カンブローヌと、歌劇“おさん”より「聞いたかい」

三澤洋史 

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カンブローヌと、歌劇“おさん”より「聞いたかい」
 長編小説を読んでいて何が頭に来るかというと、作家の気紛れ故に、時々本筋と関係ない話題に付き合わされる事だ。長編小説っていうくらいだから、字数が限られているわけではないし、そもそもストーリー展開からエピソードの挿入に至るまで作家の勝手だからね。寄り道にそれたって、今さら誰が抗議出来るわけでもない。
 その作家というのはヴィクトル・ユーゴー。作品は「レ・ミゼラブル」だ。息詰まる展開に興奮しながら第一巻を読み終わり、急いで第二巻を開いた。

「ありゃ?」
まるで別の小説を読み始めたかのように、関係ない話が始まっている。ジャン・バルジャンは一体どこに?
 読んでいくと、どうやらワーテルローの戦いの様子をかなり細かく描写しているようだ。雨が降ってナポレオン軍の突撃が遅れたから負けただの、どこの軍がどこから進んで、それをどう向かい打っただの・・・冗談じゃねえよ。ナポレオンなんかどうだっていいんだよう。こっちは早くジャベールの手から逃げ出したジャン・バルジャンの行方を知りたいんだよう。ワーテルローの戦いを調べたい為に「レ・ミゼラブル」を読んでるんじゃねえよう!
 しかし、これを読んでないと、後でどう物語と結びついてくるか分からないから、つまんねえけど我慢して読み続けた。まあ、読み続けていくとね、それはそれなりに面白くなってくるんだな。うん、うん(と、自分で納得)。今度は「レ・ミゼラブル」の本筋を忘れそうになってくるよ。それにしてもユーゴーったら、文庫本でなんと80ページ以上をただワーテルローの戦いだけに割いたよ。その間ジャン・バルジャンは完全にストップだよ。後で気がついたけど、物語との関連性はほとんどなし。う、やられた!

 その中でひとつだけ面白いことが書いてあった。破れたナポレオン軍が恥も外聞も捨てて逃げまどう中、カンブローヌ将軍率いる方陣は孤軍奮闘していた。しかしとうとうイギリス砲兵隊に取り囲まれた。イギリス軍の兵士達はカンブローヌの崇高な姿に思わず沈黙してしまったが、ある将軍は意を決して言った。
「勇敢なフランス兵よ、降伏せよ!」
カンブローヌは、それに対してたったひとこと。
「くそったれ!」

 この「くそったれ!」はMerdeという有名なフランス語。ドイツ語でScheisse。まさに「うんこ」。下品な言葉の極致である。しかし、これがフランス人達にとっては誇りなんだな。
ユーゴーは、

ワーテルローの戦いに勝った人、それはカンブローヌであった。
などと言って彼の最期の言葉を褒めちぎっている。その賞賛だけに4ページも使っている。
カンブローヌの一語は、破裂の効果を持っている。軽蔑によって、胸が破裂するのである。
要するに「くそったれ」という言葉を敵に浴びせて胸がスカッとするということだな。
偉大な時期(フランス革命)の精神が、この宿命的な瞬間に、その無名の男に宿った。天上の霊感の訪れによって、カンブローヌはワーテルローでの言葉を見いだしたのだ。
おい、おい、ちょっと褒め過ぎでねえの?たかが「くそったれ」だよ。やけっぱちで言っただけかも知れないじゃないの。当然その言葉によってカンブローヌは捕虜となって生き延びる可能性を自ら断ったわけだけどね。

 でも、インターネットでカンブローヌを検索してみたら、フランス人がいかにカンブローヌにシンパシーを持っているかを示す事件が起こっていた。

昨年の一月の事。ラムズフェルド米国防長官が、対イラク攻撃に反対の姿勢を強める独仏 に対し悪口を言った。
「古くさい欧州め!」
それに対し、フランスのバシュロ環境相は、こう応酬した。
「カンブローヌ!」

この意味分かる?つまりカンブローヌという名前は今やMerdeのメタファーとなっているというわけだ。バシュロさんはラムズフェルドに対して「へん、くそったれめ!」と言ったつもりなんだね。これだけで大部分のフランス人には分かるとしたなら、我々アジア人が欧米人についていくためには相当の教養が必要だね。

 ところで何故カンブローヌのことを取り上げたかというと、実はこの名前には特別のなつかしさがある。
 凱旋門の駅、すなわちシャルル・ド・ゴール・エトワールを出発点としてパリの南側に弧を描くように6番線のメトロが走っているが、その中にカンブローヌという駅がある。この駅の近くに、かつてヤマハ・パリ支店長、河野周平氏のアパルトマンがあった。
 河野氏は、浜松バッハ研究会(以後バッハ研と呼ぶ)の元代表。僕を浜松に呼んでくれた後、すぐにパリ出張が決まってしまって浜松を離れなければならなくなった。
 僕は、
「ひどいじゃないの。人を浜松に呼んでおいて!こうなったらパリに行ったら面倒見てよね。」
と半ば脅迫のように河野氏のパリ滞在に便乗した。僕たち家族は幾度となくパリを訪れ、当然の権利のようにカンブローヌ駅のすぐ側の河野宅に居候を決め込んだ。娘達はその間にパリを呼吸し、どの都市よりも親近感を持つようになっていった。
 奥さんの善子さんはとても面倒見の良い人で、
「ルーブル美術館を見学したいんだって?一時間コース、三時間コース、半日コース、どれにする?」
とパリの名所を案内することにかけてはまさに名人だった。
 ルーブル美術館全体を短時間で回るのは大変だった。まさに「ダ・ヴィンチ・コード」のロバート・ラングドン教授よろしく駆け足で走り抜けた。でも大切な作品は全部見たんだ。まさに奇跡!
 娘の志保が早くからパリに留学出来たのも、もちろん河野家を抜きには考えられないことだ。それどころか、河野氏の親切にどこまでおんぶに抱っこか、ピアノの先生を紹介してもらう事からはじまり、未成年だったので保証人及び身元引受人にまでなってもらった。
 現在は、河野氏はパリの任期を終えて再び浜松に戻り、バッハ研で元気に奥さんと一緒に歌っている。僕は河野宅には足を向けて寝られない(ただ単にたまたまベッドの足の方向が浜松を向いていないだけという話もある)。
 そんなわけでカンブローヌには特別な想いがある。将軍の名前だったんだ。この駅。

 さて、最近僕のホーム・ページは、なんだか文学の話ばっかりだね。本業の音楽活動にあまり触れないのはどうして?と皆さん思っているかも知れない。僕の人生にとっては、音楽だけが全てではない、というのが一つの理由。もうひとつは、(矛盾するようだが)僕にとって音楽はあまりに日常的で当たり前の行為。 「ナディーヌ」みたいに非凡な公演は別なんだけど・・・。
 毎日いろいろなことは起こっているんだよ。あせったり、驚喜したり、落胆したり、感動したり・・・。でもそれを含めて「日常的で当たり前の行為」と言ってみるのがプロってもんよ!って気取ってみるわけでもないけれど。ライブドアの社長の「淡々とね」というのと一緒だね。あれだけの会社。淡々のわけねえだろ、と思うけれど、ドーッといろいろなことが押し寄せてくるのが「日常」なんだ。そういう神経でないとやっていけない。

 でもその中で、ちょっと変わったことがある。来年2月に久保摩耶子さん作曲「おさん」というオペラの初演がある。これは近松門左衛門の「心中天網島」を現代に移し替えた作品だ。このオペラの真ん中くらいのところに、男主人公治平の同窓生達8人が飲み屋で治平の事を噂して歌う8重唱がある。これが実はスゲー変わった曲なのだ。
久保さんとの打ち合わせの中で、僕は思わず、
「この曲、本気でやるつもりですか?」
と作曲家に聞いてしまった。おー、今から思い出すと冷や汗もんだね。

 この8重唱、ただ歌うだけではない。歌いながら舌鼓を打ち、ビール瓶を吹き、ワイン瓶を叩くのだ。しかも、その歌詞ったら、こうだ。
「聞いたかい?(カン、カン、カン)(カン)かい?(カン)かい?(カン)かい?(カン)かい?」
「(カン)聞いたよ!(カン、カン、カン)いよ!(カン)いよ!(カン)いよ!(カン)いよ!(カン)」
「クーック、キッキッキッキッ喜劇!(フ、フ、フ、フー)」
「イッヒッヒッヒッ悲劇!(フー、フ、フ)」
「ラリラリラリ離婚離婚!シッシッシッ心中~!ジッジッジッ自殺!」

 どうですか、皆さん!感動的な歌詞ですね。ちなみに(カン)はワイン瓶を叩く音。(フー)はビール瓶を吹く音。ワイン瓶は、それぞれがD、Fis、A、Dとニ長調の和音で調律されている4人と、C、E、G、Cとハ長調の和音で構成されている4人とが交互に叩く。ビール瓶はホ短調とロ短調に調律。調律は、なんのことはない、瓶の中に水を入れて調節する。誰がやるかって?僕しかいねえだろう。やかんからじょうごを使ってゆっくり水を入れる。どう見ても調律しているようには見えない。
不思議なのは、叩くためのワイン瓶は、水を入れると低くなるが、吹くためのビール瓶は、水を入れるごとに空気の回る場所が狭くなるので、逆に高くなるんだ。

 練習はめちゃくちゃ大変だよ。歌って、叩いて、吹いて・・・・。今週はもう頭の中にそれが回りっぱなし。特別オーディションで選ばれた8人の合唱団員達も目が血走っている。オーディションで希望者だけ募ったのは、「なんでこんなんやらせられるんだよお!」と団員に文句を言わせない為の策略。
 でも死にものぐるいで練習しているうちに、だんだんこれがハマッてきた。特に、歌と叩くのがピタッと合ったり、吹く時にピッチがバッチリ合った時なんか、思わず「イエーイ!」と歓声が上がる。その喜びは、「椿姫」なんかで合ったのとは比べものにならないなあ。形容し難い連帯感が僕等の中で生まれつつある。こうなるともう新しい演奏家集団、というよりパフォーマンス集団だな。結構イカスぜ~!
 曲もだんだん良い曲に思えてきた。数年もしたら新しいオペラ重唱曲のスタンダード・ナンバーに取り入れられて、あちこちで単独上演されたりして・・・・。
「それではガラ・コンサート、次の演目は歌劇“おさん”より『聞いたかい』、ではどうぞ!」なんちゃって。
 ええと、みなさん!お暇でしたら、この8重唱を聴きに(見に、かな?)新国立劇場にいらして下さい。2月25,26,27日の3日間です。ちなみにチケットはまだほとんど売れてません。誰か買ってくれえ~!



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