月へ行くのだ!

三澤洋史 

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月へ行くのだ!

三澤先生(なぜかウサギの着ぐるみに入って顔だけ出ている)
:(月を指差し)諸君!!次は月だ!月へいくぞぉ!!

TBS団員たち(なぜか水夫の格好)
: ええっ?? つ、月ですかぁ?
  先生、TBS(東京バロック・スコラーズ)はやっと船出したばかりなんですよぉ。
  できれば南の島へでも行って、しばらくのんびりしましょうよぉ!

三澤先生: だめだ、だめだ! 打ち上げで充分楽しんだだろう。
  月は手ごわいぞぉ。びしびしいくぞぉ!
  いざっ!

TBS団員たち: ああっ、先生~!まってぇ~!
 (いそいでそれぞれウサギの着ぐるみに着替える)

ううっ、こんな妄想が何度も浮かんでくる今日このごろ。
 こんな書き込みがCafe MDRの「掲示板」をにぎわす今日このごろ。本屋で何気なく取った一冊の本があった。それは石持浅海(いしもち あさみ)の「月の扉」(光文社文庫)という推理小説。
 演奏会の前というのは、その為の準備に追われ、好きな本も読めなくなる。だから演奏会後は活字に飢える。その時期にはジャンルを問わず、手当たり次第本を買って読むのだ。文庫本というのは裏表紙にストーリーが書いてあるだろう。それを読んだら面白そうだった。

沖縄・那覇空港で、乗客240名を乗せた旅客機がハイジャックされた。犯行グループ3人の要求は、那覇警察署に留置されている彼らの「師匠」を空港まで「連れてくること」。ところが、機内のトイレで乗客の一人が死体となって発見され、事態は一変。

 ね、こう読んでみるとなんとなく買ってみようかなという気になるでしょう。で、買って読み出してみて驚いた。ちょっと長いが引用する。

聡美は月を見上げていた。昔から月を見るのは好きだった。でも、師匠と出会ってからは、少し違う意味で月を見るようになった。
-あそこにいければなあ。
そう思うようになった。正確には、月に行きたいわけじゃない。月の扉を通って、 「あちら側」に行きたいのだ。
「行けるよ」
え?
師匠の言い方があまりに淡々としていたため、危うく聞き逃すところだった。

 なんとこの師匠は、“彼を信奉する人達を月に連れて行く”と言っていたのだ。その師匠が不当に逮捕されたので、彼が月に行く七月十六日の皆既月食の時刻に彼を留置所から出すため、このハイジャック事件は起こったのである。師匠が月だよ!で、みんなが付いていくって話だよ!マジっすか?
「この世に偶然なんてないわ。」
は僕のミュージカルのセリフ。なんとなくある人の事を思っていると、その人から電話がかかってきたり、相手に向かってあることを言い出そうと思ってると、相手から先に言われたりすることを経験したことあるだろう。こういうのをsynchronisationシンクロニゼーション-共時性と言うんだ。つまり我々の魂はみんな見えない糸でつながっていて、互いに影響し合っているということなのだ。
 「百匹目の猿」の話をご存じだろうか。ある島で学者が実験をした。猿に芋を洗って食べることを教えたのだ。それがとても良かったので、猿はそれを仲間の猿に伝えた。芋を洗う猿はその島で一匹一匹と増えていった。そうして猿が百匹目に達した時、連絡の取りようのない別の島でも一斉に猿が芋を洗うようになったという。

 では、掲示板で“あかねちゃん”に、「僕がTBS団員に月に行くことをけしかけた」妄想を書かせたことと、僕が「師匠がその信奉者に月に行くことをけしかけた」小説を偶然買って読んだこのシンクロニゼーションの意味するものは、一体何なのか?
 僕は二つ可能性があると思う。ひとつは“あかねちゃん”と僕の魂が、実は深い絆でつながっていること。むふふふふ。そうだったんだ。いや、恥ずかしがらなくていいよ。君の気持ちは分かっているんだ。でも僕には残念ながら妻と子が・・・・。ぬわんちゃって。
 もうひとつは、僕が本当にみんなを率いて月に行かなくてはならないこと。ええ?そ、そんなあ!ドイツに演奏旅行に連れて行くくらいだったら、何年ヶ後に出来るかも知れないけど、月に演奏旅行となるとちょっとなあ・・・。つ、月は手ごわいぞぅ!

 最初の可能性だけで僕は満足ですので、神様、あまり変ないたずらしないでよね。でも、言っておきます。このようなシンクロニゼーションが起こる時は、僕の場合、たいてい自分の起こした行為が神様に祝福されている時です。つまり東京バロック・スコラーズでこれから僕が起こそうとしている数々の計画が、神様の意に沿っているという合図なのです。 ね、これからいろんな事が起こってくるって、前に一度言ったでしょう。TBSの団員達よ。だから安心して僕に委ねなさい。もしかしたら本当に月に行けちゃったりして!いや、月だけはご勘弁を・・・。

弱冠26歳のマエストロ
 「フィデリオ」の指揮者、コルネリウス・マイスターは、なんと現在26歳!2年前からハイデルベルク歌劇場の音楽監督なんだって。ということは24歳でもう音楽監督になったんだ。まず名前がいいわなあ。僕たちは冗談まじりにマエストロ・マイスター(巨匠・巨匠)と呼んでいるが、本人も呼ばれて悪い気はしてないようだ。ノヴォラツスキー芸術監督に、
「どういう経緯で彼を呼んだの?」
と聞いてみたら、
「いや、とにかく、あっちからもこっちからも良い評判が聞こえてきたからね。試しに呼んでみたんだ。」
と言う。
 これがイタリア人だったら、こんな若くして大活躍してたら、めちゃめちゃ鼻っ柱が強くて生意気だろうが、コルネリウスはどこでもいるような感じの良いあんちゃんって感じ。合唱団の女性達が早くも騒ぎ始めている。
「お肌なんか真っ白でつるつるだわ。」
「可愛いわねえ。」
お姉さん達、食べちゃわないでよ。まだ前途ある若者なんだから。

 指揮のテクニックに関してはまだ100%仕上がっているわけではない。ところどころ分かりづらいところもある。無理もない。まだ普通だったら誰かについて習っている歳だもの。
 でもオケ練習を聴いて驚いたことは、オーケストラから良い音が出ているんだ。なぜだか分からない。こんな経験どこかでしたことあるぞ。ええと、どこだったっけな。あっ、そうだ!シノポリだ!

 コルネリウスとは振り方は全く違うけれど、バイロイトでシノポリの棒を見て、それから出ているオーケストラの音を聴いて不思議に思った記憶が甦ってきた。シノポリの棒は、肘を使いすぎてクニャクニャしてとても分かりにくかった。ある時なんか、分かりにくいくせにもっと合わせろと合唱に要求したもんだから、バイロイトの名物合唱指揮者バラッチと大喧嘩になったほどだった。
 でもそんな棒なのに、オーケストラからは言いようのない艶やかな音が出ていたんだ。どのようなメカニズムでああいう振り方からああいう音が出るのか皆目見当がつかなかったけれど、確かに言えることは、それは偶然そうなっているのではなくて、シノポリが心の中に持っているイメージがそうさせているのだということだ。つまりテクニックではなくて、イメージさえあれば、最終的にはなんか伝わるのだということだな。

 コルネリウスが他の若い指揮者にないものを持っているとすれば、そのイメージだ。彼も自分の“音”を持っているんだ。これだな。音楽家にとって決定的なものは。
 彼に興味がある僕は、いろいろ聞き出してみた。
「どうやって、今日に至っているの?音大なんてそもそも行ったの?」
「行ったよ。ハノーファーの音大とザルツブルクのモーツァルテウム音楽院。でもハノーファー音大はもう16歳の時から行ってるんだ。で、20歳の時からハノーファー歌劇場で働きだした。音楽監督の下で練習プランを作ったり、歌手を相手にピアノ弾きながら稽古つけたりしていたのがとても役に立ったよ。その内にハンブルクやベルリンから現代音楽のプロジェクトのコレペティトールとして呼んでもらった。そして今いるハイデルベルクに音楽監督として呼んでもらえたというわけさ。」
「ふうん。よく若い指揮者でコンクールでいきなり一番を取ってしまって、そのまま大きなポストについてしまったものの、何も知らないということがあるじゃない。君はその点違うね。若いのに劇場というものがどういうものか知っている。」
「いろいろ失敗したよ。たとえば、劇場の袖に椅子が置いてあった。僕は暇な時にそこに座って、それからそれを邪魔じゃない所に片付けておいた。そしたら後で大問題になったんだ。その椅子は舞台道具で、大道具さんが必至で探したんだけど見つからなくて、結局歌手達は大事な椅子なしで演技しなければならない羽目に陥った。こんな風に劇場では全てが連動しているんだ。でも、それに気がついてきたら今度は劇場内で起こること全てに興味を持って全てが楽しくなったんだ。衣裳もメイクも舞台転換も、みんなオペラというものを支えているんだ。」

 どうだい、若くてもなかなかしっかりしているだろう。それにしてもドイツという国もやっぱり凄いね。こういう人材をきちんと掘り出し、評価して、こんなに若くてもしかるべき地位を用意してあげる判断力と度量を持っているんだもの。日本人にはなかなか出来ないな。
 「フィデリオ」の公演は11月30日木曜日が初日。超有名になる前のコルネリウス。一見の価値はあるかも知れない。初演の時も大評判を取った合唱団も頑張っているよ。

 一方、12月1日金曜日初日の「セヴィリアの理髪師」の指揮者ミケーレ・カルッリは、まるで宇宙人のようで、音楽的ではあるがかなり素行が怪しい。合唱団のみんなは、彼が何か言う度に笑いをこらえるのに必至だ。本人至って大真面目なんだけどね。歌手の中では、アルマヴィーヴァ伯爵のローレンス・ブラウンリーという黒人歌手が断トツに素晴らしい。
 この全くキャラクターの違う二つの公演をとっかえひっかえやることがどれだけ大変な事か。でもこの劇場は底力がついてきたんだな。どちらも最高のレベルでやってやるぜ。

ボジョレーと共に帰国
 今、次女の杏奈が帰ってきている。長江杯コンクールの披露演奏会のためだ。22日の水曜日に着いて明日の日曜日が演奏会。28日火曜日には再び機上の人となる。あっという間だな。
 彼女はボジョレー・ヌーボーをぶら下げて帰ってきた。今年のボジョレーが当たり年と以前書いたが、僕の勘違いだ。ごめんね。逆に今年は日照時間が短いので、甘みが出なかったそうだ。
 でも、でもね、それが僕にとっては良かったのだ。僕は甘いボジョレーがとても苦手なのだ。なんだか葡萄ジュースに毛が生えたみたいで、よけい若くて未熟な感じがして嫌なのだ。その点、今年のボジョレーは僕には最高なんだ。やや酸味があってコクがある感じがする。だから解禁になってから随分飲んでるよ。巷の格付けがなんだい。僕は自分でおいしいと思ったものを飲んで楽しむまでさ。僕にとっては当たり年だい!




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