元気で仕事はじめ

三澤洋史 

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バイロイトに行きたい!!
 なつかしい人に会った。バイロイトに住んでいるWinter和子さんと、そのボーイフレンドである元バイロイト大学教授のディーター・クラインが来日していて、僕達夫婦と一緒に食事をしたのだ。
 和子さんは外交官の父親の娘としてイギリスをはじめとして海外で育ち、ネイティブ言語は英語、ついでドイツ語に堪能だが、日本語はかなり怪しい。しかしこれでバイロイト大学でドイツ人向けに日本語の授業をしているというから驚きだ。
 ディーターは、微生物すなわち細菌が専門で、定年で大学をリタイヤしたが、なにかと大学に呼び出され、特別講義などを行っている。どう見ても大学教授にだけは見えない風貌をしており、気さくでユーモアに溢れ、子供のように好奇心旺盛で、僕とは実にウマが合う。
 彼の趣味は自転車だ。それも半端じゃない。夏休みになると毎年、自転車ひとつで旅行に出掛けるが、行く先はイタリアだったりフランスだったりする。イタリアだよ!アルプスを越えて!しかもローマまで行ったそうだ。バイロイトから一体何キロあると思いますか。さすがに帰りは自転車を電車に乗せて帰ってくるそうだが、旅行中は夜は大抵キャンプ場か野宿だそうだ。

 僕達が昨年の4月にアッシジに行った話をしたら、
「アッシジといえば傑作な話があるんだ。」
と言う。
「聖フランシスコはカトリックだろう。ところが僕はプロテスタントなのだ。で、アッシジの街に入った時、自転車を漕いでいた僕の唇をミツバチが刺したんだ。お陰で唇がハンバーグのように腫れてね、ひどいことも起きるもんだなあと思っていたら、今度は街を出るときにスズメバチが飛んできて鼻先を刺したんだぜ。鼻もふくれてとうとうボクシングで第七ラウンド過ぎたような人相になっちまった。その時思ったね。ああ、これは聖フランシスコが怒ってるんだってね。このプロテスタントの罰当たりめって。だって、今まで一度も蜂に刺されたことなんかないのに、一日に二度もだよ。ひどいと思わないかい?」
「あははははは!」
僕達夫婦は笑いころげたね。

 ディーター達と話しているうちにバイロイトの街がなつかしくて矢も立てもたまらなくなってしまった。
「いいなあ、行きたいなあ。」
「来なさいよ。何泊でも泊めてあげるから。」
と和子さんが言う。
「8月の前半がちょっと空いているといえば空いているんだ。ある講演会の企画の候補日になっているけれど・・・・。音楽祭の情報からも疎くなってしまったし、このままだと時流から取り残されるとは思っていたんだ。」

 すでに音楽祭が開催されている最中だ。チケットの当てはない。バイロイト音楽祭のチケットを入手するには、一般的には十年待たなければならないとか、いや日本ワーグナー協会に入らないと駄目だとか言われている。しかし京都のKさんのように、毎年何の当てもなくバイロイトに来て、当然のことのようにどこかしらかチケットを手に入れて観ていく人も知っている。保証は何もないけれど、合唱指揮者のフリードリヒもいれば、かつての仲間も沢山いるので、行けば行ったで何とかなるでしょう。

 バイロイトにはまだ僕の銀行口座が残っている。今の状況では新国立劇場をクビにならない限り、もう6月20日の祝祭合唱団稽古初日から8月28日の音楽祭千穐楽までの二ヶ月半、日本を離れてフルに働くことは今後ほとんど不可能だ。なので、この銀行口座を解約して残りのお金を回収して来なくてはいけないとは思っていた。

 それと、あのゾンネン・ホーフのおいしいウィーン風カツレツやバイロイト空港の向こうの小さな村にあるレストランの鴨肉のローストやじゃがいも団子や、ニュルンベルク・ソーセージなどが僕を呼んでいる。本当はそっちの方が主って感じだな。
 で、なんとなく決心が固まった。
「よし、行きますよ!」
「三澤さんの自転車はまだ健在ですからね。」
「おお、そうだった!和子さんのところに置かせてもらっている僕の自転車があるんだ。これでどこでも行けるぞう。」
「プリンタもファックス付き電話機もありますよ。」
「まあ、それは使わないからいいけど。」
かつて、毎年わずか二ヶ月半とはいえ、生活していたんだものな。僕の最新ミュージカルの「ナディーヌ」だって、バイロイトで音楽祭の練習や本番の間を縫って作曲し、完成させたんだ。その日々が鮮やかに蘇ってきた。

 ということで、今年は7月中旬に新国立劇場で高校生のための鑑賞教室「蝶々夫人」六回公演を指揮し、新町歌劇団とコンサートを行い、下旬に「スペース・トゥーランドット」再演を行った後、バイロイトの風をちょっとだけ浴びに行ってきます。

六本木男声合唱団倶楽部の海外公演
 今年は、その前にもう一度海外に行く。六本木男声合唱団倶楽部モナコ公演という、またまた大それた計画が進行している。実はその近辺の僕はとても忙しい。4月29日に名古屋でモーツァルト200合唱団の定期演奏会を指揮する。ヴァイオリン協奏曲の第五番やミサ曲などをマチネー公演で振ったその日の内に成田空港に移動。エール・フランスの夜のフライトでパリのシャルル・ド・ゴール空港に4月30日朝の4時過ぎに着き、それからパリの反対側のオルリー空港まで移動。それからニース・コートダジュール空港行きの第一便(確か7時だった)に乗る。4月30日朝の10時半から始まるオーケストラ練習に僕は飛び込まなくてはならないのだ。

 モナコのモンテカルロには、パリのオペラ座で有名な建築家ガルニエが設計したオペラ劇場がある。ここの劇場とオーケストラを使って演奏会をする。5月3日の演奏会では、前半、横山幸雄さんのソロでショパン作曲ピアノ協奏曲第二番、そして後半は三枝茂彰氏作曲のカンタータ「天涯」を指揮する。5月5日には、前半が中丸三千繪さんのアリア集、後半が三枝氏作曲「レクィエム」男声合唱版の演奏だ。
 もう、まったく企画が先行してどんどん本番があるのはよいが、我々指導スタッフは大変だよ。とにかくみっともない状態にだけはなりたくないのでもう必死だ。

 このモナコ公演に先駆けて、予行演習というと聴衆には大変失礼なので決して言わないが(もう言ってしまった!)、2月6日に、これも大それたことに、東京カテドラルで「川よとわに美しく」と「レクィエム」、それとカンタータ「天涯」の一部を演奏するコンサートをやる。ううーっ、こう書いているだけで冷や汗が出るよ。僕のアシスタントの初谷君!頑張ろうね!この果てしない試練を共に乗り越えようね!きっと未来にはいいことが待っているよ。

元気で仕事はじめ
 ノロウィルスの影響はすでに影も形もなく、僕は元気で仕事に復帰した。正月休みが長かったのは幸いだった。でも僕は、それをこの春からの様々な演目の下ごしらえに当て込んでいたので、ノロウィルスでとられた数日間は惜しかった。残りの日々は忙しかったよ。

 特に1月10日の新国立劇場の仕事始め「西部の娘」合唱音楽練習には、前の日まで単語を調べていて、飛び込みで練習場に入った感がある。もっとも練習を始めてみたら、まだみんな全然音も取れていないので、ホッとしたりがっかりしたり。
 もう少し公演が近づいてきてから詳しく書くと思うが、「西部の娘」は、アメリカ西部の金鉱目当てにヨーロッパの各地から労働者達が押し寄せた時代の物語で、テーマは「移民の孤独」だ。みんな家族を離れ、この地に一攫千金を求めて出稼ぎに来ているが、実際には望んだほどの報酬が得られず、孤独と望郷の想いに押しつぶされながら生きている。そんな様子がプッチーニの幻想的な音楽に乗って生き生きと描かれている。

 第一幕と第三幕は金鉱のふもとの村にある酒場「ポルカ」が舞台となっている。そんなシチュエーションなので、合唱も男声合唱のみ。登場するソリストも男ばっかりで、女性はわずかに酒場「ポルカ」の華のミニーと、第二幕で出てくるミニーの家の使用人でインディアン女性のウォークル(三輪陽子さんが演じる)の二人だけだ。なんともムサいオペラだが、僕は勉強している内にこのオペラが大好きになってしまった。
 ミニーに横恋慕する保安官のランスは、スカルピアになりきれない中途半端なワルだし、物語の結末もハッピー・エンドだから、「トスカ」や「蝶々夫人」の終幕ような劇的緊張感に欠けてしまらない。でもこのオペラの中には思いやりとか、人を信じる善良さとか、なによりも僕が好きな「かけがえのない出逢い」があるんだ。

 11日からは、バレエ部門とタイアップした公演のグルック作曲「オルフェオとエウリディーチェ」の練習も始まった。これはオルフェオ以外のソリストや合唱はオーケストラ・ピットの中で歌うことになっていて、合唱はわずか8人。でもこういうアンサンブルの練習は楽しい。合唱も本当はこのくらいが一番お互いの声を聴き合えていいんだよね。百人とかなってしまうと、厳密な意味ではもうアンサンブルは成り立ちにくいね。なんて、百人規模の合唱団を複数指導している僕は、これ以上言うと自分の首を絞めるので言いません。

 6月には東大アカデミカ・コールの演奏会でプーランク作曲「アッシジの聖フランシスコの四つの小さな祈り」という曲をやる。そのフランス語の勉強もしていた。これは、僕の洗礼名が聖フランシスコだというので、アカデミカの担当者がどこからか見つけてきたものだ。1月18日夜の練習初日では、僕がフランス語の指導をすることになっているので、一生懸命下準備をしていたのだ。

語学は楽しい
 イタリア語やフランス語を勉強していると、ヨーロッパの言語には「接続法」という本当に便利なものがあるなあと感じる。日本語には「接続法的な表現」はあるが、ヨーロッパのような意味での接続法が活用としてはないので、とても不完全な言語であると感じる。接続法の便利さは主として二つある。

 ひとつはそれを使うことによって願望や期待が柔らかい感じになるということ。同時に「わたしはあなたに気を遣っていますよ」という意思表示が出来るということだ。
もうひとつは、言っている事柄が実際に起こったことや起こりうる現実味を帯びている時には直説法を使うが、言っている事柄に実在感がない時に接続法を使うという考え方が素晴らしいのだ。
 それは冠詞の使い方とも共通する。冠詞がつかない場合、単語はどこか現実味を持たない中途半端なものに留まる一方で、冠詞を持った途端、単語はこの地上に肉化incarnationするのだ。

 ドイツ語は、とても理論的で厳密な言語のように思われているけれど、実際はイタリア語やフランス語のようなラテン系の言葉の方がより厳密だ。ドイツ語には条件法と接続法の区別がないし時制も曖昧だ。habenないしはseinと動詞の過去分詞を合わせて使う完了形と普通の過去形との区別がほとんどない。フランス語には半過去、複合過去、単純過去と、過去形だけで三つもあるよ。
 フランス語の単純過去はイタリア語では遠過去と言う。これは日常会話では使わず文章言葉なのだが、これがオペラの台詞では大活躍するのだ。例えばfuというのは英語で言うbe動詞essereの遠過去だけど、オペラの中ではこの一語だけで、
「それは過ぎ去ったのだ。」
という意味になる。こういうことを分かっておかないとオペラのリアリティにも迫れないので、オペラ指揮者というのはコンサート指揮者の三倍もの努力が必要だ。

Ainsi soit il.
このフランス語は、アーメンという意味だよ。ainsiは「そのように」。soitはbe動詞etreの接続法で、「かくあれかし」という意味だ。

 このように言語は奥が深いなあ。僕は言葉の勉強しているととても幸せな気分になる。それに、楽曲のアナリーゼしているような知的満足感もあるんだ。最近は特にイタリア語が楽しい。

WISHが可愛い
 僕の自作愛機WISHが可愛くて、赤と青の二色に光るファンを取り付けてみたり、メモリーが熱暴走しないようにヒートシンクのカバーを上から取り付けてみたり(ゲームでもバリバリやらない限り熱暴走なんてしないんだけど)、どうでもいいことばっかりなにかと甲斐甲斐しく面倒をみている。自作愛機のWISH

 東響第九のオーディションをやっていた時、役員のI君が、
「先生、先生のホーム・ページを拝見しましたけれど、VISTAにしないんじゃ、はっきり言って性能良過ぎますね。特にグラフィック・カードは無駄かも知れません。」
ほっといてえな。うーん、確かに言われれば・・・・。
「僕も同じように素晴らしすぎるグラフィック・カードを入れてしまって、手持ち無沙汰なので、3Dゲーム買いましたよ。」
「うーん、そういうのを本末転倒と言うんだね。」

 しかし、僕も気がついてみるとその本末転倒をやっている。といっても買いはしませんけどね。フリーソフトの3Dゲームをダウンロードして動かしてみた。画面は素晴らしいし、カーソルを動かすごとにインターラクティブに景色が変わる。しかもそれが3次元的に展開するので、
「おおっ!」
と目を見張るほどだ。さすが、良いグラフィック・カードは違うねえ。

でも・・・・でもね。そのゲームってフリーソフトなだけに英語版だし、丁寧なガイドがあるわけでないので、ど、どうやって遊んでいいかよく分からない!
なので時々起動しては景色を見るだけ。これって、ちょっとだけトホホ?



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