9月18日
「カヴァレリア・ルスティカーナ」「道化師」公演は、カニオ役のジャコミーニの一人勝ちって感じだ。イタリアオペラの歌手依存度の高さは知っていたつもりだが、一人の歌手がこれほど公演全体の印象を左右するのを間近で経験したことはなかった。
ジャコミーニのように歌うテノールは、現代ではもうほとんどいない。喉を開いたままガッという感じで出すこのポジションで声を作ってしまうと、もう軽い声には決して戻れないし、デリケートな表現も難しくなる。しかも喉にも体にもとても負担がかかるのだ。
デル・モナコが活躍していた時代には、こうした「確かに凄い声なんだけど、アリア一曲歌うのがやっとで、オペラ全曲歌い通すなどとてもとても・・・」という使い物にならない歌手があっちにもこっちにもいたけど、現代ではどんなレパートリーでも楽々とこなす歌手が求められる風潮なので、こうしたリスキーな歌唱は流行らないのだ。
しかし、ひとたびこんな声で「衣装をつけろ!」なんかのアリアを歌われたら、その劇的迫力に圧倒される。今回の公演、他の歌手達もとても健闘しているけど、ジャコミーニの前にみんな霞んでしまうようで気の毒だ。
でも、でもね・・・。何となく思うのは、結局名歌手が来て歌えば全てをさらってしまうというだけでは、オペラって次の世代に生き残れない気もする。特にイタリアオペラでは、演出もセットも伝統的な方が歌手の邪魔しなくてよいとかという発想にどんどんなっていってしまいがちでしょう。そうなると僕なんかは、じゃあ劇場のアイデンティティーって何?とか、芸術の独創性はないの?とか思ってしまってつまんないんだな。
勿論それがどうして悪いと言われてしまうと、あえて反論はしません。けれど、例えば「トーキョー・リング」のように、公演が終わってからみんなが、あーだ、こーだ言いながら議論したり、謎解きしたりする知的アプローチだって、オペラのもうひとつの楽しみ方なのだ。
ジャコミーニ良かった、チャンチャン!で、もうその先ないんじゃ、ジャコミーニがいなくなったら、「道化師」は上演してもしょうがない、となるのかい。じゃあ、どうしたらいいのか?と問われると僕も何も言えないんだけどね。
って、ゆーか、本当のことを言うと、もうオペラという形式では作曲は決してしないミュージカル「ナディーヌ」作曲家の立場から言うと・・・・もうオペラ は、コンテンポラリー芸術としては遙か昔に終わっているんだ。
「あ、これは言ってはいけないことだわ!」(ナディーヌのセリフ)
僕はオペラ劇場で働いているんだったっけ。
同じイタリアオペラでも「ラ・ボエーム」は夢があっていいな。なんといっても舞台は「ナディーヌ」と同じパリだし、明日を夢見る若き芸術家達の胸キュン 恋物語!マルチェロの友情とか、ロドルフォの嫉妬とか、うーん、分かるよなあ、青春の日々・・・・。なんちゃって!大体男性はみんな「ラ・ボエーム」が好きなんだよ。意外と女性にはピンとこないみたい。
明日の日曜日はオケ・合わせだよ。指揮者の井上道義さんは、言うことやることハチャメチャなんだけど、すごく面白い。僕は好きだな。第三幕冒頭の酒場の中から聞こえてくる男声合唱を、僕は酔っぱらって元気いい合唱として作ったんだけど、井上さんは「もっと泥酔してロレッて歌え!」って言うもんだから、かなりイカレた合唱になってしまった。あははは!これもアリだって思いました。
さて、名古屋のモーツァルト200合唱団の為に書いていたクリスマスソング・メドレーは、思ったより力作になってしまった。
メドレー1に引き続き作ったメドレー2では、「ひいらぎ飾ろう」のメロディーが全編支配する。途中で弦楽合奏によってフーガになってそのまま「もろびと こぞりて」に突入したり、終曲の
「来ませ救い主」では、 なんとオルガン協奏曲風コラール幻想曲なのだ。この部分はMIDIファイルを作ったので是非聴いてみて下さい。