またまた気が抜けた!

三澤洋史 

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またまた気が抜けた!
 ロ短調ミサ曲の演奏会は楽しかったなあ。指揮している最中、
「ああ、なんて楽しいんだろう!なんて幸せな人生!」
と思ったのもつかの間。あっという間に終わってしまって、また日常生活が戻ってきた。すると次の日からしばらくはボーッとする日々。その落差が激しすぎるんだよな。
 新しい話題としては、今年のボジョレー・ヌーボーはうまいということくらい。水曜日に東京バロック・スコラーズの演奏会プロジェクト・チームのお疲れ会があった時に、居酒屋で解禁一時間前のボージョレ・ヌーボーを内緒で出してくれたんだが、酔っぱらっていた僕は、残念ながら味をよく覚えていない。そこで18日土曜日の晩には帰り際に京王ストアのお酒売り場で買ってきて妻と二人で飲んだ。今年は当たり年という噂は聞いていたけれど、ん・・・うまい!通常ボジョレー・ヌーボーは若過ぎてあまり好きではなかったのだが、今年のはうまいぜ。みなさん、お薦めー!

のだめカンタービレ
 何故か知らないが、ここのところずっと偶然にも月曜の夜というのが仕事が早く終わったり休みになったりしていて、テレビ番組「のだめカンタービレ」を初回から毎週見ることが出来た。
 最初の時、番組表で「のだめ」があるのを知っていたのだけれど、「別に見なくてもいいや。」と思っていたら、妻が、
「見よっ!」
と言うので、
「え、見るの?」
と聞き返した。
 自分はいいや、上の部屋に登って自分の仕事をしようと思っていたが、直前の夕飯にビールを飲んだら酔っぱらってしまって、ぐずぐずしている間に始まってしまった。で、途中で抜け出そうと思っていたのだが、見始めたら面白くて、結局最後まで見てしまった。次の週も同じ。気がついたら最後まで見てしまった。次の週は最初から見ようと思ってみた。というわけで結果的にはれっきとした「のだめファン」じゃないか。

 漫画も展開がかなり馬鹿馬鹿しかったのだが、テレビはまたそれに輪をかけた馬鹿馬鹿しさ!というか、漫画の方が、ある意味テレビ的というか映像的なんだな。だから映像になり易かったとも言える。
 同時に感心したのは、漫画でもリサーチはしっかりしていて、指揮者の練習の仕方や悩み方やこだわり方などは、プロの僕たちでも、
「ほほう。なかなかやるじゃん!」
と思わせるものがある。でもそのテレビ化にあたっては、表現がより具体的になってしまうので、ともすると陳腐に陥ってしまうところが、意外とそうでもなかったので、またまた感心感心!

 選曲だって、たとえばベートーヴェンの交響曲でも「運命」とかではなくて、ちょっと通好みの第7交響曲を選ぶなんてさり気なく渋いじゃん!Sオケのヴァイオリンを高く上げたり、コントラバスを回したりというのも、まあ陳腐と言えば陳腐だが、マーチング・バンドの事を考えれば、あり得ないことではないよな。

 先週は僕の大好きなラフマニノフのピアノ協奏曲第二番を千秋が弾いた。この曲は、僕がベルリン芸術大学指揮科の学生だった時に、ミジュ・リーという韓国人のピアノ科生徒の修士課程修了演奏で指揮をしたんだ。彼女はヘルヴィッヒ教授の弟子で、その後アメリカに渡ってジュリアード音楽院に行ったが、いつの間にかヘルヴィッヒ教授の奥さんになっていた。もう十年以上も前、ソウルにオペラを指揮しに行った時、韓国人の前で何気なくミジュの名前を出したら、韓国ではとても有名なピアニストだと誰かが言っていた。

 シュトレーゼマンが千秋に、
「もっとロマンチックに!」
と言っていたろう。言い方は可笑しかったが、なんか僕には分かるんだな。この曲は本当にロマンチックなんだ。寄せては返す潮のように、弦楽器の伴奏に乗ってピアノが無限旋律のようにメロディーを紡いでいく。だからねえ、この番組、そう馬鹿にしたもんでもないんだよ。 

 逆に説得力ないと思えるのは、音楽的なことではなくてもっと常識的なこと。たとえば、のだめと千秋って、あそこまで半同棲的になっていながらちゃんと男と女の関係にならないのかよ、若い者同士なのにおかしいよ、これが今の若者のセックスレスな関係かよ、なんて思ってしまう。これは漫画ではあまり感じなかったんだけど、テレビだとアパートの様子が生々しく映るだろう。
 まあ、そんなことはどっちでもいいんだけど。それより、今週から残念ながら夜には新国立劇場の練習が入っているんだ。九時までには絶対に帰れないんだ。なんか、妻にわざわざビデオに録ってもらうってのもな、プライドが許さないしな。でも、なんとなく・・・・別にどっちでもいいんだけど・・・・見たいなあ・・・。

人生は回る輪のように
 80年代後半。ベルリン留学から帰ってきて仕事をし始めた僕は、合間に沢山の宗教書や精神世界の本、予言書などを読みあさっていた。その中には、スエデンボルグ、ノストラダムス、エドガー・ケーシー、ルドルフ・シュタイナー、成長の家の谷口雅春、高橋信次、大川隆法などがいた。その中でも印象に残った本として、レイモンド・ムーディー著の「かいま見た死後の世界」とエリザベス・キューブラー・ロス著の「死ぬ瞬間」があった。
 でも、あの頃は、世界が今よりもずっと唯物史観にとらわれていて、「かいま見た死後の世界」に感動した僕が友達や知り合いに死後の世界の話をすると、きまってみんなは眉をひそめ話題を変えた。
 あれから随分経った。僕の周りでは、あの頃よりずっと精神世界の話に対する抵抗感が薄くなってきているような気がする。

 ある時、何気なく机の上に乗っていた本を見つけて手に取ってみた。妻が、ボランティアで週二回行っている小平のケア・タウンの入居者に貸そうと思って出しておいた本だ。パラパラと何ページかめくっていくうちに、どうしても読みたくなった。こんな衝動を感じるのは久し振りだな。
 それは、かつて「死の瞬間」という世界的ロング・セラーを産み出したエリザベス・キューブラー・ロス女史が自分の半生をつづった自叙伝「人生は廻る輪のように(角川書店)」だった。妻がその人に本を貸すのは月曜日だというので、それまで読もうと思って読み出した。
 読んでいく内に、この女性に神様が託した使命の重さと、唯物的なこの世界の中でひとりで戦ってきた彼女の内面を思って、しばしば胸が熱くなるのを感じた。彼女は医師である。しかし大部分の医師が見つめようとしない「死」と向かい合い、末期患者達がどのように自らの死を受容していくか、それに対し医師はどのように「人間」として対応しなければならないかを訴え続けたのだ。
 医師にとって死とは敗北以外の何物でもない。しかし、本当にそうだろうか?全ての人間はいつかは死ぬ。医師にとって敗北であろうが何であろうが、人間にとって死とは避けがたい峻厳なる事実なのだ。
 今でこそホスピスというものが社会に認知されてきたが、キューブラ・ロス女史はそのパイオニアとも言える。これはみなさんに是非読んでいただきたい本。いや、その前に「死ぬ瞬間」を読んだ方がいいかな。どっちでもいい。

 僕にとっては、この本を読んだことで、自分が何故音楽家の女性と結婚しないで、ケア・タウンにボランティアに行っているような今の妻と結婚したのかという理由が分かった。妻は、僕に出来ないことをやっているし、それは僕が魂の内面で求めていることなのだ。僕は今でも、優れたオルガニストでありバッハ研究家でもありながら、全てを投げ打ってアフリカに渡ったシュヴァイツァー博士のことを凄いなと思うし、そんな人生を送りたかったと本気で思っている。でも自分には出来ないんだな。自分は音楽家に生まれついているんだ。だから妻にある意味夢を託しているんだ。そこで釣り合いをとっているとも言える。

ウインドウズ・ビスタ試してみました
 以前、一月発売のウィンドウズ・ビスタWindows Vistaの為に、自作パソコンをバージョン・アップするという記事を書いたが、待ちきれない僕は、パソコン雑誌の付録に付いているVista RC1(ビスタのお試し版)を自分のパソコンに入れてみた。
 そのまま入れたら、前の書類とか初期化されてみんな消えてしまうし、果たしてちゃんと動くかどうかも分からなかったので、ハード・ディスクをもうひとつ増設して、それぞれのハード・ディスクにXPとVistaが両方入る、いわゆるデュアル・ブートという方法をとった。
 この方法では、パソコンが立ち上がると、どちらのOSを使いますか?という画面が出るのだ。そこでXPを選ぶと、お馴染みの画面が出てきて、これまでのファイルやアプリケーションを使えるし、反対にビスタを立ち上げると、同じパソコンに入っているファイルは、今度はビスタとして使える。ただソフト自体は、新たにビスタのソフトとして入れ直さないといけない。

 インストールは驚くほどスムースにいった。CD-RomではなくDVD-Romということもあるのかな。新設したハード・ディスクの初期化もあっという間に終わって、MEやXPなんかよりずっと早くインストール完了だ。そうして立ち上がってきたぞう!うわあ、画面がきれい!なんかウインドウの端が透き通っていて、後ろの背景が見えているぞ。ウインドウを開ける時には、パッと一瞬にカット・イン表示するのではなく、ムニュっという感じでフェード・インする。なんかスマートというか大人の・・・・オ・・ト・・ナ・・の・・パソコンって感じ。なかなかやるね、Windows Vista!

 だけど、なんか変だな。そういえば、さっきから随分静かだなと思っていたら、あれっ?音が鳴らないぞ。ああ、そうか。同じパソコンにドライバが入っているとはいえ、サウンドカードからの音声はドライバを入れ直さないと鳴らないんだ。しょうがねえな。ええと・・・CreativeのSound Audigy2のCD-Romは・・・・と。あった!さて、インストール。あれっ?入らないぞ。
「未知のOSのため、インストール出来ません。」
おいおい、冗談じゃねえぜ。このままじゃ音鳴らないのかよ。ではインターネット経由でドライバを入手か。
 いろいろ苦労してドライバは入手したんだが、4チャンネルにしているので、その設定はCD-Romに入っているサウンドカード用ソフトをインストールしないと出来ないんだ。でもそのインストールが出来ない。今の段階ではこれ以上はお手上げ。ちぇっ!前からしか音が出ない。

 その他、ソフトウェアー関係のインストールは軒並み駄目。聞いてみなさん!インストール自体が出来ないの。ひどいのは、MicrosoftのOfficeはインストール出来るくせに、一太郎あるいはA-Tokは出来ないんだぜ。これはもう意図的としかいいようがないね。というか、それは悪意からだけとは限らないな。パソコン自体やソフトって、一通りみんなの間に行き渡ってしまうと、もうあんまり売れないじゃない。だから今度OSが新しくなるにかこつけて、それぞれのソフトの会社がみんなマイクロソフトとグルになって、新ヴァージョン製品を売ろうと群がっているんだ。それが証拠に、
「ビスタはメモリーが沢山ないとうまく動きません。」
なんて言い始めたと思ったら、もうメモリーが高騰し始めたよ。全く、世の中全てが資本主義の論理で動いているよ。
 だから勿論一月の発売までには、それぞれのソフトの会社のサポート体制は今よりもっと充実してくるのだろうが、きっと「サポートもしなくはないけど、それよりビスタ対応の新バージョン製品を買いましょうね!」という方向に誘導するのが目に見えているね。

 結論から言います。XPで充分です。僕は個人的には、もうちょっとビスタを探検してみるけど、現在のままではインターネットとメールとOfficeしか使えません。つまり、使い物になりません。見てくれは良いし、操作もすぐ慣れる。でも、それがなんだい!畜生め!
 でも自作パソコンのバージョン・アップには火がついてしまったからなあ。このままXPだったら、今のままで何の不足もないんだけどなあ。Core2Duoっていうの試してみたいなあ。どうしようかなあ。困ったなあ。ああ、悩み多き我が人生!




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