献血拒否

三澤洋史 

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献血拒否
 新宿で時間があったので、京王線の改札近くの献血センターに行ってみた。コートとカバンをクロークにあずけて番号札をもらい、申込書にいろいろ書き込み、本人確認のためパスポートを提示した。
 さあ、いざ血を採るぞう、という気になっているところで、
「ここ数年の間に海外に旅行されたことありませんか?」
と聞かれた。
「はい、何度も。」
と答えたら、係の人が急にあわてて、
「ちょっと待ってください、それはどこの国ですか?」
と聞く。
「主としてドイツとフランス。」
係の人の目はキラリンと光った。
「通算してどのくらいの期間ですか?」
「通算ですかあ?バイロイトは毎年二ヶ月半行っていたから、五年間で一年以上だね。」「・・・・・・。」
「何か?」
「お客様。残念ですが、お客様から献血することは出来ません。実はドイツ、フランスに通算で半年以上滞在された方は献血する資格を失うのです。」
「何?献血に資格だって?」
「ドイツ、フランスはまだいいのです、イギリスに行かれた方は一日でも駄目なのです。」「はあっ?」
「ま、分かりやすく言えば狂牛病です。基準が変わって厳しくなったのです。どうかお気を悪くなさらないで下さい。」
「いや、別に・・・・。」
「なにせ、怒り出すお客様もいらっしゃいますので。」
 そこで僕は再び番号札を渡してコートとカバンをもらい、すごすごと献血センターを後にした。北風がビューと通り過ぎていった。何も悪いことをしていないのに、なんとなく自信喪失してしまって、その日はなんだかずっと元気がなかった。

 確かに僕がバイロイトにいる間に、狂牛病はヨーロッパに広まっていたなあ。ある年は、ドイツのレストランから牛肉がまるで消えてしまった。
「お客様、本日はちょうどオーストラリアからカンガルーの肉が入っております。またミシシッピ産ワニの肉などいかがでしょう?想像するよりずっと柔らかいですよ。」
「おいおい、本気で言っているの?」
「本気ですよ。豚肉はありますが、豚肉も完璧に安全とは言い切れません。なので、用心深い方にとっては食べる肉がないのです。カンガルーやワニでしたら、狂牛病の恐れだけはありません。」
「いやいや、カンガルーやワニだけはどうかご勘弁を・・・・。では鱒をもらうよ。鱒も狂牛病はないよね。」
「ございません。」

 せっかく人の役に立てると思ったのに、役に立つのも資格が要るんだね。血をもらってもらえなかったのは結構ショックだった。時々こうした行為をすることによって、僕はこの地球上で誰かとつながっていることを確認したいのに、ニコニコ笑って手を差し延べたら相手にひじ鉄くらわされた感じ。
 血を採るのを拒否したりしないで、せめて採った血を調べて分かるように早急に原因を解明して欲しいよ。

FOMA
 ある時、妻は留守で、僕は二階で一人勉強していた。突然階下でカン!という音がした。何だろうと思ったが、下にいる愛犬タンタンがよく悪さするので、たいしたことではないだろうと考えて放っておいた。
 お昼になって食事を作り、食べ始めた。タンタンが水を飲みにいったが、なんだか困った仕草をしている。
「どうしたの?タンタン。」
見ると、タンタンの水飲み皿の中に、なにか見たこともないものが入っている。
「ん?何だ?」
よく見ると、それは見たこともないどころじゃない。毎日見慣れていた“あれ”だ!あれが入っているよー!うわあー!!大変だあー!!!

 そうです、携帯電話です。携帯電話が水没しているのです。ギャー!なんてこった。すぐ取り出したら、ディスプレイはまだ動いている。しかし、反対側の小窓にはしっかり水が入っている。知らないで長い間ずうっとそのままにしていたぜ。それどころか、お昼を作っていた時にだって、すぐ足下にあったのに気がつかなかったんだ!
「しかし、何でだろうな?どうして独りでに落ちたんだ?」
 ディスプレイを見て納得した。着信があったんだ。つまり電話機のおいてある台のはしっこのところにちょこんと置いといたら、バイブの振動で動いて落下したんだな。そこにタンタンの水飲み皿があったというわけだ。

 ドコモ・ショップのお姉さんは、水の入った携帯電話を見て微笑んだが、別段珍しくもなさそうだった。結構みんなやってるみたいだね。で、僕の携帯電話は溺死直前になんとかデータだけは取り出せた。おお、あせったぜ。最近は携帯電話があるお陰で、紙の手帳を使わないんだ。だからこれが壊れると、こちらから連絡出来なくなるところがかなりあって大変だ。
「同じ機種のもありますが、取り替えるのにお金かかりますよ。それよりも今キャンペーンをやっている機種だとタダです。同じNECなので操作も似ています。」
というお姉さんの薦めで、よく分からないまま替えた機種がFOMAだった。後で気がついてみたら、確かに取り替えるのはタダだったけれど、FOMAというのはどうやら基本料金が高いみたい。
 家に持って帰っていろいろ説明書を見た。ミニSDカードを入れると、写真でも動画でもデータが沢山入ると書いてある。そんなの見ると僕はすぐ買いたくなってしまうんだな。で、次の瞬間、気がついたらヨドバシ・カメラにいた。僕は無意識のうちに128MBのミニSDカードを手に取っていたんだ。
「あれっ?何しているんだ、こんなところで?」
それと、データをパソコンに取り込む「携快電話」というソフトを買った。もうデータを失う恐怖はごめんだ。
 なんだ、ちっともタダじゃないではないか。かえって高く付くではないか。動画をどんどん採ってどんどんカードの中に入れた。みんなタンタンの動画ばかり。

 先日名古屋に行ってモーツァルト版メサイアのオケ練習をやったが、そのお昼休みに合唱団のスタッフ達とうどん屋に行った。僕がFOMAにしたという話をしたら、ゴージャス系ピアニストOが、
「え?先生、FOMAなんですかあ?じゃあ今から一緒にテレビ電話やりましょうよ。」
と言うので、テレビ電話をやってみた。
 驚くよ皆さん。感動するよ皆さん。テレビ電話だよ!昔たとえばサンダーバードなんかであったじゃない。あれがさりげなく実現しているんだな。僕たちは未来都市に住んでいるんだな。
 でも、だからといってテレビ電話なんかは、そうしょっちゅう使うものではない。珍しいから最初だけだよ。それどころか、うっかり妻が持って、
「あんた、今どこにいるのよ?ちょっとあたりを見せてよ。」
と言われるとヤだな。あまり便利になり過ぎると、悪いこと出来ないじゃないの。だから妻がもしFOMAに取り替えたいと言ってきても、僕は、
「基本料金高いし、あまりよくないよ。」
と言うつもりだ。みんなも余計なこと言わないでよ。いい?

サントリーホール・プロムナード・コンサート
 サントリーホールで、自分のアレンジした大オルガンの音楽が響き渡るって気分を想像してごらんよ。超気持ちいいんだ。
 12月1日(木)12時15分から30分間のプロムナード・コンサートの最後に、僕の編曲によるクリスマス・メドレーが演奏された。オルガニストの椎名雄一郎さんは、今をときめく若手ナンバーワン。ウィーン国立音楽大学を満場一致の最優秀で卒業。北ドイツ放送局音楽賞国際オルガンコンクール優勝。ライプチヒの国際バッハ・コンクールで第三位に入賞など華々しい経歴を持つ。現在豊田市コンサート・ホールの専属オルガニスト。今がまさに旬。
一方、バリトンの初鹿野剛君のことは、このホームページでもすでに紹介した。彼は、僕とこの後名古屋でモーツァルト版メサイアを共演。さらに志木第九の会で、メンデスルゾーン作曲、オラトリオ「エリア」でも共演する。

 こんなお昼時の無料コンサート、お客なんてくるのかな?ちょぼちょぼだったら編曲した甲斐がないなと思っていたが、どうしてどうして、入り口に行ってみたら、どこからともなく集まってきたお客がどんどんホールに入っていく。中に入ってみたら満員とまでは行かないものの結構一杯だ。外人のお客も多い。へえ、凄いんだな。シリーズでやっているので、かなり固定客がついているのかも知れない。

 プログラムは椎名さんによるソロで始まった。メンデルスゾーン作曲、オルガン・ソナタ第三番。壮麗なオルガン・サウンドがホールにこだました。その後初鹿野君が登場して、フーゴー・ヴォルフの歌曲をマックス・レーガーがオルガン伴奏用に編曲したものを二曲。再び椎名さんのソロで、有名な「主よ、人の望みの喜びよ」。そして僕の編曲のクリスマス・メドレーというものだった。
 昨年、混声合唱とソロと弦楽合奏とオルガンという編成でやったメドレーを、今回はこの二人だけのために編曲し直した。弦楽合奏の伴奏でオルガンが華麗なパッセージを繰り広げたり、オルガンと弦楽合奏の掛け合いをしたりするところを全てオルガン一台でやるので、椎名さんの弾くパートはかなり超絶技巧になってしまった。にもかかわらず、彼はほとんど完璧にあざやかに弾いてのけた。
 演奏終了後に合唱指揮者として舞台袖から呼び出されるのは慣れているけれど、今回は客席から呼び出されて舞台に駆け上がった。なんだか照れくさかったよ。作曲家とかはいつもこんな感じなんだね。

 無料のコンサートなので、ギャラはいらないよという約束だったが、サントリーホールの係の人が悪がって、ホールで売っているというグッズのひとつのネクタイをくれた。つまり、現物支給。でもこのネクタイ、なかなかしゃれている。これをつけて舞台に出た後で、そのまま新国立劇場に行ったら、女性合唱団員達がみんな、
「そのネクタイ、しゃれてますね。」
と言ってくれた。女性団員というのは、ちょっとの髪型の変化や服装の変化に敏感なんだ。

 椎名さんは、初鹿野君と相談して、僕を一度食事に招待したいと言ってきた。僕は、
「そんなあらたまって食事に招待なんてしないで、初鹿野君の家で鍋でもすればいいじゃない。」
と言った。
「おお、いいんですか、そんなんで。それではきれいどころを呼んで楽しくやりましょう。」
と横から初鹿野君が口を出した。
「きれいどころと言ったって、どうせ美人ソプラノ歌手Fとかだろう。」
「ピンポン!」
ということで、12月15日の晩は、プロムナード・コンサートの打ち上げに決まりました。

ドイツ・レクィエムCD
 CDが順調に売れている。まだまだ千枚には到達していないが、中身に満足してくれた人達が追加注文してくれている。とりあえず、四谷のドン・ボスコという聖具や宗教書のお店に置いてもらっているし、新国立劇場の売店でも置いてもらえることになった。国立近辺では、国立楽器が置いてくれると言っている。今いろいろ手続き中なので、その内整理して、このホームページでもあらためてお知らせします。




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