これって本当に喜劇?
二人の人妻を同時に口説こうとした太ったファルスタッフをみんなで懲らしめる。夜のウィンザー公園におびき寄せられた彼を、妖精や妖怪の格好をした人達が笑いながら突っついたりつねったり・・・。
おなじみのシェイクスピアの喜劇だが、演出家ジョナサン・ミラーはこれをイラクの収容所内で行われていた虐待と同列に扱う。夜の暗闇の中からじりじりと近づいてくる合唱団は、通常のようにファルスタッフに触れたりしない。むしろ触れないことでいいようのない怖さを表現するのだという。棒を手に持つ彼らは一度ファルスタッフに手を出したら最後、殺すまで虐待をやめないだろう・・・・。
ミラーの読みはおそらく正しい。喜劇の中にはある種の残酷性が常に秘められている。「仕返し」は、いつしかそれを通り越して「いじめ」に変わっている。
そもそもファルスタッフはどうしてここまでみんなにやっつけられなくてはならないのだろう?彼が太っているから?みにくいから?年取っているのになおのこと女を得ようと血迷っているから?そんなこと言ったら現代ではやっつけられなくてはならない人はいっぱいいるぞ。
笑いは人間の業を外側から客観的に見た時おこってくる。アリーチェが自分と逢いたがっていると聞いたファルスタッフは、有頂天になってこう歌う。
「行け!老いたるジョンよ!行くのだ!お前の道を!」
この間抜けな行進曲は僕にはこういう風にしか聞こえない。
「立て!立つのだ!老いたる○○○よ!大事な時に抜かるなよ!」
と言って、僕が演出家だったらユンケルでも飲ませるか(笑)。可笑しいというより悲哀が漂うペーソスの世界なんだよ。初老にさしかかった僕は、ちょっとファルスタッフにシンパシーを感じなくもない。
一方自分の妻を寝取られるかも知れないフォードの立場になったら、もはや喜劇どころではない。「夢かうつつか」のアリアに共感しない男はいないだろう。男が妻を寝取られた時は、女と違ってただ愛を奪われる悲しみに浸るだけではない。男には、それこそ第一幕でファルスタッフがあざ笑うところの「名誉」がかかっているのだ。もし仮にだよ。それで妻にとって相手が自分より「ヨかった」りしたら、それこそ男の「面目」丸つぶれじゃないか!冗談じゃない!でも、愛よりも「面目」を大切にする男っていう動物は、女から見たら可笑しいんだろうな、やっぱり・・・・。
こんな風に人生いろいろ。そんな業の真っ只中に生きて80年。ヴェルディがたどり着いた境地は、最後のフーガ「世の中すべて道化さ!」だ。ワーグナーが「パルジファル」の終幕であの世にイッちゃってる境地にいるのとなんという違い!
でもだから素晴らしい。ジョナサン・ミラーの楽しい仕掛けが満載して、新国立劇場では今週金曜日25日にいよいよ初日の幕が開く。