50歳の境地

三澤洋史 

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50歳の境地
 もうすぐ僕の誕生日がやってくる。僕の誕生日は知る人ぞ知る3月3日だ。つまり「おひなまつり」。小学生の頃から、「やーい、やーい、女みてえだな。」 とよく友達からからかわれた。だけど女の子の節句に生まれたこと、僕には違和感がない。
 僕は姉二人の末っ子長男だし、母親と祖母に可愛いがられて育った。父親以外はまわり中女性ばっかりだった。結婚したらしたで、生まれた子供が娘二人。4 人家族の中で男は僕一人。ずっと女の人に囲まれた人生を象徴するかのような誕生日だ。それに桃の節句って、なんとなく色めいていていいよね。

 でも、今回の誕生日はちょっと違う。なにが違うかっていうと、なんと50歳になる!50歳・・・・!!
 昔、50歳の人なんか見たら、もう人生充分に生き切って、いつお迎えが来ても差し支えないような風に見えた。でも自分がその歳になってみると、まだまだ 人生始まったばかりという感じだ。30歳くらいの頃と、基本的には何も変わっていないような気すらする。

 うーん・・・・・変わったところはなくもないな。街行く若い女性に昔のようなギラギラした欲望を抱かなくなった。というより、自分の娘が二人とも年頃に なっているから、必然的に親の立場から物事を見てしまう。
「この子にも親がいるんだろうなあ。心配だろうなあ。」
という感じである。
 一方、年配の素敵な女性には、いいなと思っても、なにがなんでも自分のものにしてなんていう気にならない。年配の女性の持つ魅力というものは、勿論外面 的には「美しさ」として表れるものであるが、その美しさは性的魅力というよりも、その人が人生で何を大切にしてきたのかが自然ににじみ出てくる、いわゆる 人間的魅力なのである。だから口説いて自分のものになんて出来ないのだ。
 それに、男女というものは接近しすぎると、バーッと燃え上がって、バーッと壊れて、もう二度と逢わない、なんていう風になってしまうだろう。それが嫌な んだ。僕は、好きな人とはいつまでも仲良くしていたいんだ。
 でも、そんな事言ってると、もう僕はどの年代の人ともノー・チャンスだなコリャ。やっぱり最初に言ったように、いつお迎えが来ても差し支えないという境 地か。

 音楽家には、僕くらいの歳になっても愛人の噂に事欠かない人が多い。凄いなとは思うが、うらやましいとは思わない。僕は、自分がいることでみんなの気持 ちが癒されるような、そんな存在になりたいと最近は思うようになってきた。別にもてなくてもいいんだ。それより、「三澤さんといるとやすらぐ。」と人から 言われたい。それが50歳になった僕の抱負だな。何?欲がないって? でもこれが僕の本音。

 僕は、自分の老いをあえて否定はしない。髪も白くなったし、鏡で見る自分の顔にも皺が刻まれてきた。しかし、芸術家としては、感性だけは摩滅していない つもりだ。ミューズの神は青春の神。新鮮な驚きと、柔軟な発想。常識を打ち破っていく創造力。これらが自分の内部から失せたら、もうミューズに自らを捧げ てはいけないと思っている。
 歳を取ったら「円熟」という言葉を隠れ蓑にしてはいけない。経験の長さは、それだけではなんのメリットにもならない。むしろひとつの典型が築かれた時、 それはマンネリズムの始まりである。大切なことは、今どれだけクリエイティブなことがなし得るのかだけなのだ。

 同時に若い世代に期待したい。幕末の日本を変え、明治維新を推進していった人達は、ほとんどが20代だった。僕たち年配の世代は、そのつもりなくても無 意識のうちに守りに入ろうとしてしまう。それがいけない。実際に、家族とか守らなければならないことも少なくないしね。だから発想がどうしても保守的に なってしまう。
 彼等は違う。失うものはなにもない。そして若さがある。新しい価値観と新しいビジョンがある。情熱に燃え、明日を信じ、ヴァイタリティーに溢れる若者を あなどってはいけない。僕は、若い才能を認め、世に出すことに、残りの生涯の何パーセントかを費やしたいと思っている。
 頑張れ、若者達よ!若気の至り大歓迎。後悔は後からすればよい。恐れずに自分の信じる道を行け!

バッハの最高傑作
 昨日(2月26日、土曜日)東京バッハ・アンサンブルの練習に行った。バッハのモテット第一番、Singet dem Herrn ein neues Lied「新しい歌を主に向かって歌え」の第一曲目に入った。素晴らしい曲だ!練習をつけながらめまいがするほど曲に酔いしれた。

 この曲は、モーツァルトが演奏旅行の途中で立ち寄ったライプチヒの聖トマス教会で、たまたま演奏されていたのを聴いて驚き、
「この曲の中には、まだ我々が学ばなければならないことがある。」
と言って、しきりに楽譜を欲しがった逸話で有名だ。
 僕はこの一曲だけで、あるいはその中の第一曲目だけでも、もしかしたら「マタイ受難曲」全曲にも匹敵するのではないかと思っている。それほどの大傑作で ある。またバッハの6曲のモテットは、“声楽のブランデンブルグ協奏曲”であるとも思っている。
 巨匠の最高傑作に触れる時、僕はいつも体中に身震いが走るのを感ずる。自分の人生の中でその作品に出会い、今、まさに今現在、その作品に自分の五官で触 れていられるということがたまらなく有り難く思われるのである。

 5月29日、トッパンホールで行われる東京バッハ・アンサンブル演奏会のタイトルは「バッハへの道のり」。こうしてパレストリーナから始まり、ハインリ ヒ・シュッツを経てバッハに辿り着いてみると、そのリズムとビート感に目が洗われるようだ。
 バロック期に入って、世俗のリズムが純音楽といわれる分野にも入り込んできた。それと同時に、ストリート・ミュージシャン達が即興でやっていたような名 人芸も記譜され、そのお陰で歴史に残るようになった(例えばブランデンブルグ協奏曲は、記譜された名人芸の典型)。
 バッハは当時流行していたオペラの手法でカンタータを書き、受難曲のアリアを舞曲で書いた。パレストリーナ、シュッツの流れを汲むモテットの中にさえ、 世俗音楽の強烈なリズムを投入した。

 バッハと舞踏性。これは永遠のテーマだ。「スイングがなければジャズじゃない」と言われるように、「ビートがなければバッハじゃない」と僕は声を大にし て言う。だから僕の演奏するバッハはジャック・ルーシェも真っ青です。

工房グノーム
 ここのところ妻にあまり面倒を見てもらっていない。彼女は今とても忙しい。50歳になった僕が、その半世紀の自分の人生をドイツ・レクィエムに総括しよ うとするように、彼女もこれまでの自分の人生の総決算のようなことをやっている。

 昔から彼女は、ウォルドルフ人形(シュタイナー教育の中で使われている綿入れ人形)などを趣味で作っていた。また原毛を仕入れてきて糸紡ぎ機で紡ぎ、た まねぎなどで染めてセーターなどを編んでいた。
 ちなみに、今家で彼女が使っている糸紡ぎ機は、昔僕が「さまよえるオランダ人」で小澤征爾さんのアシスタントをやった時、蜷川幸雄氏演出の舞台で使った 糸紡ぎ機のうちの一台だ。確か、舞台制作の会社クリエーションが持っていて、松村禎三氏のオペラ「沈黙」をやった時、僕の家にあるローランドのシンセサイ ザーの音がどうしてもいいというので、本番で使用した貸出料の代わりにただでもらったんだ。
 ええと、何の話をしていたっけ? あ、そうそう・・・・そうした妻の趣味がこうじて、彼女はだんだんいくつかのお店に、茜やカモミールなどで染めた様々な草木染めの毛糸や布、いろいろな人 形、小物などを出すようになった。

 一方、娘達がまだ小さかった頃、彼女はまるで絵本研究家であるかのように沢山の絵本を買い、娘達に毎晩読んで聞かせていたが、家中にありあまる絵本を自 分だけのものにしておくのももったいないと思って、週に一度だけ金曜日の10時から5時まで自宅を開放して“家庭文庫グノーム”を開いた。グノームとは地 の妖精。僕のミュージカル「ナディーヌ」にも出てくる。

 妻は最近ある画家と出会い、一緒に工房を持とうということで意気投合した。工房は、かつての家庭文庫の名前をとって“工房グノーム”と名乗ることになっ た。そのお披露目の展示会が、2月28日(月)から国立の駅前で始まる。画家の絵と共に、彼女の作った天使やグノーム達というメルヘンチックな小さな人形 も多数並べられる。
 勿論展示だけでなく、欲しい人は買えます。時間のある人は是非立ち寄って下さい。妻はずっといるので声をかけてくれたら喜ぶと思います。詳しくはホーム ページを見てね。 これが3月6日(日)に終わると、再び僕は妻に面倒を見てもらえるようになります。だから是非盛況のうちに終わって欲しい・・・・・。

“工房グノーム”のホームページ
http://www.k2.dion.ne.jp/~gnom5127




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