プシューッ!

三澤洋史 

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9月10日(土)
 最近いろんなところで無糖のスパークリング・ウォーターが売られるようになった。僕とすると喜ばしい限りである。浜松行きの新幹線に乗った時、ホームの売店で見つけたので早速ホット・コーヒーと一緒に買い込み、座席で開けた。するとプシューッ!と大きな音がして水と泡が勢いよく飛び出し、僕のジーパンをびしょびしょに濡らし、床に小さな水たまりを作ってしまった。見ると3分の1くらいがなくなっている。
「う、最低!」
 すぐ横に座っていた見知らぬお姉さんがゴソゴソ動き出したので、横を向くと、ポケットティッシュを取り出して自分のジーパンを拭いている。ゲッ!どうやらお姉さんにもかかってしまったらしい。超ヤバ!

「す、済みません・・・あの、ただの水なので染みにはならないと思いますが・・・。」
お姉さんは快く許してくれたが、僕は冷や汗がスパークリング・ウォーターと同じくらい吹き出たよ。でもそのお姉さんったら、次に僕がペットボトルの蓋を開けようとした時、軽く身を引いたよ。実際スパークリング・ウォーターは、弱くはあったが再びプシュウウウウウ!と音を立てた。
 まあ、若くて元気がいいのね、ウフフ。なんて冗談言ってる場合じゃねえ。ガスが多すぎるんだよう!ガスは盲腸の手術の後はとても待ち遠しいものですが、この場合はとても迷惑です。いっそのこと瓶を持ったまま振ってガスを全部出してしまいましょうか?でも、それではEvianなんかと変わらなくなりますぜ、旦那!

イタリアパンとサイダー
 泡を出すと言えば、子供の頃、映画館で戦争映画や怪獣映画を見た時、イタリアパンとサイダーを買うのが定番でしたなあ。その時、友達と瓶の口を手で押さえたまま振ってガスを出したよ。
「ガスさえなければうめんだけどな。このサイダーって奴。」
と友達と言い合っていたんだ。
 それより、あのイタリアパンって、あれ何だったんだろうね。長細くてほんのり甘い菓子パン。一袋に8本くらい入っていた。何故あれがイタリアなのか未だに分からないし、何故あれが映画館に売っていたのかも分からない。もしかしてそれって群馬だけの現象?それとも昭和30年代の映画館には全国的にあった? 誰か教えて!

戦争映画
 あの頃はよく戦争映画をやっていたなあ。まだ“戦後”という時期だったんだ。僕も戦争とは何かも分からずに、零戦や戦艦大和のプラモデルを作ってた。おふくろが高崎のデパートに買い物に行くときには、僕もついて行ったが、僕は洋服には全く興味がなかったから、まずおもちゃ売り場に行ってプラモデルを買ってもらい、デパートの端っこにあぐらかいて座って部品を広げてプラモデル作ってた。その間におふくろは買い物三昧。出来上がった頃におふくろが戻って来ると、僕は、
「ブーン!急降下!」
なんて言いながら、手に持った零戦とかを見せびらかしたんだ。

「戦争なんて、そんなカッコいいもんじゃないよ。」
とおふくろはよく言った。でも僕にとっては世界で一番優秀な零戦や、世界で一番大きい戦艦の大和はあこがれの的だったんだ。それが一変したのはある映画を見てからだった。

 やっぱりイタリアパンとサイダーを伴って見たその映画は、満州かどこかの平原に設けられた要塞の物語。日本兵がトーチカの中から近づいてくる敵兵を銃でバババババーッ!と撃ち殺して、最初は勇ましかったんだけど、そのうちだんだん雰囲気が変わってきた。 よくは覚えていないが、見方の援軍に見放されて孤軍奮闘という状態になったんだ。それで敵が容赦なく攻めてきて、最後には火炎放射器で焼かれたりして全滅した。
 その過程では、裏切り者が出たり、内輪もめになったり、人間のみにくさがこれでもかと赤裸々に描かれていた。なんとも後味の悪い映画だった。

 家に帰ったらおふくろが、
「どうだい、おもしろかったかい? 」
と聞くので、
「ううん、今日のはつまんなかった。みんなやられて死んじゃった。」
と力なく答えた。
 するとおふくろは、
「硫黄島も沖縄もね、みんなそうやって全滅したんだよ。それが戦争ってもんだよ。」

 それからおふくろは戦時中の話をしてくれた。灯火管制や竹槍の訓練の話。東京空襲の晩、100kmも離れた群馬からも、南東の夜空が赤く染まったのがよく見えた話。みんな気がついていた大本営発表の嘘。いつしかおやじや祖母も話に加わった。みんな戦争の話になると、辛い思い出なのに、何故か憧れに満ちたような特別な目をする。それが彼らの青春時代だったからなのか?
 彼らが語る戦争は、僕が抱いていた南雲中将率いる連合艦隊や加藤隼戦闘隊や山本五十六司令長官のカッコよさからは想像もつかない世界だった。何の楽しいところもない悲惨な負け戦に過ぎなかった。それが一般市民の現実だったんだ。
 それからなんとなく軍艦や戦闘機は僕の心をときめかしてはくれなくなった。でも、ご心配ご無用。僕の興味は怪獣映画に移っていったんだ。

あの戦争って何だったんだろう?
 今この歳になってから振り返ってみると、日本がやっていた戦争はあまりに馬鹿馬鹿しくて話にならない。日本は真珠湾奇襲作戦が成功したと言って狂喜していたけれど、あれって何?あれはあれでおしまいなの?真珠湾に乗り込んでいってハワイを占領する気もないし、その後どうしたいかというビジョンが全くないままに戦争を始めたの?とりあえず相手をびっくりさせたら、あとは神風が吹いてどうにかなるってか?
 きっと日露戦争に「勝った」ことが影響しているんだな。あれは本当は全然勝ってないもの。ロシア相手に勝てるわけないじゃない。バルチック艦隊を破ったあたりで、まわり中が、
「もうその辺でやめたら。」
って感じで、ロシアも、
「馬鹿馬鹿しいからやめよっか。」
となって「放棄」して、うやむやになっただけ。

「日本はあなどれない国だぞ。」
と思わせた効果はあったけど、戦争に勝つというのは、本当は、モスクワを占領してそこに日章旗を掲げなければならないってことだろ。常識だよ。
 でも、あれで勝ったことになったので、きっとアメリカとの戦争も、その内、
「もうその辺でやめとけ。」
って誰かが言ってくれて、勝ったことにさせてもらうって期待していたんだろうな。それ以外考えられないもの。

 しかも真珠湾攻撃の成功で、これからは航空機の時代だということを自分で証明しておきながら、世界最大の戦艦なんて無用の長物を得意になって作っている。あんなもので今更どこに攻撃に行って、どんな戦闘をしようとしたのか?案の定、何の役にも立たないうちに、航空機の攻撃にあって、戦艦大和も武蔵もあっけなく沈んだ。「世界一」という無意味なプライドと共に・・・・。

 その無知なプライドが、愚かな作戦を次々と展開し、無数の兵士を犬死にさせ、大都市が絨毯爆撃で次々と壊滅しても降伏せず、神風特攻隊などという組織的自爆テロを国として強要し、原爆を落とされてもまだ竹槍を持って本土決戦なんていうように国民を追い込んでいったのだ。だから僕たちは、どこかのテロ国家を決して笑えないんだよ。

零戦と戦艦大和のプラモデル、あんなに作って損したよ・・・・。

 ええと、何の話をしていたっけ? スパークリング・ウォーターから映画館のサイダーに行き、ええと、ええと、とんでもないところまで話が来たなあ。
 今、この原稿は浜松バッハ研究会練習の帰りの新幹線で書いている。実は、バッハ研の練習に東京からやってきたMDRホームページの管理人も、今朝ホームの売店で僕のと同じスパークリング・ウォーターを買い、やっぱり同じように吹き出したらしいよ。あははははは。こうなったらみんな吹き出せ、吹き出せー!! そして、サイダーと戦争映画を思い出せーっ!あれ?それって、僕の世代だけか・・・・。

9月11日(日)

パリで酒盛り
 朝、電話で起こされた。もう!昨晩、浜松から帰ってきたのは真夜中だっていうのに。長女の志保がフランクフルトの友達の所に電車で遊びに行って、帰りにニュルンベルク・ソーセージをおみやげに買ってきて、自宅で焼いて妹の杏奈と一緒に食べていると言う。 一緒に買ってきたドイツ・ワインで声が酔っぱらっている。いいなあ、畜生!今日は「マイスター・ジンガー」がゲネプロなんだから、こっちこそニュルンベルク・ソーセージを食べて雰囲気を出したいのに。
 それより早く「パリ通信」を再開しろっちゅーに!8月中には、志保は南仏で開かれた音楽祭に行って良い演奏を沢山聴いてきたというし、杏奈は講習会に10日間くらい行ってきたというし、そういう経験を自分だけで止めておかないで、日本の皆様に還元しなければいけません!

投票
 投票に行ってきた。どの党の誰に入れたかは置いといて、頭にくるのは、いろんな番組を見たり新聞を読んだりしたんだけど、結局、郵政民営化したらどうなって、しなかったらどうなるというのが全く分からずじまいだった。誰もきちんと説明していなかった。
 自民党の造反議員達が何故小泉さんに反対したのかも分からなかったし、小泉派の人だって、どういう根拠で小泉さんに賛成しているか全然分からない。小泉さんは、郵政民営化さえすれば、バラ色の世界が開けるみたいに言っているけど、おめでたいね、全く。
 それにしても、この国ってつくづく「論理のない国」なんだなあと感心する。マスコミは、ただ問題を面白がってあおっているだけ。本来の仕事をしていない罪は大きい。

 選挙運動は、一生懸命声を嗄らして、有権者と握手して、
「もうひといきの頑張り!」
なんてやっているけれど、そんな原始的なものじゃないだろう。
 みんななんか勘違いしていない?その時だけスニーカー買ってはいたり、その時だけジョギングしたり自転車に乗ったり、そんなのに影響されるものなのかね。清き一票というのは、本来国民のひとりひとりが私情をはさまず冷静に判断して、自分が納得した政策を持つ候補者や政党に入れるものだろう。
 ま、この文章をみなさんが読む頃には、もう結果が出ているんだろうな。
 


「マイスター・ジンガー」のゲネプロ
 ベルリン芸術大学指揮科の後輩、シュテファン・アントン・レックは素晴らしい指揮者に育った。僕は我が事のように嬉しいよ。彼が4日間あるBO、すなわちオケ付き舞台稽古(ドイツ語でビューネン・オーケストラ・プローベと言う)をたっぷり使った事については、歌手達から批判の声も挙がったが、曲が長いので、結果的にオーケストラはその間に曲想が体に入り、かなり安定した演奏に仕上がってきた。
 指揮者というのはね、人に好かれるために仕事しているんじゃないんだ。結果が全てだ。

 十年ほど前、聖地ルルドで彼とばったり遭った時も、何か運命的なものをお互い感じたが、こうして一緒に新国立劇場で仕事をする機会が与えられてみると、僕とシュテファンとは大きな縁で結ばれているのを感じる。
「何者かの力が働いているね。」
シュテファンはそう言って微笑んだ。
 実際、彼はとてもスピリチュアルな奴だ。休憩時間には楽屋を真っ暗にして瞑想している。そういうところもなんとなく僕と似ている。そして演奏に入ると、僕には分かるんだが、彼に何者かが降りている。練習が終わって、僕は彼の所に行き、
「お前、なにかが降りてた。」
と言ったら、
「分かるか?」
と言う。ちょっと第三者には分からない会話ですなあ。

 「マイスター・ジンガー」は他の作品のように奇蹟が起きたり、神話的だったりしないけれど、最後の合唱の歌詞には、

Ehrt eure deutschen Meister !
Dann bannt ihr gute Geister.
ドイツのマイスターを敬いなさい!
そうすれば、善き霊を鼓舞することが出来るのです。

というのがある。ワーグナーの作品でスピリチュアルな息吹がない瞬間はないのだよ。僕なんか毎回、前奏曲のハ長調が鳴り始めただけで、もうゾクゾクと感動してしまう。シュテファンの霊的な「マイスター・ジンガー」は聴く価値あり!



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