何があっても大丈夫

三澤洋史 

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何があっても大丈夫
 僕はジャーナリストの櫻井よしこさんのような女性が好きだ。きちんと自分の意見がある女性。少々生意気でも良い。
 ある日曜日の朝、政治討論などをする番組で、櫻井さんは竹村健一さん相手に、まことに歯に衣着せぬものの言い方でずけずけと切り込んでいた。しかし何故か、その声のトーンの柔らかさ故にか、物腰のしなやかさ故にか、僕には、通常男勝りの女性に感じるようなある種の居心地の悪さを感じることがなかった。それどころかなんて知的で魅力的な人なんだろうと思った。その時扱っていたテーマは、「北朝鮮への日本政府の対応は、国際社会の常識からはずれている。」というようなハードな内容だったにもかかわらずである。
 あれだけのことを自信を持って言い切るためには、もの凄い勉強量が必要だと思う。ただものではない。失礼ながら、昔彼女が「今日の出来事」のニュース・キャスターをしていた頃は、むしろ「ただの女子アナ」くらいにしか思っていなかったのだ。

 最近本屋で、その櫻井よしこさんの“何があっても大丈夫”(新潮社)という本を見つけた。それは彼女の自叙伝だった。パラパラとめくってみると、「女性は男性の二倍働き、優雅であれ」という言葉が目に止まった。そのままレジーに持っていった。
 彼女は、敗戦の混乱の最中、ベトナムの野戦病院で生まれた。引き揚げ後は大分県と新潟県で少女時代を過ごしている。だが高校卒業後は単身ハワイに渡り、ハワイ州立大学歴史学部を卒業した。家庭を捨てて出て行った父親との葛藤や、帰国後必ずしも気の進まなかったジャーナリズムの仕事に身を転じるまでの過程が、その精緻な文章の中にあますことなく描かれている。
 彼女は自分の身辺に危機が訪れる度に、母親の口癖である「何があっても大丈夫」という言葉に支えられ、人生を乗り切っていった。
 櫻井さんの国際感覚のルーツやジャーナリストとしての行動の源泉、同時に僕を惹きつけた彼女のしなやかさと明るさの秘密が明かされた。彼女は、自分が女性だからといって気後れすることなく、いつも前向きに人生を生きてきたのだ。僕は彼女の生き方にとても共感する。

 僕の家族にも三名ほど女性がいるが、僕はこれまで一度も彼女達に「女のくせに」という言葉を使ったことはない。女性はお転婆であっても生意気であってもいいと思っている。しかし女性が何かをしようとする時、「女だから」という甘えは許されないと思う。
 僕がドイツに行ってドイツ人と肩を並べて仕事をする時、ドイツ人と同じレベルだったら彼等は自国民を採用する。そうした差別はどこの世界でもある。男女差別も同様だ。男性優位の社会は必ずしも正しい社会とは言えないが、未だ厳然と存在する。だとしたら、まさに櫻井さんの言うように「女性は男性の二倍優秀」であるべきなのかも知れない。ただし「優雅であれ」。
 ここがポイントだ。女性にしてみると、
「冗談じゃないわ。男性より優秀であることを求められ、さらに優雅さを求められるなんて。」
と言いたいところだろうが、優雅であることによって人の評価が違ってくるとしたら、これを利用しない手はない。竹村健一氏にずけずけものを言う女性は他にもいるだろうが、現に僕は優雅な櫻井さんに惹きつけられ、彼女の意見に耳を傾けたではないか。

Dreams come true !
 次女の杏奈が高校を無事卒業し、4月5日にパリに向けて出発する。彼女にも僕は言うだろう。「男性の二倍練習し、優雅であれ。」と。
 杏奈は4歳の時交通事故にあった。群馬の実家の前の道路に飛び出して車にはねられた。
その日は、僕の祖母の七回忌の法事で姉たち家族が集まっていた。道路をはさんで向かい側の空き地では、長女の志保が姉の子供達とバトミントンをしていた。杏奈も仲間に入りたがったが、まだ小さくてみんなの足手まといになるので、家に残っていた。しかし、親が少し目を離したすきに、自分で玄関の戸を開けて表に飛び出したのである。
 その件に関しては、親である僕にも自責の念があるし、もう十数年経つというのに、今だに思い出すだけであの時の自分の心臓の鼓動までが聞こえるようだ。最近やっと少し平静にこうして語れるようになったんだよ。
 怪我は命に別状はなかったが、彼女の顔に傷が残った。一目で「ああ事故だな」と分かる傷である。何度か形成手術を施したが、なかなかきれいにならなかった。
 女の子である。気にするなという方が無理だ。そのお陰で杏奈の性格の中にある種の陰りが生まれた。我々両親は、その事でずっと心を痛めていた。
 一方、長女の志保はよく、
「同じ事をしても、杏奈と怒り方が違う。ママは杏奈には甘い!」
と言っていたが、確かにそれは否定できない事実だったかも知れない。
 さらに、小さい時からピアノを達者に弾いた志保と違って、杏奈のピアノの上達は遅かった。門下生の発表会などでも、みんなの視線は当然のように姉の志保に注がれた。杏奈は、その陰に隠れていつも無口で淋しそうだった。彼女は、
「自分は音楽家にはならないよ。」
と言っていた。僕たち親もそれは期待していなかった。

 そんな杏奈が一変したのは中学校に入ってクラリネットをやりはじめてからだ。国立第三中学校は吹奏楽がさかんだった。杏奈は仲の良い友達に誘われて何気なく入ったのだが、それが彼女の人生を変えた。僕の家庭にはピアノや歌が溢れていたが、おそらく同じ音楽でも家族がやらない分野が盲点になっていて、彼女はそこに自分の可能性を見いだしたのだと思う。
 一度やり出すと、それまで細々と続けていた音楽の知識は思いの外役に立って、結構上達は早かったらしい。らしい、と書くのは、僕は日頃新国立劇場などでプロのクラリネットを聞き慣れているので、当時彼女が家で吹くクラリネットの音が実は耐えられなかったのだ。クラリネットの高音は、そうでなくても響きがきついし、時たま鳴ってしまうキャッという音に至っては、
「うわあ、やめてくれ~!」
と叫びたくなるほどだ。
「パパ、少しはうまくなった?」
と訪ねられても、
「まあな。」
と答えるのが精一杯だった。
 しかし彼女は一変してよくしゃべるはきはきした明るい娘になった。まさに音楽の成せる業!顔の傷も以前より気にならなくなった。何よりも彼女が一番気にしなくなった。自分のやるべき事を見つけた人間というのは、こうも変わるものなのだ。

 僕の高校の先輩で、東京フィルハーモニー管弦楽団の第一クラリネット奏者の生方正好さんに弟子入りした頃から、だいぶ杏奈の音はクラリネットらしくなってきた。彼女は、もう高校を卒業したらお姉ちゃんのいるパリに留学するのだと決めていた。
 その夢がやっと叶う時がきたのだ。先日の学生コンクールでは三位に入賞して、ちょっと自信もついてきた。東京交響楽団のエマニュエル・ヌヴーさんとその奥さんである郡尚恵さんにもお世話になった。この二人は僕のドイツ・レクィエムにも乗ってくれることになっている。
 「何があっても大丈夫」という言葉を信じて、杏奈もお姉ちゃんと同じように大きく羽ばたいて欲しい。僕がフェミニストになるのもこうした環境故だ。僕は常に女性の見方だからね。

「フィガロの結婚」再演
 その女性に対し、またもや「美しい女はみんなこうしたもの」とほざく奴がいる。ドン・バジリオだ。「コシ・ファン・トゥッテ」が終わったと思えば、新国立劇場はもう「フィガロの結婚」再演の準備に大忙しだ。もう4月7日木曜日には初日が来てしまう。
 ところが再演とあなどるなかれ。今度の「フィガロ」はとてもいいぞ。まずフィガロ役のマウリツィオ・ムラーロが素晴らしい。その良く通るバス・バリトンは、フィガロには理想的な声だ。フィガロが良いと、こんなにも全体が締まるのか。
 それからヴォルフガング・ブレンデルの伯爵が、助平丸出しのなんともいえない味を出している。昔はブレンデルというと真面目なワーグナー歌手かと思っていたが、実は彼の三枚目は他に類を見ない。おそらく聴衆は腹を抱えて大笑いするに違いない。
 そして伯爵夫人のエミリー・マギー。僕はバイロイトで「マイスタージンガー」のエヴァを歌う彼女とずっと一緒だったからよく知っているけれど、リリックで本当に惚れ惚れするような美声だ。日本人のスザンナ、松原有奈さんもとてもチャーミング。全員書くわけにいけないけれど、とにかくみんな輝いている。

 その中で、僕が特に褒めたい人がいる。今回アンドレアス・ホモキに変わって演出をつけている若き田尾下哲君だ。彼は1993年9月、ノヴォラツスキー芸術監督時代のトップを飾る「フィガロの結婚」の練習場に研修生としてやってきた。
 ふとしたことから僕は、彼が歌手達の演技を一度見ただけで細部に至るまでつぶさに覚えてしまう驚くべき才能を持っていることを発見した。僕はただちにノヴォラツスキーに報告した。
「田尾下をマークすべし。」
そうして彼はこの劇場付きの演出助手になった。
 それにしても、これだけの大歌手達を相手に立ち稽古を回していくだけでも大変だというのに、再演ではかつてホモキが一日3コマで4週間かけてやったあの複雑な内容を一週間で伝えなければならない。どう考えてもそれは不可能だ。しかし彼はその不可能に挑戦している。まだ出来上がってはいないが、僕には確信がある。彼ならきっと出来る!

 今こうして途中経過だけ見ていても、かつてのホモキの演出は冴えている。あの公演を持ってノヴォラツスキー時代が始まったことだけでも、オリジナリティーのある劇場の幕開けを告げる快挙であったと今更ながら思う。それに・・・・モーツァルトの音楽はやはり素晴らしい。特に「フィガロの結婚」は傑作中の傑作である。こんな作品に触れているだけで僕は幸せである。
 もし初演を見たリピーターが劇場に来て、再演の舞台が初演に劣っていなかったら、それはひとえに田尾下君の業績だと思って下さいね。田尾下君は間違いなく次代のオペラ界を担う重要な人材となることは必至だけど、彼もノヴォラツスキー時代の産物だということはみんなに覚えておいて欲しいことだと思う。

4月に入った!
 さて、ドイツ・レクィエム演奏会までいよいよ一ヶ月を割った。僕は今、最後のゼミナールのために沢山のCDを聞き比べしている。僕は、本当は他人の演奏にはあまり興味ない人なんだけど、こうして聞き比べてみるといろいろ面白いことが分かってくる。その内容を知りたい人は・・・・とにかくゼミナールに足を運んでくださいね。




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