7月17日(土)

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

7月17日(土)
 僕の家には亀が三匹いる。買ってきた時は夜店で売っているような小さい緑亀だったのだが、もう10年以上も経っているので恐ろしく巨大化している。その亀の水槽の水を換えた。今週は予告した通りまさに怒濤のように忙しい日々であった。でも、そんな時だからこそ僕は愛犬タンタンのお散歩は欠かさないし、亀の水槽がきたなくなっていれば面倒を見てあげる。

可愛いものを愛でること。これが僕の人生の秘訣だ。
 「どうして三澤さんは、人にやつあたりしたりしないのですか?」
 「どうしていつも精神的に安定しているのですか?」
とよく聞かれる。
僕だって、新国立劇場で合唱指揮者や音楽ヘッド・コーチなどやっていれば、人から心ない事を言われたり、やつあたりされたりすることは少なくない。でもそれで僕がナーバスになったとしても、それは僕の内部の問題でしょう。それを何の罪もない第三者に伝染させることは人間としてやってはいけない事だと思う。この世の中にはナーバスの連鎖が結構あるな。でもそれは止めなければ行けない。 勇気を持って自分が止めなければならない。

 秘訣がふたつある。ひとつは、「ま、いっか。」と思う事。「怒られちゃったよ。ま、いっか。」「失敗しちゃったよ。ま、いっか。」である。
だって、済んでしまった事をいつまでもくよくよしたって始まらないし、人から何か悪い事を言われた場合、まずよく考えて、それが嫉妬や中傷など自分にあてはまらない意見ならば聞き流せばいいし、それが正しい意見や、自分への忠告だったら謙虚に聞けばいい事ではないか。どう考えたって、結果的にはその二つしか出来ないんだから、何か言われたりされたりして混乱し始めたら、まずは「ま、いっか。」で自分の中のもやもやを抑える事が必要なのだ。もやもやを放っておくとすぐに否定的な発想が芽生えるからね。要注意なんだ。

 もうひとつは、人が自分にどう接しようが、自分からは常に人に誠意を持って接する事。その時に大切な事は、人も自分の命と全く同じ価値を神様からあたえられていることを理解する事。どんな時でも「相手の存在の否定」だけは絶対にしないこと。

 口で言うのは簡単であるが、この二つを実践するのは楽ではない。僕がもし人よりも少しだけそれらを実践出来ているとすれば、その背景には、家の三匹の亀と愛犬タンタンの存在が欠かせない。人はその生活の中で愛しい気持ちになる対象を持つべきである。世話が焼け自分に面倒をかける存在は、その世話を焼き面倒を見る事によって自分にとってかけがえのない存在となる。人はかけがえのない存在を持っている分だけ心が高められ豊かになるのだ。だから世話を焼いた時間や労力は全部自分の内面に戻ってくるのである。
水を取り換えてもらった亀たちは楽しそうに泳いでいる。それを見ている僕の心の中には充実感がある。ほんの小さい事だけれど、人が自分の人生に対して肯定的になれる時って、案外こんな時なんだよ。  


チケット完売
 さて、「ジークフリートの冒険」はチケット完売した。立ち稽古が始まっているが、マティアスの演出は最高だ!ワルキューレ達は動き回るし、踊りはあるし、悪者ファフナーは衣裳からしてハジケていてのけぞってしまう。とにかくめちゃめちゃ楽しい。美術の堀尾さんはまるで子供がそのまま大きくなったような人で、きらきらした瞳を輝かせながら、
「面白いものを作ろうね。」
と張り切っている。大道具を見ただけでもう充分面白い。

 一方、自作ミュージカル「ナディーヌ」も、きちんと上演出来たら素晴らしいも のになる予感はひしひしと感じているものの、本番までにまだまだ乗り越えなければならないハードルがいくつかある。僕は指揮者だけでなく演出家も兼ねているから気になる事があり過ぎてパニックを通り越して笑ってしまいます。でも「ナディーヌ」は何があっても世に生まれ出なければならない。これは神様の至上 命令だ。僕は指揮者として名を残すよりも「ナディーヌ」の作者として名を残したい。それだけこの作品に賭けている。

 今、この原稿を群馬の実家で書いている。今日は朝から「ジークフリートの冒 険」、2時から7時まで「ナディーヌ」のオケ練習。娘二人も加わった。その後高崎線に乗って群馬までやってきた。明日は1日群馬での「ナディーヌ」練習 だ。その次の日はまた朝「ジークフリートの冒険」から始まって・・・・ふぅー!
いつもは寒いくらいのバイロイトで、与えられた演目の与えられた事だけをしていればいいのだが、今年の夏は特に暑いなあ。



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