Missa pro Paceについて(プログラム掲載文)

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

Missa pro Paceについて
 2017年の春から夏にかけて、私は仕事が詰まっていてとても忙しく、休日など1日たりともなかった。そこで、それを全部やりきったあかつきのご褒美として、8月はじめから白馬の貸別荘を10日間ほど借りた。私は、家族で過ごすバカンスを指折り数えながらスケジュールを乗り切った。
 待ちに待った出発の朝がやってきた。でも電子ピアノを車に積むことを忘れない。ピアニストの長女はそれで指慣らしをし、私は新しいミサ曲の楽想が湧いてきた時に備えていた。どうしたって音楽から逃れられないのは我が家の宿命。

 長野県白馬村みそら野にある別荘地。近くには長野オリンピックの時に使われた雄大なジャンプ台がある。深夜。家族はみんな寝静まっていた。あたりは絶対的静寂に包まれている。
 私は、ヘッドフォンをしながら電子ピアノで即興的にあてどないメロディーを弾いていた。ふいに手を止める。今心の中を、やさしく人なつこいメロディーが通り過ぎた気がした。私はまるで湧き出でた泉を掌ですくうようにして、そのメロディーを指でつまびく。こうして私のミサ曲の本当の第一歩が始まった。

 その数ヶ月前。私の心の中には、ミサ曲を作りたいというモヤモヤとした気持ちが芽生えていた。しかし作曲のコンセプトが決まらない。ある日、日本武道館で行われたサンタナのライブに出掛けた。高校時代に好んで聴いていたラテンロック・グループ。あの頃、若者のヒーローだったカルロス・サンタナは70歳。すっかりやさしいおじいちゃんになっていたけれど、ライブは切れ味を失わず楽しかった。
 それを聴きながら、ふと、
「ミサ曲はラテン音楽テイストにしよう」
というアイデアが降ってきた。あまりに荒唐無稽な考えにとても信じる気になれず、そのまま放っておいた。
 それが白馬で突然動き出した。新しく生まれ出た旋律は、ミサ曲の終曲Dona nobis pacem(平和の賛歌)にすっぽり収まりそうな気がした。

 このことは、すでに演奏会のチラシをはじめとして、自分のホームページなど、いろんなところに書いているし、アカデミカコールの練習中にも団員たちに話している。しかし、私にはまだ誰にも言っていないひとつの物語がある。

 白馬から帰ってきてすぐにお盆になった。私は長男だから8月13日の朝にお盆迎えをしなければならない。それで、このミサ曲が気になりながらも家族で群馬の実家に行った。その13日、あるメールが私の携帯電話に届いた。新国立劇場合唱団バス団員の龍進一郎さんからだった。
「突然のメールで失礼します。ご報告させて頂きます。実は妻の三佳代が8月11日の夜半、腹部の猛烈な膨腸感に耐えきれず、救急で緊急入院しました。そして検査の結果、大腸ガンのステージ2であることが判明いたしました」
 優秀なソプラノ団員である三佳代さんは、ソプラノのパートリーダーを務め、さらに楽劇「神々の黄昏」のヴォークリンデのカヴァーなどを依頼していた。それらを全てキャンセルせざるを得ない状況だということである。
 この夫婦は、人もうらやむほどの仲の良いおしどり夫婦であり、さらに熱心なプロテスタント教会の信者である。特に三佳代さんとは帰りの電車の中などでよく信仰の話をしていたのだ。
「なんで三佳代ちゃんが・・・神様は何を考えているんだ・・・」
と、怒りにも近い感情が私の心を駆け巡った。私は彼女のために祈った。祈りながら、何故か思った。新しい曲をとにかく完成させなければ・・・・と。
 そこで妻にこう言った。
「一晩だけ東京に帰らせてくれないか。白馬で生まれた新しい曲がどうしても気になっているので、少しでも形にしておきたいのだ」
それでお盆の真っ最中に国立の家にひとりで帰り、夜中までかかって作曲に没頭した。
途中で、
「三佳代ちゃん、死ぬなよ!」
と何度も強く思い、もはや作曲をしているのか祈っているのか分からない状態になった。次の日の午前中いっぱいかかってDona nobis Pacemは完成し、私はほっとして群馬に再び戻って行った。

 三佳代さんのガン細胞そのものは手術で全て取り去ったが、お腹を開けてみたらリンパにまで達していて、ステージ3であり、転移の可能性が高いと主治医に言われたという。手術後のある日、私は龍夫妻の家を訪れた。彼らの家に上がるなり、
「とにかく、祈ろう!」
と言って、3人で一緒に祈った。
 だが恐れていた通り、ガンは肝臓に転移した。しかしながら私は、何故かこのミサ曲を作ることで、彼女の病状に関与できるような気がしていた。もっと極端に言ってしまうと、この曲を祈りながら仕上げたならば、彼女の病気は完治するような気がしていた。
 12月中旬、ミサ曲のピアノ・ヴォーカル譜がひとまず完成。そして年が明けると、2018年夏の東京六大学OB合唱連盟演奏会でKyrie、Gloria そしてDona nobis Pacem を含むAgnus Deiを演奏するため、アカデミカ・コールの練習がいよいよ始まった。

 ある時、三佳代さんが嬉しそうに私に報告に来た。主治医がこう言ったそうである。
「不思議です。肝臓の影が全く消えたなんてことは、私の経験では初めてのことです。小さくはなっても完全に消えることは普通あり得ないんです」
と。彼女は、合唱団に完全復帰し、さらに、どんどん元気になっていった。

 新国立劇場では、毎年次の年度の合唱団員としての契約を結ぶために試演会がある。病気の三佳代さんもオペラ・アリアを歌ったが、私はとても驚いた。彼女の歌が以前とまるで違っていたのだ。
 国立音楽大学声楽科を首席で卒業したという彼女の声は、元来パワフルでエネルギッシュであるが、歌唱はやや頑張り過ぎの感があった。夫の進一郎さんによれば、彼女は人生においても全力投球型で、何でも完璧でないと気が済まない性格であるというが、それが、良い意味で力が抜けて、とてもしなやかでやさしい歌に変質していたのである。
「今の私は、こうして命をいただいているだけで感謝なのです」
という彼女に、私は、
「そうした悟りに至るために、あれほど苦しい想いをしなければならなかったとしたら、神様も酷なことをすると思うけれど、ひとりの人間があそこまで内面から変化し、こうした愛と平和に満ちた歌が歌えるようになったことは、奇蹟以外のなにものでもないと思うよ」
と答えた。
「三澤先生や他の方々の祈りの賜物です」
通常なら、こう言われても、
「いや・・・実は、そんな風に思われているほど祈っていなかった」
と恥じ入るところであるが、今回は違った。私は本当に三佳代さんのために祈った。というか、この曲を作曲するという行為そのものが私にとって祈りであったのだ。
 最初は、三佳代さんの命に対して祈っていたが、それはしだいに拡大して、“命”というものそのものに対しての祈りとなった。すなわち私はこの曲にこのような想いを込めている。

全ての人間が、至高なる存在から流れ出た“命”をこの世で輝かせ、その人生の使命を滞りなく全うすることが出来ますように!
そして同じ時代に生まれ落ちた“命”が、他の“命”を互いに尊重し合い、高め合い、全ての人達が、人種や民族や宗派を超えて共に手を携えて生きていくことが出来ますように!

全世界が真なる平和で満たされますように。それは外面的な争いがないということのみならず、ひとりひとりの人間の内面においても完全に実現しますように!
この願いが、単なる実現不可能な希望や絵空事ではなく、なるべく早く、現実に、この地球上において成し遂げられますように!
 今まで、このことをみなさんに黙っていたのは、三佳代さんにこのミサ曲初演までどうしても元気でいてもらいたかったから。そして、何より嬉しいことは、今日この会場に龍夫妻が同席してくれていること。
 それこそが、祈りというものが必ず叶う証であり、至高なる存在がこの世界をあまねく支配している証だと私は信じているのである。

Missa pro Paceの音楽
1-1 Kyrie eleison
 このモチーフは一番始めに頭に浮かんでいた。サンタナのライブ・コンサートに行った直後、このキューバ音楽っぽい冒頭のモチーフが勝手に頭の中で鳴り響いたのだ。しかしながら、
「いやいや、こんなふざけた音楽でミサを始めたらいけませんよね」
と自分で否定していた。
 それが終曲のDona nobis Pacemが出来た後、あらためてこのメロディーを弾いてみたら、あれっ?案外いけるかも知れないと思った。終曲のソドファミーレドソーのメロディーに対して、ラドファミラとモチーフに関連性があることに気が付いたからだ。
「え?これってもしかして、すでに仕組まれていたってこと?」
と驚いたことを思い出す。
結尾では、グレゴリア聖歌風の朗誦が印象的であろう。そこにウィンド・チャイムが神秘的にからむ。
2-1 Gloria in excelsis Deo
 立教大学の応援歌セントポールからヒントを得て作ったゴスペル調の音楽。でも出来上がってみたら、そんなにセントポールには似ていない。男声合唱の特性を生かした楽曲。
2-2 Qui tollis peccata mundi
 いつも練習の時にアカデミカ・コールのみなさんに、
「これは東京ロマンチカなんだから、もっとムード歌謡のように歌って!」
と言って笑われている曲。後半のアルト・サキソフォンのアドリブ(ホントはアドリブではなく書かれているけれど)は、我ながら気に入っている。
2-3 Quoniam tu solus sanctus
 2-1と同じ曲想で始まるが、コンガのリズムが倍テンポになっていて、激しいアフロキューバン。最高潮に盛り上がった後、フーガに突入する。フーガは元来厳格な様式を持っている楽曲。最初に作ったのはもっと模範的な展開をしていたので、作曲科の試験だったら良い点が取れただろうが、途中でつまらなくなり、破棄して現在の音楽に仕上がった。聴衆としてはこちらの方がずっと素敵。人間も少し崩れているくらいが魅力的なのだ。
そして結尾はディキシーランド・ジャズのお決まりのエンディング。こんなことしてたら、バチが当たるかも知れない。
3-1 Credo
 この曲の発想はラップ。最初は歌詞の多いCredoを、本当に音程のないラップでスッキリさばいていこうかと思って作り始めたけれど、そうするとダラダラと安っぽい音楽になってしまうので、音を付け、さらに対位法的にフレーズを重ねていったら、その結果どの曲よりも難しい音楽になってしまった。ここでは、パーカッションをコンガからカホンに変えて雰囲気の変化をねらっている。
3-2 Crucifixus
 心臓の慟哭のようなリズムが支配している。その上に合唱がキリストの十字架という悲劇を切々と歌っていく。後半のアルト・サキソフォンの激しいソロは、胸を掻きむしられる私の心情。
3-3 Et resurrexit
 恐らくこの曲をこのように書いた作曲家は誰もいないだろう。私としては冒頭からフォルテで「蘇りました!」と賑々しく書く気にはとうていなれなかった。これは復活の朝の情景。頭上で鳥が啼いている。大気は澄み切っている。そして遠くから聞こえてくる賛美歌。復活の喜びがじわじわと、しかも確実にやって来る。その喜びは、やはりゴスペル調で表現してみた。
3-4 Et in Spiritum sanctum Dominum
 3-1同様、ラップの基調とした音楽。
3-5 Festa di Credo
 こんな題名の曲は元来のミサ曲には当然のことながらない。しかもFesta(お祭り)とは何事ぞ!とお叱りを受けるのを承知の上で書いたサンバの曲。Credoの多い歌詞を、それぞれの声部にランダムに配置し、喜びに満ちた曲想で進んでいく。
 何?歌詞が重なりすぎて分からないって?ああ、それはいいのです。みんなすでに一度歌われたものだから。
 それよりも、この曲の発想には、かつて1964年の東京オリンピックの閉会式を見た驚きが元になっている。開会式の選手達の整然とした行進とは裏腹に、閉会式では、各国の選手達が入り乱れ、談笑し、抱き合いながら入場し、カオスとも言える状態であった。それが私には、世界が平和になったあかつきの理想的な姿のように感じられたのだ。
 それと、ミサにはあるまじきYei!などという掛け声が混じることをお許しいただきたい。神を賛美する喜びに制限をかけてはいけないのです。Yeiがいけないのなら、HallelujahもHosannaもいけないことになってしまいます。
4-1 Sanctus
 Sanctusは、ただのパンと葡萄酒がキリストの体と血に変わる「聖変化」の前の特別な祈り。ミサでは毎回「聖変化」という奇蹟が起こるのだ。しかし、それを成し遂げるためには、会衆の意識も天上に昇らないといけない。
 それ故、この曲で私は3にこだわった。3は、三位一体などの特別な数。ゆるやかな3拍子で始め、Allegro vivaceに入ると8分の12拍子の中に、さらに大きな3拍子が盛り込まれる複合拍子。キラキラと輝くイ長調の音楽で、私なりの天上の世界を描いたつもりである。
 後半のHosannaは、絵に描いたようなアフロキューバン。コンガが典型的なトゥンバオというリズムを叩き出す。
4-2 Benedictus
 癒やしに満ちた独唱で始まり、合唱に受け継がれてふくらんでくる叙情的な音楽。後半はまたアフロキューバンのHosanna。
4 Pater noster
 通常のミサ曲には、「主の祈り」が含まれていないが、これは年間を通して歌われるミサ通常文の中に組み込まれているし、バチカンからも、Credoと同様に、唱えるよりも歌われることを薦められている祈りなので、あえてこのミサ曲に組み込んだ。
 冒頭は天上的な世界を描き出すが、「私たちの日ごとの糧を今日もお与えください」の箇所から、地上的な重さのある音楽に変わる。ここでは、アフリカのジャンベという低音の出る打楽器を使用した。個人的には、穏やかでとても好きな曲。
6-1 Agnus Dei
 この曲よりも終曲の方が先に出来たことはすでに書いた。そのDona nobis pacemが、当初予定していたよりも静かな曲になったので、その前のAgnus Deiは、常識的な曲想をはずれて結構激しい曲となった。その背景には、ベートーヴェンの作ったミサ曲ハ長調のAgnus Deiが私の背中を押してくれたというのがある。
 Agnus Deiは、ミサの後半、いよいよ聖体拝領が行われる前の曲だ。ミサが進んでくるにつれて、会衆は御言葉を聞いたり、司祭の説教を聞いたり、信仰宣言をしたり、聖変化を体験したりしながら、だんだん「平和と一致」に向かってくるが、それが行為としての「平和の挨拶」においてひとつの「平和の実現」に至る。その直後、司祭はホスチア(キリストの体に変化したパン)をこの「平和の賛歌」と共に割くのだ。
 だから通常は穏やかで平和に満ちた曲となるのであるが、ベートーヴェンのミサ曲ハ長調のAgnus Dei では、宗教曲なのに、こんなロマンチックでいいの?というほど息詰まる情熱に満ちた曲である。それがDona nobis pacemになるときに劇的な変化を遂げる。
 そのドラマチックな展開のアイデアを借りた。勿論、曲想そのものはべートヴェンとは似ても似つかないので、いわゆる真似ではない。さらにオーケストレーションする時に、ピアノのパートに情熱的な細かいパッセージをちりばめ、まるでショパン・エチュードのようなパッションに満ちた曲となった。
6-2 Dona nobis pacem
 曲の成立については冒頭に書いたが、最初は、この曲の最後をFesta di Credoのような速くて楽しい曲で終わろうとしていた。ところが、作っていく内に、どうしても消え入るように終わるしか方法がなくなった。作っているのは自分なので、どうとでもなりそうな気もするが、そうはならないのが不思議なところ。
 お盆の国立の自宅の深夜で、これを作りながら私は不安になった。これは、完成した後、私か三佳代さんのどちらかが死ぬのではないか、とすら思われたからだ。しかし、何度も自分でピアノを弾いてみながら、これはそうではないと確信した。

 すなわち、この曲は終わってはならないのである。ずっと、ずっと、永遠に続く平和への希求なのだ。だから、曲の終わった後の静寂にまで想いを残し続けなくてはならないのだ。そしてさらにそれは、“命”に終わりなどないことをも表現している。般若心経は語る。不生不滅、不垢不淨、不増不減と。

 ミサの最後では、司祭が「派遣の祝福」というものをする。つまり会衆は、司祭によって聖堂から追い出されるのである。この聖堂内で平和と一致が実現したのだから、今度は世界に出て行って、「平和を作り出す人」となりなさい、という意味なのだ。
 すなわち「ミサは終わらない」。次にまたミサに参加するまで、教会の外で平和のための活動をするべきなのであり、その故に、全てのミサは永遠に「世界の平和を目指し続けている」とも言えるのである。



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