に仕立て上げられた作品が「ファルスタッフ」であり、この二つの作品が双子の兄弟のようであることは先に述べました。特に、これからみなさんにお聴きいただくフォードの「夢か現実か?」のアリアの深刻さは、これを聴いている間、私たちが喜劇の中にいることを忘れさせるほどです。同時に、そのリアリスティックな表現にふさわしい音楽的語法をヴェルディはまさにワーグナーから譲り受けていると私は確信しています。このアリアは、「オテッロ」におけるイアーゴの悪魔的アリア「クレード」の語法の発展でもあります。その意味では、ヴェルディ芸術の頂点であるとも言えます。
06フォードのアリア第2幕第1場「夢か現実か?」

ドラマを引っ掻き回す無邪気なカップル
 さて、今回音資料で使っているCDでは、ナンネッタにミレッラ・フレーニ、フェントンにアルフレード・クラウスというもったいない人選がされています。彼等はいわゆる主役ではないのにこの役が与えられていますが、それはある意味とても大切な役だからです。
 ナンネッタは、フェントンを愛しているのに、父親フォードによって年老いた医師のカイウスと結婚させられそうになっています。これだけ見ても、ひとつの悲劇の材料になりそうですよね。「椿姫」のヴィオレッタとアルフレードのように、通常のオペラの常識では、愛し合う若者達の情熱が物語を作っていきます。そういう意味では、この二人こそが主人公となるべきなのですが、「ファルスタッフ」では、「彼等の行動が物事をややこしくしているのだ」とパロディ的に扱われています。
 加えて、ヴェルディは、このオペラにおいて「ゆけ、老いたるジョンよ」のファルスタッフと、彼等のはちきれるような若さを対比させたかったに違いありません。
07ナンネッタ&フェントン第1幕第2場2重唱

 ここで、ひとつの場面を聴いていただきましょう。第2幕第2場の後半で、嫉妬に狂ったフォードが、自分の妻であるアリーチェとファルスタッフとの浮気の現場を取り押さえようと乱入してきます。そのすぐ前にこの若いカップルがこっそり部屋に侵入してきて、ついたての陰に隠れてイチャイチャし始めます。そのキッスの音を聞きつけて、一同は、
「そこだ!」
と身構えます。一方、あわてて洗濯かごの中に隠れたファルスタッフを、アリーチェに率いられた一同は洗濯かごごと窓から川の中に放り込みます。第2幕のラストシーンです。
08-09第2幕第2場「なんという騒ぎだ」~接吻の音~「そこだ!」

ワーグナーとの相違その2
 さて、先ほどヴェルディのワーグナーとの違いについて話しましたが、これから聴いていただく終幕こそは、まさにヴェルディのヴェルディらしいエンディングです。どこまでも人間の声の表現力を信じて追求したヴェルディは、彼の生涯最後のオペラの最後の場面を、声楽中心のフーガで締めくくりました。
その歌詞も、

人生、みな道化(冗談)や!
最後に笑う者こそ、最もよく笑うのさ!
です。
実はヴェルディは、この「ファルスタッフ」というオペラを、まだボーイトの台本が出来上がる前からすでにこのフーガから作り始めていました。
「私はfuga buffa滑稽なフーガを書いています」
とヴェルディはボーイトに手紙を送っています。
「なぜ滑稽なのかは分かりませんが、とにかく滑稽なフーガです」
 ヴェルディにとっては当たり前のような、フーガで終わる喜劇オペラOpera buffaですが、それ以前のロッシーニやドニゼッティなどのOpera buffaからすると考えられないことです。最も簡単な楽曲で軽く締めくくるのが常識だったのですから、フーガなどという重い終結こそは、最も遠いものだったのです。こんな風に「ファルスタッフ」は全ての点において「さりげなく独創的」であり、それだけに徹頭徹尾独創的であるとも言えるのです。

このオペラの基調であるハ長調は、ワーグナーも「ニュルンベルグのマイスタージンガー」で意図的に使っていますが、まさに真昼の太陽のように明るく晴れやかな曲調で曲を終えることとなります。ヴェルディ、ワーグナーとも唯一の成功した喜劇において共にハ長調で終わっているのも、このあまりにもかけ離れたように見える二人の巨匠の中に潜む共通点が感じられて興味は尽きません。
10Fuga


Verdi    ( http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/51/Verdi.jpg )




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