「スペース・トゥーランドット」開幕前夜

三澤洋史 

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「スペース・トゥーランドット」開幕前夜
 21日(金)には、いよいよ僕の書いたオーケストラ・スコアが音になった。パソコンで事前にどんなに音が出せても、やはり生のオケの音は全然違う。予想通り二人のパーカッション奏者は、楽器の間をまるでサッカー選手のように走り回る忙しさ。大太鼓を叩いたかと思うと、次の瞬間にはヴィブラフォンのバチを持って叩く。片手でグロッケンシュピール、もう片方でサスペンデッド・シンバルをバシーンと鳴らすなんてしょっちゅう。こんな人使いの荒い編曲家も少ない。
 伊藤佳苗さんと塚瀬万起子さんの二人のエレクトーン奏者は、舞台が宇宙なので、当然シンセ音も多く出すが、僕はなるべくシンセ音に頼らずに、生楽器の特性を様々に生かす工夫をした。トランペット、トロンボーンは様々な種類のミュートを使って音色を多彩にしたし、弦楽器も、ピツィカートはもとより、弱音器、弦を人差し指と親指でつまんではじくバルトーク・ピツィカートなど、あらゆる表現の可能性を追求した。
 トランペット、アルト・サックス、トロンボーンも最高音域から最低音域まで使う。みんな演奏し甲斐はあるが、体育会系のノリだね。誰だ、こんな疲れる譜面を書いたのは!

 22日(土)。歌手達が入り、オーケストラ合わせになると、歌手達は一様に、
「この人数でよくこれだけの音が出ますね。」
と言ってくれた。
 芸術監督のノヴォラツスキー氏は、終曲の「誰も寝てはならぬ」のサンバでは踊っていた。
「最高の音だ!大成功間違いなしだ。よくやった!」
と言ってくれたので、僕はホッとしたよ。

 今週から舞台に入り、いよいよ金曜日から公演が始まる。さあ、もう一息。世の中はここにきて梅雨が去らず、大雨で各地に被害が出ているが、僕にとっては熱い熱い夏が続いている。

おにころも燃えてきた!
 新国立劇場では、オケ合わせの後、いくつかの場面の録音。その後、国立の芸術小ホールに行き、「おにころ」の特別練習に顔を出す。もっと録音が早く終わると思っていたが、着いたのは八時半くらい。桃花(ももか)役の佐藤泰子さんと庄屋役の大森一英さんが来ていたので、メインの練習は振り付け兼演出助手の佐藤ひろみさんに任せ、二人の抜き稽古をやった。

 その後、士気の高まってきた「おにころワークショップ」の団員達と懇親会。谷保駅前の笑笑(わらわら)でビールを飲みながらの談笑は夜中まで続いた。おもしれえな、僕の人生。こんな楽しい思いばかりしていていいのだろうか。すみません。楽しくて仕方がありません!!

いきなし超真面目な話
 小泉政権最後の夏がやって来て、小泉首相が今年の8月15日に靖国神社を公式参拝するかどうかが騒がれている。そうした中、文藝春秋8月号では、大論戦8.15小泉靖国参拝と表紙に掲げた。

 メインの記事は、ノンフィクション作家上坂冬子(かみさか ふゆこ)が、衆議院議員の加藤紘一(かとう こういち)、日本遺族会会長の古賀誠(こが まこと)、靖国神社前宮司の湯澤貞(ゆざわ ただし)とひとりずつ対談を行った連続対談だ。
 これはとても興味深かった。それぞれがそれぞれの立場から、上坂女史の突き刺すような質問に答えていく。上坂女史は対談に先駆けてまず自分の立場を述べている。彼女は、「靖国神社が危ない。」という冒頭の文章に表されているように、「日本の国内問題としての靖国神社が外圧によってぐらついているのが情けない」(本人の文章)という立場を取っており、さらに、「総裁選を控えたこの時期に靖国、A級戦犯、追悼施設の三点セットを政争の具として位置づけるのは卑怯」と言い切っている。つまり靖国神社擁護派である。

加藤紘一氏との対談
 まず上坂女史が対談を行ったのは、彼女と真っ向から対立する加藤紘一氏。加藤氏は冒頭から次の総理は靖国に参拝すべきではないと言い切り、上坂女史との間に早くも緊張感が漂う。上坂女史が、
「今さら戦前の歴史を総括することにどれほどの意味がありますか。」
というと、加藤氏が、
「一人の国民ならそれでも構いませんが、全国民を束ねようとする人がそんな認識だと困ります。」
と言う。さらに上坂女史が、
「結局加藤さんたちの追悼施設案は、中国におもねってのことでしょう。」
というと、加藤氏は、
「そもそも首相の靖国参拝によって生じる様々な問題を解決するため、A級戦犯の分祀に取り組み始めたのは中曽根康弘さんです。」
と言い、さらに、
「A級戦犯が合祀される前までは純然たる国内問題だったと思います。(中略)しかしながら、A級戦犯が合祀された靖国神社に、国を代表する総理大臣が参拝すること、これは国際問題になってくるのです。」
上坂女史はすかさず、
「今さら何いってるんでしょう。どんな罪を犯そうと、国際裁判を受けて判決にしたがい、処刑された以上、事件は決着済みです。」

このように話は完全に平行線のまま進む。しかしこの対談を通して僕には初めてこの問題の根源の部分が見えてきた。それは次の遺族会会長との対談でさらに浮き彫りにされる。

遺族達の思い
 遺族会会長の古賀誠氏の立場は実にシンプルだ。古賀氏は父親を4歳の時に失っている。父親は昭和19年の米軍のレイテ島上陸の際に戦死したことになっている。当然、遺体や遺骨は戻ってこない。終戦後二年経ってから柩が戻ってきたが、中には紙が一枚だけ。「昭和19年10月30日、フィリピン、レイテ島ブラウエンにおいて没す」と書いてあったという。
 それを聞いて上坂女史が、
「それでも、亡くなった場所と氏名がはっきりしていれば、霊は靖国神社に祀られていますね。」
と言うと、古賀氏は、
「そうですね。私は月命日ということで、毎月必ず三十日前後に靖国にお参りするようにしています。」
と言う。

 つまり、遺体もなく埋葬もしようのなかった戦死者の遺族にとっては、英霊がとにかく靖国神社に戻ってくると信じることだけが心の拠り所なのである。さらに上坂女史の質問はしだいに問題の核心部分に触れていく。
「(A級戦犯達と)一緒に祀られるということに、何が一番抵抗があるのですか。」
「靖国に祀られているのは、やはり赤紙招集の方が一番多いんですよ。職業軍人ではありません。いきなり戦場に連れて行かれて、弾薬もないし食料もない状態で死を迎えなければならなかった。後方で安全なところから命令を下し、しかも戦場で死んだのではない人々と一緒に祀られることに抵抗を感じる遺族は多い。 そして残された方は戦後も大変苦労した。」
 そうして古賀氏は、遺族会としてではなく個人的にはA級戦犯達の分祀を希望しているのだ。これは、僕にはとても分かり易い意見である。さらに古賀氏は、靖国神社と離れたところでの追悼施設には真っ向から反対しているが、これもよく分かる。

 つまり問題は突き詰めるととても単純なのである。A級戦犯達の靖国神社への合祀が全ての問題の始まりなのである。次に掲載された靖国神社前宮司の湯澤貞氏との対談では、合祀について触れている。

湯澤前宮司とA級戦犯合祀
 A級戦犯の合祀は、戦後すぐではなく昭和五十三年秋の例大祭に行われ、翌昭和五十四年四月に新聞報道されたという。あらら、ちっとも知らなかった。僕が24歳の時じゃないの。随分遅いね。この辺のタイミングの遅さが誤解を呼ぶ原因を作ったな。

 小林よしのり氏は、東京裁判自体が正当な裁判とは言えず、従ってA級戦犯も本来裁かれるべき犯罪者というわけではないと主張する。その主張自体は間違ってはいない。A級というのはB級やC級よりも極悪人ということではなく、国家の中枢にいて、戦争を起こした権力の側の人間という意味だ。
 しかし、だからこそ遺族にとっては、A級戦犯とは、自分の近親者を赤紙一つで戦争に駆り立てた張本人であり、中国や北朝鮮、韓国にとっては、自分達の国の侵略を駆り立てた張本人なのだ。つまりA級戦犯とは、(その全ての人が裁かれるに値した者であるかの論議は置いといて)対外的な意味では、先の戦争における加害者の象徴なのである。

 上坂女史は、A級戦犯合祀の遅さを湯澤前宮司に突いている。
「A級戦犯の『祭神名票』が厚生省から送られたのは昭和四十一年なのに。十二年も合祀されなかったなんて。BC級は戦犯と言っても兵だから構わないが、A級の指導者の方は話が面倒になると困るから、しばらく放っておいた、ということでしょうか。」
その質問に対し、湯澤氏の答えはとても納得のいくものではなかった。

 ははあ、この辺が一番ヤバイところだな。つまりみんなA級戦犯を巻き込むとヤバイことになりそうな予感はしていたんだ。だったらそのまま放っておけばよかったね。一体誰だい?わざわざ合祀に踏み切ったのは?

 さらに靖国神社の宗教観からしてみると、一度合祀したものは分祀は不可能だそうだ。
「そもそも神道には本を断つ『分祀』という概念がありません。『分霊』『御霊分け』といって、ある神社の神様を他所に分けてお祀りすることはありますが、元のお社からいなくなられるわけではない。ひとつのロウソクから他のロウソクに炎を分けたとき、当然ながら元のロウソクの炎も消えません。ふたつの炎は本質的に同じものなのです。」(湯澤)

 この説明に納得しない人は少なくない。遺族会会長の古賀氏などもあからさまに、
「こんな説明で納得出来ますか。」
と言っているが、僕は逆にこれは宗教としては当然だと思う。
 あのね、霊の世界というのはみんなつながっているんだから。マドレーヌ教会だってマグダラのマリアを祀ってあるけれど、マグダラのマリアだけいるわけじゃない。キリストはもちろんいるし、聖母マリアだって聖ペテロだってみんないるんだ。マドレーヌ教会で跪いて聖フランシスコに思いをはせることだって当たり前の行為だ。そういう意味では、たとえは変だけど、霊の世界はインターネットみたいなものだ。礼拝堂や社はチャネリングのセンターであり、「どこでもドア」だ。宗教では当たり前の概念だよ。

 でもね、みんなつながっているとは言っても、それでも人は聖ペテロの為に特別にサン・ピエトロ(聖ペテロ)寺院を建て、聖クララのためにサンタ・キアーラ(聖クララ)教会を建てるのだ。だから靖国神社もA級戦犯の為にA級戦犯を祀る社を造ればいいんだ。そうすれば、教義上は靖国神社にも依然A級戦犯の霊がいたって、外国には、
「あっちに移ったよ。」
と言えて、首相でも天皇陛下でもどんどん参拝出来る。

昭和天皇が合祀に不快感!
 こんなことを考えていたら、朝、朝日新聞を見て、
「あっ!」
と思った。昭和天皇がA級戦犯合祀に強い不快感を持っており、それを知った時以来、靖国参拝をやめていたのだそうだ。天皇陛下が反対していたというのは湯澤氏の発言と矛盾があるなあ。だってA級戦犯の合祀だって、天皇の承認の元に行われたように言っていたのだ。
「霊璽簿(れいじぼ)のうち一冊は、合祀する前に宮中に上奏いたします。」(湯澤)
「天皇に合祀をお知らせするわけですね。」(上坂)

で、僕なりの結論
 靖国神社とは別に追悼施設を作り、遺族の人にそっちへ行って下さいなんてことはやめた方がいいなあ。遺族の感情をさかなでするし、戦死した霊にとってもいい迷惑だ。靖国神社は靖国神社であり続けることに僕は何の抵抗感もない。

 しかし、今のようにA級戦犯を合祀したままで首相が公式参拝するのを、純粋な内政問題だから他国は干渉するなと思う意見は楽観的すぎる。戦争犯罪の問題はもう解決済みだといくら日本が思ったって、そうは簡単にいかない。
 太平洋戦争はふたつに分けて考えるべきだ。対アメリカと、対アジア。日本はアメリカと戦う太平洋戦争を行った。ここにおいて問題はあまりないのだ。しかし対アジア、特に朝鮮の植民地化と日中戦争に関しては、あきらかに加害者であり、相手の被害者意識は不当なものではないのだ。
 日中戦争に関しては、僕が子供の頃は支那事変あるいは日華事変なんて言って戦争という認識すらなかったんだ。それに自分達の感情の中に、欧米人へのコンプレックスの裏返しとして、朝鮮人や中国人に対する根拠のない優越感や差別意識は確かにあったし、現代でも至る所に見いだされる。

 A級戦犯が合祀されている靖国神社に首相が公式参拝する行為は、本来ならば戦争犯罪人を裁いたアメリカこそが真っ先に抗議すべきことなのだ。誰もそう思っていないが、理屈から言えばそうだろう?
 だがアメリカは、日本が戦後戦争を反省していないなどという認識は持っていないし。日本が軍国主義に復活するなどという危惧も抱いていない。要するに、これは被害者であるアジアの感情論なのだが、感情論を軽んじてはいけない。アジア諸国に配慮することは、決しておもねるとかということじゃない。

結局、やはりA級戦犯の分祀しかないと僕は結論づけるね。難しくて長い今日の僕の話に付き合ってくれてありがとう。




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