伊香保温泉への道

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

8月22日火曜日、午前11時
 群馬宅から伊香保温泉に向かう。僕は前の日の「ドン・カルロ」立ち稽古の後、高崎線に乗り新町に来ていたのである。妻が愛犬タンタンを隣町の玉村に住んでいる妻の母親のところに預けて帰ってくると、そのまま僕は二人の娘と共に妻の車に乗り込んだ。
 20日の「おにころ」が終わって家族全員で一息つきたいところだったので、この一日だけの休みはとても貴重だった。藤岡インターから関越自動車道に乗り、わずかの間だけ東京方面に向かうが、それから藤岡ジャンクションを高崎、渋川方面に曲がる。あっという間に渋川インターに着いてしまった。
「どうすんの?これから・・・。」
と次女の杏奈が聞いてくる。
「うーん、まずはね、グリーン牧場に寄ってソフトクリームでも食べるだね。」
「あんの?ソフトクリームなんて?」
「馬鹿だなあ。牧場といったらジャージ牛乳だろ。そのジャージ牛乳から作ったソフトクリームがあるに決まっているじゃないか。」
妻が横から、
「でもジャージ種の牛がいるとは限らないじゃない。」
というので、僕は反論して、
「いいや、牧場といったらジャージだね。なんといってもジャージだよ。ジャージ種の牛がいなかったら牧場のお兄さんがジャージはいているよ。」
「なんだそりゃ。」

 結局、グリーン牧場にはジャージではなかったけれどソフトクリームはあった。中に入ろうと思って入場料を見たら千円以上もするので、
「うわあ、四人で四千円だよ。馬鹿らしい。小ヤギとか抱っこ出来るそうだけど、家でタンタンを抱っこすればいいさ。やめよ、やめよ。」
とやめた。その代わりそこのおみやげ物屋でいろんなものを買った。気がついてみたら「下仁田ネギ・カップラーメン」とか、ろくでもないものばかりかごの中に入れていた。しめて約五千円。あれ?牧場に入るのもったいながったくせに・・・・。

水澤観音と水澤うどん
 それから水澤観音に行った。ここは不思議なところで、阿弥陀如来や大日如来像などが並んでいる隣ではお稲荷さんを祀ってある。立派な鐘がぶら下がっている鐘つき堂の色は真っ赤で鳥居のように見える。神社だかお寺だか全く分からないんだ。
 おみくじを買った。開けてみると全員のおみくじが大吉で、しかも僕のと杏奈のは全く同じ文章だった。おいおい、三種類ぐらいしか入ってなかったりして。いい加減だな。

 もっとも、お目当ては観音様ではないんだ。お昼を水澤うどんのお店で食べるのが目的だ。群馬と言ったら水澤うどんと言われるくらい、あのシコシコっとしてツルンという感じの水澤うどんは有名なんだぜ。
 出掛ける時、僕のお袋が、
「いろいろあるけれど、おいしい店は少ないからね。観光バスが止まっているような店はかえって駄目だからね。坂の上の店がおいしいよ。」
と教えてくれたんだけど、その坂の上の店には観光バスが止まっていた。そこで妻に、
「観光バスが止まっているような店は駄目とお袋は言ったね。」
と言って、自分達の目でその辺の店を物色してみようということになった。
 街道沿いの両側に沢山の水澤うどんの店が並んでいる。どこがおいしいのか皆目見当がつかない。結局、観光バスが並んでなくて、一番さりげない店に車を止め、僕達は入っていった。
 しかし、これが見事に大はずれ。麺は柔らか過ぎてコシがなく、テンプラは家でも揚げられるような平凡なもの。しかも値段は千六百円。うー、最低!店の名前はあえて言いませんが、やっぱり親の言うことは聞いた方がいいね。

榛名湖と突然甦った衝動
 伊香保温泉は群馬に住んでいるととても近くてすぐ着いてしまう。予約した旅館のチェックインは三時だという。まだ随分あるぜ。そこで榛名山に行くことになった。ところが車が上り坂になった途端、いきなりどしゃぶりの雨が降ってきた。
「ひゃあ、なんだこりゃ!」
フロントガラスに叩きつける雨粒で前が見えないほどの豪雨の中、車はめげずにS字のカーブをひたすら登っていく。

 しかし驚くことに、カーブを登り切って山頂に着いた途端、雨はまるでこれまで何も存在していなかったかのように止んで、目の前にはまるで嘘のような鮮やかさで外輪山と高原の景色が広がった。とは言っても山々の頂にはまだ白い雲がまとわりついている。右手には円錐形の榛名富士が見えてきた。抜けるような青空が広がっているが、同時にその青空を無遠慮に横切っていく忙しそうな雲が、これまでの豪雨と現在の不安定な天候を物語っている。 道がまっすぐに延び、左側には黄色い花が一面に咲き乱れている。やがて右手に小さいけれど美しい榛名湖が見えてきた。

 榛名湖には想い出がある。小学校五年生の時に高原学校というのがあって、泊まりがけで榛名湖に来たのだ。僕たちは、そこでカヌーを漕いだり、夜にはキャンプ・ファイヤーを囲んで歌を歌ったりして楽しんだ。その時の榛名湖は、今よりずっと大きかった印象がある。そんなことを考えていたら、突然はじかれたように僕の心にある感情が甦った。

 そうだ!この気持ちだ!あの頃、僕はよく、なにか得体の知らない情熱が胸に溢れてきて、自分で自分を制御できない気持ちになったものだ。胸がキューンと締め付けられるような、極端なメランコリーが僕を支配するんだ。同時に当時僕は思った。自分に大きな可能性が眠っていて、僕は将来日本だけじゃなくて世界を股にかけるような仕事をしなければと。あるいは、自分はいつか、自分自身の体を焼き尽くすような大恋愛をしなければと。そんないろんなわけもわからない気持ちがごっちゃになって自分の内部の奥底からマグマのように飛び出してきたのだ。
「もしかしたら、僕の人生はずっと、あの内面からのマグマに突き動かされて来たのかも知れないな。」
と僕は思った。その声は、すでにあの頃僕に聞こえていたんだ。
 はっきり言って体を焼き尽くす大恋愛というのはただの勘違いかもしれないけどな。でも僕が途中から勉強を放棄して音楽の道に進むんだと決心したり、当然のことのようにベルリン留学をするんだと決めていたり、現在の自分がここにあるのは、あの胸の衝動に導かれたからなんだ。驚いたな。それが突然甦ってきたなんて。
 感情は一瞬で消えてしまった。でも榛名湖と榛名富士の眺めは今も僕の心に残っていて、その景色を思い出すと、それだけであのレモンの酸っぱさのような気持ちが胸にかすかに戻ってくるんだ。

旅館
 はっきりいうと、旅館も当たりというほどではなかった。部屋も平凡。最も旅館は旅館だからな。そう画期的な部屋というのはあまり期待は出来ない。
 料理は、ひとつひとつはとてもおいしいのだけれど、コンビネーションが悪すぎてうんざりしてしまった。だってたっぷりのローストビーフの後に岩魚の丸ごと焼きが出てくるんだぜ。その後茄子と湯葉の揚げ物と蕎麦が出た後、また炭水化物のご飯が出るんだ。
 そんな旅館だったけど、まあ、家族水入らずだからね。別に構わなかったよ。お風呂には何度も入ったし、体の隅々の疲れがほぐれてくるのが自分でも刻一刻感じられた。

大道芸人
 一番印象に残ったことがある。宿に着いて最初にお風呂に入った後、夕食までの時間に温泉街を散歩した。すると石段街の下の方で大道芸人がこれから芸をやろうとしていた。どうせ暇なので、僕たち家族四人は一番前に座り込んで大道芸を見た。いやあ、これが素晴らしかったのだ。技ありユーモアありエンターテイメントありで、少しも飽きさせない。
 僕は、どこかでこれとおんなしノリがあったなと考えて、すぐ分かって自分だけで笑ってしまった。そうだ、「スペース・トゥーランドット」だ!
 「スペース・トゥーランドット」は、前作の「ジークフリートの冒険」よりもずっとエンターテイメントのノリだったのに、不思議とクラシック・ファンからも批判の声が出なかったのは何故なんだろうとずっと思っていたのだ。その理由が今日分かった。ここまで徹底してエンターテイメントに徹すると、もう人は文句も出ない状態になってしまうのである。
 何事も中途半端はいけないのだなと、僕は一人で妙な納得の仕方をしてしまった。それにしてもその技たるや、どうしてここまでやるのと思うくらい、けなげなほど素晴らしく、感動して泣きそうになったくらいだよ。

怪談と停電
 夕食後、テレビをつけたら怪談の番組をやっていて、少し見たのだけれどなんとなく嫌な感じがしたのでチャンネルを変えさせた。するとそれから少し経っていきなり停電になった。
「ひゃああああああ!」
娘達が騒いでいる。窓から外を見てみると真っ暗だ。どうやらこの旅館だけではないらしい。
「ヤだ。気味悪いよう!」
廊下に出ると旅館の人が、ここだけでなくて辺り一面みんな停電ですと言っている。停電は十五分くらいして治った。次の朝聞いたら、雷が変電所に落ちたということで、かなり広範囲にわたって停電となったらしい。

いよいよ本当に夏の終わり
 こんな風にして伊香保温泉から帰ってきた。一泊だけだったけど、随分気分転換になったし、リフレッシュした気分。でも次の日は午後から仕事だったのだが、朝入ったお風呂のせいで体から緊張感が漲ってこなくて、ボーッとしてしまっていた。本当に元気溌剌になるためには、あと一日を必要とした。

 志保は28日の月曜日にはすでに機上の人となる。杏奈はあと一週間いるけれど、また妻と二人。あるいはタンタンも含めて2.5人の静かな生活が戻ってくるなあ。もうすぐ秋。またブラームスが似合う季節になる。



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