ケアタウン小平にウクレレの音が

三澤洋史 

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ケアタウン小平にウクレレの音が
 JR武蔵小金井駅北口からバスで10分ほどの閑静な住宅街にケアタウン小平はある。ここは往診中心の診療所と訪問看護、介護ステーションなどを備えたバリアフリーのアパートだ。これまでにない新しい形の施設としてこの十月にオープンし、そのきめ細やかなケアのあり方は、NHKの番組「生活ホットモーニング」などでも取り上げられて話題になっている。

 「病院で死ぬということ」(主婦の友社)という本でホスピスの果たす役割の大事さを訴えて日本エッセイスト賞を受賞した山崎章郎(ふみお)さんは、小金井市にある聖ヨハネ会桜町病院ホスピス科部長であった。彼は長年終末医療に関わってきた中で、
「ホスピスを必要としているのは、現在の医療保険制度で対象となっている末期がん患者だけではないのではないか。他の慢性疾患の末期患者や日常生活が困難となった一人暮らしの高齢者などに提供する場が与えられないだろうか。」
と考えていた。
 高齢者向けのバリアフリーのアパートや老人ホームは、現在では各地にあるが、それと病院とは離れている点がネックである。病気になったらその場所を離れて病院に入院するしか方法がない。そこで山崎さんは考えた。つまりアパートを造り、そこに往診が出来る診療所を置けば、ずっと過ごせるのである。
「我々医者が福祉の中に入っていけばいいのだ!」
とひらめき、そこで終末を迎えられる「医療付き長屋」の具体的構想が固まったという。

 一方、桜町病院ホスピス科コーディネーターとして働いていた長谷方人(つねと)さんは、需要に比べてベットの数が極端に少なく、入院希望患者を断り続ける毎日に心を痛めていた。そんな中、同じ病院の山崎さんと「新しい形の施設構想」で合意した。長谷さんは肝臓がんで亡くなった父親を看取った経験があるが、その父親の遺産を元に「暁記念基金」を設立。さらにこの新しい施設を運営するためのNPO法人を立ち上げ、その法人を支えるボランティアを募集した。

 僕の妻は、かつて山崎さんの著書「病院で死ぬということ」を読んで感動した経験がある。ある時、多摩地区に配布されている朝日新聞のタウン誌「アサヒ・タウンズ」に載っていたケアタウン小平の記事が目に付いた。そこでボランティアを募集している事を知り、彼女は即応募した。
 ケアタウン小平はボランティアへの対応にもきめ細やかだった。たとえば終末を迎える人の気持ちを理解するためにこんな研修を行った。
    自分が大切にしている人や物の名前を一枚一枚のカードに書く。それから自分ががんに犯されてしだいに死に向かっていくと設定する。そのそれぞれの段階でひとつずつカードを捨てていく。最後にどうしても捨てたくないものが残るが、それさえも捨てた時、死が訪れるという設定である。
 妻はこう言った。
「ちゃんとあなたは一番最後まで残ったからね。人によっては思ったより早くご主人のカードを捨ててしまい、その現実に自分で驚いている人もいたわ。それとタンタンがかなり後まで残ったのには自分でもびっくりした。」
 そうか、交通事故などで即死する場合は別として、人がゆるやかに死に向かう場合、自分の死への不安や恐怖と戦うだけではなく、この世で大切にしている人や物と別れなければならない痛みに耐えるのか。それに肉体の苦痛があるんだものな。悲しいなあ。辛いんだなあ。でもそうした痛みが分からないと介護も心から出来ないんだなあ。
 ケアタウン小平はこの10月にオープンし、妻は月曜と木曜の夕食時のボランティアとして働いている。

 一方、新国立劇場では、テノール団員の小田修一さんが、ある時ウクレレを持ってきて、休憩時間に中庭でひとりで弾き始めた。ウクレレという楽器はなんとものんびりとした響きを持っていて、中庭の休憩中の団員達の気持ちがなごんでいくのが分かった。
 その後小田さんは、同じテノールの川島尚幸さんを巻き込んで、勝手に「ウクレレ同好会」を作って二人で合奏したりウクレレ伴奏で歌ったりしていた。他の合唱団員達は、最初は馬鹿にしていたが、しだいに上達してくるのが分かり、だんだん共感を持って彼らのやることを見つめるようになっていった。

 ある時小田さんは、
「老人ホームに行ったら結構喜んでもらいましてね。」
と言った。それを聞いて僕は、
「へえ、ただ遊びでやってただけだと思っていたら、慰問演奏もするんだ。」
と感心した。
 その晩、食事しながら僕は何気なく妻に話した。
「小田君はね、ウクレレ持って老人ホームに慰問に行ったそうだよ。」
そしたら妻は、
「ねえ、小田さん達にケアタウンに来てもらえないかしら。ボランティアでノーギャラだけど。」
と言う。
「ええ?そんなプロのようなものを期待してもらっちゃ困るけど・・・。」
そこで小田さんに聞いてみた。
「よし、行きましょう。ギャラなんかいらないっすよ。ウクレレは川島君と二人で弾くよ。小林昌代ちゃんがボンゴ叩くし、唐澤裕美さんは童謡のような日本の歌がうまいからメイン・ヴォーカルにしよう。四人で行くからね。」
で、慰問演奏は12月6日に決まった。前の日、練習しているところを聴きに行ったら、小田さんが、
「三澤さん、この楽器叩いて適当にリズムとってくれないかな。」
という、
「これ、何ていう楽器?」
「これね、楽器じゃないの。百円ショップで買った健康肩叩き器。ね、いい音するでしょう。」
「え?ということは百円なの?」
「その通り。」
そんなわけで、いきなし打楽器で加わることとなった。

 当日は12時に集合。ケアタウンの食堂で、居住者に混じって昼食を取る。これが健康食そのもの。
「小田君。あれだね。毎日こんな食事していたらいいね。」
小田さんは尿酸値高いし、僕は血糖値高いから、理想的食事なんだろうが、正直言ってやや物足りない。でもきちんとしたコックさんが入っているので、味は薄味ながらしっかりしている。

 ここでは時間がとてもゆっくり流れている。なんだか僕たちだけが会話のスピードが速くまわりから浮いている。
「三澤さん、ちょっとお願いね。」
「はい。」
見ると妻が居住者に呼ばれて車椅子の世話をしている。今日は勿論彼女にとっては時間外だが、こうして自然にお世話をしている妻を見ていると、「へえ、偉いな。」と妙に感動してしまった。

 演奏は楽しかった。みんな合唱団のメンバーなので歌はプロだけど、普段オペラでは聴けない味のある歌を聴かせてくれた。最後の「ヴォラーレ」では盛り上がり、アンコールのみんなで歌った「きよしこの夜」ではとてもよい雰囲気があたりを支配した。僕はグロッケンシュピールを弾いた。
 みなさんがあまり喜んでくれたので、小田さん達は、
「レパートリーを作ってまた来よう!」
と張り切っている。

 ケアタウン小平では、まだボランティアを募集しているそうです。興味のある方は次のホーム・ページにアクセスして下さい。
http://www.akatsuki-kinen.net/ippuku/ippuku_top.htm

モーツァルト版メサイア演奏会無事終了
 クラリネットとファゴットの四重奏が響くと、まるでモーツァルトのレクィエムか、魔笛の中の曲かと思う瞬間がある。モーツァルト編曲のメサイアは不思議な曲だ。
 やっていてやりにくい点は少なくない。バロックのスタイルでは、弦楽器は基本的にノン・レガートだが、モーツァルトは随所にスラーをつけている。そのためバロックらしくなく、かといって古典派の曲想でもない。中途半端で音の処理に困ることがあった。
 またカデンツァなどでは、通常は歌手が自由な装飾を施すが、木管楽器が加えられ、十六分音符で動いている。そのため、歌手は反対にそのまま歌うしかない。
 バランスを取るのも簡単ではない。二管編成の木管楽器は思いの外厚く、通常の弦楽器主体の編成のつもりで演奏すると、合唱やソリストをかなりかぶってしまうので、配慮が必要だった。
 一方で、バロックと古典派のスタイルの違いを肌で体験する機会を得た。トランペットは、バロック期においては高次倍音による超絶技巧の楽器だったのだが、そのヴィルトゥオーゾ達は、バロック期の終わりと共にまるでジュラ紀における恐竜のように絶滅し、代わって現れたのは、ティンパニーと共にドとソといった低い基音を演奏する演奏法だった。ハレルヤ・コーラスも、バスのトランペット付きのアリアも、終曲も、トランペットのハイ・ノートはみな、木管楽器などに移し替えられている。

 中身はバロックなのだが、服装のファッションは古典派をまとっているというこのアンバランスによって、古典派という「時代」の風をこの作品は醸し出している。その不思議な感覚を味わいながら指揮するのは、生まれて初めての経験だった。
 メサイア自体は、こまで何度も暗譜で振ったのだが、今回は譜面を見てその管弦楽法を味わいながら振った。特にアリアでは、かなり大胆な編曲が施されているので、見ながら聴くのは楽しかった。もしかして僕が一番楽しんでいたりして。
 そんなわけで、12月11日(日)、愛知芸術文化センターでのモーツァルト200合唱団による演奏会は無事終わった。ハレルヤ・コーラスが終わった直後の聴衆によるブラボーの叫びと、終演時の温かく大きな拍手が、その成功を物語っていた。

 打ち上げも終わってバスのソリスト初鹿野君と新幹線のホームに来たら、名古屋に住んでいるはずのソプラノの飯田みち代さんとアルトの三輪陽子さんの二人が居る。
「あれ、これから東京に行くの?」
「そうなんです。」
この二人は、実は新国立劇場で仕事をし始めたのをきっかけに東京にマンションを借りて一緒に住んでいるのである。
 で、一緒に自由席で行くことになったが、日曜日の21:24発の「のぞみ」はめちゃめちゃ混んでいて、とても座れた状況ではない。どうしようかと思ったが、ま、いっか、という感じでみんなして乗り込み、デッキで立ちながら行くことになった。

 飯田さんが、
「ここ空いているわ。」
と言って洗面所のある小部屋のコート掛けにコートを掛け、勝手に洗面所を占拠した。飯田さんはシンクに腰掛け、三輪さんを隣に呼び込んだ。
初鹿野君が目を丸くした。
「い、いいんですか?そんなことをして。」
「手を洗いに来たら、どけばいいのよ。」
しかしかなりトイレに行く人はいるし、手を洗いに来る人もいる。その度に初鹿野君が、
「す、済みませんねえ。ご迷惑をおかけしております。」
と、あの図体でニコニコしながら謝るし、二人のプリマ・ドンナは素早く洗面所から飛び出す。その光景が見ていて可笑しい。
 間もなく、名古屋にわざわざ歌いに来ていた、Cafe-MDRコンシェルジュが別の車両からやってきて、やはりびっくりしていた。彼は、東響コーラスで金曜日と月曜日に英語版のメサイアを歌い、その間の土日は名古屋に来てドイツ語でモーツァルト版メサイアを歌うという前代未聞の経験をしている最中だ。で、この写真はコンシェルジュが撮ったもの。傑作なのは、四人の向こうに小さく映っているのが、洗面所の鏡に映ったデジカメ撮影中コンシェルジュ自身の姿なのだ。まるで「恐怖の背後霊」のように不思議な距離感。
 そんなわけで打ち上げパーティーの酔いも手伝って、東京までアホアホの会話で立ちっぱなしで帰りました。ああ疲れた!

【事務局注】 ケアタウン小平へのリンクは承認を頂いています。




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