志木第九の会演奏会無事終了

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

3週間遅れの成人式
1月31日(水)

 朝早く妻の同級生のノコちゃんが家に来て、娘三人、いや違った、娘二人と妻の髪を結い、きものの着付けをしてくれた。もう朝からにぎやかで、愛犬タンタンは興奮しまくって手がつけられない。僕は二階の部屋でクラビノーヴァを使ってマグニフィカートや第九の勉強をしていたが、あまりに楽しそうなので時々階下に降りていってはみんなの様子を見ていた。
 その内、娘達がひとりづつ、
「どう?パパ!」
と結ったばかりの頭を見せに来る。いいなあ、女の子は。着せ替え人形じゃないけど、楽しいね。
それからひとりひとり着付けだ。大変な作業だね。

 ノコちゃんは美容師で、昔は美容院で働いていたが、今は本人のかつてからの希望通り出張美容師をしている。妻とはお互い子育てなど忙しくて一時離れていたが、ふとしたきっかけで再会することとなり、再び密な交流が始まった。そのきっかけというのが面白い。
 何の公演だか忘れたが(多分カルメン)、新国立劇場公演に参加した杉並児童合唱団の中にノコちゃんの娘さんと息子さんが入っていて、僕が音楽練習をつけている時にお姉ちゃんの方が僕に声をかけてきたのだ。
 高校生になっていたこのお姉ちゃんはかなり美人で、合唱団員達が騒いでいた。だから僕が急に彼女と親しくなったので周りの視線が急に冷たくなったのを覚えている。それで新国立劇場の公演で、僕たち夫婦とノコちゃんとは久しぶりに再会したのだ。

 娘達の着付けは午前中いっぱいかかった。それから写真屋さんに行った。その日は新国立劇場で「さまよえるオランダ人」指揮者ボーダー氏によるマエストロ稽古があるので、僕は決して遅れられない。写真屋KASHINでは、もう準備万端で待ちかまえており、家族写真だけ最初に撮って僕を解放してくれた。和服を着た三澤家令嬢達
 国立駅前線路際の写真屋KASHINは、テノールの中鉢聡さんやソプラノの大倉由紀枝さんなど芸術家のポートレート写真で有名だ。何枚も丁寧に撮って、被写体の雰囲気を良く生かした写真を撮ってくれる。先日のオペラ・シティの演奏会で使用した次女杏奈のクラリネットを持った写真もKASHINで撮った。ちなみに今載っているこの写真は、僕のデジカメで撮ったものだからね。場所はKASHINなんだけど。写真屋の中でデジカメで撮るなんて、まったく失礼な客だね。

 彼女たちはそこで写真を撮った後、群馬のおばあちゃんたちのところに向かった。僕は、夜の「運命の力」合唱音楽稽古の後、高崎線に飛び乗り、新町に行って一泊した。
 子供は、時が来れば自然に20歳になるもんだが、それでも娘が成人式を迎えるというのは、親にとってはやはり特別な感情があるなあ。特に次女の杏奈は、小さい頃には髄膜炎になったり、交通事故に遭ったりして親を何度もハラハラさせた子供なので、よくぞここまで無事に育ってくれましたと、神様にひたすら感謝したい気持ちでいっぱいだ。
 群馬では、僕の両親や妻の母親、つまり彼女たちにとってはおばあちゃん、おじいちゃんもとても喜んでくれた。僕は思うんだけど、こうした節目に自分のことを喜んでくれる人がいるということを確認するということは、人間には必要なことなんだと思う。

 娘達は2月3日、土曜日には成田空港から飛び立ち、再びパリでの生活が始まった。わずか一週間ばかりの滞在だったが、このように行事がたくさんあって嵐のような一週間だったので、いなくなったら急に家の中がぽつんと静かになった。
 日本食に飢えていた志保は、毎晩妻に鍋料理を要求したので、夜仕事が終わって帰ってくると、
「おい、また鍋かい?」
という感じ。しかも志保は熱燗の日本酒を飲んでいい気分になっている。僕も付き合って芋焼酎を飲み、家では珍しいことだが、かなりへべれけに酔ってそのまま寝て、次の日軽い二日酔いなんてことも普段では決してない楽しい思い出。娘三人?

 こんど家族が再会するのは5月のモナコだ。六本木男声合唱団倶楽部モンテカルロ公演にパリから遊びに来る。妻は僕に同行するが、帰りは娘達のところに泊まり一週間ほどいる。でもこんな時はあまり気楽に遊べないなあ。僕は本番をかかえているからね。まあ、家族が揃ったって、いつも誰かが本番をかかえているというのが、三澤家の運命なのかも知れない。今回も1月28日の演奏会の前は二人とも家から一歩も出ないでさらいまくっていたからね。
 誰かが思うように練習できなかったりすると、ナーバスになっていたりね。なかなか普通の家族とは違う雰囲気が支配しているのも三澤家の特徴。でも、僕が娘達と仲が良いのに周りから驚かれるけれど、それは音楽という共通の話題があるお陰だ。そうでなければ、こんな五十のおじさんと接点など持てるわけないもの。

志木第九の会のこと
 志木第九の会は、志木市の市政20周年記念行事第九公演に参加した人たちが、公演後このままで終わって欲しくないと集まって、新たに行政企画とは離れてプライベートな団体として再発足した団体である。今からもう15年以上も前のことである。
 当時の幹事達が、市政20周年公演を指導、指揮した僕に話を持ちかけ、相談に乗るために彼等とお会いした時、僕はこう言った。
「自分は第九という曲は好きだけれど、第九を毎年歌うだけの会を引き受けるのは嫌だ。何故なら、第九は合唱の歌っている時間が短い割には、達成感が比較的簡単に得られるので、イベントとしては成り立っても、本当に第九をきちんと歌うのは実は生半可なことではないのだ。そのためにも、第九の間に他の曲を歌って合唱団の実力をつけて、再び第九に向かうシステムを作りたい。第九は、バッハのマタイ受難曲やマーラーの千人の交響曲と同じで、安易な気持ちで頻繁に上演されるような作品ではなく、真にモニュメンタルな作品だ。今の日本の12月に見られるような、ルーティン・ワークこそは、第九の精神に最も反する行為だと思っているので、その意味でも大切に扱いたい。」
 これに幹事一同が納得してくれて、「志木第九の会」は正式に発足したのだ。あまのじゃくと言われそうだが、この会の立ち上げ公演も第九ではなく、なんとハイドンの「天地創造」だった。
 そうした精神はずっと受け継がれ、昨日の演奏会では自分なりに「かけがえのない」第九が出来たのではないかと思っている。つまりみんなが第九を「大切に」扱い、丁寧に作った演奏だ。

 合唱の指導者は、音が取れてなかったりハーモニーが決まらなかったり、つまり技術的に完璧でない時は、どうもそちらの方に意識が集中してしまう。そして、
「もっと高く。もっと正確に。」
という駄目駄目ばっかりの指導になってしまいがちだ。
 でも僕は思う。それだけだとみんなだんだんつまらなくなって曲に対する興味を失ってしまうのだ。そういう時にこそ、曲の成り立ちや、歌詞の意味や、作曲家がその曲に込めようとした想いなどを伝えて、みんなの気持ちを集める努力をしなければいけない。特に我が国では、プロも含めて「技術は高いけれどつまらない」という演奏が少なくないが、問題は、そのつまらない演奏をする本人達がその音楽の持つ内面に関心を持っていないことにあるのだ。
 今の指導者の初谷敬史君や藤崎美苗さん達に僕の方から特別細かく指図しているわけではないけれど、彼等も僕の練習のやり方を見ていて、僕のやりたい方向を理解して、僕の望んでいるような指導をしてくれている。そうしたことが団員にも浸透してきて、こうした「心」のある演奏が生まれたのだと僕は自負している。

 加えて東京ニュー・シティ管弦楽団の音楽に向かう真摯な態度にも感謝している。第一楽章の緊張感。第三楽章の瞑想的な美しさなど表現するためには、技術だけではどうにもならないのだ。終演後お客さん達が、
「第九でこんなに感動したことはありません。特に第三楽章の冒頭がこんなに美しく響いたのは初めてです。」
などと言ってくれたのは、あきらかにオケの功績だ。

 ソリスト達も健闘してくれた。前曲のマグニフィカートでは、藤崎美苗さんがこぼれるような魅力を振りまいたし、初谷敬史君と佐々木昌子さんの二重唱はなかなか聴けないほど音楽的できれいだった。
 一方、第九では、初鹿野剛君の冒頭の堂々としたバリトン・ソロに始まり、黒澤明子さんのどこまでも伸びる高音の美しさ、嘉松芳樹君の凜としたマーチのソロなど、それぞれに見事だったが、なによりも黒澤さん、佐々木さん、嘉松君の三人が新国立劇場合唱団の団員で、普段僕と付き合っているということもあり、アンサンブル能力に長けているのが功を奏した。それぞれソリスティックに歌いつつ、(第九では最も難しいことだが)四重唱がとても良くハモッていたことは嬉しかった。 志木第九の会
Freude trinken alle Wesenの男声二重唱の後、アルトの佐々木さんがAlle Guten, Alle bosenと入ってくる瞬間、二人の男性がさっと音量を落とすところなど、下手に大歌手達を雇うと、いくら言ってもやってくれない。その結果、みんなで戦い合っているような四重唱になってしまうのがしばしばだが、合唱を経験したソリスト達は、そういうバランスの気配りが全く違う。

 最後の音が終わった瞬間。バリトンの澄んだ声でブラボーがかかった。あ、あの声は新町歌劇団事務局長のSさんだ!楽屋でSさんが、
「先生、よかったあ!いつか先生の指揮で第九を歌いたいです。」
と言ってくれた。新町歌劇団はこれまで僕のミュージカルばかりやってきたからね。でもわずか二十数名の新町歌劇団だけではちょっと無理だ。
「それじゃあ、いつか僕の関係する団体をみんな集めて、どこかでドカーンと第九やりますか。」
と言ったら、
「それ、いいですね。やりましょう!」
と一同大喜び。それを後で志木第九の会の事務局長に伝えたら、
「それは素晴らしいですね。先日の杏奈ちゃんの演奏会でも感じたけれど、あたしたちもそれぞれ三澤先生が関係している別の団体とだんだん横のつながりが出来てきて、とても嬉しく思っていたところなんですよ。やりましょう、やりましょう!」
ということで、ちょっと本気になりかけている。

 さて、明日はカテドラルで六本木男声合唱団倶楽部の演奏会。新国立劇場「薔薇の騎士」公演のチラシに載せるエッセイの締め切りがとっくに過ぎていて、今週の中頃までに出さないと知りませんからねとW女史から言われている。その他にもやることが、あれも、これも、どれも、それも・・・・。ヒャー、助けてーっ!と、超多忙な毎日です。



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