Dear Francesco !
宿泊を希望していたアシジのSt. Anthony's Guest Houseから返事が来た。ここはフランシスコ会の女子修道会が経営する宿泊施設で、僕たちは、どうせアシジに滞在するならこういう所に泊まろうと思っていたのだ。
予約はメールでした。
「僕たちはカトリックの家族で、僕の洗礼名はアシジのフランシスコです。」
と書いたら、返事の最初に、Dear Francesco !
と書かれた返事が来たので、驚くと同時になんだか嬉しかった。話に聞くと室内電話もテレビもないそうで、しかも門限は11時だという。でもそこに滞在した人達の感想をインターネットで読むと、みんな一様にとても喜んでいる。
チャペルもあり、ミサも行われているようだし、運営もフランシスコ会の精神にのっとって行われているようだ。とにかくそこに3泊する。またインスピレーションをいっぱいもらえそうな気がする。
でも4月に渡欧する前にやらなければならないことが山積みなんだ。帰ってきたらすぐ「おにころ」だし、なんとか老体に鞭打って頑張らねば!
「科学と音楽の夕べ」無事終了
「科学と音楽の夕べ」は、新国立劇場中ホールをほぼ満員にして大盛況の内に終わった。第一部での自然科学研究機構岡崎総合バイオサイエンスセンターの永山國昭先生のお話は、芸術家だけでなく科学者も情熱に支えられ、様々な現象の中に美を見て感動するんだなと教えてくれた素晴らしい講演だった。
楽屋でぼんやり聞いていたので、詳しいところではさだかではないのだが、モルファ蝶の羽根が微妙に色を変えながら輝いている色の秘密を解明する話あたりから本題に入っていった。その色はモルファ蝶の羽根の表面に付着しているのではなく、羽根の構造自体に太陽光線があたって作り出す色だというのである。
我々が色を見る時、物体自体が「その色をしている」と理解しがちだが、実はそうではなくて、そもそも色というのは七色の太陽光線がものに当たると、ある波長の色だけ反射して我々にその色を見せてくれるのである。玉虫の羽根やCDの裏側などを見ると分かる通り、表面が光を通し内部にギザギザがある物体の場合、太陽の光は屈折するとプリズム化して七色の光線をきらめきながら出す。モルファ蝶の羽根も内部でギザギザがあるため、それが微妙に色を変える原因になっているが、何故七色ではなくモルファー・ブルーと言われる特定の色の中だけで変化するのかということが長らく謎となっていた。その原因の解明に至るまでのプロセスを永山先生は説明なさっていた。
そしてそれがついに解明されると、今度はそれを使ってドレスを作ってみた。まさにモルファ蝶の輝き、モルファー・ブルーを放つドレスだ。「フィガロの結婚」の伯爵夫人のアリア「愛の神よ」のBGMに乗ってそのドレスをまとったモデルが現れると、永山先生は「まさに天女の羽衣」とおっしゃっていた。端から見ると、
「ああ、ただのきれいな化繊だね。」
と思ってしまう感もなきにしもあらずだが、ともかくそこに至るまでの並々ならぬ情熱に触れて胸が熱くなった。
昆虫の化石では、今でも太古のままの色を保っているものが少なくない。なぜなら、付着している色は色あせるけれど、光を反射する特定の構造が保たれた場合、どんなに時間が経っても、その構造に従って光りは同じように屈折し、同じような色を現代の我々にも見せてくれるというわけである。まさに構造の勝利である。
なんちゃって、楽屋で着替えながら聞いていた僕も、すっかり「にわか科学者」になりました。もしかしたら、さっきの話、勝手に僕がそう思いこんでいるだけで、実は全然分かってないかも知れません。
休憩に入って舞台のセッティングを見に行こうとしたら、講演を終えられた永山先生とすれ違ったが、先生はニコニコ微笑みながら僕に話しかけてきた。
「三澤さんは高崎でしょう。」
「あ、はい、群馬出身ですけど・・・。」
「私も高崎高校なんですよ。」
「え?そうなんですかあ?」
驚いたなあ!高校の先輩だったよ。
高崎高校は、前橋高校と並んで群馬一の進学校だ。群馬ではタカタカと呼ばれている。しかしマエタカこと前橋高校が市内に位置してスマートな校風を持っているのとは対照的に、タカタカは高崎市のはずれもはずれ、赤城山と榛名山から降りてくるからっ風の吹きさらす観音山のふもとに位置して、「タカタカの山猿」と呼ばれている。
校風もバンカラで、僕が通った当時は、白い布のカバンを片方の肩からかけ、冬でも素足で下駄をはいて学校に通った。高崎駅から遠いので、下駄を履いたまま自転車に乗る。途中の烏川の上に架かる和田橋は、冬にはからっ風が容赦なく吹き付ける。これが寒い!
そんなタカタカの先輩だと聞いただけで、なんともいえない親近感が湧く。さては永山先生も下駄はいて通ったのか。よく考えるとだからどうということもないのだが、ただひたすら冷たく科学をするだけでなく、さまざまな大切なことに気づいておられる永山先生は、やっぱりタカタカ出身だからなあ、よその人とは違うのさ、と僕は勝手に納得した。
第二部の「華麗なるオペラの世界」と題したコンサートは、そんな永山先生の真面目な講演とはうって変わって、喜歌劇「こうもり」の舞踏会開幕の合唱で始まった。なんか、「飲めや歌え!」と指揮していると、第一部とは随分違うなあ。こんなふざけたことやってていいんだろうかなあ、とちょっと心配になる。でもお客様はよろこんでいるようだ。何と言っても宇宙飛行士の毛利衛さんをはじめ、そうそうたる人達が来場している。
プログラムは、釜洞祐子さんのソロと合唱を交互に演奏しながら進んでいった。終了してから楽屋口でわざわざ僕のところに寄ってきて、
「三澤さんのお話がとても分かり易くて楽しかったです。」
と言ってくれた人がいた。嬉しかった。僕は、実はいつもより随分緊張していて、解説でも、冗談も半分くらいしか出ないし硬かったんだけど・・・・。まあ、「科学と音楽の夕べ」だからね、これくらいにしておかないと、ますます音楽の方がアホに見えてしまうからね。
パパゲーノと素朴な人の生きる道
パパゲーノが三人の童子にうながされてグロッケンシュピールを鳴らすと、パパゲーナが現れる。二人はお互いに、
「パ・・・パ・・・パ・・・。」
と言いながらしだいに近づいていって、とうとう抱き合う。
この瞬間、なぜかいつもホロッときてしまう。パパゲーノにはタミーノのように高き叡智とか、天上の歓びとかは与えられないけれど、この世の中大部分の人はパパゲーノのように素朴な人達なんだ。その人達の生きる道をパパゲーノは代表して示している。
めとりて、産みて、老いて、死すべし |