粒の揃った「ルチア」開幕

三澤洋史 

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真生会館「音楽と祈り」4月講座
 先月のベルカントの講座は、映像にして皆さんにお届けしようと思ったけれど、結局断念しました。申し訳ありません!その理由は、ひとことで言って、映像として残すには、いろいろな意味でレベルが達していないという結論に至ったからです。

 録画映像を見たところ、まず僕の話にいろいろ無駄なところがあるため、自分で、大事なところとそうでないところを分けて編集しようと思った。それに、ベルカントのテクニックについていろいろ語るためには、具体的な音源の状態があまり良くない。特にオンライン化されて映像に乗ると、その音源が僕のスピーチともかぶって、双方聞こえにくくなってしまっている。
 だから、これをベースにして編集しても、納得するものにはならないことが分かった。その一方で、この話題には、沢山の人が興味を抱いているようで、いろんな人からコメントをいただいて、
「是非、みんなが観られるような映像を残してください」
というので、これはこのままでは済まないなと思った。
 そこで、自分であらためて映像を作ってYoutubeにしたいところなんだけど。実は、Youtubeには難しい点があって、既成の音源を使うと、必ずチェックが入るのだ。それがすでにYoutubeそのものに公開されているものだったらまだ許されるのだが(それでもこれで利益を上げることは禁止)、CDでしか出ていない音源を勝手に使用することは許されないのである。だから、コンシェルジュと相談して、Youtubeではなく何らかの形で、このホームページから限定公開としてアクセス出来るようにしようと思っている。
 まあ、この先しばらく忙しい日が続くので、動画が出来るのは夏くらいになってしまうだろう。
また、必ずお知らせします。

 さて、今月(4月)の講座の演題であるが、「音楽によって世界を解き明かす~グスタフ・マーラーの音楽と世界観」ということにした。
その理由は簡単だ。今僕は、毎日マーラー作曲交響曲第3番に漬かりっぱなしの生活をしているのだ。もう他に興味を逸らすことは僕の精神が許さないし、この音楽と付き合っていることで、僕の宗教心もスピリチュアルな精神も、どんどん研ぎ澄まされていっている。
 だったらいっそのこと、ここで得た・・・あるいは現在進行形で得ている精神的体験を、そのまま語った方が、みなさんにとって実りあるものになるのでは、と、我が儘を承知で決定したのである。

 勿論、受講者の中には、マーラーの音楽に馴染み深い方ばかりではないだろうし、人によっては「マーラーなんて大っ嫌い」という方もいるかも知れない。しかし、マーラーの音楽自体がどうであれ、僕がマーラーの音楽に触れることによって覚醒した部分があるとしたら、それをみなさんと分かち合わうことを拒否する理由もないだろう。

 宗教者が宗教的覚醒を深めるにはいくつかの方法があるが、書物を読んだり思索などによる知的アプローチもあれば、バッハなどのような崇高な音楽を聴くことによる感性的アプローチもあるであろう。
 しかし、もし、音楽を聴くことによって、大自然や宇宙の秘密に迫ることが出来るとしたら、それは、感性を出発点としているけれど、むしろ新しいアプローチと言えるのではないだろうか?僕は、それをマーラーの音楽に見出すのである。その意味では、マーラーの音楽は、どの作曲家が創り出したものとも違う。バッハは宗教観に留まっているけれど、マーラーはもっと広くもっと奥深い!

 マーラーは、第3交響曲を作曲した頃、夏にはザルツブルクに近いアッター湖のほとりの作曲小屋にこもっていた。指揮者のブルーノ・ワルターがそこに招待されたので行ってみると、風光明媚な土地で、美しい大自然に囲まれている。
 でもマーラーはワルターにこう言ったのだ。
「君はもう何も見る必要はないのだよ。(これらの自然は)僕がもうみんな音にして描き尽くしてしまったのだからね」

 それは、自然を音にしてしまっただけではなかった。むしろ、その自然を創り出していて、その背後に隠されているものを・・・それは世界の奥義といってもいい・・・彼は、シンフォニーの中に潜ませているのだ。

 そのひとつひとつを、この講座で僕は解き明かしてみせよう。
それで、この講座を聞いてもよく分からない人は・・・5月4日に愛知県芸術劇場に来てくれれば、僕が言葉でではなく、音で、全てあますことなく解き明かしてみせましょう・・・あははははは!

この講座の内容も、また残しておくべきだな。夏には、やるべきことがいっぱいあるな。

粒の揃った「ルチア」開幕
 不思議だ!巷では、やれ新種株だ、感染者が急増している、蔓延防止策だ、と大騒ぎしているのに、またまた新国立劇場では、PCR検査を、人によっては2度も受けていながら(僕もそうでした)公演参加者全員陰性で、こうやって無事初日を迎えられている。
勿論、みんな気をつけている。でも、個人的にはそれだけではないような気もする。

「三澤さんがいるところでは、みんな無事公演ができていますね。三澤さんのオーラのお陰ではないでしょうか?」
なんて言っている人もいる。
 その通りである・・・というのは冗談であるが、もしかしたら、世の中本当にそんなものかも知れないですよ。僕の内面は、このコロナ禍の間に、完全に変わったと言ってもいいからね。
 ひとことで言うと、今の僕は徹底的にポジティブ志向である。すべて自分の前に降りかかってくる運命を、(コロナでさえ)肯定的に受け入れ、それを“自己の魂の学び”に生かそうとし、少なくとも今日一日を元気で始められることをありがたく幸せに思い、明日の運命はすべて至高なる存在に委ね、夜寝る前には、無事一日が終わったことを感謝する生活を送っている。

 世界の運命は、その人のアプローチによって、どうとでも変わってくると信じている。ゲームをして、しくじってばかりだと、いつまで経っても同じステージにいるだろう。でも、勝ち続けたならば、ある時、急に画面が終了し、より高い次のステージに進むだろう。
 これをアセンションという言葉で呼ぶならば、僕の魂は明らかにアセンションを遂げている。そして、僕が次のステージに進んでいるとすれば、僕の前に展開している並行宇宙では、音楽が、芸術が、これまでにないパワーを持ち、コロナ禍においても構わず、そのパワーを発揮し続けるのだ。
 まあ、みなさんがそれを信じても信じなくても、どちらでもいいです。ただ、新国立劇場が今シーズン、全てのオペラの演目を、滞りなく上演し続けられている、というのは、紛れもない事実なのです。

 さて「ルチア」の話であるが、タイトル・ロールのイリーナ・ルングのコロラトゥーラのテクニックが何といっても素晴らしい。新国立劇場では2017年の「椿姫」でヴィオレッタを歌っているが、彼女の本領は、むしろこの「ルチア」でこそ、余すことなく発揮されている。
 超高音での細かいパッセージのテクニックが完璧なのは勿論であるが、中音域もしっかり響き、ウィスキーでもワインでも、全ての“極上のもの”に共通している“まろやかさ”を、彼女の声は有している。当代一のルチアであることは間違いない。これを生で聴ける幸運を今の日本の聴衆は手にしているのだ。

 それにしても、この「ルチア狂乱の場」は、なんというひとり舞台なのだろう!こうした歌唱テクニックを披露させながら、説得力のあるシーンを構築するドニゼッティは、本当に天才だ!
ただね。音楽そのものは凡庸なんだ。あ、問題発言!
でも聞いて!

 たとえば、エンリーコの城内での宴の最中、突然現れたライモンドが、
「ルチアが正気を失い、(政略結婚の相手の)アルトゥーロを殺した!」
と告げるアリアを歌うが、長調でいかにも楽しげな音楽だったりする。いや、否定的に言っているのではない。そうでないと僕は困るのだ。
 もし、これをワーグナーのような音楽で彩られたら、今の僕には同じ気持ちで関わるのは無理なんだ。本当に場面そのものがおどろおどろしくなってしまって、その暗い波動を僕はもろに受けてしまうからだ。

 かつて、ツィンマーマン作曲「軍人たち」やベルク作曲「ヴォツェック」の時には、大変だったんだから!マイナス波動の嵐が押し寄せるので、僕はなるべく感情移入しないようにしながら、作品と距離を置きつつ接しなければならなかった。あれは辛い!
 だから、その意味でもドニゼッティは天才だと思うわけ。ああやってイリーナ・ルングの歌唱テクニックを屈託なく楽しんでいる内に、ドラマも進行しているのだから。このオペラでは、アルトゥーロが殺されただけでなく、ルチアも狂乱の内に死に、終幕では本当の恋人であったエドガルドも自ら命を絶つのだ。結局、主人公がみんなが次々と死んでしまうという凄惨なオペラなのだよ。
 それなのに、
「ああ、何をする!」
と、絶望したエドガルドを止めようとする合唱の音楽は、まるでフレンチカンカンのように軽快で楽しいではないか。だから救われるよ。ああよかった!

 エドガルド役のテノールであるローレンス・ブラウンリーは、完全にコントロールの取れた歌唱で、ベルカント唱法の見本のようであるが、かつてのレオンタイン・プライス(一世を風靡したソプラノ)などのように、黒人特有の音色を持っていて、純粋イタリア人のような明るい音色を期待する聴衆はどう思うのかな?と思う。
 いや、僕は決して人種差別主義者ではありません。でも、ファンの中には、ドミンゴやカレラスのような超ビッグの歌手にさえ、スペイン系なので純粋イタリア人歌手と音色が違う、と指摘する人もいるが、僕はその意見は否定しない。
 その反対に、先日の「トスカ」では、カヴァラドッシを歌ったフランチェスコ・メーリに正統的イタリア・テノールの響きを聴き取り、
「ああ、ここにイタリア・テノールの伝統が生きていた!」
と思って僕も嬉しくなった。別にそう思ってもいいでしょ。外国人の歌舞伎役者がどんなに上手に演じても違和感を感じるという聴衆がいても不思議はないでしょう。

 ただ、それを踏まえて言うけれど、ローレンス・ブラウンリーは、紛れもなく超第一級テノールです。もっともっと有名になって、世界中で活躍して欲しい。

 邦人勢では、エンリーコ役のバリトン須藤慎吾さんの成長が著しい。もともと豊かな声量を持っていたけれど、声を押したりしないでも淀みなく響き渡り、フレーズも流れている。こうしたベルカント力(りょく)というものが、まさにベルカント・オペラでは赤裸々に露呈するね。
 その意味では、ライモンド役で揺るぎない響きを聴かせてくれるバスの伊藤貴之さん、アルトゥーロ役の輝かしい響きのテノール又吉秀樹さん、常に安定した歌唱を聴かせるアリーサ役のメゾ・ソプラノ小林由佳さん、軽めの声ではあるが艶やかなフレージングを持つノルマンノ役の菅野敦さん。みんな粒が揃っていて、ベスト・チョイスだと思う。

珍しいね。ひとりとしてミスキャストがいないなんて!

 

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