何気にサントリーホールで東フィルを指揮

三澤洋史 

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六本木男声合唱団倶楽部凱旋公演
 今、この原稿をサントリー・ホールで書いている。実は、みんなには知らせていなかったのだが、本日(2月4日)の六本木男声合唱団倶楽部(通称ロクダン)の演奏会で急遽第一部を指揮することになったのだ。で、今は第一部を振り終わって、楽屋で第二部のモニターから流れてくる大友直人氏指揮のカンタータ「天涯」を聴きながらノート・パソコンに向かっているというわけだ。

 第一部は「ウ・ボイ」で始まり、「タンホイザー」の「巡礼の合唱」、「ナブッコ」の「思いよ、金色の翼に乗って飛んでいけ」、「ファウスト」の「兵士の合唱」と続いた。オケは東フィル。
 「タンホイザー」では、無伴奏の部分でピッチが定まらないと困るので、急遽オルガニストの椎名雄一郎君を呼び寄せ、合唱部分をなぞってもらった。後ろ座席のP席で歌っている団員達にとっては、背中の大オルガンから自分達のガイドが聞こえてくるのは歌い易かっただろう。でもたったこれだけのために日本一のオルガニストとサントリー・ホールの大オルガンを使うなんて超贅沢!

 東フィルは、僕の好きなオーケストラだ。棒の先を見るのでなく音楽を読み取ってくれる。クラリネットには僕の高崎高校の先輩で下の娘杏奈の先生でもある生方さんが乗っているし、「ジークフリートの冒険」で共演してくれたプレイヤー達や、いつも新国立劇場で一緒の人達ばかり。なにより嬉しかったのは、コンサート・マスターの荒井さんがとても音楽的で、任せておけば何にも心配いらなかった。勿論、荒井さんだけでなく、東フィルのコンサート・マスターはみんな音楽的にも人間的にも良い人ばっかりで僕は大好きなんだ。

 さて、肝心のロクダンだけど・・・・・、これが、驚くべき事に、最近調子に乗ってだんだんうまくなってきてるんだ!最初行った時は、
「うわあ!何だこの合唱団は?」
と思ったもんだったけどな。
 元々、本番には強い合唱団なんだけど、今回は実力が上がってきたのが聴衆にもはっきり伝わったようだ。この合唱団、やっぱりタダモノではない。第一本番で気後れしたりアガる人達はほとんどいない。みんな態度だけは堂々としていて、
「どうだ、まいったか!」
って顔している。なんだろね、あの自信。でも演奏家には絶対に必要な要素なのだ。人の前に出る者、人にのまれてはいけない。そういう意味では、ロクダンのメンバーはプロ以上だ。それと本番で発するオーラ!なんなんだろうね。この人達ってナニモノ?こんな面白い団体は見たことない。

 ただね、練習にははっきり言って手間がかかるんだ。時々一時から七時までのプチ合宿というものがあるんだけど、最初そんな長くやってどうするんだと思った。そしたら、僕のアシスタントの(ドクター・タンタンもやった)初谷(はつがい)君は、
「そう思うでしょう。ところがロクダンの場合、これが違うんですねえ。言っときますが、めちゃめちゃ時間かかりますからね。それでいつも最後には時間がなくなるのです。」
と言う。
やってみると、なるほどそうだ。ひとつ覚えてふたつ忘れる。一進一退。リハビリ合唱団。しかし驚くべきは、時間を重ねていくごとに疲れるどころかだんだんノッてくる。それで七時近くになるとノリノリ絶好調。
「おお、随分上手になったな。」
と思って散会。でも安心してはいけない。
次の練習の最初では再び、
「あの練習は何だったの?」
と思うくらい忘却の彼方。グッと打ちのめされるが、人生プラス思考で明るく生きるのさ。あははははは!

 第二部のカンタータ「天涯」は、僕もピアノ伴奏ながら札幌の演奏会で指揮した曲だ。この曲は、合唱の他にボーイソプラノのソロが入る。今回のソリストのTOKYO FM少年合唱団から来た小澤賢哲君は、第一声を聴いた時からびっくり仰天!素晴らしいんだ!
 「天涯」はハワイ公演でスタンディング・オベイションを受けたというが、司会の露木茂さんが言うように、
「そのスタンディング・オベイションは、実は小澤君に捧げられたものという話もあります。」
というほど、美しい澄み切った声で聴衆の感動を呼び起こしていた。

 それにしても大友さんはルックスも指揮ぶりもスマートだなあ。
「あのくらい背が高くて足が長かったらいいわね。」
と妻が言う。ンなこと言ったって、こればかりは僕の努力が足りないせいじゃないやい。まったく妻ってものは言葉に容赦がない。でも確かに僕とは違って、練習の合間に讃岐うどんを食べるようには見えないものな。どうせ僕は群馬の田舎っぺ。下仁田ネギのように太くてダセーけど、煮込むとなんとも言えない味が出てくるんだい!

 三枝成彰さんはいつも僕に、
「こんなヘタな団体だけど、どうか見棄てないでくださいね。」
と言うけど、面白いからまだしばらくはやると思うよ。 

愛怨
 「愛怨」の立ち稽古が進んでいる。演出の恵川智美さんが生き生きとした素晴らしい舞台を作りつつある。この作品は新国立劇場がこれまでやってきた新作シリーズの中でも白眉のものになるのは間違いない。オペラ自体はちょっと長いきらいもあるが、本(台本)もよし、曲もよし。
 主人公の大野浄人(おおの きよと)が阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)と二人で唐の都からふるさとの奈良を思い、望郷の念をつのらせるところとか、随所に涙腺をくすぐるところがある。こういうまともなストーリー展開する作品はなかなか創作ものではなかったからね。それに三木さんの音楽は、いわゆる現代音楽というものではなくて、調性もメロディーもある美しい音楽だ。この作品は日本オペラの新しいスタンダードになるかも。

 演出家の恵川さんは、今我々の言葉で言うところの“テンパッている”状態にある。そのため、キャストやスタッフに向けられる彼女の言葉は時にキツい。そのことを受けてナーバスになっている人もいないわけではないのだが、僕はそうしたことに関してはかなり寛容だ。
「まったく、さあ、あの言い方ってないじゃない。」
とぼやいてくる人達に対しては、
「でも、いいものが出来てるからいいじゃない。」
と言ってやる。
 大体芸術家が良いものを産み出す時というのは異常な精神状態になるものだ。ただ力もないのに威張っているのかそうでないのかはすぐ分かる。大切なことは、演出家が心に何を見ているか?何を創りつつあるかだ。そこを見極めて判断しなければいけない。 
 芸術家というものは普通の人ではないんだよ。問題は、それぞれが、自分が普通の人でないくせに、人には普通の人を求めるところにある。自分が我が儘なのに人の我が儘を許さないところにある。芸術家は芸術家の国に生きて、芸術家の掟に従って生きて欲しい。
 ん?何?芸術家の掟って?それは・・・・美さ。芸術家とは美に奉仕する人達なんだ。
その為に全てを犠牲にするのも厭わない人達だ。とにかく恵川さんの仕事を僕は現在のところ最大限に評価している。

 合唱は物凄く量が多く、ほとんど出ずっぱりである。合唱オペラと言ってしまってもいい。暗譜稽古は正直大変だった。でも覚えて立ち稽古に入ってみたら、唐の街の賑わいや、碁の勝負の緊張感、反乱軍の兵士や宮廷女官のおののきなど、演じ甲斐のある場面が沢山あって、みんなちょっと誇らしい。
 先にもちょっと書いたけど、今回は合唱団は「コシ・ファン・トゥッテ」組と「愛怨」組との二手に分かれている。最初「愛怨」組のメンバーは量も多いし面倒くさそうで、
「ああ、コシ組はいいなあ。」
とぼやいていたけれど、最近はコシ組に向かって、
「『愛怨』楽しいよ。こっちにくればよかったのに。」
と自慢している。



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