「イドメネオ」初日実況中継

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

10月20日(金)
 今この原稿を新国立劇場の一階客席後方の監督室で書いている。ガラス越しではあるが目の前では「イドメネオ」の初日公演が行われている。生音ではないものの、この監督室のスピーカーはかなり優秀だ。今日は初日なので資料用の映像を取る映写機が入っている関係上僕は右側に追いやられているが、二日目からは真ん中で聞ける。なんとホールで実際に聞くよりもきれいにステレオになっているのだ。それに僕は、劇場内の様々な場所に仕込まれたマイクから入ってくる音を自由にブレンドして聞くことだって出来る。ふふん、うらやましいだろ。それに加えて生の映像付きなので、これはちょっとしたホーム・シアターだね。なんて、生公演を見ていながらのんきなことを言っているね。
 でも僕はただ鑑賞会をしているんじゃない。この劇場で働いているんだ。赤いペンライトを持って、モニター・テレビの指揮者の映像を見ながら合唱団のために一緒に振っているのだ。
 演奏会と違って舞台上で演技しながら歌っている合唱団は、地下のオケピットに潜っているオーケストラとタイミングを合わせるのが難しい。ひとりひとりがオペラ歌手なのに、あんな集団で歌うんだ。歌い出したら自分たちの声でオケの音が聞こえなくったって不思議じゃない。だからズレたって分からない。それに、頼りにする指揮者ときたら、なんと自分たちの足下にいるんだからね。指揮者を見ようとして下を向くのも美しくない。それで僕は合唱団員が堂々と前を向いたときの視線の先にいてフォローしている。
 特に今回の演出では、第一幕ラストの合唱曲でみんなが両側にたてに二列に並んでいる。そうすると前列と後列の人の間で時間差が生まれる。一番後ろで歌っている人は前の人よりも早く歌い出さなければならないんだけれど、考えてもごらんよ、後ろの人というのは、オケの音が聞こえてくるのも遅ければ、自分の音が客席に飛ぶのも遅い。だから二倍遅いんだ。その差は客席との距離に対して足し算的ではなくてかけ算的とも言えるだろう。つまり後ろの人は不自然なくらい早めに歌い出さないと合わないのだ。これはオペラ合唱特有のワザなんだけど、その時にこの赤ペンが役に立つというわけだ。

 でも、どうしてパソコンなんかいじってるのって聞きたいだろう。それはね、合唱はいつも出てくるわけではないので、通常は楽屋に帰っているのだけれど、「イドメネオ」は随所に合唱があり、とても楽屋に帰っている暇がないので、こうしてパソコンを監督室に持ち込んでいるのだ。なに?不真面目だって?
 本番になると、僕を含めて音楽スタッフ達の仕事はもう多くはないんだ。勿論、舞台裏のソリストやオーケストラあるいは合唱を指揮したりするのだが、僕達が一番忙しいのは舞台稽古の時。舞台上ソリストや合唱のオーケストラとのバランスを見て指揮者に報告したり、舞台裏で演奏するための最良の場所を決めたり、表のオケとのバランスを見たり、PAの助けを必要とする時は、その音響の具合をチェックしなければならない。
 でも、それが全て解決して本番を迎えると、みんなそれぞれの持ち場の限られた仕事以外はすることない。野球でピッチャーとキャッチャーだけが忙しく働いているのと同じで、指揮者とオーケストラだけは出ずっぱりだけど、外野手の仕事は差し当たって“待つこと”だ。
 だから初日の幕が開いた後の音楽スタッフの楽屋に来てみるがいい。みんなもう次の仕事の勉強している。部屋のモニター・スピーカーから公演の様子が聞こえてくるので、楽譜を読むような勉強は出来ないのだが、辞書で単語の意味を調べたり、作品の背景を調べたり出来ることをいろいろしている。僕達の勉強というのは稽古初日までに完結しておかなければならないし、僕達の仕事というのは初日の幕が開くまでが勝負だということだ。僕達にとって公演はあくまで結果なのだ。
 ということなので、今日は合唱の出番の間で「イドメネオ」初日の実況中継をしてみようかなと思ってパソコンの前にいる。

 今は第二幕。エレットラ役のエミリー・マギーがアリアを歌っている。もうすぐ美しい「海は静かだ」の合唱だ。マギーはいいなあ。これまでバイロイト音楽祭での「マイスタージンガー」のエヴァというリリックな役しか知らなかったけど、この激しいエレットラの役をよく演じ切っている。おっと、行進曲が始まった。そろそろ準備しなければ・・・・。

中断

 今は第三幕。イリアとイダマンテの場面。あ、ほらイリアが遂に愛を告白した。三連符に乗ってT'amo!「愛してます!」って言うんだ。ここはプログラム・エッセイでも書いたけど大好きなんだ。それからイ長調の愛の二重唱が始まった。モーツァルトは愛をイ長調で描くんだ。中村恵里さん、藤村実穂子さん、共にリリックでいいねえ。
 中村さんは、新国立劇場でこんなに大きな役をやるのは初めて。ノヴォラツスキー芸術監督のオーディションでこの劇場にやってきて、初年度シーズン開幕の「フィガロの結婚」のバルバリーナからキャリアを始めた。いわばこの劇場が彼女の出世の出発点だ。そうして「こうもり」のアデーレのカヴァーをやりながらイーダ役をやったりして劇場に慣れてきたので、大きな役をやってもこんなに落ち着いている。なんといっても今をときめく世界の藤村さんと共演して互角に勝負しているのだから、それだけでもたいしたものだ。

 さっきの第二幕「海は静かだ」の合唱はきれいにきまった。エレットラのソロをはさんで合唱が戻ってくるところを指揮者のダン・エッティンガーはとてもオケを抑えたので、合唱団もその気になってきれいにピアニッシモで歌った。しかしその後の「なんという恐ろしさ」の合唱は、最初バラけかけたのであせったぜ。みんな演技に集中し過ぎたんだ。でも、それでみんなが「ヤバイ!」という気持ちになって、かえって言葉が立って緊張感のある演奏になった。
 さてこれから「ああ、恐ろしい誓約」の合唱が始まる。この前奏はなんかベートーヴェンの月光ソナタに似ているなあ。ベートーヴェンは真似したかなあ。でも知っていたかなあ。

中断

 今は公演終了後、初日パーティーまでの間の楽屋。公演は大成功だったなあ。ダン・エッティンガーはまだ三十代半ばの若手指揮者。とにかく若さのエネルギーが余ってて、練習の時は弦楽器にはガリガリ弾かせるし、トランペットやティンパニーを信じられないくらい大きく演奏させるし、合唱団にももっと出せというアクションをするもんだから、ゲネプロまでの音は結構きつい音で雑だった。ところがね、彼はどこまでそれを知っているのか知らないが、本番でプロのプレイヤーというのは、「これはいくらなんでも」というバランスではやらないのだ。僕も合唱団に、
「ダンがああいうアクションをしても反応し過ぎてはいけない。マルカートのキャラクターだけ出して、声は自分がコントロール出来る範囲内で歌ってね。」
と言っていた。
 だから本番では、ダンの要求するエネルギーとみんなの演奏家としての良識がうまく混ざり合って予想外に素晴らしい演奏になった。弦楽器もとても良く鳴っていた。プロの演奏家がアマチュアと一番違うところは、指揮者の要求を土壇場で良い意味で「見棄てる」ところにあるんだ。
 でも、もしダンがあの若さでそうしたプロの音楽家の心理をを知りながらあそこまで要求していたとすれば、あいつは恐るべき奴だ。とにかく僕達音楽家は結果が全てだからね。初日の指揮者へのブラボーは凄かった。
 オペラが終了する直前、カーテンコールを袖で待っているマギーがモニター・テレビに映るダンを見ながら、
「全くバレンボイムにそっくりだわね。」
と笑って言っていた。確かにダンはバレンボイムに見出されてベルリン国立歌劇場の首席指揮者に呼んでもらったし、バレンボイムの影響を受けているのは一目瞭然だ。でもバレンボイムの動きというのは意外と能率的で、オケをドライブしようとする時に役に立つので、僕も正直な話ところどころ影響を受けている。
 僕も今日は合唱指揮者としてかなりブラボーを浴びたよ。嬉しくないと言えば嘘だな。合唱団は今年になってこれまでの僕の努力の結果が如実に表れてきたという感じだ。ここまでかかったんだ。合唱団のサウンドを築き上げるのって時間がかかるんだよ。

Preghiera Semplice
 これはイタリア語。直訳すると「シンプルなお祈り」、アッシジの聖フランシスコの「平和の祈り」のことだ。新町歌劇団が来年に企画している演奏会のために僕が書き下ろした曲だ。先週から作っていて水曜日に完成した。でも演奏してみたらわずか5分なので、これを終曲としてあと何曲か加えて組曲にするんだ。
 4月にアッシジに旅行した時の印象が僕にこの曲を作らせたのだが、作曲しているときもずっとアッシジの朝の爽やかな空気が僕の全身を包んでいる感じがした。生まれて初めてイタリア語の歌詞に作曲してみた。でも案外すらすらと出来た。これまでずっとオペラの仕事をしてきた中で、知らず知らずの内にイタリア語のニュアンスにかなりなじんでいたのだ。
 ソプラノ・ソロ付きの混声合唱。伴奏はピアノ、弦楽器、アコーデオン。でも新町の演奏会では弦楽器とアコーデオンの部分はエレクトーンが代用してやる予定。ソプラノ・ソロは中村恵里さん。冒頭はアコーデオンの響きによってどことなくスペイン風だが、最後はやはりイタリア風。オリーブやトマト・ソースの香りがするよ。あ、アッシジだからトリュフとルッコラかな。宗教曲の感じはしない。この後他の曲の作曲を続けたいのだが、これからロ短調ミサ曲の勉強に集中するので、再び作曲にかかるのは11月12日が過ぎてからだ。

ロ短調ミサ曲合宿
 21日(土)の午後から22日(日)午前中にかけて東京バロック・スコラーズの合宿を行った。場所は新木場にあるBumB東京スポーツ文化館(もと夢の島総合体育館)。行ってみてわかったけど、このあたりは焼却炉を利用した熱帯植物園や公園やいろいろな施設があって楽しそうなところだよ。でも僕は様々な団体の合宿でいろんな楽しそうなところに行っても、練習ばっかりしていてちっとも楽しめない運命なんだ。後で来ようと思ったって忙しくて忘れてしまうし・・・・。
 土曜日は13:00-17:30で午後練習、夕食をはさんで18:30-20:30で夜練習。その後、決してはずせない懇親会。翌朝9:00-12:30まで朝練習というハード・スケジュール。でも僕の予定はそれだけでは終わらなかった。その後14:00から新国立劇場で「イドメネオ」の二度目の公演があるので、練習終了後ただちに飛び出してやっと間に合ったってわけだ。新木場から初台といっても、有楽町線で市ヶ谷に出て、それから都営新宿線で一本。 意外と早く着いた。

 東京バロック・スコラーズは、最初のオケ合わせを二週間後、本番を三週間後に控え、いよいよ練習も最終段階に入ってきた。今回の合宿は冒頭のキリエから一曲一曲止めながら練習をつけていった。最も留意したのは各曲のキャラクターをはっきりさせることと、それにふさわしい発声を決めていくこと。今回も一人ずつ歌わせる魔の攻撃が炸裂したが、それが目的ではないのでほどほどにした。
 でもあんな難しいコロラトゥーラを一人でみんなの前で歌わせられたら誰だって緊張するね。特にでかい声で有名なテナー団員エヴァロッティのように、
「あんたがきちんと歌わないと声がでかいんだからみんなの邪魔になるんだよ。」
なんて言われたら、もう人生終わりって感じだね。
 エヴァロッティはコロラトゥーラがとても苦手なんだ。でも彼は偉かった。秘かに練習して日曜日にまたひとりで歌わせてみたらきちんと出来てたんだ。
「急に上手になったじゃないか。」
と僕が言ったら、
「あれから特訓したんですよ。ひとりで。」
と言うんだ。一日でだよ。みんなが懇親会で飲んだくれている間にだよ。根性あるじゃないか。素晴らしいじゃないか。それでこそイジメ甲斐があるというものだ。これからも仲良くしようね。エヴァロッティ!
という具合にシビアかつなごやかに(?)練習は進行していった。

 ロ短調ミサ曲で一番悩むのは合唱団の並び方だ。この作品は、バッハが晩年に、それまで作った曲を合わせてひとつの作品としようと思ったので、編成上の不統一感がある。基本はソプラノが二声に分かれた五声混声合唱なのだが、最も早い時期に作曲されたと言われるサンクトゥスではアルトも二声に分かれた六声合唱となっている。オケもこの曲だけのために第三オーボエを雇わなければならない。
 オザンナは、なんと八声の二重合唱だ。この曲のためだけ考えると第一コーラスと第二コーラスを両サイドに並べてステレオ効果を得るのがいいのだが、それだけのために全体を二重合唱用に並べるわけにはいかない。
 つまり女声は第一ソプラノ、第二ソプラノという高低差のある分類と第一コーラス・ソプラノ、第二コーラス・ソプラノという高低混ざって二つに割った分類が存在する。これを団員の声の特性を考慮に入れながら席順を決めるのは楽じゃない。

 この曲を勉強していて強く思ったことがある。バッハはこのカトリックのミサ曲という形式の中で、初めて自分の宗教曲としての位置を確認し得たのではないかということだ。
 つまりこういうことだ。聖書をドイツ語に訳して一般大衆に広く読めるようにしたり、コラールという単純な曲をみんなに歌わせて、全員が礼拝に能動的に参加するようにした宗教改革の旗手マルチン・ルターは、教会を良い意味でも悪い意味でも大衆化した。ルターは教会から芸術性の高いパレストリーナを追い出し、その位置に大衆的なコラールを据えたのである。
 バッハもそうしたルターの意図に沿おうとして、ドイツ語のカンタータや受難曲を書いたり、コラールを使用して作曲した。けれど彼の善意とは裏腹に彼の音楽はすでにルター派教会にとってみれば難解すぎて非大衆的なのである。
 彼はカンタータの冒頭合唱を壮大なコラール・ファンタジーとして作曲する。コラールこそ使っているが、教会は追い出したはずのパレストリーナをそこに見出してしまう。この華美な音楽は信仰上必要ないと教会は結論づける。
 だからプロテスタント教会はバッハを受け入れてくれなかったのだと思う。あの素晴らしい「マタイ受難曲」だってきっと有り難迷惑くらいにしか思ってくれなかっただろう。バッハにはとても気の毒だけれど、彼のありあまる才能は、本来プロテスタンティズムの世界観の中で充分発揮し得たとは言い難い。彼の音楽の故郷は、本当はカトリシズムにこそあったのではないかという考えを、僕はロ短調ミサ曲の二つめのキリエやConfiteorの対位法を聴きながらどうしてもぬぐえないのだ。
 カトリック教会は、ヒエラルキーはあるし、過度の華美さ、すなわちステンドグラスや高い塔や司祭達の壮麗な衣裳が宗教改革以後批判の的となったが、こうした贅沢は同時に高き芸術への擁護と密接に結びついている。「主よ憐れみ給え」と一言で言えば済むものを、あれだけの楽曲にまとめるムダが、言葉を変えれば芸術的ということなのだ。それを包含し得るのがカトリシズムだ。だからバッハが最晩年カトリックのミサ曲を書いたのは、彼がようやく自分のこれまでの努力が見当はずれのものに向かってなされてきたことに気がつき、今こそ自分の信仰心の思いの丈をこの作品にぶちまけようと、全てのプロテスタント的実用音楽の束縛から逃れて、自由に羽ばたいた結果によるものではないだろうか。

 さて、そんなわけで合宿の成果はまずまず。これから本番に向かって僕はもっともっとロ短調ミサ曲に傾倒していくからね。また何か新しいことを思ったらいつでも書くよ。



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