風邪と過労でダウン

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

風邪と過労でダウン
 7日の明け方、喉が猛烈に痛くて目が覚めた。それからどんどん具合が悪くなってきて、全身がだるく不調状態だったが、我慢して「愛怨」のオケ合わせに出掛けた。

 2月は、新国立劇場では毎年風邪やインフルエンザが最も流行る月で、昨年も「おさん」の稽古場が大混乱に陥った。今年も合唱団では、常に2,3名くらいが風邪で欠席する毎日が続いている。
 なにせ喉を使う声楽家達の巣窟。稽古場の中、所狭しと合唱団達は歌い、演技する。風邪引いている者も、歌う時はマスクをはずして、唾を飛ばしまくるものだから、蔓延するのが必至だ。だからこの風邪、誰から移っても不思議はなかった。

 その日は、「愛怨」のオケ合わせ後、東響コーラスの「グレの歌」の練習に行くことになっていたが、オケ合わせの間に体調がどんどん悪化していく。
「三澤さん、とても具合悪そうですよ。もう帰ったら?」
と何人もの人が休み時間に声を掛けてくる。
 その時点で僕が予想していたのは、明日のBキャストのオケ合わせには欠席するしかないから、今日は最後まで見届けなければ、ということだった。しかし、どう考えてもその後の東響コーラスは行けそうもない。そこで早々と東響マネージャーのN氏に電話し、こちらはキャンセルさせてもらった。

 府中駅まで妻に車で迎えに来てもらって、家に着くやいなや、猛烈な寒気が全身を襲ってきた。そのまま動けないほど。なんとかベットまで辿り着き、セーターごともぐりこんだ。歯がガチガチいうほど震えが止まらない。うー、まいったぜ。あんなことは久し振りだ。
 少し経って落ち着いた頃、熱を計ったら38度8分あった。

 それからまる二日間、仕事を全部休んでひたすら寝た。医者に行って検査したらインフルエンザの反応は出なかったので安心した。不思議なことに、寝ても寝ても体がむさぼるようにいくらでも寝れる。
 考えてみると、ここのところ超忙しくて、お正月以来休日など一日たりとも取っていなかったし、仕事をこなすだけでも忙しいのに、今年の夏の新国立劇場新作子供オペラのアレンジを、その合間を縫って急ピッチで進めていて、睡眠不足にもなっていたのである。 きっと体が危険信号を出したに違いない。  


モーツァルトの苦悩
 今日11日(土)は「コジ・ファン・トゥッテ」の千秋楽。今回は「愛怨」と重なっていたため、本番の舞台周りは全て矢澤定明君に任せてしまっていたし、そこに風邪が重なって木曜日の本番も欠席したから、千秋楽にノコノコ行ったって、
「今頃何しに来たの?」
って感じだ。
 そこでたまには公演を落ち着いて舞台で見ようと思って、業務用チケットをもらい観客に混じって鑑賞した。すると普段分からないことがいろいろ分かってとてもためになった。これからも時々こうした機会を作ったほうがいいな。事情が許せばの話だけど。

 まず聴衆が入ると音が吸われるのは、歌手の方ではなくてむしろオケの方だということが分かった。モーツァルトの編成は小さいこともあって、ピアノなどで押さえすぎると音が貧弱になってしまう。今日の公演で感じたことは、指揮者が歌手のボリュームに対し設定したオケのボリュームが、全体的にやや小さ過ぎる点だ。
 そこで思い出したけど、僕が「蝶々夫人」などでオケ・ピットに入ると、舞台上の音が聴こえにくくなるんだ。だから指揮者はオケを押さえがちになる。しかし、オペラというものは歌手の声が消されては駄目だけど、逆に歌手が聞こえれば聞こえるほどいいかというと、そうではないのだ。むしろオケのどっしりとした響きで歌手を包み込むくらいの感じがあった方が理想的である。これはオケ・ピットにいると分からないので、周りの者が指揮者に適切にアドバイスしないといけない。

 それにしても、こうして落ち着いて「コジ・ファン・トゥッテ」というドラマを追っていくと、モーツァルトって、実はずっと妻のコンスタンツェの姉のアロイジアを想っていたんだろうな、と強く感じてしまった。

 モーツァルトは、パリをめざして就職活動の旅をする途中、マンハイムに立ち寄った。そこで彼は写譜屋のヴェーバーと知り合うが、その長女で美しいソプラノの声を持つアロイジアに恋をする。しかし、彼は旅を急がなくてはならず、後ろ髪を引かれる思いでマンハイムを後にする。
 モーツァルトはパリでの就職活動に失敗。同行する母もこの街で病死し、失意の内にマンハイムに戻るが、アロイジアの心はもう彼のものではなかったのである。
 アロイジアは、歌手として成長し、ミュンヘンからウィーンへと進出していき、やがて、モーツァルトの肖像を描いたことで有名なランゲ氏と結婚する。

 その後モーツァルトは、何故かやけくそのようにアロイジアの妹のコンスタンツェと結婚する。コンスタンツェの中にせめてアロイジアの影を見ようとしたのか?はたまたアロイジアへのあてつけか?そのことによって多少なりとも彼女の興味を呼び起こそうとしたのか?真実は分からない。でも、このコンスタンツェは、アロイジアとは全く性格を異にしていた。彼女の浪費癖や浮気性にモーツァルトは始終悩まされたようである。

 「コジ・ファン・トゥッテ」には、そんなモーツァルトの女性に対する怨みつらみがこれでもかと込められているように見えるが、それにしても姉のフィオルディリージに対する思い入れは、尋常でないように感じるのだ。二つの大きなアリアもそうだし、何と言っても、妹のドラベッラが陥落する時は「あっさり」という感じなのに、フィオルディリージの時はどうだ。あの痛ましさ!無念さ!

 フィオルディリージはアロイジアだよ。決まってる。モーツァルトはきっと最後までアロイジアのことを本当は好きだったのだと思うよ。切ないね、モーツァルト。
 そして、もしかしたらコンスタンツェも、自分が本当にはモーツァルトに愛されていないことに気づいてしまったから、気持ちをいろいろ外に向けたのかも知れない。だとしたら哀しいね、コンスタンツェ。 

「愛怨」と中国琵琶Pipa
 僕たちが「日本古来」と思っているもので、本当に日本に起源を持つものって少ないんだなあ、と「愛怨」の稽古をしながらよく思う。
 「日本の心」と言われるお米だって、味噌、醤油だって、仏教、儒教、漢字、みんな大陸から伝わってきた。その中に琵琶もある。
 しかし、日本の琵琶と、今回「愛怨」でも演奏される「中国琵琶」すなわちPipaの違いを見る時、僕は、同じ起源を持つ楽器ながら、全く別のものとして発展した背後に、両国の文化や民族性、感性の違いが顕著に反映されていて、とても興味深いものを感じる。

 日本では、琵琶というと真っ先に思い浮かぶのは、ベンベンベンという「平家物語」などを語る琵琶法師の奏法だが、中国琵琶は全然違うのだよ。
 西洋楽器で一番近いものを探すとすると、マンドリンだな。ピックをはめた右手を全部使ってトレモロをするんだが、一つのピックで振るわせるマンドリンよりもずっときめ細かく、かつ柔らかい音がする。
 また、トレモロをせずに強くはじくと、「平家物語」のベンベンという音になるし、弱くはじいてポルタメントなどしながら、実に多彩なニュアンスを出すことが出来る。
 驚くのは、トレモロと同時に残った指で別の弦を強くはじくことが出来るんだ。この二つの奏法がひとつの楽器で行われると、それだけで感動を覚える。

 今回の公演で奏する中国人の女性琵琶奏者は、超絶技巧すなわち真のヴィルトゥオーゾだ。多分公演に来た聴衆はみんなおったまげるに違いない。
 というより、僕が面白いなあと思うのは、あんな素晴らしいヴィルトゥオージティーがありながら、どうしてそれらが日本に伝来し、発展すると、そちらの方向を追求せずに、いわゆる「わび、さび」という方向にいくのかな、ということだ。

 音楽に限らず、日本の伝統芸能で超絶技巧の方向に走ったものって本当に少ないだろう。強いて言えば、津軽三味線くらいか。なんだろうな。日本人って。やはり徹底的に“動”ではなく、“静”を好む民族なんだな。
 すもうだって、子供の頃、
「なんであんな塩蒔いたりして時間稼ぎしているんだろう?もっとどんどんやれば早く終わるのに。」
と思っていたけど、格闘技でありながら、どこか神技の要素があるし、横綱を選定する基準だって、単なる“強さ”以外の要素を持ち込んでいる。
 とにかく中国琵琶を聴く限り、日本以外はみんな世界の基準に近くて、日本だけが何か違う常識と美意識を持った特殊な国のように感ずる。

 奈良の宮廷に仕える琵琶奏者大野浄人(おおの きよと)は、朝廷から、遣唐使として唐の玄照皇帝(玄宗皇帝)の妃、光貴妃(楊貴妃)の元から、秘曲「愛怨」を持ち帰るよう命を受ける。しかし遣唐船は嵐に遭い難破し、浄人は中国の南の岸に流れ着く。
 苦労してやっと長安に辿り着き、玄照皇帝と光貴妃のもてなしを受けるが、その時紹介された光貴妃に仕える琵琶奏者柳玲(りゅうれい)を見て驚く。なんと柳玲は、自分が故郷に残してきた愛する妻、桜子(さくらこ)にうり二つではないか。それもそのはず、実は二人は、幼い頃生き別れた双子の姉妹だったのである。

 光貴妃にうながされて柳玲が琵琶を弾き始めると、それは浄人が桜子と初めて結ばれた夜、やはり琵琶をたしなむ桜子が自分に教えてくれた曲だった。思わず浄人は柳玲に合わせて手に持っていた笛で同じメロディーを吹く。一同は、何故日本人の浄人が、唐の宮廷でしか演奏されない曲を知っているのか不思議に思う。
 一方、玄照皇帝は、才人浄人をことのほか気に入り、彼を唐に引き留めるために、密かに浄人を柳玲と結びつけようと画策を練る。

 というように、琵琶の演奏をうまくストーリーに取り込んで、話は進行していく。そしてオペラのクライマックスでは、この曲を他人に教えたら命を失うという危険を犯して、柳玲は浄人に秘曲「愛怨」を伝授する。この時、琵琶奏者は、それまで弾いていたオケ・ピットを出て舞台上で演奏する。この瞬間、まるで時間が止まったようになる。

 まるで僕は新国立劇場の広告塔のようだね。でも、この琵琶奏者には公私を忘れて本当に驚いているんだ。Pipaを聴きに来るだけでも、「愛怨」の公演に来る価値はあるよ。
 瀬戸内寂聴台本、三木稔作曲のオペラ「愛怨」の初日は2月17日から。18,19日と三日間休みなしで公演は続きます。



Cafe MDR HOME


© HIROFUMI MISAWA