バイロイトの静かな夏

三澤洋史 

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バイロイトの静かな夏
 2003年の夏は、バイロイト音楽祭の練習や本番よりも、その合間の時間の方が忙しかった。僕はミュージカル「ナディーヌ」の作曲に集中し、同時に新国立劇場が次の夏に企画している子供のためのオペラ「ジークフリートの冒険」の制作に取りかかっていたのだ。
 台本、演出を担当したマティアス・フォン・シュテークマンは、何度も僕の家に足を運んだ。僕が住んでいたのは、祝祭劇場のすぐ裏手、歩いて1分の一軒家の二階。部屋の窓からは、緑に包まれて祝祭劇場の屋根が見える。階下に住んでいる大家さんは86,7歳の一人暮らしのおじいさん。お庭にはきれいな薔薇の花が咲き乱れている。
 ワーグナーと親交の深かったピアノ工房シュタイングレーバーからレンタルピアノを部屋に借り入れ、そこでいろんな作業をしていた僕は、マティアスとの打ち合わせも、そのピアノを使って綿密に行っていた。

 考えてみると、日本にいるのとは問題にならないくらい時間があった。アシスタントというのは気楽なもので、拘束されている音楽祭の練習時間や本番の時間以外に呼び出されることは、飲み会の誘い以外にはまずない。最初の年こそ、その自由時間の多さで淋しい思いをしたが、5年目ともなると逆にそれをあてにしていろいろ勉強道具を持ち込んで、普段出来ないことを集中してやっていたのだ。

 ある時の僕は、マティアスが来るとお茶も出さずに、
「素晴らしいアイデアを思いついた!ワルキューレの中のヴォータンの炎の音楽で、ヴォータンがブリュンヒルデを眠らせた後、ジークフリートの森の情景に一気に飛ぶんだ。調が一緒だし、全く違和感は感じない。ほら、こんな風に・・・・。」
と言ってピアノを弾いて見せた。
「凄いぞ、ヒロ!天才的だ。そこで森の小鳥が登場する。いいぞ、アイデアがどんどん浮かんできた!」
マティアスの頭の中で思考がぐるぐる回り始める。
「ジークフリートは森の小鳥の助言によってラインの娘達の持つ指輪をもらいに世界一周旅行に旅立つ。そこで音楽!」
「神々の黄昏のラインの旅しかないだろう。それから凄いジャンプをするよ。見ていろよ。あらよっと、ラインの黄金の冒頭にジャンプ!」
「あっ!信じられない。」
「えへへへ。」

「ヴォータンと出逢ってノートゥングの破片を見せられたジークフリートは、ただちにそれをつなぎ直してファフナーを退治しに行こうと思うんだ。ここの転換はスムースに行きたい。」
とマティアスが言うと、
「待てよ。転換音楽には乱暴だけどワルキューレ冒頭の嵐の音楽を持ってきたらどうだろう。シーンとしたら全然違うけど衝撃的な曲想がピッタリなんだ。それとジークフリートの鍛冶の歌をドッキングさせたら?こんな具合に・・・・。」
とピアノで弾く僕。
「素晴らしいぞ!でも鍛冶の歌は長いから途中間引かなくてはね。」
「じゃあ、こことここをカットだ。」
「いや、この音楽は欲しい。森の小鳥にちょっと踊らせたいんだ。」
「なるほどね。じゃあこうして、ここへ飛ぶよ。ミーメはいないから、最後は一気に一幕ラストへ突入だ。その後どうなる?」
「ファフナーの洞窟へ行きたい。」
「間奏なしで?」
「一気に。」
「うわあ、難しいなあ。登場人物のセリフが全然違うぞ。」
「構わないさ。切って貼って、歌詞を変えまくって、一気に戦闘シーンまで持って行こうぜ。」
「あはははは、分かった。ではこことここをカットして、このセリフはジークフリートに歌わせるよ。でもいいのかな?ワーグナーさん、ごめんなさい。」
「戦闘でジークフリートが勝利した後、ヴォータンが彼を期待通りの英雄だと讃えるアリアを歌う。」
「良い曲があるよ。本来のシチュエーションとは全く違うけど、ワルキューレのヴォータンの告別の最初の音楽を使おうよ。」
「グッド・アイデア!」
「でも・・・・。」
「なんだい?」
「ファフナーは殺されちゃうのかい?」
「うん、悪者だからなあ。」
ここで僕とマティアスとの間に大論争が起こった。

 僕は、「ニーベルングの指輪」の中で一番引っかかる点を指摘する。僕はずっとジークフリートという人物が好きになれなかった。ジークフリートは、自分を育ててくれたミーメを明らかに蔑んでいる。勿論ミーメはミーメで、自分で彼を育てていながら、ジークフリートが勇敢に育ってファフナーを退治し指輪を手に入れたなら、密かに毒薬を使って彼を殺そうともくろんではいる。
 しかし、ジークフリートがミーメに持っている感情は、そうした計画を見破ったからではない。ジークフリートは、もっと根本的にミーメに代表される地下のニーベルング族に対して差別意識を持っているのだ。だから彼は育ての親ミーメを自分の手で殺しても何の罪の意識を持たない。
 バイロイトのミレニアム・リングの演出家ユルゲン・フリムは、そうしたジークフリートのミーメ殺しのモチベーションに、ワーグナーのユダヤ民族に対する差別意識を読んでいた。反対から言うと、ジークフリートの中にゲルマン民族の優位性を投影していたのである。
 だからフリムの演出では、ジークフリートの殺したファフナーとミーメの死体が、楽劇ジークフリート第二幕の間中、舞台に横たわっている。それはかなり不快でうっとうしいが、そのうっとうしさをもってフリムは、これが現実だと訴えかけていたのである。
「奇蹟の剣ノートゥングを持ってジークフリートがしたことといえば、二つの無益な殺人だけではないか。しかも何の罪の意識も持たないで。これが、他の民族から賛同を得にくいゲルマン的英雄の真実の姿さ。」

 僕もフリムの意見に賛成だ。だからこそ、ワーグナーは「同情をもって智を得る」パルジファルの出現を待たなくてはならなかったんだ。フリムの初年度の演出では、神々の黄昏のラスト・シーンで、全てが崩壊した後、まだ子供のパルジファルが舞台中央に後ろ向きに立っていた。つまりジークフリートのなし得なかったことをパルジファルがやるのだという意味である。だがこれは大不評で次の年から変更された。僕もその演出はビジュアル的に好きではなかったが、フリムの言わんとしていることには賛同したのである。

 僕はマティアスに言った。
「僕は、ジークフリートという英雄のことを、ワーグナーが熱愛していたようには好きになれない。ドイツ人は、強き者、高き者にあこがれる気持ちが他の民族よりも特に強いように思えるが、それが他の民族に対する優等意識と差別意識を生んでいると思う。」
 ヤバイ。ここまで言ってしまったらマティアスとの友情もこれで終わりかも知れない、とも思った。でもこの議論は、ジークフリートという人物像を決定するとても大事な議論なのだ。日本の子供達に強いだけではなくやさしさも持つ英雄像を示さなければならない。 僕の話を聞いて、マティアスはかなりショックを受けていたようだった。今までそんな風に考えてみたこともなかったのだ。しかしドイツ人と日本人のハーフであるマティアスには、対立ではなく融和を好むアジア人の血も流れている。

 長い議論の後、彼は言った。
「よし、ファフナーは殺さないでおこう。最後に登場して今までの悪事を反省するようにしよう。それと日本の子供達に愛されるようなジークフリートを描こう。」
「ラスト・シーンはワーグナーのなし得なかった愛による救済を描きたい。」
「いいね。でもオリジナルにはそんな音楽はないよ。リングは没落の物語だからね。あるのはジークフリートの葬送行進曲とつかの間現れる愛による救済のテーマだけ。」
「うーん・・・・。」

 こんな風に時間をかけて何度も何度も試行錯誤を繰り返し、「ジークフリートの冒険」は形作られてきたんだ。結局ラスト・シーンは、僕が愛による救済のテーマを使って新しくハッピー・エンドの曲を書くことになった。
 僕たちは真剣にワーグナーの音楽に向かい合い、その中からリングの神髄を抽出しようと知恵を絞った。マティアスは、バイロイトで1998年までやっていたキルヒナーのリングで演出助手をしていたし、その後、僕と一緒にキース・ウォーナーのトーキョー・リングに関わった。二人ともあの四夜に渡る「ニーベルングの指輪」全曲を隅から隅まで把握していて、自由自在に曲をピックアップしては議論を交わすことが出来た。本当にワーグナーを愛する者どうしでなければ決して味わうことの出来ない連帯感が二人を支配していて、僕たちはとてつもなく幸福であった。

 二年目の初日を迎えて、僕はあらためてこの作品が真のワグネリアンでなければ決して出来ないものであることを再確認した。同時にあの夢のようなバイロイトの緑の丘の日々があざやかに蘇ってきた。バイロイトの静かな夏は、僕の心の中に息づいていて僕はいつでもそこに戻ることが出来るんだ。ああ、また行きたいなあ・・・・。




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