怒濤の日々とクライバー

三澤洋史 

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怒濤の日々とクライバー
 予想した通り怒濤のような日々を過ごしている。
「ジークフリートの冒険」の練習は毎日10時からある。5時までやった後、府中まで京王線で帰って来ると、家内の車が駅で待ちかまえており、国立市民芸術小ホールに向かう。車の中で軽食を済ませて6時からのミュージカル「ナディーヌ」の練習に出るのだ。練習では指揮者であり同時に演出家だ。やる事が沢山 あって9時半の退館時間ぎりぎりまで息つく暇がない。
 家に帰ってくるともうくたくた。ビールを飲んだら普段よりアルコールが回るのが速くて12時前にはもうベッドに入っている。おまけに今週は信じられないくらいの猛暑だったね。僕は1998年以来日本の夏というものを味わっていない。体がすでにドイツの夏仕様になっていて、この湿気にはついていけない。そんな訳で今週は練習をしてビールを飲んだ事しか覚えていません。プライベートな時間は皆無でした。
 明日の日曜日は久し振りに朝昼と何も入っていない。バンザーイ!のんびりするぞう。でもね。そうも言ってられないのだ。22日(木)のオケ練習で多少の手直しが出たので譜面を作らなければならない。それと・・・それとね、午後はついに美容院に行って来ます!僕の縛った髪を見損なった皆様、残念でした!もう見る事は出来ません。再び僕はいつものキノコヘッドに戻ります。

 カルロス・クライバーが死んだ!たまらなく悲しい。僕はどれだけ多くのものを彼から得ていた事か。名古屋で「クリスマス・オラトリオ」を指揮する一週間くらい前、新宿のHMVで流れていたベートーヴェンの交響曲第七番の映像に釘付けになり、そのままDVDを買って何回も見た事がある。僕の「クリオラ」の指揮がいつもと違っていたとしたら、それはクライバーのおかげだ。あんなに集中して音楽の神髄に迫った棒はもう彼の亡き後見られないのではないか?僕は本当に尊敬し、(白状するが)振り方から音楽の構築の仕方まで相当彼から影響を受けていた。
 ベルリンに留学していた時代、一度だけクライバーを生で聴けるかも知れないチャンスがあった。でも残念な事に、そのベルリン・フィル定期を彼はキャンセルしてしまった。話に聞くと、練習を1日つけた後、ホテルからキャンセルの電話が入ったという。その瞬間に、僕が彼の演奏に生で接する機会は永久に奪われてしまったのだ。
 その直前にはウィーン・フィルをキャンセルしている。なんでもベートーヴェンの交響曲第四番の第二楽章を練習していた時、彼が「テレーゼ・・・テレーゼ・・・。」とつぶやくのに楽員の一人がクスッと笑ったのが気にくわなくて、その場でやめて帰ってしまったそうだ。テレーゼとは、ベートーヴェンがその曲を書いている時に愛していた不滅の恋人と言われる女性の事だ。そこまでベートーヴェンの気持ちになろうとする彼は確かに極端ではあろう。でも僕は笑わない・・・・。
 ここまで書いていたら娘が僕のVAIO君をのぞき込み、クライバーのDVDを見たいと言ったので、今見ながら書いている。
 やっぱり凄い!棒の先、あるいは全身から出ているオーラのなんと強いことか!こうした音楽家の姿を見ていると、肉体はそこにあっても魂は完全にあちらの世 界にイッちゃってる感じがする。だから彼の死はただそれが肉体を離れただけとも思える。今頃音楽の霊そのものとなって、地上の音楽よりもっともっと美しい世界に漂っているのかも知れない。
 とにかく最近、素晴らしい音楽家達が次々と亡くなっていく。その度にひとつの時代が終わったのを感ずる。世の中は諸行無常だ。



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