僕は激しく怒っている!!!

 

三澤洋史 

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僕は激しく怒っている!!!
 あきれてものが言えない。これで日本という国は完全に世界から取り残されてしまうだろう。日本の行政の硬直した体質は僕もいろんなところで思い知らされるが、今どきこんなことが正々堂々とまかり通るようでは世も末だ。

 東京都の保険師で、在日韓国人2世の女性、鄭香均(チョン・ヒャンギュン)さんが、都管理職の試験を受験しようとしたところ、日本国籍がないことを理由に受験を拒否された。
 鄭さんは都を相手取って提訴。1996年の東京地裁判決では、「憲法は、外国人が国の統治にかかわる公務員に就任することを保障しておらず、制限は適法」として原告の訴えを退けたが、1997年、二審の東京高裁では一転して「外国人の任用が許される管理職と許されない管理職とを区別して考える必要があり、都の対応は一律に道を閉ざすもので違憲」と勝訴した。
 ところが、1月26日、最高裁が出した判決は、再び「外国籍拒否は合憲」として原告の敗訴となってしまった。
 鄭さんは、韓国人の父親と日本人の母親との間に生まれた。外国人故に就職先が全く見つからなかったが、「看護師ならば国籍は関係ないのでは」と資格を取り、看護師として病院で働いていた。
 1988年、東京都が専門職に限って国籍条項を撤廃したのを受けて、彼女は外国籍の保険師第一号として採用されたという。しかし1994年、管理職試験の受験を上司に勧められ、気軽に願書を提出した彼女は、「国の見解があり、あなたは受験できない。」という答えを都庁からもらった。(以上、朝日新聞1月27日の記事から)

 バッカじゃなかろうかと思う。何故そんな差別をする? 何故外国人が管理職になってはいけないんだ? 特に彼女は専門職じゃないか? 技術のある人材ではないか? 外国人を起用するとただちに反日的な行動をとってみんなを混乱に陥れるとでも思っている人がいるのだろうか?
 なにも総理大臣に外国人をという話をしているんじゃない。いや、僕は個人的には、総理大臣だって、もし相応しい人材がいて周りがそれを支持するのだったら、外国人がなったっていっこうに構わないと思っているけれど・・・・。
 とにかく国益のことを考えたって、有能な人材に道を開き、その才能を生かせたら、結局我々国民がその恩恵をこうむるのではないか。それによって外国人が「日本は良い国だ。日本のために頑張れば頑張った分だけ報われる。」と思ってくれたら、優秀な人材だってどんどん来てますます日本は発展するではないか。

 新国立劇場が開場した時、こんな風に指揮者も演出家も歌手達もみんな外国人ばかりだったら、日本でやっている意味がないのではないか、と言っていた人が少なからずいた。それは言ってみれば、「ひさしを貸して母屋を取られる」という状態になるのではないか、という危惧であった。特に外国人であるノヴォラツスキー氏が芸術監督になる時には、その風当たりは強かった。
 しかし現在、新国立劇場を支えているのは、音楽スタッフも含めた我々日本人劇場スタッフだ。外国人に一歩もひけをとらない日本人スタッフの能力をあなどるなかれ。もし母屋を取られるとしたら、もともと取られるくらいの実力しかないんだから仕方ない。その時はむしろ絶好の学習の機会だと思って学ぶ事だな。そこで外国人が調子に乗って変な事しそうになったら、日本人だけでコソコソまとまって陰で文句なんて言ってないで、堂々と「変だ!」と抗議すればいい。実際、僕はいつだってそうしてるしね。
 だから外国人に管理されまくりに見える新国立劇場ですら、母屋は取られていません。そもそも何が母屋なんだかよく分からないや。日本に守るべき母屋なんかあるのかい?

 話はちょっと変わるが、「N響は世界で何番目にうまいオケなの?」と僕に聞いてくる人が後を絶たない。それって、悪気はないんだけど、「戦艦大和って世界一だ。」と威張っている人と変わらない。
 太平洋戦争中、もうとっくに航空機の時代に入っている時に、日本は相変わらず巨大な戦艦を作って世界一だと得意になっていた。もはや何の役にも立たないのに・・・・・。時代の風も感じられず、周りの様子も見られず、自分たちの美学だけに酔って、自分たちだけには「神風」が吹いてくれると単純に信じて、米英鬼畜などとうそぶいている内に日本は戦争に負けたんだ。
 今はね、そんなこと気にしていては駄目なんだ。ドイツに行ってみなさい。今どきドイツ人だけでやっているオケなんてどこにもない。音楽監督だってドイツ人がやっているところを探す方が大変だ。どこの国の人だろうが、何民族だろうが良ければ採用する。これだけ。世の中には優秀なもの、有能なもの、有用なものとそうでないものがあるだけだ。
 で、さっきの「日本のオケってどの辺なの?」という質問なんだけど、答えをどうしても言って欲しいなら言います。
「技術的には世界的に見てもかなり高いんだけど、あまりに“日本的”なので欧米のオケとは比較の対象にならない。」
というのが答えです。
 それは、ミラノ・スカラ座オケとドレスデン・シュターツカペレが同じ土俵では語れないのとも似ているし、柚子やカボスにどことなく似ている国産レモンが、カルフォルニア・レモンと同じ価値観では計れないのにも近い。これ以上詳しいことは長くなるのでいずれまたどこかの機会に・・・。

 その点、東京交響楽団は偉い。コンサート・マスター、トランペット、クラリネット、チェロなど、要所要所に外国人を置いて独自性を出している。「日本人だけで外国に対抗」なんてケチなことなど考えちゃいない。外国人がいるオケって以外と少ないんだよ。N響を見てみても分かる。音楽監督は外国人でも演奏者は日本人ばかり。こうなれば、東響はいっそのこともっとどんどん外国人を呼んで、独自のメンタリティーとサウンドを徹底的に追求したら面白いかも知れない。

 僕は冗談で言っているのではない。実は、この外国人と日本人の混じった感じの面白さこそが、僕が新国立劇場で毎日経験している感覚だ。これからの日本に必要なのはこのミックス感だよ。
 新国立劇場の合唱団にも外国人を入れることを僕は前から望んでいるけれど、なかなか実現しない。バイロイトの合唱団員の中には来たくてうずうずしているのが何人もいる。条件さえもっと整えば僕は躊躇なくどんどん呼んでしまうんだけど・・・・。
 そう言うとすぐに、どこからか「日本オペラをやる時はどうするんだ?」という意見があがる。No Problem! アルファベットできちんと指導すれば、下手な日本人よりも上手に仕上がる自信が僕にはある。
 現在、アメリカ国籍の中国人が一人いる。彼を入れる時にも実は劇場側に多少抵抗があったが、僕の強い意志で強行した。当然のことだ。僕の目の黒い内は、変な差別はさせない。

 バイロイト祝祭劇場だって偉いよ。裏門の若い門番はイラク人だ。僕と仲良し。とってもいい奴なんだ。もう一人のドイツ人の門番のおじさんは彼を嫌っていていろいろ嫌がらせをするが、ヴォルフガング・ワーグナー氏が彼を気に入っていて守ってくれる。そういうように、上に立つ人は広い心でないと駄目なんだ。
 日本人の僕に対してだって、5年間も雇ってくれて、また今年も「来てくれますか?」というお誘いをくれた。残念だけど、また今年も行けないんだ。7月には新国立劇場で「蝶々夫人」の学校公演6回と「ジークフリートの冒険」公演6回を指揮して、8月にはいると「マイスター・ジンガー」の合唱練習が始まる。

 僕は、バイロイトでドイツ人相手に練習をつける。これも一種の管理職的立場と言えなくもない。ドイツ人だったらドイツ語で歌うことに何の問題もないと思うでしょう。これが違うんだな。日本人だって全員日本歌曲が上手に歌えるとは限らないように、歌うドイツ語の発音は、ドイツ人でもきちんと勉強しなければ分からないんだ。彼らにとっては、ドイツ語はあまりに当たり前なので無意識の領域。だから開口、閉口のEの区別すら分からないドイツ人歌手はかなり多い。
 そんな彼らにこの日本人の僕が発音を教えるんだ。最初は彼らの中にも「日本人のくせに」と思う人もいた。でもね、こちらがきちんとした知識を持っていて説得すれば彼らはついてくる。今では、ドイツ人に指導させるよりも、僕にさせた方が間違いなく成果が上がると、合唱指揮者フリードリヒだけでなく、みんな思っているよ。こういうのが専門職を雇うということの意味なんだよ。
 でもその為には、外国人である僕は、ドイツ人の倍勉強しなければならない。僕がもし普通の日本人の合唱指揮者くらいの知識しかなかったなら、あるいは逆に、ドイツの合唱指揮者くらいしか勉強しなかったなら、バイロイトでは全く歯が立たない。それでもしドイツ人達が、「彼は所詮日本人だからドイツ語の指導だって出来ないし、ドイツ人の合唱を教えるには問題がある。」と言うのだったら、それは僕のレベルが彼等を指導するところに達してないという事であって、僕は彼等の意見に謙虚に耳を傾けなければならない。不服を言っても始まらない。甘えてはいけない。僕はそういう世界観の中で生きている。

 でも、それは勝負をする土俵に立たせてもらった上での話である。その前に外国人だという理由だけで、才能を発揮する可能性自体が与えられなかったとしたら論外である。
 日本の社会は差別の殿堂だね。国際結婚がうまくいくか否かと言っている時代に、同じ日本人同士だって、まだ同和問題とかなくならないんだからね。人間として信じられないね。そう考えると、韓国人に道を閉ざす事なんか彼等にとって何でもなさそうだ。
 それでは有能な人材が確保できないじゃないか、なんて騒いでも、有能な人材など元から欲しくないのかも知れない。まあ、あんまり有能な人材に来られると、上司の無能さが目立ってしまうから、みんなでニュクニュクと体寄せ合って、すべてを穏便にあいまいに済ませて、定年までのんびり勤めたい、ああ、コリャコリャなんだ。
 駄目だよ。こんなことやっていたんじゃ。社会は活性化しない。日本は滅ぶ。鄭さんには「申し訳ない、こんな閉鎖的な国で。僕も同じ日本人として情けない。」と心から言ってあげたい。

試聴会
 今週は新国立劇場では試聴会に明け暮れた。新国立劇場合唱団員の次のシーズンに向けての人選のためのオーディション。一年の内で最も気が重い時期だ。何故なら、アマチュアの団体と違って彼等はみんな生活がかかっているから、合否は本当に深刻なのだ。「まさに深刻りつ劇場」なんて冗談を言っている場合ではない。
 この試聴会によって僕は一体何人の友人を失ったことか?受験する人たちの心の痛みもよく分かるが、逆に、審査する方の孤独感や胸の苦しさなんて分かってもらえないだろうな。
 でも僕は、先ほどの話とも共通するけれど、新国立劇場が日本で唯一の本格的オペラ劇場で、(税金の無駄遣いをしない為にも)最高のレベルのものであるべきならば、合唱団のレベルも日本において最高の人材がいる場でないといけないと思う。みんながあこがれて、「あそこを目指そう!」と思ってくれるようなポジションであるべきだと思う。その為に私情を捨て、「今この劇場にとって何が必要か」という観点に立って冷静に判断する。
 僕も神様ではないから、「あなたの判断は100%正しいと断言出来ますか?」と問われると何とも言えないが、少なくともこの一週間、誠心誠意を持って聴き、判断したつもりだ。曖昧な判定は一切ない。だから心底疲れた。
 こうした孤独感をブラームスの演奏に反映させればいいのかな。でも他人の苦悩を癒す音楽を演奏する者が、他人に苦悩や不安やストレスを与えているんだ。これって矛盾かな?


マクベスと「だるまさんがころんだ」
 今日で「マクベス」が終わった。聴衆の入りがいまひとつだったのは残念だけれど、内容はかなり良かったと思う。カルロス・アルヴァレスのマクベスは文句なしに素晴らしかった。いい男だね、彼は。性格もいいよ。
 指揮者のフリッツァは、合唱団員が本番中自分の方を見てくれないのが最後まで気にくわなかったようだ。オペラなんだから仕方ないじゃない。公演中、彼が何度も後ろを振り返るので、お客さん達みんなびっくりしていたな。つまり客席の後ろの監督室でモニターをみながら赤いペンライトで指揮をしている僕をチェックしているというわけ。このランプのお陰で結果的に合っているんだからいいだろうと思うが、合唱団員が僕を中心にまとまっているのが妬ましいんだ。とにかく自分が一番でないと気が済まない。

 「刺客の男声合唱」では、一度、本指揮だけ見させて合った事があり、「ここだけは振るな」と彼から言われていた。だけどマエストロの棒は初日以来どんどん自分に酔ってきて、打点が分からなくなり、僕のフォローがなければとうてい合うのは不可能になってきた。だから僕は彼に内緒で振り始めた。
 彼に「もっとはっきり振ってくれ!」と要求しても良かったのだが、音楽的にはとても良い棒になっていたので、僕が言う事によって、ただ拍を刻むだけの棒に彼が戻ってしまったら残念だと思ったのだ。
 しかし彼は、そんな僕の心遣いなどは知るよしもなく、公演中、僕が振ってないだろうなと何度も振り返る。その度に僕は赤ランプを「おっとっとっと!」と隠す。
終わってから彼は僕に聞く。
「振ってなかっただろうな?」
「ヤだなあ、振るわけないじゃない。」
合唱団員達は面白がって、
「三澤さん、子供の時『だるまさんがころんだ』上手だったでしょう?」
なんて聞いてくる。
今日の千穐楽では、もう振り向かないだろうと思っていたら、いきなし猛スピードで振り向いた。
「あっ!」
と思った瞬間には見られていた。彼もあっけにとられて5秒くらい後ろを向きながら指揮をしていた。
「もういいや、今日でおしまいだし。」
 案の定、カーテン・コールが終わってから、彼は僕と目を合わせてくれない。「この裏切り者め!」と思っているんだろうな。結局、きちんとした挨拶をしないで別れてきてしまった。
 楽屋口で何人かのファンにサインをせがまれた時、一人の上品そうな婦人が、
「あの今日初めて気がつきましたけど、後ろで赤いライトで振ってらっしゃるのが三澤先生なのですか?」
と聞いてきた。みんな指揮者につられて後ろを見たんだな。

 でもフリッツァは、人間的には偉大とはとても言えないどころか、かなり子供っぽい変な奴だけど、指揮者としては素晴らしい。聴衆も彼に怒濤のようなブラボーを浴びせていた。
 東響はピットの中から味な事をしていた。カーテン・コールの時に、各々の譜面台に大きくBRAVI!とかHow about Bier?とか書いた紙を置いて、舞台上の我々に見えるようにかざしてくれたのである。やるね、東響!みんなとっても喜んでいたよ。
 さて、合唱団は来週から「おさん」の立ち稽古が始まる。東響は「ルル」が佳境に入る。



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