蕎麦さかい

 

三澤洋史 

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さまよえるオランダ人
 12月10日、日曜日の「セヴィリアの理髪師」最終公演を最後に、新国立劇場における今年の全ての公演が終わった。だが21日まで来年度の演目の合唱音楽練習が入っている。
 12日からは「さまよえるオランダ人」の練習が始まった。これはワーグナーの初期の作品なので、楽想がシンプルで分かり易いし、合唱団をかかえた一般劇場での上演を想定して書かれた作品だけあって、合唱の見せ所満載だ。それ故に、練習が始まると、合唱団員達の目つきが違う。
「最初は音取りだから、あまり声出さなくていいよ。」
と僕が親切に言ってやっているのに、第三幕冒頭の「水夫の男声合唱」などでは最初からバンバン出している。特にテノールは、隣の人が出すのを聞いて、
「おっ、やるな。ようし、俺も!」
という感じで、早くも競争モードに入っているよ。こうなると声楽家というのは、犬がなるべく高く自分の小便を電柱にひっかけようとするのと一緒だね。もう、うるさくて、ピアニストと一緒にみんなの音量に圧倒されて疲れ果ててしまった。

 休み時間。
「そんなに出さなくていいのに。声抜いていいって最初に言ったのに。」
と団員達に言ったら、
「だってこの曲面白いんだもの。出したくなっちゃうよ。」
と皆口をそろえて言う。
まあ、本当にそんな気持ちになっちゃう曲なんだよね。

 「さまよえるオランダ人」は、女性が25人。男性が50人の総勢70人。男性50人を35人と15人に分けて、わずか15人で幽霊の合唱を歌わせなければならないのかと思っていたら、指揮者のボーダー氏が、
「幽霊船を録音したら、50人対50人で百人の大合唱が出来る。」
と言ってきた。勿論それは大歓迎だ。たとえ15人で生演奏でやっても、生声はほとんど届かないし、どっちみち音響でエフェクターをかけて幽霊らしく加工するので、生演奏でも録音でも音のクォリティは変わらない。そうなったら15人よりも50人の方がいいに決まっている。ただ、唯一の問題点はタイミングなのだ。つまり生演奏のオーケストラと合うかどうかだけなのである。
「自分はヘッド・フォンでクリック音を聞きながら振ったことがあるよ。」
とボーダー氏。つまりあれだね。スペース・トゥーランドットの「時空を超えて」で、僕がCGの画面と連動したクリック音を聞きながら指揮したあの方法だね。
「よっしゃ。指揮者自身が大丈夫というのなら、その方法でいこう。ただし、うまくいかなかったことも考えて、15人のオバケの可能性も残しておこう。」
というわけで、男声合唱はノルウェー人とオランダ人(幽霊)の両方を全員が練習するようになった。うまく決まれば、表と裏とで百人の男声合唱だよ!

 幽霊船の合唱は、録音の時にピアノでガンガン伴奏などしたら、そのピアノの音がテープに入ってしまうため、ほとんどアカペラで完璧に音程が取れるところまで指導しなければならない。ところが、この合唱曲は幽霊の怪しいキャラクターを想定して書かれているため、音程も微妙な半音階が多用されていてとても難しい。
「うわあ、出来るかなあ。」
とみんな言う。
「駄目駄目。バイロイトではね、劇場から遠く離れた合唱練習場にマイクが仕込まれていて、マイクに向かって歌うんだ。ライブで流れているオケに乗って歌うわけだけど、そのオケを大きく出したら、マイクに入ってしまうので本当に最小の音量しか出せない。だから歌い出したら自分たちの声量で全く聞こえないので、アカペラと同じなんだよ。」

 そのことを団員達に言いながら、バイロイトの時代をいろいろ思い出していた。団員は、舞台上のノルウェー船と幽霊との二手に分かれる。僕は、この幽霊の合唱の担当だった。バイロイトでは勿論録音ではなくて生演奏なんだけれど、別室で収録が行われるため、音質自体は録音と全く同じ。でも録音と違って指揮者はこっちに合わせたりしてくれないので、こっちが追いかけていくしかない。この方が数倍難しい。
 毎回公演の時は、出番の前に必ず一度僕が練習をつける。とにかく音程とリズムに気をつけながら、厳しく厳しくチェックを入れるんだ。それから最低限の音量でスピーカーを上げ、僕はモニター・ヘッド・フォンの音量を最大限に上げて出番を待つ。この待つ間が緊張して嫌なんだ。とにかくこの合唱は本当にリスキーだからね。
 目の前には指揮者を映すモニター・テレビがある。オケの音は細かい半音階とトレモロなので気をつけないとずれても分からないのだ。舞台上の合唱が歌い終わると、空虚な五度のトレモロに突入する。さあ、出番だ!うう、思い出すだけでも、今でもドキドキするよ。今では、僕の代わりにアシスタントのうちの誰かが、毎回ドキドキしているんだろうなあ。ああ、なつかしいなあ。

 バイロイト祝祭合唱団では、ノルウェー船の水夫や幽霊のかけ声の歌詞を変える習慣がある。話に聞くところによると、これはウィルヘルム・ピッツあるいは、それよりずっと前からの伝統だそうだ。今回、僕もそれにならう。
「ホー、エー、ホイオイオイ、イェー!」
と僕が教えると、
「なんだ、そりゃ。」
と言って、みんな笑い出した。
バイロイトで長く演出助手をやっていて、「ジークフリートの冒険」も僕と一緒に作ったマティアス・フォン・シュテークマンは、いろいろ斬新な演出プランを考えているようだ。今から楽しみだなあ。まだまだ初日は先の話だけれど、立ち稽古が始まったらまた経過報告しますね。

蕎麦さかい
 12月12日、火曜日の「さまよえるオランダ人」練習初日の疲れは、その晩の素晴らしい料理ですっかり癒された。東大アカデミカ・コールの団内指揮者で、東京バロック・スコラーズのメンバーでもある酒井雅弘さんが、なんと最近蕎麦屋を始めたと聞いて、妻を含めた親しい友人達で押しかけてみた。店の名前は「蕎麦さかい」。
 蕎麦屋といっても、一般の蕎麦屋と違って、基本的には日曜日だけ予約を取って営業し、しかも定員はわずか6名という究極アット・ホーム蕎麦屋なのだ。今回はイレギュラーに火曜日だけど、相談には応じてくれるらしい。閑静な住宅街の真っ直中、みたところ何の変哲もない普通の民家。ふらっと何気なく入る店ではない。
 しかもメニューは一種類だけのコース。しかし、たかが蕎麦で四千円もの値段を取るだけある。ひとつひとつの料理がとても丁寧に作ってあり、阿寒湖で採れた牡蠣の料理やあんこうの肝など食材にもめちゃめちゃこだわっている。そして極めつけはやはり蕎麦。うーん、とても口では言えない。みなさん、ご自分で行ってみてください。酒井さん、やるなあ!

12月16日、土曜日夕暮れ時の風景
 目の前には新しいイグナチオ教会。そして上智大学のビルが白くそびえ立っている。曇りがちの12月の夕方。その灰色の空には、ところどころ雲の薄いところがあって、突然かいま見える青空にハッとさせられるが、すぐに覆い隠されて、何もなかったかのようにモノトーンの世界に閉ざされる。
 葉が落ちてまばらになった街路樹の隙間からは、道路にせわしなく行き交う車の群れが見える。その街路樹に風が戯れると、枝に残っている黄色と茶色の葉っぱ達が、今にも落ちそうな自らの運命も忘れて、枝の先で際どいダンスをする。中にはそのまま落ちてしまう者もいる。それが世の常なのだといわんばかりに、彼等は何の疑問もなくあるがままにそれを受け入れている。
 夕闇は刻一刻と迫ってくる。この文章を書き始めてからいくらも経っていないのに、あたりは随分暗くなっている。世界が時を刻む音が僕に聞こえている。全ての昼は夜に向かい、全ての秋は冬に向かい、全ての人生は死に向かっている。ひそやかに、だが確実に・・・・。

 東京バロック・スコラーズの今年最後の練習とアカデミカ・コールの練習との間のつかの間の休息。四谷駅前のカフェの二階でぼんやり過ごしている。こんな時は、まだ大晦日でもないのに、今年起こった様々なことを振り返っている。
 それにしても時の進むのは速いなあ。春に家族でイタリアに行ったと思ったら、すぐに群馬の「おにころ」公演。「スペース・トゥーランドット」のオケ・スコアの作成に明け暮れていたと思ったらたちまち初日がやって来た。それから「大地の歌」を振って東京バロック・スコラーズの旗揚げ公演をやったらもう師走がやってきてしまったよ。

 旗揚げ公演を無事済ませた東京バロック・スコラーズは、今日投票を行って新団長を選出した。この団長を中心として来年度からの活動を積極的に行っていく。今練習をしているト短調の小ミサ曲は実に美しい曲だ。でもテーマだけでもこんなに美しいのに、バッハは情に溺れることなく緻密な構成力をもって曲を展開させ、緊張感に富んだ楽曲に仕上げている。こんな素晴らしい曲は練習をつけているだけで幸せな気持ちになる。
 幸せと言えば、今度浜松バッハ研究会で演奏するクリスマス・オラトリオを勉強中だが、第二カンタータ冒頭のパストラーレも、聴いているだけで本当に幸せな気持ちになれる素晴らしい曲だ。本当にバッハっていいね。

 さあ、アカデミカ・コールは明日が本番。サントリーホールの小ホールで今回はこじんまりとファミリー・コンサートだ。でも曲目はシューベルトやブルックナーの男声合唱曲など、きちんと演奏すべきものなので、お気楽に構えてはいられない。これから最終練習に行く。どこの男声合唱もそうだけど、テノールが暴走しないように注意しなくっちゃ!




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