ミュージカル「おにころ」~愛をとりもどせ~新装版

三澤洋史 
2021.7.25 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

危機の時だからこそ
 昨年の上半期、パンデミックによって私の周りからすべての公演が消えた。その中で、最も残念だったのが「おにころ」公演の中止であった。なぜならば、危機の時にこそ灯をかざすこと、それによって人々に勇気と生きる希望を与えること、というメッセージが「おにころ」の中には込められていて、私はそのために「おにころ」を作ったともいえるのに、こんな大切な時に、手をこまねいているだけで、何もできないなんて!という無念の想いに包まれたからである。


野村たかあき「おにころ」

 指揮している時、私は聴衆の反応を背中で感じることができる。「おにころ」6回目公演は2012年8月であったが、とても驚いた記憶が今でも鮮明に甦る。このミュージカルを受け止める聴衆の波動が、それまでと全く違っていたのだ!東日本大震災の後、人々の意識が内側から変わったのだと即座に気が付いた。
 おにころは、村人達の為にその身を犠牲にすることで、無償の愛とは何かを示す。それを見ていた村人達のエゴイスティックな心はしだいに解けていき、大きな絆で結ばれる。こうした内容を、聴衆達がまるで砂漠の砂が水を吸い取っていくように、それぞれの魂の中にむさぼるように飲み込んでいくのが感じられたのである。
 この公演から流れが変わった。それ以後、私の知らないところで沢山の方々が動いてくれて、少人数アンサンブル伴奏による約500席の新町文化ホールでの公演から、7回目、8回目は群馬交響楽団伴奏による群馬音楽センターでの大規模な公演と姿を変えた。それがさらに9回目の高崎芸術劇場での公演にまでつながってきている。
 私がこの作品を書いたのは30代半ばになろうとする頃。初演は1991年だ。初めての大作だったので、私はそれまで抱いていた自分の人生観や宗教観などをこの作品の中に全て投入した。しかしながら、恥ずかしながら、それらをあの頃の自分は、まだ“生き切って”いるとはいえなかった。
 今、66歳になってみて、あらためて妖精メタモルフォーゼの言葉や、おにころの生き方の中に教えられる部分がある。稽古をしながら、まるで初めて出遭ったかのように感動している自分がいる。不思議だ!
 それと、おにころのように生きたいと思いながら(勿論完璧からはほど遠いが)30年以上生き続けてきた自分の道程が過去に広がっているのも見える。
 今回、澤田康子さんという信頼できる演出家を迎えて、稽古中に何カ所か台本や音楽自体を変更した。また、高崎芸術劇場のオーケストラ・ピットに合わせてオーケストレーションも大幅に加筆したので、よりダイナミックで色彩感溢れる管弦楽が聴かれると思う。
 新しい劇場で、待ちに待った新生「おにころ」が響き渡る。パンデミックで勇気をくじかれ、衰退し、意気消沈している世界を、大いなる光で浄め、新しいエネルギーで満たしたい!
愛をとりもどせ 人と人との間に
夢を描こう 僕たちの未来に
Love, come back again! (愛よ、戻ってきておくれ!)
信じあうなら この世は変わるよ



ものがたり
 神流川に流された鬼の子「おにころ」。喜助と梅夫婦に大事に育てられるが、庄屋や村人は災いを恐れ、追い出そうとたくらむ。おにころの心の支えは、やさしい養い親と庄屋の娘、桃花だけ。
 しかし、おにころの優しさに触れ、村人たちもいつしか変わり始める。
 そんなある年、神流川が水不足で百姓たちは大弱り。それを「おにころのせいだ」という人も出てきた。喜助は、そんなうわさを打ち消し、上州に水を引こうと、対岸の武州の堀を壊してしまう。
 上州と武州の間に水取りの争いが起こり、多くの犠牲者が出る。原因を作った喜助と梅、おにころは村を追放されることになった。おにころは村人たちにエゴの醜さを説くが、聞き入れない。
 その時、神流川が突然氾濫を起こす。おにころは、その中に入っていき、大きな岩となって両方の村に水を分ける。村人は、自分の身を犠牲にしたおにころに感動し、村人たちは愛にめざめる。

2021年公演プログラムから引用 


高崎芸術劇場 ミュージカル「おにころ」(2021) のページへ

新町歌劇団 ミュージカル「おにころ」のページへ




Cafe MDR HOME

© HIROFUMI MISAWA