ジャズ・コンサート~映画「ダ・ヴィンチ・コード」

三澤洋史 

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5月22日(月)京都へ
 午後の「こうもり」合唱振り付け稽古に顔だけ出して、東京駅に向かう。今晩はシェーンベルク作曲「グレの歌」京都演奏会の合唱団の練習。
 この演目は、東京では6月25日にサントリー・ホールで大友直人さんの指揮、東京交響楽団と京都市交響楽団の合同、合唱は東響コーラスで行われるが、その前日に京都で京都市交響楽団定期演奏会としても行われる。その時の合唱は東響コーラスではなくて、京都のいくつかの合唱団の合同、約250人の特別編成合唱団なのだ。その指導に行くというわけだ。
 思ったより早く東京駅に着いたので、一本早い新幹線に乗れると思っていたら、なんか新幹線の切符売り場あたりが黒山の人だかりで前に進めない。見ると警備員が沢山いる。
「困ったな、遅れてしまう。」
と思っていたら、な、なんと目の前を美智子様が通っていくではないか。そういえば岐阜の方へ行かれていたようだな。でも、なにも今帰っていらっしゃらなくても・・・・・。
 というわけで、最初思っていたとおりの新幹線で京都に向かった。京都の合唱団の人達、みんな頑張っていた。まとまっているという意味では東響コーラスよりもいいかも。ただ、この曲はオーケストラもとても厚いので、声が通るかやや心配。

 夜は新しい京都駅ビル内のホテル・グランビアに泊まった。フロントのお姉さんったら、
「あいにく満室でして、スタンダード・ツインのお部屋がご用意出来ませんでしたので、もうひとつ上のクラスのツインをご用意いたしました。なお、料金はそのままで御座います。」
 あいにくどころか、案内されたのは超豪華な素晴らしいお部屋。だってツインといっても、そのひとつひとつのベットがダブルベットの大きさなんだもの。部屋も広いし、大きなソファもあるし、窓を開けると、目の前に京都タワーが・・・。
僕は二つのベットを行ったり来たりして、
「どっちに寝ようかなあ。」
と迷ったあげく、壁に近い方のベットに決めて、まるでレオナルド・ダ・ヴィンチのウィルウィウス人体図のように大の字になってぐっすり寝たよ。

5月23日(火)ジャズ演奏会練習
 京都から帰ってきて、そのまま新国立劇場で「こうもり」の立ち稽古。夜は25日にあるジャズ・コンサートの練習を初台駅近くのスタジオでやった。10年ぶりに人前でジャズ・ピアノを弾くので、やや緊張している。それより楽譜が間に合っていない。もっとアレンジを懲りたかったんだけれど、子供オペラやらいろいろな仕事が詰まっていて身動きがとれなかったんだ。
 ラフなスケッチのような楽譜を持参して練習場に向かった。知人の紹介だが、みんな初対面。百戦錬磨の現役ジャズメンばかり。
「済みませんねえ。楽譜がいい加減で・・・・。」
「いいや、別にいいですよ。このまんまで。」
「終わり方どうしよう。」
「まあ、適当にやりながら決めましょう。」
いいねえ、こういうおおらかなノリ。みんな気の良い人達ばかりで安心した。

5月24日(水)反省会?
 昼は「こうもり」、夜は東京バロック・スコラーズ。ロ短調ミサ曲の「ホザンナ」をゴシゴシしごいた。
 練習後、久し振りに「反省会」に行った。反省会って言ったって、反省するんじゃない。つまり飲み会。僕は滅多に外で飲まない人だけれど、たまにはいいなあ。
 僕のお袋と同じ歳で、彼女がカトリックの洗礼を受けたときに聖人の名前を考えてあげたSさんが横にいて久し振りにいろいろお話しできた。お袋と比べると信じられないくらいSさんは若い!今度また、ある合唱団に同行して、ライプチヒの聖ニコライ教会でバッハを歌ってくるそうだ。
 ちなみに僕がつけた彼女の洗礼名は聖アンナ。次女の杏奈と同じだけど、聖アンナというのは聖母マリア様のお母様だよ。気のおけない仲間達との歓談はとてもよい清涼剤。微笑みの素敵なAさんも斜め前にいた。僕はほろ酔い加減で家路につきました。

5月25日(木)いよいよジャズ・コンサート
 5時に「こうもり」舞台稽古が終わると、僕たちは会場目指してタクシーを走らせた。会場は、六本木ヒルズの裏手に最近オープンした超豪華ホテル、グランド・ハイアットの二階アニスの間だ。
 着いてみると、ドラムの金井塚さんがもうセッティングを開始していた。ベースの大戸さん、サックスの大森さんたちが次々とやってきた。

「 Straight No Chaserは、僕が最初ピアノでテーマ弾くよ。その後サックスが入ってにぎにぎしくね。ソロは僕からいきます。その後サックス、ベースと行って、4バース・チェンジね。ドラムが1コーラスとったらテーマにもどり、さっきと逆。つまりサックス、ピアノの順で、最後は可愛く終わるよ。こんな風に。」
これで一曲目打ち合わせ終わり。譜面は一枚の紙に12小節の一段譜。メロディーの上にコード・ネームが振ってあるだけ。なんて楽なんだろう。この自由さがたまらない。

 今日のもう一人の主役、新国立劇場オペラ部門芸術監督秘書のM嬢は、
「PAがなんだかワンワンしているわ。」
と言っている。ホテルの音響係があわてて対応している。
 今日の会は、僕のピアノと共に、アメリカでジャズ・ボーカルを習っていたM嬢の歌を聞くために催された会でもあるのだ。
 お客様達が集まってきた。驚いたのはその中に指揮者の大友直人夫妻がいたことだ。来るかも知れないとは聞いていたんだけど、まさか本当に来るとは思わなかった。

 いよいよ本番。お客が入ったら僕もM嬢も急にノリノリになって、出だしから思いがけなくイカした出来になった。M壌ったら、練習の時はあんなにおしとやかに歌っていたくせに、本番では大胆になって声ものびのびと出ていた。僕も、最初の頃こそやや緊張していたけれど、後半はアルコールもかなり回って、もうどうでもいいやって気持ちになってきた。ジャズはこの気持ちが大切。気持ちのおもむくまま、手の動くまま。いっちゃえーっ!
 アップ・テンポの「チュニジアの夜」では、コルトレーンがやっているようなリズムから離れたシッチャカメッチャカ全速力プレイをやってみた。初めての体験。酔っぱらっていることも手伝って、コード・ネームも拍も小節も宇宙の彼方に飛んでいって、どこにいるんだか一瞬分からなくなった。サックスの大森さんが、約束通りのタイミングでバースを吹いてくれたお陰で無事社会復帰。うー、あせったぜ。でも、こうやるのか。かなりスリリングだな、コルトレーン風シーツ・オブ・サウンドって・・・・。

 大友さんが僕の所に来た。
「三澤さん!いやあ、驚いたなあ。僕もこういう音楽嫌いじゃないんだけど、三澤さんがここまでやるなんて予想してなかった。僕はとても嬉しいよ。今夜は最高だ!」
って上機嫌になってくれた。
 同業者だろう。普通妬ましく思ったって不思議じゃないのに、大友さんて本当に心の豊かな良い人なんだな。やっぱり育ちが良いと違うな。気持ちもおおらかなんだ。僕はあらためて大友さんが大好きになったよ。
 ケント・ギルバートさんも寄ってきて、
「いやあ、素晴らしい!」
と褒めてくれた。ちょっと味をしめたから、またきっとこんなコンサートをやると思うよ。

 この演奏会を企画したのは、ノヴォラツスキー芸術監督と親しいM弁護士だ。彼は新国立劇場の公演には必ず来るだけではなく、みんなを引き連れて来る。つまり新国立劇場のお得意様なのだ。だから今晩も主賓は芸術監督。監督は、
「自分の秘書がこんな風に素晴らしく歌うなんて思わなかったよ。明日から一体どう付き合っていけばいいのか困ったな。」
なんて挨拶で言っていた。

 お客さんは六本木男声合唱団倶楽部の人が多かったんだけど、
「三澤先生、普段の六団では決して見せないような楽しそうなお顔をして弾いてらっしゃいましたね。」
と口々に言ってくる。
「いいや、六団の練習も楽しくやってますよ。別な意味で限界への挑戦って感じで、あはははは。」
「あははははは。」
ヤベエ、口が滑った・・・。

5月26日(金)ついに映画「ダ・ヴィンチ・コード」を観たぞ!
 「こうもり」の立ち稽古は振り付け稽古になって歌わないので、合唱指揮者としては立ち会わなければならない理由がなくなった。夜は東響コーラスの「グレの歌」練習なので、どっちみち一度は都心に行かなければならないのだが、とにかく午後が自由になった。
 自由になったと言ったってやらなければならないことは山ほどある。「スペース・トゥーランドット」のスコア作成は、これから夏までの間に、少しの暇でも見つけたら行わなければならないし、28日(日)から始まる、名古屋のマーラー・プロジェクトの準備もまだ始めたばかりだ。でも、そういうことを言っていたら永遠に映画「ダ・ヴィンチ・コード」を見にいくことは出来ないので、意を決して立川シネマ・シティ2に向かった。

 見たよ、見ましたよ。ついに映画「ダ・ヴィンチ・コード」!!結論から言うと、行って良かった。映画はとても良く出来ていて、原作を読んだ人が失望するようなことはなかった。
 僕の大好きなトム・ハンクスは、いつもながら演技とは言えないような自然な振る舞いをしている。この自然さを出すためにどれだけの才能と努力が要るのか、気づく人は少ない。とにかく僕の最も好きな俳優がこの作品を演じてくれたのは嬉しい限りである。
 相手役のソフィー・ヌヴーには、あのめちゃめちゃ面白かったフランス映画「アメリー」の主役をしていたオドレイ・トトゥがなっていたのは驚いた。「アメリー」のいいようのない可笑しさは、まさに彼女の持つ独特な雰囲気によるところが大きかったので、コメディー以外ではどうなのかなとも思ったが、この映画で見ると彼女のキャラクターは、逆にどこか謎めいた不思議な雰囲気を醸し出していて、最後のどんでん返しの結論でも、
「なるほどなあ、そう言われればそんな感じもするかなあ・・・。」
と思わせるものを感じさせた。

今日はちょっと辛口
 で、肝心の映画の中身について話そうか。でもまともに書き出すと、話題が自分の宗教観、信仰生活に関係することだけに、ゆうに一冊の本が出来るほどになってしまう。
僕はこのフィクションを胸をワクワクさせながら楽しんだ一人なのだが、それと、この映画の中で表現されていることが真実かどうかと言うことは全く次元の違う話なので、今日はあえてネガティブな立場に立って話してみよう。

 すでに原作がそうであるのだが、この原作の中で“科学的に”証明された事柄というのは本当に少ないのである。つまりこの小説は、「あり得ないことではないけれど」たぶんあり得ないだろうという程度の様々な説を拠り所にしていて、それらの説から物語の骨組みを構築し、さらに映画化しているのである。
 僕にとって予想外だったのは、小説よりも映画の方が比べものにならないくらい本当らしく描かれていることだ。様々な“うんちく”にも真実味がある。それはなんといっても映像の与える力なのだと思う。ヴィジュアルな力というのは恐ろしいな。10分言葉で説明するよりも3秒映像で見せた方がリアリティがあるんだ。それに言葉を使う文学では、言葉による反論が可能だが、映像によって心に焼き付けられたイメージは反論を拒否するんだ。このことに僕は少しあわてた。まずい、これではみんながこれを信じてしまう、という危機感を持ったのだ。

 たとえばオプス・デイの修道僧シラスが自分の肉体を痛めつける場面などを見て、オプス・デイって何て馬鹿な秘密結社なんだと思われたら、オプス・デイがあまりにも気の毒だ。
 オプス・デイは、僕の知っている限り、きわめてまともな団体であり、秘密結社でも殺し屋団体でもなんでもない。シラスのような極端な人が一人もいないとは断言しないが、オプス・デイの人がみんな肉体苦行をすると思われたら誤解だ。日本でも滝に打たれたり真冬に乾布摩擦をしたりで、肉体にとって不快なことをあえて行ったりする人はいるじゃないか。
 断っておくが、映画の中のシラスのようにやってる人はあんまりいないと思うよ。ちなみに僕はあんな風に自分の体を痛めつけたことは一度もない。痛めつけてみても神様に近づくとは思わないから。

 その他、テンプル騎士団や十字軍、シオン修道会などが、ただ興味本位に怪しい秘密結社、あるいは悪の巣窟のように描かれているのも気にくわないな。
 僕はカトリック教会の血塗られた歴史に異を唱えようとは思わない。それは事実だから。しかし魔女狩りや異端審問の全てを、カトリック教会の存在を揺るがす「王の血統」を封じ込める教会の陰謀のように表現されると、それは違うだろうと言うしかない。事実はもっとシンプルで愚かだ。中世の民衆は純粋に魔女の迷信を信じたし、様々な種類の異端も生まれていたので葬り去ろうとしただけだ。

 それと、やはりアメリカ映画だなあと笑ってしまうのは、拳銃の撃ち合いの場面が多いことだ。聖杯のありかを探るだけなのに、どうしてみんなあんなにムキになって危ないカーチェイスをしたり、拳銃でバンバン殺し合ったりするのだろうか?しかもみんな熱心なクリスチャンだというのに。
 まあそれが、この話題でここまで話を盛り上げることに成功したダン・ブラウンの驚くべき才能によるものなのだろうな。残念ながらこうした「アメリカ的展開」こそ、この物語の嘘を如実に証明している。次の記事を読んでいただきたい。

2006年5月14日号カトリック新聞より
「ボイコット」も視野に
バチカン高官 映画「ダ・ヴィンチ・コード」「誤りに満ちている」
「ローマ5月1日CNS」
カトリック信者は、映画「ダ・ヴィンチ・コード」をボイコットし、そのストーリーが教会を侮辱し、冒涜していることを世界に知らせることも考えるべきだ、と教皇庁教理省事務局長のアンジェロ・アマート大司教が語った。(中略)講演の最後に受けた質問への答えで、同大司教はすべてのカトリック信者に向けて映画のボイコットを呼びかけることは避けた。しかし講演の中では広報担当者たちに向けて、「私は皆さんがこの映画をボイコットしてくれることを願っています」と明言していた。

 なんて可愛いらしい抵抗であろう。「ボイコットも視野に」だってさ。単に“視野”かよ。明言するが、かつて異端者を捕らえてかたっぱしから焼き払ったカトリック教会は、現代では全世界の信者に向かってボイコットの“絶対命令”も出せないような控えめな団体なのである。

 考えてももらいたい。もし、「ダ・ヴィンチ・コード」で表現されていることが事実だとしよう。そうすると「ダ・ヴィンチ・コード」の映画化は、教会側からの様々な妨害、陰謀にあって絶対に陽の目を見ることはなかっただろう。
 監督ロン・ハワードは撮影の最中に何者かによって暗殺されたであろうし、トム・ハンクスもこの世の人ではないかも知れない。だって、これはその事実を絶対知られたくないためにあらゆる手を使って封印してきたカトリック教会の物語なのだから。
 教会は、映画が大成功し、人々が教会によって封印されてきた事実が明るみに出ることを絶対に阻止させなければならないだろう。そのためにカトリック教会の様々な怪しい秘密結社は、映画の中のように秘密裏に立ち上がり、拳銃、毒薬、爆弾などをもって至る所であらゆる関係者を殺し、教会の権威を守ろうとするであろう。

 でも事実は、こうして映画化に成功し、教会は先のような控えめな声明を出したにとどまっているのだ。ね、だから“このお話は嘘”なんだよ。みんな本気にしないでね。

(事務局注 2021リニューアル時に追加)

ああ、我が夢の街パリ!
 物語のどんでん返しが明かされたスコットランドのロスリン礼拝堂からパリにラングドンが帰ってきた時、上空からパリの夜景が映し出された。エッフェル塔の先端から青い光の筋が天空に斜めに伸びて回転していた。それを見た瞬間、僕の目から涙がこぼれた。これは映画に対する感動というのとは全く違う。僕の個人的な感動だった。

 僕はどうしてこんなにパリという街が好きなんだろう。この間行ってきたばかりなのに、また行きたくなってしまった。映画の中で聞かれるフランス語の響きも、英語とは比較にならないくらい心地よいね。
 この間の旅行では、僕のイタリア語が思ったよりも通じて家族の尊敬を集め、得意になった反面、パリでは思ったほどフランス語が聞き取れなくてすっかり落胆していた。パリに5年半も住んでいる長女なんかはもうペラペラのペラでとても太刀打ち出来ないし、まだ行ったばかりの次女にだって追い越されるのは時間の問題だ。でもこの映画の中でのフランス語は結構分かって嬉しかったよ。ちょっと名誉挽回。
 映画の中のルーヴルも凱旋門も、みんな僕に挨拶していた。ああ、夢の街パリ!やっぱり映像の力って凄いな。映画ってこんな風に素晴らしくって、そして影響力のある怖いものなのだ!

5月27日(土)今こそマーラーを!
 この原稿を書いているのは土曜日だが、更新される明日は、僕は早朝から新幹線に乗り、マーラー・プロジェクトの初練習の為、名古屋に行く。ひとりで「大地の歌」のスコアを読んでると、
「お前は今こそマーラーを演奏するべきだ。」
という天の声が聞こえるようだ。「大地の歌」はとてつもない音楽だ。これについては、またいつか詳しく書こうと思う。では、行ってきまーす!



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