ドイツ・レクィエム・ゼミナール レジメ

ドイツ・レクィエム、テキスト研究

三澤洋史 

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第1曲目

マタイによる福音書 第5章
第1節
イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子達が近くに寄って来た。そこでイエスは口を開き、教えられた。
心の貧し人々は、さいわいである、
   天の国はその人達のものである。
悲しむ人々は、さいわいである、
   その人は慰められる。
柔和な人々は、さいわいである、
   その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、さいわいである、
   その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、さいわいである、
   その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、さいわいである、
   その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、さいわいである、
   その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、さいわいである
   天の国はその人たちのものである。
これはイエス・キリストの最初の説教として有名である。「山上の説教」、あるいは「山上の垂訓」と呼ばれている。イエスの宣教の最初の言葉は、「悔い改めよ、天の国は近づいた」である。マタイの福音書では、この「山上の説教」についてかなり詳しく書かれている。第五章から第七章の終わりまで続く。その中では、キリスト教の根本的な「愛の教え」のほぼ全貌が明かされている。
「あなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」
「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」
主の祈りを伝授した。
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」
詩編第126編    都に上る歌
主がシオンの捕らわれ人を連れ帰られると聞いて
わたしたちは夢を見ている人のようになった。
そのときには、わたしたちの口に笑いが
舌に喜びの歌が満ちるであろう。
そのときには、国々も言うであろう。
「主はこの人々に、大きな業を成し遂げられた」と。

主よ、わたしたちのために
大きな業を成し遂げてください。
わたしたちは喜び祝うでしょう。
主よ、ネゲブに川の流れを導くかのように
わたしたちの捕らわれ人を連れ帰ってください。


涙と共に種を蒔く人は
喜びの歌と共に刈り入れる。
種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は
束ねた穂を背負い
喜びの歌をうたいながら帰ってくる

第2曲目

ペトロの手紙Ⅰ 第1章
22~25節(聖なる生活をしよう)
あなたがたは、真理を受け入れて、魂を清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、清い心で深く愛し合いなさい。あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。こう言われているからです。
「人は皆、草のようで、
その華やかさはすべて、草の花のようだ。
草は枯れ、
花は散る。
しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」
これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。
ヤコブの手紙 第五章
7~8,  11節
兄弟たち、主が来られるときまで忍耐しなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。あなたがたも忍耐しなさい。心を固く保ちなさい。主が来られる時が迫っているからです。
忍耐した人たちはしあわせだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです。
イザヤ書 第35章
第1節    栄光の回復
荒れ野よ、荒れ地よ、喜び踊れ
砂漠よ、喜び、花を咲かせよ
野ばらの花を一面に咲かせよ

第5節(メサイアで使用されている歌詞)
そのとき、見えない人の目が開き
聞こえない人の耳が開く。
そのとき
歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。
口の利けなかった人が喜び歌う。


10章
主に購われた人々は帰ってくる。
とこしえの喜びを先頭に立てて
喜びに歌いつつシオンに帰り着く。
喜びと楽しみが彼らを迎え
嘆きと悲しみは逃げ去る。

第3曲目

詩編第39編
わたしは言いました。
「わたしの道を守ろう、舌で過ちを犯さぬように。
神に逆らう者が目の前にいる。
   わたしの口にくつわをはめておこう。」

わたしは口を閉ざして沈黙し
あまりに黙していたので苦しみがつのり
心は内に熱し、呻いて火と燃えた。
わたしは舌を動かして話し始めた。
「教えて下さい、主よ、わたしの行く末を
わたしの生涯はどれほどのものか
いかにわたしがはかないものか、悟るように。」
御覧ください、与えられたこの生涯は
   僅か、手の幅ほどのもの。
御前には、この人生も無に等しいのです。
ああ、人は確かに立っているようでも
   すべて空しいもの。
ああ、人はただ影のように移ろうもの。
ああ、人は空しくあくせくし
だれの手に渡るとも知らずに積み上げる。

主よ、それなら
何に望みをかけたらよいのでしょう。
わたしはあなたを待ち望みます。
あなたに背いたすべての罪からわたしを救い
神に知らぬ者というそしりを
   受けないようにしてください。
わたしは黙し、口を開きません。
あなたが計らってくださるでしょう。
知恵の書 第3章
第1節
神に従う人の魂は神の手で守られ、
もはやいかなる責め苦も受けることはない。
愚か者たちの目には彼らは死んだ者と映り、
この世からの旅立ちは災い、
自分たちからの離別は破滅に見えた。
ところが彼らは平和のうちにいる。
人間の目には懲らしめを受けたように見えても、
不滅への大いなる希望が彼らにはある。

第4曲目

詩編84編
万軍の主よ、あなたのいますところは
   どれほど愛されていることでしょう。
主の庭を慕って、わたしの魂は絶え入りそうです。
命の神に向かって、わたしの身も心も叫びます。
あなたの祭壇に、鳥は住みかを作り
つばめは巣をかけて、雛を置いています。
万軍の主、わたしの王、わたしの神よ。
いかに幸いなことでしょう
あなたの家に住むことができるなら
まして、あなたを賛美することができるなら。

第5曲目

ヨハネによる福音書 第16章 最後の晩餐の後のイエスの説教
16節
「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる。」
そこで、弟子たちのある者は互いに言った。
「『しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』とか、『父のもとに行く』とか言っておられるのは、何のことだろう。」
イエスは、彼らが尋ねたがっているのを知って言われた~「わたしが言ったことについて、論じ合っているのか。はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。女は子供を産むとき、苦しむものだ。自分の時が来たからである。しかし、子供が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはやその苦痛を思い出さない。

ところで、今はあなたがたも悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。

シラ書「集会の書」51章 知恵を追い求めて
13節
わたしは、若くして放浪の旅に出る前に、
祈りの中で公然と知恵を求めた。
わたしは聖所の前で知恵を祈り求めた。
これからも最後まで知恵を求め続ける。
27節
目を開いて見よ。わずかな努力で、
わたしが多くの安らぎを見いだしたことを。

イザヤ書 第66章
エルサレムと共に喜び祝い、
彼女のゆえに喜び踊れ
彼女を愛するすべての人よ。
母がその子を慰めるように
わたしはあなたたちを慰める。
エルサレムであなたたちは慰めを受ける。

第6曲目

ヘブライ人への手紙 第13章
わたしたちはこの地上に永続する都を持っておらず、来るべき都を探し求めているのです。 だから、イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に捧げましょう。

コリントの信徒への手紙 第15章
12節
キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。
死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。そしてキリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も 無駄です。
35節
しかし、死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか、と聞く者がいるかもしれません。
40節
また、天上の体と地上の体があります。しかし、天上の体の輝きと地上の体の輝きとは異なっています。
46節
最初に霊の体があったのではありません。自然の命の体があり、次いで霊の体があるのです。最初の人は土ででき、地に属する者であり、第二の人は天に属する者です。
50節
兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできません。朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。
わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。
ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。
この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。
この朽ちるべきものが朽ちないもの着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、
次のように書かれている言葉が実現するのです。
死は勝利にのみ込まれた。
死よ、お前の勝利はどこにあるのか。
死よ、お前のとげはどこにあるのか。」
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。

イエス・キリストに触れることを意識的に避けたブラームスではあったが、ここで彼がこの神秘的な箇所を取り上げているのには驚きを禁じ得ない。
ヨハネの黙示録 第4章
第9節
玉座に座っておられ、世々限りなく生きておられる方に、これらの生き物が、栄光と誉れをたたえて感謝をささげると、二十四人の長老は、玉座に着いておられる方の前にひれ伏して、世々限りなく生きておられる方を礼拝し、自分たちの冠を玉座の前に投げ出して言った。
「主よ、わたしたちの神よ、
あなたこそ、
    栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方。
あなたは万物を造られ、
御心によって万物は存在し、
    また創造されたからです。」

第7曲目

ヨハネの黙示録 第14章
第13節
また、わたしは天からこう告げる声を聞いた。
「書き記せ。
『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである』 と。」
“霊”も言う。
「然り。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。」



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