イタリア展

三澤洋史 

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イタリア展
 京王線に乗っていたら、駅や電車内の至る所で「新宿京王百貨店でイタリア展」と宣伝が出ていた。7日(木)から12日(火)までだという。どこかで行ける時ないかなと思っていたら、8日の金曜日が、新国立劇場では「イドメネオ」の合唱音楽稽古が五時までだったので、その後に行ってみた。

 七階大催場にエレベーターで着くと、結構な人混みでごったがえしていた。うわあ、世の中には暇人がいるもんだなあ、と思ったけれど、自分もその一人なので人のことは言えない。人混みの中から、さっきまで一緒に練習していたソプラノ団員のKさんが急に現れてきた。無理もない。イタリアと聞いて放っておけない気持ちになるのは、僕よりもむしろ歌手達だろう。
 アクセサリーや置物などいろいろあったが、僕の目当ては何と言っても食べ物。それは、おそらく他の客達も同じみたいで、人口分布が全然違う。
 試食、試飲。これがフェアーの醍醐味でしょう。まずパルマ産プロシュート(生ハム)。これは、大きな腿肉が丸ごと置かれ、そこからナイフで切ってはみんなに配っていた。う、うまい!それからバルサミーコ酢や、バジル、レモンなどいろんな味が染みこんでいるオリーブ油。小さく切ったパンにつけて味わう。そしてモッツァレラや青カビのゴルゴンゾーラなど様々なチーズ。一通り回ってから財布と相談して買い始めた。

 かなり良い品物が置いてあるかわりに、値段も結構良い。モッツァレラなんてイタリアで買ったら百円くらいだから、あんな風にみんな何気なく食べるのに、それが千円もしたら、こんなキャラクターのない食べ物にそんなに出せるかよ、と馬鹿らしくなっちまうよ。
 結局買ったのは、まずパルメザン・チーズ(イタリア語ではパルメジャーノ)。と言っても粉チーズではないよ。かたまりで売っているのだ。これは硬過ぎず、香り豊かで、しかも値段も手頃。次にオリーブと乾燥トマト。この乾燥トマトは甘くてみなさんにお薦めです。最後に例のパルマ産プロシュートを買った。
 他に生パスタやサラミ、あるいはワインなど心の動くものも少なくなかったけれど、今日のところはこれくらいと、気が変わらない内にさっさと引き揚げた。

 帰りに府中駅の京王ストアでルッコラとレタス、それにパンを買った。しかし家に帰ると妻は風邪をこじらせていて洋食は食べたくないと言う。納豆やらとうがんを煮たのやらでご飯を食べるんだって。ありゃりゃ。
 僕は今日はサラダとパンだけ。でもそのサラダたるや、超豪華イタリアン・サラダだい!お皿にレタスを敷きルッコラをまき散らし、プロシュートを手でちぎってふんだんに置き、乾燥トマトとオリーブを形良く置き、パルメザンのスライスをまき散らす。その上からオリーブ油とバルサミーコをかけて出来上がり。パンと一緒に食べる。冷蔵庫の中に残っていたシャブリの白ワインとの相性が最高なんだ。シャブリはフランスだけど、まっ、いっか。さっぱりした辛口だったらなんでも合うさ。多分ドイツ・ワインだけは合わないだろうな。
 妻が納豆ご飯の合間に箸で反対側からつまみ、乾燥トマトがおいしいといって食べていた。僕はしかし、この食事の合間に納豆をつまむ気持ちだけは起きなかった。

 イタリア展は12日までやってるからね。このホームページを読んでから行ったらギリギリか。パルマ産プロシュートは、これを食べると通常のパックに入っているものなんて食べられませんよ。それと乾燥トマト。これを買うだけでも行く価値あるからね。でも、別に僕は京王の回し者でもなんでもありません。

六団広島に行く
 次の日曜日17日は広島に行く。その日の朝早く飛んでそのまま本番、一晩泊まって月曜日の朝向こうを発ち、午後二時の新国立劇場「ドン・カルロ」公演に出る。

 広島の「水の都ひろしま推進委員会」では、みんなが口ずさめるような「川のうた」を選定し、水都文化の形成を図ることとなった。全国から114曲もの応募があり、二次公開審査を通過した5曲を、三枝成彰氏をはじめとする審査員が最終公開審査を行い、最優秀賞、優秀賞などを決定するという。その優秀賞候補作品の披露と審査結果発表までの間に、「川のうたコンサート」があり、我が六本木男声合唱団倶楽部が演奏するというわけだ。

 メインの曲は三枝氏の男声合唱組曲「川よとわに美しく」。これは米田栄作氏が原爆で二歳の息子さんを亡くされた体験をもとにレクィエムとして書いた詩に、三枝氏が1981年に作曲したものだ。三枝氏曰く、「自分の全作品のなかで最も売れた作品」だそうで、当時全国のグリークラブでさかんに取り上げられたということだ。
 なんで僕は知らなかったのかな、と思って考えたら、1981年といえば僕がベルリンに留学した年。日本を離れて日本の情報に最も疎くなっていた時期だし、その後留学から帰ってきても、しばらくは合唱音楽から離れていたから、自分とすれば意識の隙間に生まれていた曲なんだ。

 あらためて詩を読むと、子供を亡くした無念さと、それでも街の再生を願う祈りとに満たされていて胸を打つ。
 僕が一番好きなところは、第四曲目の終わり。

しずかにお聞き
水脈(みお)にひびいている久遠の鐘を

が静かにアカペラで歌われた後、ピアノが鐘の音を模写して何度も何度も繰り返すところがとてもきれいなんだ。伴奏の岩井美貴さんは、僕の長女志保と感性とか弾き方が似ていて、音は大きくないのだが、こういうところではとてもセンシティブで素敵な弾き方をする。こうくるとどうしても僕は終曲の

ふたたび すばやく甦ったもの
それは三角州(デルタ)をつらぬく川だった

という始まりを静かにゆったりと始めたくなる。それからテンポを徐々に上げ、終曲のクライマックスを形成する。こう設定して練習していたら、三枝氏が来て、
「終曲の最初さあ、もっと速いんだけど・・・。」
と言う。
「それは分かっているんだけど、流れを追っていく内にゆっくり始めてみたくなったんですよ。駄目かなあ。」
「やっぱりもっと速くやって欲しい。」

 困った!この作品は作曲家が生きていた!バッハとかモーツァルトだったらよかったんだが、曲を作った本人がそばにいたんじゃ仕方ない。まあ、「ふたたびすばやく甦った」という言葉を考えたら、さっと速く始めてしまうのも手なんだけどね。
 それで、もう一度前の曲の終わりからつなげてみたんだけど、どうも自分的にはしっくりいかない。内容の深刻さに比べて曲が軽くなってしまうような気がするんだ。

 そんなわけで、つじつまが合わないまま練習を終えた。こんな時の僕は、自分でも情けないほどへこんでしまう。団員達は別にどっちでも関係ないんだけどね。今週末の「ドン・カルロ」公演後にもう一度最後の練習があるのだが、そこまでになんとか考えないといけない。多分第四曲目の出だしをもう少し遅くするかも知れない。
 こう書いても、僕が一体何を悩んでいるか分からない人は多いだろうな。僕はとてもテンポにこだわる指揮者だ。いや、テンポだけではない。全体の構築性にこだわると言った方がいいな。「おにころ」でも「ナディーヌ」でも「スペース・トゥーランドット」でも、自分で全部構成して音楽的なドラマを作っているだろう。だから他の人の作品でも、どう構成しているのか、それをどのような構築性をもって演奏したら一番説得力のある演奏になるか、ということに最大の関心があるんだ。テンポもそのためのひとつの武器。
 だから個々の箇所は決してその場所だけであり得るのではなく、ひとつが変わると全体のありようまで変わってしまうのである。特に今回は広島の原爆の作品を広島で演奏するんだぜ。ようく考えて嘘のない真実の表現をめざさなければならないと思う。組曲の最初からもう一度初心に還って、この一週間考え直そう。

ふたたび9.11~アメリカの没落
 また9月11日がめぐってくる。それに先駆けて朝日新聞では米国を代表する作家のノーマン・メイラー氏のコメントが載っていた。このコメントに僕は全面的に賛同した。本当は全文引用したいところだが、そうもいかないので少しだけ紹介したい。
 彼は9.11以降のアメリカのあり方に深い憂慮を覚えており、「どの国よりも強力なはずの米国が、まるでいじめっ子のように行動しているのは醜い。」とまで言い切っている。

ブッシュは「玄関ドアを開けたらテロリストがいて、あなたを爆死させますよ」 と言っているかのようだ。イスラム勢力を止めなければ欧米社会が破壊されると いう主張は間違いだ。

米国では交通事故で年間4万人も死んでいるが、誰も自動車を禁止しろとは言わない。「テロとの戦い」のために、思想や表現の自由まで投げ出してはならない。
フセイン政権が殺害したよりも、ずっと多数のイラク人がこの戦争(イラク戦争)で犠牲になっているのだ。

 9.11のようなテロ行為は断じて容認されるべきものではないが、そもそも9.11は何故起こったかに言及する者は現在では少ない。これは単なるアメリカへのやっかみや逆恨みが原動力になっているのではない。アメリカという国がこれまでとってきた「力で全てを封じ込める」やり方に対する抗議であり、アメリカの「自分達のみが正しい」という思い上がりに対する警告から端を発した行為なのである。

メイラー氏は、さらに日本への原爆投下についても言及している。

当時は原爆投下のおかげで戦争が終わった、自分も死なずにすんだと思っていた。 だが、客観的にみれば、原爆投下は非道なことだ。一発目については論議があるだろう。だが、長崎への2発目は“確実に不要”だったと思う。

 しかし、そこまでやってしまうのがアメリカだ。そうやって日本はグウの音も出ないほどにメタメタにやられた。広島も長崎も焦土、東京も焦土。あまりにメタメタだったので、抵抗する気も起きずに追従するしか道がなく、みんなが自信を失って、みんながトラウマを抱えて、情けない国、戦後の日本が生まれた。アメリカに逆らったら何されるか分かったもんじゃないからな。
 それにひきかえイスラム教の人達は勇敢だな。神風特攻隊が延々と続いているような状態だ。そうした閉鎖的社会がいい社会とは言わない。でもメイラー氏はこうも言っている。

米国はもともとはキリスト教の国だから、キリストの教えに従って清貧であるべきだと教えられている。だが、日々の生活では豊かさを追求して消費にふけっている。「日曜日は教会に行き、残りの日は金稼ぎ」だ。
そのことに罪悪感を抱いていて、心が二つに引き裂かれている。
引き裂かれているから、対外介入と孤立主義の間でふれて「聖戦」が必要になる。

 自爆テロを肯定するわけではないが、命や快適な生活よりも大事なものがあって、時には命を犠牲にしてでも自分の信じるもののために行動するというのは、宗教の出発点だ。
 キリスト教社会に組する米国社会と、イスラム社会のどちらが敬虔であり人間的であるかというのは一概に言えないし、教義を見る限り、イスラム教自体も邪教ではない。
 たとえば、イラク収容所でかつてあった米兵によるイラク人虐待などを見ると、どっちが野蛮人なんだよと言いたくなる。

 僕は、さらにもうちょっと違った考えを持っている。それは、もう米国には未来がないのだということだ。それが9.11以後だんだん露呈してきたのだ。
 歴史を見ると、ある時期ある国やある民族が大きく発展して文化の担い手となるが、やがてその爛熟と共に衰退し、別の民族に交代していく。19世紀は芸術を中心としてドイツがそうだった。しかしその傲り高ぶりがナチズムやホロコーストを生み、それに代わって20世紀はアメリカが文化の牽引役となった。
 しかし今のアメリカがやっていることは、質は違うが、ドイツが自国の優位さに溺れたかつての時代と同じ事なのだ。つまりそれは、もう没落が目の前なのだということである。傲慢が自らの繁栄に自ら幕を引くというのは、客観的に見たら、これも自然淘汰のひとつの現れなのではないかと僕は考える。
 では、21世紀はというと、僕は日本といいたいところなのだが、微妙だなあ。まあ、広くアジアであることには間違いないとは思う。でも日本が文化の牽引役を担うには、もっと自信を持たなければなあ。頑張れ日本!



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