立ち稽古初日

三澤洋史 

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立ち稽古初日
 僕は立ち稽古の初日が好きだ。実際の稽古に入る前に必ず演出家が、舞台の模型やパネルに貼られた衣装デザインなどを指さしながら話をする。コンセプトを語る演出家達の目はいつもきらきらと子供のように輝いているのだ。「ホフマン物語」のフィリップ・アルローも「マクベス」の野田秀樹さんもみんなそうだった。

 今日は「ファルスタッフ」の立ち稽古初日。演出家のジョナサン・ミラーはもうかなりお年のベテラン。

 最初に演説する。
「自分はドイツ人の演出家のように自分のコンセプトをとうとうと二時間もしゃべったりしない。セオリーに演技をあてはめていくなんてナンセンスだ。みんな生き物だからね。理屈のようにはいかないんだよ。どうして理屈通りに芸術がいかないのかをこれから説明する。」
といって延々と語る。なんだ彼も相当な理屈屋じゃないか。

 説明が終わると指揮者の音楽練習がある。今回のマエストロのダン・エッティンガーはまだかなり若い。天才少年として彗星のごとくデビューなんて噂も聞いていたっけ。エネルギッシュ。テンポもいい。

 エッティンガーが練習をつけているとミラー氏がしばしば横から口を挟む。
「今思いついたんだけどね。妻屋さんのピストール役ね、ボーッとしてるアホ役にしよう。頭の回転が遅いんだ。だからいつも人よりワンテンポ遅れている。たとえばこんな感じ。」
と言って自分で演じてみせる。それがうまい!本当にアホッぽいので一同爆笑。思わず仕事を忘れてお客様になって楽しんでいる自分がいる。

 芸術家って本当に楽しい人たちの集まりだ。反対から言うと楽しい人たちしか集まってはいけないんだ。だから人々に夢を売ることが出来るんだ。

 人間の心理の裏側や、感情の動き、それが作り出す様々な表情の変化。こうしたものをじっと見つめる眼。そして表現すること。それは並大抵のことではないけれど、努力なんていう言葉では表してはいけない。努力という言葉には苦痛の臭いがする。むしろ人間に関心を持つこと。人間を好きになること。それが芸術家の原点のような気がする。そんな芸術家に会えるから、僕は立ち稽古の初日が好きなのだ。明日から「ファルスタッフ」の稽古は初日に向かって弾丸のように進んでいくだろう。



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