マイスタージンガーとニュルンベルク風ソーセージ

 

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

マイスタージンガー練習突入
 「ジークフリートの冒険」が大成功の内に終わったのもつかの間。気がついてみると、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を新国立劇場合唱団に二週間の内に稽古をつけて暗譜させなければならない。これは大変なことだ!その上、平行して秋に上演する「セヴィリアの理髪師」、「アンドレア・シェニエ」、「カルミナ・ブラーナ」の練習も次々と入ってくる。
「一日くらい、休みをくれーっ!」
と叫びたいところだが、バイロイト音楽祭を断ってまで日本にいるのは、日本でもワーグナーが味わえるからという理由もある。
 「ジークフリートの冒険」だって、内容は子供向けだったり、オケ編成はわずか13人だったりするけれど、オリジナルでいうとヴォータンとブリュンヒルデが抱き合う、あのワルキューレのラストシーンの音楽なんか指揮していると、僕の頭の中ではバイロイト祝祭劇場の百人の大管弦楽が鳴り響いていて、日本にいても、
「ああ、シアワセ!」
って思えるわけだ。だから「マイスタージンガー」の練習だって、人に任せるわけにはいかないんだなあ。

 そういうわけで、自分で自分をがんじがらめにしている僕は、「ジークフリートの冒険」の打ち上げの酔いも醒めやらぬ2日の昼には、早くも「マイスタージンガー」モードになって、夜までガシガシ合唱団をシゴきまくった。
「三澤さん、なんでそんなに元気なわけ?」
前の日まで「ジークフリートの冒険」に出演していた森の小鳥役の直野さんは、とにかく今日新国立劇場に出勤しただけで自分をほめていたのに、僕が夜まで手を抜かずに練習するもんだから、あきれ果てていた。
 でも、僕って本当にワーグナーが好きなんだなあと自分でも思う。他の作曲家ならこうはいかない。前奏曲から切れ目なく投入するコラールや、第三幕「歌合戦」の場面の「目覚めよ!」の合唱などを練習していると、本当に酔いしれてしまう。

 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は、ワーグナーの他の作品と全く異なる点を二つ持っている。ひとつは、神話や幻想的な題材でなく、物語は現実的で健全な市民的精神に貫かれていること。もうひとつは、音楽が対位法的、すなわち複音楽的であるということだ。ワーグナーは、この作品を作る時に、特にバッハを意識したという。彼はバッハの対位法的音楽の中にこそ、ドイツ音楽のひとつの原点を見出し、ドイツ文化を謳歌するこの作品の音楽的よりどころとしたのである。

ニュルンベルクの街
 この作品の舞台となっているニュルンベルクは、バイロイト行きの列車の始発駅なので、バイロイトに列車で行く人は、どこから来ても必ず乗り換える街だ。駅の近辺は殺風景なので、最初はつまらない街かなと思っていたが、一度市門をくぐって旧市街に入ると、中世そのままのロマンチックな街並みが旅情を誘う。ローテンブルクみたいに観光化されているわけではないけれど、一番奥の高台に城を構える素敵な街なんだ。
 街の中心地にはきれいな運河が流れ、市場がある。この市場は、バイロイトのケチな市場と違って気合いが入っている。いろんな珍しいものがあるので、冷やかして通るだけで楽しい。
 市場を通り越すと、カノンで有名なパッヘルベルがオルガニストをしていたゼーバルド教会がある。由緒正しい堂々とした構えのルター派教会。数年前までヴェルナー・ヤコブという有名なオルガニストがカントールをしていた。

 僕はヤコブを求めてある日曜日の朝、わざわざバイロイトから列車で一時間かけて礼拝に行ってみた。でもその日オルガンを弾いていたのはヤコブではなく、代わりに美しい女性オルガニストだった。
 彼女は、礼拝の最初には、バッハの「前奏曲とフーガ」の前奏曲の部分だけ弾き、礼拝が終わった時には、そのフーガの部分を弾いた。礼拝の途中、賛美歌を会衆が歌い出す前には、毎回即興的な前奏が演奏された。つまり、オルガニストにとっては、腕を振るう場面が礼拝の中に随所にちりばめられている。この教会は、オルガニストにとってはきっとかなり良いポストなんだろうな。彼女、上手だったもの。
 礼拝が終わって後片付けをしている彼女に、僕は厚かましくも近づいていって声をかけた。
「ヤコブさんはいないのですか?」
「今日はあたしの番です。」
「賛美歌の長い前奏は、あれはあなたの即興ですか?」
「賛美歌の前にそのモチーフを使って即興するのは、ドイツのプロテスタント教会の伝統になっています。あたしも即興は出来なくはないのですが、今日のは前もって譜面に書きました。」
 僕はとてもいい気持ちで帰ってきたんだけど、いきなりヤコブさんのことを聞かれた彼女は、きっと気を悪くしたんだろうな。
「あなたを訪ねて来ました。」
なんて言えば、もっと違う展開になったかも知れない。なんちゃって!僕はそこまで口がうまくはありません!

 話がおじさん風になってきて、どんどん横道にそれるけれど、そのゼーバルド教会の横には、ガイドブックに必ず乗っている有名なニュルンベルク風ソーセージのレストランがある。ここはうまい!
 ニュルンベルク風ソーセージとは、日本のウインナくらいの大きさの焼きソーセージだ。これが六本で一人前。いつも日本人のお腹には多すぎるドイツ料理でも、このソーセージだけは丁度良い分量だ。ドイツ人達はよく十二本入りを注文しているけれどね。
 店の真ん中に円形の巨大なグリル台があって、炎と煙が噴き上がっているのが壮観だ!メニューはソーセージだけ。それに付け合わせでポテト・サラダかザウアー・クラウト(酢漬けのキャベツ)が付く。テーブルの籠の中には小丸パンやブレッツェルと呼ばれる「め」の字の形をした塩辛いパンが入っていて、食べた分だけ自己申告をして後で払う。
 僕はこのソーセージを黒ビールか小麦ビールと一緒に食べるのが大好きだ。ニュルンベルクと聞いて真っ先に浮かぶのがニュルンベルク風ソーセージだから、僕が「マイスタージンガー」を演出したら、歌合戦の場面には必ずソーセージ屋さんか、ソーセージ・スタンドを舞台の上に登場させるだろう。楽劇の中で行進するのは、靴屋、仕立屋、パン屋組合だけというのはいけないなあ。ソーセージをいっぱいぶら下げた肉屋組合を登場させなければニュールンベルクではない!

 そんなわけで話がそれ過ぎて訳が分からなくなってしまいましたが、とにかくニュルンベルクは良い所だし、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は、素晴らしい作品だ。

再び静かな生活
 三澤家は、娘が二人ともフランスに戻り、妻と愛犬タンタンとの静かな生活が戻ってきた。次女杏奈が高校を卒業した後、4月にお姉ちゃんの居るパリに渡った時はちょっと淋しかったけど、歳をとると体がすぐ楽な方へと流れる。娘達がいると、なにか毎日がお祭りのようで、楽しいけど落ち着かなかった。午前中は階下で長女志保がピアノをガンガン弾き、二階では杏奈がクラリネットを練習する。僕が勉強しようと思うと、仕事部屋を閉め切ってクラヴィノーバを弾くしかないのだが、もう家中音で飽和状態になっていて、音大時代の練習室の状態だ。その中で家内はよく頭がおかしくならなかったものだ。
 夜は夜で、娘達は浴衣を着て花火大会に出掛けて行ったきり、いつまでたっても帰ってこないで、家内が気をもんでいる。そのナーバスな雰囲気がこっちにも伝わってくる。
「あなたも、怒ってあげて下さいね。」
と言われるんだが、元々あまり腹も立っていないので、
「ちゃんと馬車がかぼちゃに変わる前に帰ってこないと駄目じゃないか。」
と怒っても、
「馬がねずみに戻っちゃった。」
と言われるのがおちで、
「全く、甘いんだから。」
と家内にとがめられることになる。
だから、急に静かになって拍子抜けしたものの、内心ホッとした部分もあるなあ。

龍山合宿と「怒りのマタイ」
 今週はホームページの管理人が里帰りで、更新が遅れた分だけ、書くことがどんどん増えてきて長くなってしまっている。
 週末には浜松の合宿に行ってきた。今回の合宿は、浜松から天竜川に沿って山の方に上っていった龍山というところにある森林文化会館で行われた。龍山は、最近まで龍山村だったが、平成の大合併で浜松市に編入されて龍山町になったという。山また山をひたすら車で走り、トンネルをいくつか抜けると、ダムのほとりの何もないところに突然立派なホールが現れる。
 森林文化会館は、かつての「ふるさと創生」の一億円で建てられたという五百人くらいのホールである。なんと言っても特徴は、大きくはないが素晴らしいパイプ・オルガンが備え付けられているのだ。山と言っても決して涼しくはない合宿だったが、緑の中でリフレッシュした。

 9月25日の「マタイ受難曲」演奏会では、僕は「怒りのマタイ」というコンセプトを打ち出した。「救世主が罪なくして葬り去られる」という不条理に対して、「怒り」という感情を持ってアプローチしていこうと思っているのだ。
 第一部が始まってすぐのコラール、「最も愛するイエスよ、あなたは一体何をしたというのです?」は、早くもイエスの受難に対し、単刀直入に本質的な疑問を投げかける。
 これを悲しみを伴った疑問の表現にすることも可能であるが、疑問を投げかける本人が、もしも、もっともっとイエスのことを深く愛していたとするならば、おそらくその疑問には、悲しみだけではなく怒りも混じってくるだろう。
 例はあまり良くないかも知れないが、先日の関西で起きた列車事故に対して、被害者の遺族が、
「どうして、こんな事が起こったのでしょうか?」
と投げかける疑問に怒りが混じっているのを見ればよく分かる。

 バッハは、「マタイ受難曲」を作る時、随所に「何故、このようなことが?」という疑問を投げかけている。全体のシンメトリー構造の中央には、ソプラノのアリアを置くが、その両端には「十字架につけろ!」の激しい群衆合唱を配置した。
 アリアの直前、ローマ総督ピラトの、
「あいつは一体どんな悪いことをしたというんだ!」
というセリフが印象的だ。
 そしてアリアが来る。「愛ゆえに、我がイエスは死にたもう。」というのが、教義上の結論だ。でも、今回のマタイでは、僕は、この言葉を聞いてもなお納得できないほど激しい受難劇を繰り広げ、不条理に対する僕なりの怒りを表現したい。

 イエスの受難が、人類の救済のための手段であり、神の計画であり、必然的なものとして用意されたものであるとは、僕はキリスト者になった時から全く信じていなかった。特に、何度も受難曲を演奏し、その都度受難に対して想いを寄せるごとに、これは単なる不条理であり、人類の愚行であるとの気持ちを新たにした。
 今年も広島に原子爆弾が投下された8月6日が来た。長崎の街が焼け尽くされた8月9日が来た。こうした愚行を行い得た人類が、救世主イエスを葬り去るという愚行をも行い得たのだという僕の認識は昔から少しも変わっていない。
 しかし、だからこそ僕は強調したい。イエスを葬った人類は、一方で、イエスの教えを世界に広めたのだ。自らの努力で・・・・。そこにはエゴイスティックな生き方に背を向け、真実に従って生きた無数の人達がいるのである。
 みなさんの街にはいなかっただろうか?たとえば伝道の為に本国から離れ、日本に骨を埋めた外国人神父。このように、キリスト教を世界に広めたのは神様ではない。ひとりひとりの小さな手なんだ。小さな犠牲と奉仕と、小さな血と汗だったのだ。勿論、その一人一人は神様を信じていたのだけれど、行ったのは神様ではない。
 僕が言いたいのは、イエスの受難に神が手を貸したのではないからこそ、世界をどうするかは、神様の手にかかっているのではなく、人類のひとりひとりの小さな手にかかっているのだということだ。だから「怒りのマタイ」の向こう側に僕が表現したいことが本当はあるんだ。

 浜松の演奏会のプログラム原稿の締め切りが近づいているんだけど、今日は少しネタバレしてしまいました。演奏会では僕は自分でチェンバロを弾きます。福音史家のレシタティーヴォを自らの手でサポートしたいのです。ここにも、管理者として上から見下ろすのではなく、行為者として「ちいさな手」となりたい僕のポリシーが現れています。
 9月25日、浜松アクトシティで、どこでも聴けない「怒りのマタイ」が聴けます。



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