ロクダン大成功!
大型台風が直撃する真っ直中の広島。六本木男声合唱団倶楽部による三枝成彰作曲合唱組曲「川よとわに美しく」の演奏が行われた。いやあ、本当に本番に強
い合唱団だ。前の晩のテノールへの“喝!”が効いて、テノールは抑制された音量で実に表情豊かに歌ってくれた。おう、分かってくれたか。最初からそうやっ
てくれたら怒られなくて済んだんだよ。ね、みんな。
広島という街で原爆をテーマにした曲を演奏する怖さは、演奏したものでないとわからない。少しでも嘘くさい演奏になってしまったなら、我々の善意は全て
偽善となってしまうのだ。でもロクダンの団員達は本当に真摯に作品に向かい合ってくれたので、僕は少なくとも曲の持つメッセージだけは充分に伝わったと信
じている。
途中、雨や風が物凄く強くなった時もあったが、不思議とお客様が入る時や僕達が移動する時などは静かだった。これも天のめぐみか。
ヴォコーダーと向谷さん
この作品はピアノだけの伴奏も可能であるが、本来はピアノに加えてシンセサイザーとヴォコーダーと呼ばれる楽器によって伴奏される。ヴォコーダーという
のは70年代に開発された電子楽器で、鍵盤を押さえただけでは音が出ない。鍵盤を押さえながらマイクに向かって声を出すと、その声やニュアンスを拾ってそ
れを鍵盤の音高で出してくれる。つまり僕の声で言葉付きでドミソという和音が出るのだ。とても面白い楽器だと思うが、残念ながら後継機が開発されないまま
製造中止になってしまい、現在では世界中で何台残っているだろうかという状態だという。
三枝さんは「川よとわに美しく」を作った80年代最初くらいにこのヴォコーダーに興味を持ち、この楽器を使用した曲を何曲か作ったという。そのヴォコー
ダーを自分で所有し、「川よとわに美しく」の初演から演奏しているのが、カシオペアという、かつて一世を風靡したフュージョン・グループのキーボード奏者
の向谷実(むかいや みのる)さんだ。
打ち上げでは僕はこの向谷さんと意気投合し、長い間語り合った。カシオペアが欧米で演奏旅行した時には、なんとマイルス・ディビスのグループとカップリ
ングだったのだそうだ。彼等は自分たちの演奏が終わった後、マイルスの演奏を間近で堪能していたという。 僕達はまずマイルスの話題で盛り上がった。その
後話題はモード理論や民族音楽などに次々と移っていき、彼と話していて飽きることがなかった。特に向谷さんはインドの音楽に詳しく、僕はインド音楽の哲学
や細かい演奏理論を彼から学んだ。
打ち上げは朝まで続いたようだが、僕は馬車がかぼちゃに変わる直前に引き揚げた。台風はまだまだ広島近辺にいるようだった。ホテルまでの道は遠くはな
かったし、雨は止んでいたが、風が物凄くて前に進めない。突風が吹くと本当に体ごと飛ばされると思った。
月曜日の東京行き飛行機の第一便は欠航になっていたので、二時の新国立劇場「ドン・カルロ」公演に間に合うかとても心配だった。しかし幸運にも第二便は
飛んで、僕は無事東京に戻って来れた。
花嫁の父親
ああ、いやだ、いやだね!女の子の父親になんてなるもんじゃない。義兄の新婦父親挨拶を聞いてウルウルしながらそう思ったよ。もし自分があの場にいたら
どんな気持ちだろうと思って、久雄兄さんの言うことを全て自分の身に置き換えているんだな。
どうやら、自分の娘が彼氏と付き合っているとかいうのと、“結婚”してよその男のものになっちまうというのは全然違うらしい。ヤバイぜ、これ
は・・・・。続く花嫁、すなわち姪の貴子のスピーチがまたいけない。
いくちゃん
貴子の結婚式を見ながら、僕は貴子の母親であるいくちゃんの結婚式の時を思い出していた。もう30年以上前の話だ。
僕には二人の姉がいる。学年で言うと僕が一年なら、長女のみっちゃん(通子)は五年生、次女のいくちゃんは間の三年生という年齢差。僕は末っ子で長男な
ので、親に甘やかされて育った。
僕が小さい時、親父かお袋がなにかおいしいお菓子を外からもらってくると、秘かに僕を呼び寄せて、
「ひろふみ、こっちへおいで。みんなにシーッでいいものあげるよ。」
とくれる。僕が食べていると、目ざといいくちゃんはいつも嗅ぎつけて、
「あっ、ひろふみ!またそういうズルして・・・。」
と僕からお菓子を取り上げ、僕の目の前で見せびらかしながらたいらげてしまう。
ミュージカル「おにころ」の中で、いじめっこがおにころから焼きまんじゅうを取り上げ、
「ほら欲しいか?でも食っちゃうもんね。」
とおにころの目の前でわざと食べてしまうシーンがあるだろう。そのいじめっこのモデルは、実はいくちゃんで、おにころは僕なんだ。
いくちゃんは僕だけ親から特別に可愛がられていることが基本的に不満で、親の目を盗んではなにかと僕をぶったりつねったりしていじわるした。僕はそんな
いくちゃんが憎たらしくてやっつけたかったけれど、いくちゃんは運動神経抜群で全く歯が立たなかった。なにせ、中学校の陸上部でいくちゃんが出した記録
が、この現在に至るまで破られていないというんだから当然だ。
「畜生!いつか大きくなっていくちゃんをやっつけてやるんだ。」
と心に決めていたが、不思議と中学校に入った頃から、なんだかとても気が合ってきて、僕はいくちゃんと大の仲良しになったんだ。いくちゃんも僕のこといじ
めなくなったし。高校の頃も、学校は違うが二人とも高崎に通っていたので、帰りに駅で会うと一緒に買い食いして二人で親に怒られたりした。
そのいくちゃんにたちまち彼氏が出来たのは高校卒業して和裁の専門学校に入って間もなくだった。そしていくちゃんは大恋愛の末、まだ二十歳そこそこで長
女のみっちゃんよりずっと早く、あっけなくお嫁に行ってしまった。相手は勿論、今日父親挨拶をした久雄兄さんだ。
生まれた時からずっと一緒に暮らしてきたいくちゃんがお嫁に行ってしまって、僕は心の中にぽっかり穴が開いたように淋しかった。また、永久に続くかと思
われた家族構成に突然の変化が訪れたことにも、少なからずとまどいを覚えた。しかし、それから間もなく僕自身も東京に下宿し、さらにみっちゃんもお嫁に
いった。群馬の三澤家はあっという間に親父とお袋の二人きりの生活になってしまった。
そうは言っても女の人は家に結びついているね。いくちゃんもみっちゃんも、なにかというと自分の子供を連れて実家に泊まりにきた。僕も大学時代には毎週
末洗濯物を持って群馬宅に帰って、日曜日に教会に行ってから東京に帰ったので、僕は甥や姪達とよく一緒に遊んだ。僕は子供が大好き。その中で一番早く生ま
れた貴子は特に僕になついていた。
時の流れは信じられないくらい速い。いくちゃんがお嫁に行ったのが昨日のよう。そして、いくちゃんがあの時輝いていたように、今日の貴子も純白の花嫁衣装
に包まれてまぶしいくらい美しかった。
でも、志保も杏奈もお願いだから、三つ指ついて、
「長い間お世話になりました。」
なんて言うなよ。それだけはご勘弁を・・・・。
新国立劇場のPA
先日、久し振りに2ちゃんねる掲示板を覗いた。すると新国立劇場のスレッドで、新国立劇場のPAについて盛り上がっていた。みんな憶測でものを言ってい
るので、正しい意見もあるし、全く見当違いなものもある。でもだからといって、僕が2ちゃんねるにヘタに投稿して、あの強烈な応酬の餌食にされても嫌だ。
新国立劇場がPAを使っているのじゃないかという批判めいた意見は以前からあったので気にはなっていた。実は新国立劇場のPAは僕がほとんど把握してい
る。この際、新国立劇場の音響について客観的な真実を書いてみようと思う。
オペラ劇場の音響について語る場合、区別しておかなければならないことがある。それはPAには二種類あるということだ。それは、オーケストラや歌声を増
幅して“客席”に響かせるPAと、舞台上で演技していたり、舞台袖あるいは舞台裏で歌ったり出を待ったりしている歌手達に聞かせるためのモニター・スピー
カーから出るPAの二種類だ。
生声で勝負
まず歌手の声を増幅して客席に響かせるPAであるが、これは特別な場合を除いては基本的には使っていない。オペラでは、生音のオーケストラに乗せて歌手
が生声で歌うのが原則。この劇場では、舞台上の声を増幅することは、ワーグナーでもヴェルディでも「一切やっていない」と僕は断言する。それで聞こえない
ような歌手は仕方がないのである。
それでもPAを使っているように聞こえたとしたら、それが実は困ったことに新国立劇場の音響設計なのである。新国立劇場は、一般的な言い方をすると、と
ても良く響く。いや、響き過ぎるのである。そのため客席の位置によっては“PAのような音”になってしまう。 特に「ドン・カルロ」のような舞台では、あ
の閉じられた舞台美術がいわゆる“お風呂場状態”の音響を作り出し、ますますマイクでひろったような音になってしまったのである。
それに新国立劇場では音が舞台中で響き合ってしまうので、舞台右側に歌手がいても、歌手の向きによっては逆の左側から聞こえてきたりする。つまり音の定
位を特定しづらいのである。それがますます人工性を醸し出している。
そんなわけで、「マイクでひろった音が聞こえる!」というお客様の感覚自体は間違ってはいないけど、その音こそが新国立劇場の音響構造なのだということ
は是非理解していただきたい。僕たちも変な音にならないように最大限努力しているが、響かないものを響くようにするには、エコーを人工的につけるなど打つ
手もあるが、響いてしまうものを響かなくすることは工事をして改築するより手がないのである。
誓って言うが、「ドン・カルロ」において、舞台上のいかなる歌手の声もマイクでひろって客席には出していない。
舞台裏のPA
だが舞台裏の合唱や楽器演奏は別である。たとえば「ドン・カルロ」冒頭、舞台裏の男声合唱。舞台稽古でまずアシスタントに振らせて合唱を歌わせ、僕自身
は客席で音響さんの隣にいて、まずマイクなしで歌わせてみた。
舞台両側の袖が開いている通常の公演だともっと声がダイレクトに客席にまで飛んでくるのだが、今回のように壁で仕切られてしまうと弱すぎる。それにひら
べったくて空間性に欠ける。そこで反対側のスピーカーからほんの少しだけ出して空間性を広げながら、音響レベルを決めていった。
このようにマイクを使う場所では必ず、合唱の場合は僕、ソロ関係やバンダ関係は音楽ヘッド・コーチの岡本君が音響さんに付きっきりでバランスを決めてい
る。
今回、火刑台のシーンで舞台裏から聞こえる楽器演奏、すなわちバンダは、バランスが小さいためPAを使ったのだが、そのPA音にマエストロが拒否反応を
起こしたため、その後は一切PAを切り、生音だけでやった。あれでも成立はしたが、やや小さかったでしょう。
天井まで閉じられているあの舞台美術では、スピーカーが良い場所に仕込めないので、PAも良い音では鳴らない。一口にマイクで拡声と言っても、どこにス
ピーカーを置いて、どのように鳴らしたらいいかというのを追求し出すとかなり難しい。しかもそれでいて自然に聞こえなければいけないんだから二重に困難が
伴う。まあ、生音で成立したならそれにこしたことはない。このようにオペラの場合、あくまで生音が理想でPAはそれの補助。
モニター・スピーカー
一方、通称「返し」と呼ばれているモニター・スピーカーから出る音に関してであるが、これは積極的かつ効果的に使っている。これには逸話がある。
僕が新国立劇場合唱指揮者に就任した当時は、劇場内に統一の取れた見解を持って、“音”を仕切る人がいなかった。当時の新国立劇場は、スター歌手がどん
どん来ていたので、一見海外の有名歌劇場と肩を並べているように見えていたが、劇場としてはほとんど貸し小屋としてしか機能していなかった。僕が初めての
常駐音楽スタッフで、音楽ヘッド・コーチもいなかったのである。
だから外人ゲスト歌手が、
「舞台上でオーケストラの音がよく聞こえないんだけど。」
というと、
「はいはい!」
って感じで、音響さんは舞台中に向かっているモニター・スピーカーのレベルをどんどん上げていた。
僕が合唱指揮者に就任したのは、2001年9月。バイロイト音楽祭から帰ったばかりの僕は、その音響状態を見て愕然とした。バイロイトでは、オケピット
の構造上、舞台上から聞こえるオケの音が極端に小さい。にもかかわらず綺麗な音を保つために、歌手がどんなに文句を言おうが、モニター音は最小限にしか
使ってないのだ。
一方、新国立劇場では舞台中に立つと、モニター・スピーカーから流れる音がまるで映画館のように朗々と鳴っていた。あんなに大きい声を出すオペラ歌手に
充分な伴奏音を提供したら当然の結果としてこうなってしまうのだ。そんな大音量のPA音は客席にまで洩れていた。
僕は劇場に常駐する唯一の音楽スタッフとして、これはなんとかしないと劇場の音は永遠に築けないという危機感を持って、音響さんに対し自分の意見をバン
バン言い始めたのだ。
2002年1月、僕は「ヘンゼルとグレーテル」を指揮した。僕はマエストロとしての権限を使って、ためしに舞台上に響かせる一切のモニター音を切ってみ
た。歌手にはあらかじめ伝えていた。すると舞台上の歌手とオケのバランスがとても作りやすくなったのに気付いたのだ。何故なら、モニター音がオケの生音と
混じり合って歌手の声を覆ってしまうということがなくなったのだ。当然の結果として、歌手の声はよりクリアーに客席に届く。オーケストラは必要以上に抑え
なくて済む。歌手にとってもオケにとっても良いのである。
だが、全てのオペラが「ヘンゼルとグレーテル」のようにうまくいくわけではない。舞台美術によっては、舞台の中にデッド・ゾーン、すなわちオケの音が特
に聞こえにくい場所が出来てしまう。その為にはモニター音が不可欠なこともあるのだ。さらに、舞台後方から出る歌手達には、きっかけのオケの音が充分わか
るように響かしてあげないといけない。それで公演に際しては、随所にモニター・スピーカは置いてあり、いろいろ役に立っているのだ。
でも「ヘンゼルとグレーテル」以後、モニター・スピーカーの音量は必要最小限になった。僕はアシスタント・コンダクター達にも、裏のモニターは使った後
は音量を絞っておくようにと言っている。何気なく出ている各場所のモニターが集合すると結果的に舞台上から客席に漏れかねないからだ。そこまで気を遣って
いる。現在では歌手達が、
「モニターの音量を上げて。」
と言っても簡単には上がらない。舞台上をきれいな音で保つためには、ある種の便利さと戦わなければならないのである。
「スペース・トゥーランドット」や自作ミュージカルではあんなに音響をバリバリ使っている僕であるが、それはそれ、これはこれ。音楽であれば何でも一緒
というわけではない。
もう一度結論を言います。オペラという芸術はあくまで生音と生声で作るもの。この原則だけは決して忘れてはいけないと思っている。