もうすぐ決勝ワールド・カップ!

三澤洋史 

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もうすぐ決勝ワールド・カップ!
 日本時間の明け方、フランスがブラジルを破って上位4チームが決定した。アンリのシュートを中心としてフランスは強かった。フランスは基本的に強い国な ので不思議はないのだが、僕の気持ちは複雑で、日本を破ったブラジルに決勝進出して欲しかった気持ちもある。
 娘の話によると、パリでは自国がサッカーに勝つと、自動車はクラクションを鳴りっぱなしにするし、街角のあちこちで歌ったり踊ったりのお祭り騒ぎになる そうだ。この間の日本対ブラジルの時は、長女の志保はみんながそうしているようにカフェのテレビで観戦していた。でも自分の後ろにいたのはみんなブラジル 人だったそうだ。彼らが勝利に酔い、バカ騒ぎをしている間に逃げるように自宅に戻ったという。
 準決勝に進むのは、フランスの他には当初から予想していたようにドイツ、イタリア。そして珍しくポルトガルがイングランドを下して仲間に入った。

 僕の脳裏には数年前、バイロイトでヨーロッパ杯の決勝フランス対イタリア戦を、メゾ・ソプラノの小山由美さん達とカフェで見たことが甦ってくる。小山さ んは、サッカーを見る時は完全にドイツ人のようになってしまって、大声で、
「Tor ! Tor ! Tor !(ゴールだ、ゴールだ、ゴールだ!)」
と叫ぶので隣にいてびっくりした。
 この時はドイツ人達はみんなイタリアを応援していた。普段は、彼らはイタリア人を馬鹿にしているのだが、どうやら馬鹿にしながら親近感は持っているよう で、こうしてフランスと対決するとなると、何を考えているか分からないフランス人ではなく、迷わずイタリア人を応援するのだ。

 サッカーって、見れば見るほど完成したスポーツだと思う。僕が野球をあまり好きではないのは、選手の運動量に差があり過ぎるからだ。外野手なんかは、ガ ムを噛みながらいかにも暇そうにボーッとグランドに立っている。一方、ピッチャーとキャッチャーの運動量は凄い。まあ、言ってみればオーケストラみたいな ものだね。コンサート・マスターとチューバみたいなものか。あるいはシンバル専門の打楽器奏者とかね。
 笑い話にこういうのがある。ドヴォルザークの「新世界交響曲」ではシンバルが一カ所だけ出てくる。演奏旅行で雇われた打楽器奏者が、交通費も宿代も支払 われて、いざ演奏会。でもその場所で入りそびれて、結局何もしないで帰ってきてしまったという話。まるで一度もボールが来なかった外野手みたいでしょ。
 そこにいくとサッカーはいい。運動量が均等。各選手の役割は違っても、重要度は同じ。みんな走っているのでスポーツらしい。手が使えないという不自由さ はあるが、逆にその不自由さがこのスポーツを完璧なものにしているのである。つまり、その不自由さが手以外のものでボールを操るという技を産み出し、その テクニックの披露がカッコ良さを産んでいるのである。ドリブルやヘッディングなどの技がきまった時、あるいはシュートする選手のカッコ良さは野球などの比 ではない。

 さーて、どこの国が優勝するかね?僕の予想はこうだ。ポルトガルの情報がないので無責任なことは言えないのだが、フランスはおそらくポルトガルを下し、 決勝戦に出場するだろう。ドイツは開催国であるという有利さを持っているから、対イタリア戦で落ち着いてプレーすれば勝てると見ている。イタリアは予想外 の動きをするから油断は出来ないんだけどね。
 そして決勝はドイツ対フランスだ。うーん、娘を二人フランスに人質に取られているのでフランスを応援したいのだが、やっぱりドイツに賭けるな。多分三澤 家は家族で応援が分散するな。でも楽しいな。ワールド・カップ!!

多忙な夏がやって来た
 とうとう7月に入ってしまった。新国立劇場では「こうもり」が大好評の内に終わり、高校生の為の鑑賞教室「カヴァレリア・ルスティカーナ」の立ち稽古に 入っている。昨年は「蝶々夫人」を僕が指揮したが、今年は音楽ヘッド・コーチの岡本和之君が指揮者だ。

 6月30日(金)、子供オペラ「スペース・トゥーランドット」のキックオフ・パーティーが行われ、いよいよこのプロジェクトも本格的に始まった。
 しかし僕のオーケストラ・スコアはまだ完成していない。オーケストレーションは自分で言うのもなんだけど、かなりイカしてる。それだけに丁寧に作っているので思ったよりも時間がかかっているのだ。
 オケ・スコアはフィナーレという譜面ソフトで作っているのだが、自宅でないと出来ない。新国立劇場の練習の合間にノート・パソコンでちょいと出来ればいいのだけれど、スコアは大きいディスプレイでないと全体が見渡せないのだ。だから僕は聖ミカエルとサモトラケのニケに囲まれた19インチ・ディスプレイの前でじっくり作るしかない。
 といっている間に早くも立ち稽古で直しが出ている。演技に合わせて、細かい修正が入るのだ。こうした作り方こそが僕の望んでいたものだ。オペラでは、一度作曲家が作ってしまうと、もうその寸法で全てが決まってしまい、演出家の方としては音楽に合わせるしか方法がない。でもこうした作品では双方向でのアプローチが可能である。とにかく音楽のみが優先するわけでもなく、ドラマのみが優先するわけでなく、僕が究極目的としている音楽とドラマの融合がここにある。

 あのね、後ろのスクリーンではCG、すなわちコンピューター・グラフィックスが全編に渡って映し出され、劇の進行や音楽に合わせて進んでいくんだ。約一時間の上演時間中55分くらいあるんだよ。だから立ち稽古もCGを見ながら行うことにもなる。惑星が飛び交ったり、宇宙戦争の様子が映し出されたり、うまくいけば、全く画期的な公演となること請け合いだ。いいや、絶対にうまくいかせなければ!
 「スペース・トゥーランドット」のキックオフ・パーティーの様子は新国立劇場のホームページで見れるよ。僕の写真もある。

 今日(7月2日、日曜日)には、長女志保が帰ってくる。今だからもう言ってもいいだろうけど、志保は「スペース・トゥーランドット」で練習ピアニストと本番のオケ中ピアニストを務める。その後「おにころ」も弾くので、今年の夏も志保にとっては忙しい夏となる。こんな若い内に新国立劇場デビュー出来るのは親の七光りと言われるかも知れないが、七光りが届くのは最初のチャンスだけ。そのチャンスを生かすか殺すか、そして次につなげるか否かは本人にかかっている。それ以上は、たとえ親であっても何も出来ないのだし、してはいけない。

雑食読書
 そんな風に忙しい僕だが、行き帰りの電車の中での時間はひたすら読書をする。ここのところはi-Podでマイルス・デイヴィスもちょっとご無沙汰。結構波があるなあ。
 読むのは素晴らしい本ばかりでもない。音楽でもそうだけど、僕は自分でもあきれるくらい雑食なのだ。

 その中からひとつだけ紹介しよう。数日前に買った本。小林よしのり著、「いわゆるA級戦犯」幻冬社。
「ええっ?三澤センセーって小林よしのりの本なんて読むのお?」
という声が聞こえてきそうだね。実は小林氏の本は随分読んでいるのだ。
 断っておくけど、読んでいるからといって、即、彼の主張する全ての説に同調しているなんて思わないで欲しい。小林氏の本には断定的な口調が見られるし、首をかしげる表現も少なくない。にもかかわらず僕が読むのは、日本全体がまるで申し合わせたように同じ論調に傾く時に、違うことを言っている人の意見に耳を傾けたいからだ。

 その意味では、この「いわゆるA級戦犯」は新しい発見を僕にもたらしてくれた。僕たちは何も調べもしないで、ただ漠然とA級戦犯とは「最も悪い奴」と思っているが、果たしてA級戦犯とは一体どのような人達だったのか?それと東京裁判とは一体どのような裁判だったのか?この本を読んでみて、少なくとも僕は、それらのことについて何も知らなかった自分を恥じた。
 詳しい言及は避けるが、結論を言うと、A級戦犯の選定も東京裁判自体も、決してきちんとした価値判断に従って行われた正当なるものではなかったということだ。
 日本では戦後の占領政策が驚くほどスムースに行われたのだね。アメリカにとってもこんなにうまくいくとは思わなかっただろう。現在のイラクのような状態が長く続くと覚悟していたようだ。だからこの日本での成功体験が逆にアメリカを増長させ、ベトナム戦争やイラク戦争後の占領政策に対する楽観視を産んだと主張する学者もいる。

「いわゆるA級戦犯」は漫画なので、なんだかふざけたような感じで書いてあるが、言っていることはマトモで一読に値する本だ。でも、僕はかつての日本が誤りのない国だなんて決して思ってないからね。日本のマスコミのように、物事をすぐ白か黒か決めつけようとする姿勢こそが問題なんだ。

 世の中にただ良いだけのことや、ただ悪いだけのことなんて少ないんだよ。福井俊彦日銀総裁の問題に関してだってそうだよ。一度問題が噴出してきたらもうマスコミは福井さんがやめるまで叩き続けるな。あるいは自殺するまで追い続けるかも知れない。でもそれって村上さんが逮捕されたからじゃない。ホリエモンの時もそうだった。
「逮捕されたこの犯罪者と関わっていた奴がどこかにいるはずだ!それは誰だ?」
って感じで魔女狩りが始まったんだ。
 言っておくが、福井さんは犯罪者ではない。でももう完全に犯罪者扱いだ。こうした一極集中こそ、最も怖いことなんだよ。反対意見なんて決して言えない雰囲気ではないか。で、みんなは福井さんを抹殺し、忘れ去り、また次のカモを求めてさまようのだ。要するに誰でもいいんだ。生活のイライラを忘れさせてくれそうなスケープゴートであれば・・・・。

 こんな怖い世の中であるから、僕はあえて反対意見に耳を傾ける。その上でどちらが正しいのか自分なりに考え判断するのだ。
 みなさん!判断だけは他人の頭でしては駄目です。そのためにはいろんな視点を持たなくてはならず、いろんな視点を持つためには、読書が必要です。つまらない本でも、くだらない本でも読まないよりはいいんだよ。ただし内容を鵜呑みにせず、常に距離を置きながら読むべし。



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