太郎とサモトラケのニケetc.

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

太郎出現
 またまた不思議なことが起こった。また子亀が出現したのだ。庭のはずれを歩いていたのである。大きさは現在のモモちゃんよりひとまわり小さい。つまり発見された頃のモモちゃんの大きさだ。
 モモちゃん同様、昨年夏逃げたモネとナハの子供に間違いない。しかし本当なんだろうか?亀の卵って、そんなに遅くなって孵って、それから子亀達は自力で餌を探して生き延びられるのだろうか?誰か教えて!

 新しい亀はモモちゃんの後に現れたので太郎と命名された。合わせるとモモ太郎だ。タレントの石田純一さんの家のようだね。前に話したかも知れないけれど、石田純一さんのお姉さんは石田桃子といってポピュラー音楽のピアニスト。僕は昔よく一緒に仕事したんだ。弟の純一さんの本名は実は太郎というんだ。桃子さんがよく自慢していたよ。モモと太郎
 まあそんな話はどうでもいいな。太郎はモモちゃんと同じ水槽に入れられた。
「ということは、もしかしてもっと庭のどこかにいたりして。」
で、庭を探してみたけれどいない。

 次の日の朝、僕がタンタンの散歩から帰ってくると、妻があわてて出てきた。
「さっき、外で学校に行く途中の小学生達が『カメだ!カメだ!』って騒いでいたのよ。すぐ出て行きたかったんだけど、パジャマ姿だったので出られなかった。」
 全く女ってやつは、こんな大事な時にすら自分の姿を気にするんだな。僕だったら、そんな声を外で聞いたら、裸だって飛び出していくぞ。でも男の場合、自分が気にしなくても相手が気にするわな。だから男と女は違うんだ。
「ゲッ!ということは、どこかに隠れていたさらにもう一匹の亀が道に出て行って、小学生に発見され、奪われた可能性があるな。」
「今頃七小の教室の水槽の中にいるんじゃないかしら。」
「惜しかったな。こっちが発見していれば三匹のカメ兄弟を飼えるところだったのに。」
とにかくそんなわけで、今や僕の家のまわりにはカメがうようよいるようなのだ。
太郎は糸ミミズのお陰でどんどん活発になり、モモちゃんと仲良く暮らしている。

サモトラケのニケがやって来た!
 次女の杏奈がパリから帰ってきた。例によって臭いチーズとワインを携えて。それと今回は、4月に僕がパリのスーパーで買って気に入ったサラミも持ってきた。うまいんだ、これが!
サモトラケのニケ なにより嬉しかったのは、サモトラケのニケのレプリカを免税店で買ってきてくれたことだ。4月にルーヴル美術館に行った時、あまりにこの像が気に入ったので、美術館売店でレプリカを買おうと思ったのだが、120ユーロくらいしたので躊躇した。しかし帰りのシャルル・ド・ゴール空港内の免税店でなんと84ユーロで売っていたのだ。その時、よほど買おうと思ったのだが、イタリアやパリでいろいろお金を使った直後だったので気が小さくなっていて、あきらめて帰ってきてしまった。しかしどう考えてもやっぱり欲しくて、杏奈に頼んで買ってきてもらったのだ。

 勿論どんなによく出来ていても本物にはかなわないのはわかっている。でもパリに住んでいるわけでない僕は、いつでも好きな時に本物を眺めるわけにはいかない。
 一方、これは高いだけあって証明書付きのれっきとしたレプリカなので、細部に至るまでかなり正確だし、いつでも手元においてゆっくり見ることが出来る。 嬉しいなあ。

 サモトラケのニケは、ルーヴル美術館の数々作品の中でもミロのヴィーナスと並んで最も素晴らしい彫刻だ。ギリシャのサモトラケ島から出土されたという勝利の女神ニケの像である。ニケはラテン語ではヴィクトリア。英語のヴィクトリーの語源にもなっている神様のことだ。こんな素晴らしい像が紀元前二世紀に作られたというから驚きだ。ガレー船の先端に取り付けられていたという。紀元前190年、シリアのアンティオコス3世との海戦に勝利したロードス島の人々がそれを祝ったものとする説がある。ニケ像

 ニケ像は、向かって右側面からの方が動きがあり良く見えるので、僕はパソコンの右側のスピーカーの上にやや内側を向けて置いた。反対側には以前から持っていた聖ミカエルの像を置いた。こうして僕は背に翼を持つ二人の軍神に囲まれて仕事が出来るわけだ。もう何をしても必勝だね。これは。
 でも、こうして並べてみると、ミカエル像に比べてニケ像の方がなんだか色っぽいように感じられる。どうしてだろうなあと思ってよく見ると、ニケ像は風で体に巻き付いている衣服のお陰で、かえって女性らしい体の線が浮き彫りにされているのだ。その体の線は、ウエストのくびれも手伝ってかなりグラマーで肉感的である。ヤバイぜこれは。
 それにしても、風が衣服に与える動きを本当に見事に表現している。見れば見るほど惹きつけられる。これから僕は、サモトラケのニケと毎日一緒に過ごせるのだ。

スペース・トゥーランドットの動画が見れます
 スペース・トゥーランドットの音楽練習がいよいよ始まった。自分で言うのもなんだが、今年の子供オペラは大ヒット間違いなしだ!なにせ、やっているキャスト達が早くもこの作品に入れ込んでいる。稽古場では笑いが絶えず、みんな本当に楽しそうに練習に取り組んでいる。高橋淳や大野光彦などを中心にキャラクターの濃いメインキャスト達が揃っていることも大きく作用している。
 特に8人のアンサンブルは、最初から最後まで出ずっぱりで量も多いが、新国立劇場合唱団の選りすぐりなので、響きもいいし動ける者ばかりだ。
 6月30日(金曜日)に両キャストの音楽通し練習を行い、次の日から立ち稽古に入る。また暑い夏がやってくる。内容をかいま見てみたい人は、新国立劇場のホームページから「スペース・トゥーランドット」のコーナーに入り、三分程度のアニメーション動画を見てね。その中で氷の女王のセリフを言っているのは、なんと僕なんだよ。

ドイツ・ロマン派爛熟の極み
 明日、25日の日曜日は、東京交響楽団定期でシェーンベルクの「グレの歌」公演だ。場所はサントリー・ホール。この曲は、シェーンベルクが若いエネルギーにまかせて二十代の時から書き始めた作品だが、合唱の扱いやバランス感覚はまだ若気の至りという感じだ。
 特に男声合唱では、三つに分かれた四声の合唱群がさらに分かれて、部分的にはひとつの声部が数人という箇所さえ出てくる。それなのにオケは容赦なく厚いので、せっかくの努力が聞き取れない。かと思うと、突然オケが沈黙し、合唱が裸で12声に分かれて高音のピアノを歌う。もうハラハラするところばかりだ。
 それでも驚くのは、オケで聴いた時のシェーンベルクの溢れるばかりの才能だ。ストラヴィンスキーも「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」といった代表作を全て二十代に書き上げてしまった天才だが、シェーンベルクのような若者がもし僕の近くにいたら、両手を挙げて賛美してしまうかも知れない。それにマーラーをも幻惑したというめくるめくロマンチシズムの洪水。凄い奴がいたんだなあ。

 演奏は、東京交響楽団と京都市交響楽団との合同による第一ヴァイオリン二十人の超大編成オケも見ものだし、それに三百人の東響コーラスが加わったらどういうサウンドを作り出すのか興味深い。
 あれ?なんか、人ごとのように言っているね。取りあえず合唱は、自分が作ったんだけどね。オケ合わせは半数の東響とだけやったので、本当のバランスは明日の演奏会当日でないと分からないんだもの。それにソリストとも誰も会ってないし・・・・・。
 言っとくけど、自分のベストはつくしたよ。合唱団も頑張っているよ。でもそれだけじゃ名演は生まれない。いや、名演にしなければしょうがないんだけどね。
 今晩(24日、土曜日)京都で演奏会が行われたはずで、それに向かって京都でソリスト達の練習が行われていたのだ。だからソリスト達も東響コーラスとは明日初めてご対面。まるでレゴ・ブロックをはめ込むように、明日一日で合唱団をはめ込み、演奏会をやってしまう。

 うーん、オペラ劇場で働いている僕には考えられないノリ。本番はうまくいくと思うんだけど、やっぱり僕は、音楽稽古をたっぷりやって、みんなを暗譜させた後、マエストロを迎え、全キャスト揃って四週間の立ち稽古を経て、作品が体の随までしみ通ってから本番に向かうオペラの世界の方が好きだな。



Cafe MDR HOME


© HIROFUMI MISAWA