レクチャー・コンサート無事終了

三澤洋史 

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レクチャー・コンサート無事終了
 今年になってからレクチャーを随分やっている。その度に資料を集め、聴いたり読んだりして吟味し、内容を選択し凝縮して、最終的原稿に練り上げていくまで、はっきりいって膨大な労力がかかる。決して楽ではない。にもかかわらず、レクチャーは楽しい。僕の中にある知的探求心を満足させてくれるのだ。
 作曲は英語でcompose(組み立てる) というが、資料からひとつのコンセプトに添って原稿を組み立てるのも、これを言いたいというイデーからストーリーを組み立て、作曲をしてひとつのミュージカルを組み立てるのも、僕の中では扱う素材が違うだけで同じことだ。あるいは他の作曲家が作り上げた作品compositionの構造structureを読み解き、演奏interpretationという形で音楽を再構築する作業も、僕の中では同じことな のだ。

 先週は大変だった。京都ヴェルディ協会で「イル・トロヴァトーレ」の講演をひとつ行ったので、その準備と平行して「バッハへの道のり」の準備をしていた。ヴェルディとバッハだもんな。このふたつには全く共通点がありません。
 レクチャー・コンサート「バッハへの道のり」の企画をした時から、このレクチャーの本当のテーマはバッハではなくマルティン・ルターにしようと決めていた。そして「バッハは、ルターの宗教改革の完成者である。」という結論に持っていきたいとも決めていた。 話の内容は、僕の行っているそれぞれの合唱団のメンバーだったら、練習の合間に一度は聞いたことがあるに違いない。僕の合唱練習は話が長いので有名だけど、バッハをやるときは特に長い。しかもルターの話は3回に1回は出ると思う。
 調べれば調べるほどルターというのは凄い人だと思う。エアフルト大学文学部に学んでいた彼が、落雷の経験によって死に直面し、宗教の道に入ったと思ったら、わずか28歳でヴィッテンベルク大学の神学教授だって!信じられないと思いませんか?
 そしてそれからの八面六臂の活躍。本を書き、聖書をラテン語、ギリシャ語から訳し、コラールを作詞作曲する多才ぶり。加えて信じる事のためには自分の命の危険をも顧みないその勇気。僕はルターから沢山の事を教わった。
このようにレクチャーをすると、普段学べないいろいろなことを教えられるのだ。みんな僕のレクチャーを聞いてためになったと言ってくれるけれど、一番ためになったのは僕自身です。

 東京バッハ・アンサンブルはせっかく第一回の演奏会を開いたのに、これで解散となります。今度は新しく「東京バロック・スコーリア」(仮名、現在検討中)として生まれ変わります。この団体は、これから協議してはっきり決めますが、秋に発足する予定です。
 バッハを全ての作曲家の上に置く僕が、名古屋や浜松でバッハの団体を率いてきたのに、これまで東京にひとつも持っていなかったのに疑問を持つ人が多かったのですが、50歳にしていよいよ立ち上げようと思いました。
 この団体に入るためにはオーディションを通過しなければなりません。その詳細は追って連絡します。課題曲はもう決まっています。パレストリーナ作曲ミサ・ブレヴィスより一カ所と、バッハ作曲モテット第一番Singet dem Herrn ein neues Liedより、第一曲目です。つまり「バッハへの道のり」に出た人はかなり有利になりますが、外部の人大歓迎です。静かなメロディーをまっすぐ歌えることと、早いコロラトゥーラをきちんと歌うことの二つの要素がバッハには求められます。
 新しい合唱団の構想はこうです。浜松バッハ研究会が研究会と名乗っているように、僕もこの団体を、ただ演奏するだけでなくもう少し幅の広いものとして考えたいと思っています。そのため、名前も一度は「東京バロック・スコーリア」に決めたのですが、昨晩演奏会から帰ってきてよく考えた結果、「東京バロック・スコラーズ」でもいいのかなと考えるようになりました。ちょっと平凡な気もするので、まだ分かりません。
 僕の構想では2年に一度くらいは大曲に取り組みつつ、その間にカンタータやモテットなどの小曲を組み合わせたレクチャー・コンサートをやりたいなと思っています。また団体名にバッハが入っていないのは、必ずしもバッハオンリーだけでなく、ヘンデルやブクステフーデなどもたまには取り上げたいと考えているからです。勿論基本はバッハです。さらに、研究発表や講演も時にはありとも考えています。つまり三澤洋史を中心としたバッハのセンターが出来つつあるということです。みなさん、お楽しみに!

明日が待ち遠しい!
 いよいよ明日になると注文しておいたB5ノート・パソコンが来るんだ。もう楽しみで今からワクワクしている。これまでノート・パソコンはVaio君を使っていた。このVaio君はバイロイトに行っても大活躍で、ミュージカル「ナディーヌ」の原稿も楽譜もみんなこれで作った。もうとっくに元を取ったほどに使い潰した感じだ。
 これまであまりに沢山キーを叩いたので、2年くらい前からだんだんキーの接触が悪くなり、修理に持って行ったら、キーボードを取り替えると、どんなに安くても五万円以上かかるというので、頭に来てまた持って帰ってきてしまった。で、キーボードをUSBでつないで使っていたんだけど、場所をとってまるでデスクトップみたいなのだ。
 またWindows98を無理矢理XPにヴァージョン・アップしたため、バッテリーは使えなくなってしまった。なので、新幹線の中などで書類を書くためにまた新調したというわけです。なんか、こう言うと、まるで言い訳しているみたいですねえ。
 新しいパソコンを買うってことは、まず最大の関門である妻を説得するところから始まるのだ。今書いたのと同じ事を妻に何度も言って、やっと納得させた。レクチャーで鍛えた話術をもってすれば、そんなこと軽いと皆さんはお思いでしょう。ところがそうはいかないのだ。
 妻とは、こんな時男の人生において最も手強い相手だ。同じ思いをしている人達がいると思うので、その手口をそっと教えます。まず前の機種を充分使い切ったことを納得させる。そしてその使命をすでに終えつつあることを上手に説明する。ここで説得に失敗して、「まだ我慢すれば使えるでしょう。」
と言われてしまったらもうおしまいだ。君にもはや明日はない。次に新しい機種に変更したらどんな素晴らしい効果があるかをこんこんと説くのだ。
 女性は基本的にパソコンのスペックには興味がないと言っていい。だから性能をヴァージョンアップした新製品を買いたいと言っても何の説得力も持たない。確かにメールを書いてインターネットを見るだけだったら、Windows98だっていっこうに差し支えない。ハードディスクだって別に大容量じゃなくていい。
 でもね、男というのは昔から、戦艦大和の排水量が69,100トンで、全長263メートル、主砲はなんと46センチ砲9門というのにあこがれているような人種なんだ。
 男同士でパソコンについて話す内容も、CPUが何ギガだの、ハードディスクが何ギガだの比べ合って、
「う、すげえ!」
とか言い合ったりするものだ。だから数年の間にめまぐるしく変わったスペックの変化は、それだけで男の征服欲を掻き立てるのだ。もうほとんど愛犬タンタンが他の犬より優位に立ちたいと思うのと変わりませんなあ。男とはしょうのない生き物ですな。
 しかしですよ。新しい機種に変わっても、実際に使うときは別にこれといって大きな変化がないなんて妻の前では口が裂けても言ってはいけません。もう嘘でもなんでもいいから、画期的な変化を強調するのです。
 明日来る新しい機種は、EPSONから出している、自分でスペックを選択できるやつです。僕はソフトなんかは自分で持っているので、市販のはいらないんだ。性能に比べてかなり安いんだよ。何と言ってもバッテリーが5時間もつから外でも自由にモバイル・ライフさ。それにB5だから小さくて軽い。1,5Kgくらい。早く明日が来ないかな。

 モバイルが充実してくるので、メイン・マシンもその面目を保たせようと、メモリーを512MBから1GBに増設した。しかし、
「どうだ、イチギガだぞう!」
と言ってみても、実際さしたる変化は見られない。
こういうのはなんだねえ。張り合いがないねえ。
 ウイルス・ソフトもそうだ。普通のソフトだったらインストールしたら今まで出来ない新しいことが出来たりするけど、ウイルス・ソフトを入れて、
「さあ、ウイルスめ、どこからでもかかってきやがれ!」
と思っても、ちっともかかってきてくれない。そのうち、
「お願い、ウイルス!ちっとはかかってきてくれない?」
となってソフトを入れた甲斐がないのだ。どうか嘘でもいいから、ウイルスを怪獣に見立てて、
「今、壮絶なる戦いが繰り広げられています。あ、Windowsが苦戦しております。かくなる上はスペシウム光線!ビビビビビビー!やったあ!相手はまっぷたつ!」
とかやってくれねえかな。ウイルス・ソフトの会社よ。
 というわけで、メイン・マシンのスペックも充実。明日のモバイルの到着に備えています。またこれでいろいろ書類を作るんだ。うふふ、楽しみ、楽しみ。



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