JUST Suiteが来たぞ!

三澤洋史 

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JUST Suiteが来たぞ!
 3月9日、金曜日。朝食を食べながら「芋たこなんきん」を見終わると愛犬タンタンがソワソワし始める。散歩の時間だ。足を拭くぞうきんを濡らし始めると、ますますソワソワする。僕も別の理由でソワソワしている。

 と、ピンポーン!家の呼び鈴が鳴った。
「来た!」
「おはようございます。ヤマト運輸です。」
インターホン越しに聞こえる声が明るい。
「はいはい!」
僕の声はもっと明るい。
印鑑を持って玄関に出ると、宅急便にしては小さめの荷物をお兄さんは手渡した。
「ヤッター!ついに来たぞ!」

 僕の家では宅急便はいつも朝の第一便で届く。きっと地域的にそういう順番になっているのだろう。その日もタンタンの散歩時と重なる時に来るに違いないと思っていたからソワソワしていたんだ。さて、来るものは来たんだし、まずはお散歩だ。小包をテーブルの上に置き、
「それ、行くぜえー!」
タンタンと一緒に家を出た。

 荷物の中身はJUST Suiteだ。前にも書いたが、これはワープロ・ソフトの一太郎で有名なJustsystemの新製品。マイクロソフトで言えばWord、Excel、 OutlookやPower PointなどがセットになったOfficeに相当する。お馴染み一太郎2007を中心に、グラフィック・ソフトの花子、表計算ソフトの三四郎、プレゼンテーション・ソフトのAGREE、メール・ソフトのShuriken、そしてJustsystem PDF Creator-Editorなどがまとめて入っている。
 本当は一月末のWindows VISTA発売を受ける形で、VISTA対応を歌い文句にして2月9日発売だったはずが、前の日になって不具合が発見されたといってIDナンバーを持つ登録ユーザーの元にメールが届いた。発売を一ヶ月延期しますというんだ。

 僕は基本的にこういうものを購入する時は、自分の足でお店に行って品物を手に取り、レジーに持って行って買う主義を貫いている。その方が買い物をした感動を味わっていいではないか。ところが今回は、楽しみにしていたのに一ヶ月も待ちぼうけを食わされたものだから、もう我慢できなくなって、ついにインターネット経由で申し込んでしまったというわけだ。そうすれば、宅急便の配達経路からして発売日の3月9日の早朝には手に入るからね。

Shuriken2007やAtok
 お散歩から帰って早速インストールしてみた。一括インストールしたら、なんと40分くらいかかった。それからShurikenが新ヴァージョンにアップデート出来るというので、早速アップデートしてみた。
 僕は元々Shurikenを基本メーラーとして使用している。Shurikenでは、受信トレイや連絡帳が暗号化出来るので、セキュリティに関してはかなり安心なメール・ソフトだ。仮にウィルスが入り込んできても、連絡帳からさらにバラ蒔いてということは出来ないようになっているし、ハッカーがファイルをいじることも難しいということだ。
 Shuriken2007になって外観はかなり変わったが、細かい変化についてはこれからおいおい分かってくるだろう。ひとつ気付いたことは、迷惑メールを仕分けして別ホルダーに入れてくれるようになった。その仕分けの仕方は適切だし、学習させるともっと適切になるそうだ。
 まあ、一太郎とかAtokに関して言えば、別に画期的に変わったとは思わないね。説明書によれば、“あ”という言葉を出してからF4キーを押すと、「あっ!」と驚いた時の顔文字が出るそうで、今やってみると・・・・、
(・。・) (・.・) (・.・;) (/--)/ (・_・ゞ-☆) (・_・?)
という具合にどんどん出てくる。面白いけど、でも「だから何?」って感じ。もう出来上がっているから、どうやってもあとはマイナー・チェンジしかないのではないかな。

I agree the AGREE.
 新しく開発された、OfficeではPower Pointに相当するプレゼンテーション・ソフトAGREEは、ちょっと探検しただけでもかなり良いぜ。操作方法はPower Pointとほぼ同じだし、Justsystem独自の機能といったものは、まだ使い込んでいないからよく分からないが、なんと言ってもデザイン・テンプレートやカット用のイラストが豊富で、しかも日本人向けなんだな。Officeの場合、イラストが奇妙なアメリカ風で笑えてしまうことを考えると、やはりJustsystemは、日本人の日本人による日本人のソフトというポリシーを貫いているんだ。

 夏の新町の演奏会や、国立芸術小ホールの演奏会で、またプロジェクターを使って映像を入れようと思っている。使い物になりそうならば、Power Pointの代わりにAGREEで資料を作成しようと思っていたので、とても楽しみになってきた。また花子というグラフィック・ソフトもなんだか面白そうだな。ガイドブックには地図も作れるとか書いてあるので、今度暇な時に作ってみよう。
 僕の場合、こうした新しいソフトの使い方は、ほとんどいつも独学だ。「できる・・・」とかいうガイドブックを買ってきて、まず本に書いてある通り、一字一句そっくりそのままに操作し、手本の通りファイルを作成してみる。真似こそ全て。徹底的に真似る。それから、自分のやりたいことに取りかかる。それが最も近道。

あなたの犬は幸せですか
 スコアの勉強の合間に、ちょっとの時間を見つけては本を買って読む。僕はあてどなく本屋をさまようのが好き。何気なく目についた本を手当たり次第取り、ページをパラパラめくって気に入ったのを買う。この本もそうやって買った。
 タイトルは「あなたの犬は幸せですか」。シーザー・ミラン及びメリッサ・ジョー・ベルティエ著。片山奈緖美訳。講談社。

 シーザー・ミランは犬のリハビリの分野で最も人気のあるドッグ・トレーナー。犬の目を通して世界を見ることの出来る並外れた才能の持ち主である。彼は本のまえがきでこう言う。

たいていの飼い主は、問題は犬の側にあると考えています。しかしわたしは、問題はほとんどの場合、飼い主の側にあると思っています。そこでクライアントにこう言います。
「わたしが犬にするのはリハビリです。訓練は人間の方にします。」

 この言葉を読んで僕は迷わずこの本を買った。すると驚くべき事がここには書かれていたのだ。彼は、まず犬が何を考えているのかを正しく認識するべきだと主張する。犬は人間の赤ちゃんではない。人間がこうであって欲しいと勝手に願うような存在でもない。我々はまず犬のありのままの姿を見つめるべきであると彼は説く。

 彼は、犬というものが外界をどのように認識しているかという観点から話を始めた。犬は我々の視力の代わりに、人間からは比べものがないほど発達した嗅覚で物事を捕らえるが、それと同等に、あるいはそれ以上に彼等にとって大切なコミュニケーションの手段があると言う。

人間と動物のあいだでも共通の言語を使えます。ドリトル先生が使っていた普遍的な言語は存在しているのです。それは人間を含めたあらゆる動物が、知らず知らずのうちに話している言語です。(略)この普遍的で種を超えた言語は「エネルギー」と呼ばれています。

ね、面白いことを言っているでしょう。もうちょっと読んでみましょう。

ひとたび、あなたが恐怖という感情を抱いたら、犬はすぐに自分が優位に立ったと気付きます。あなたが弱いエネルギーを発しているからです。そうなると突進されたり噛まれたりする可能性が非常に高くなります。

穏やかで毅然
 我々人間が、犬とどうしたら理想的な関係を築くことが出来るかという問いに関して、著者は、犬に対して我々が常に「穏やかで毅然とした」主人としてのエネルギーを放ち、くつろぎながらも優位に立っていることを勧めている。何故なら動物界においては、対等な関係ということはあり得ず、リーダーであるか追従する者であるかの二者択一しかないのだ。そして犬は、自分の立場を認識することで初めて安心して過ごすことが出来るのである。その均衡が崩れた場合、あるいは確立できない場合、犬の精神は限りなく不安定になるのだ。
 人間はともすると“従順”という言葉にネガティブで卑屈な意味合いを感じる。そこで、自分の犬にはそんな屈辱的で可哀想な思いをさせまいと民主的に犬に接しようとする飼い主がいたら、それは全く誤った接し方をしているのである。犬にとって誰かに従順であるということは、“穏やかに心開いている状態”をいうのであり、それが犬にとっての幸福の第一歩なのである。そのためにも主人には常に毅然とした主人のエネルギーを出し続けていて欲しいのである。

人間のための本?
 ここまで読んだ時、僕は、
「あっ!」
と思った。これは犬の飼い方の本ではなく、実は人間のリーダーたる者が読むべき本だったのだ。そう思って姿勢を正して読み返してみると、この本から僕は限りないほどのヒントを得たのである。

 我々の社会で本当に求められているのは、優れたリーダーと、そのリーダーに“穏やかに心開いて”ついていく優秀な部下達だ。リーダーはヴィジョンを持ち、人々を導いていくが、どういうリーダーに我々は喜んでついていくのだろうか。それこそ、この本で語られているように穏やかで毅然としたエネルギーを放つリーダーなのではないだろうか。
 勿論人間を犬とは一緒には出来ない。でも部下の幸福というものも、すぐれたリーダーの元でそのエネルギーを受けながら働くことなのではないだろうか。

 このエネルギーという言葉がことのほか僕は気に入った。そうか、そうだったんだ。たとえば指揮者は、本当は棒で指揮するのではないのだ。エネルギーで指揮するのだ。ヨーロッパの指揮者には、必ずしもバトンテクニックに優れた人ばかりいるわけではない。いや、それどころか、はっきり棒がヘタという指揮者も少なくない。でも出てきた音楽は素晴らしく、オーケストラも尊敬の念を持っている。その秘密は何かというと、エネルギーだったのだ。そして指揮者がそうしたエネルギーを放つためには、指揮者の中に“この音楽を分かっている”という自信がなければならないのだ。
そういう指揮者の元で、楽員は、
「この指揮者と一緒なら良い音楽が出来る。」
という信頼感を持って演奏できる。名演を生み出すのは、そうしたみんなが発するプラスのエネルギーなのだ。現代の演奏が、整っているけれどなにか面白くないのは、きっとみんな棒の先ばかり見ていて、物理的には合っているけれど、エネルギーが集まらないからではないか。
 それにしても“穏やかで毅然”という言葉がいいなあ。音楽家には感情的な人が少なくないけど、人を本当に説得させたいと思ったら冷静である事が必要だ。

あなたが怒鳴ったところで、犬には何を言われているのかわかりません。犬は興奮して精神的な安定を欠いたあなたのエネルギーを感じているだけで、それでは犬を怖がらせるか、混乱させるか、あるいは単に無視されるだけです。

無視だって。分かるなあ。いたずらに怒りまくる上司と、ひいてしまう部下。全く人間社会そのものではないか。  

何故いじめがエスカレートするか?
 その他にもいろんなことが分かってきた。たとえば子供のいじめ問題だが、これも子供というものが大人よりずっとある意味動物的というか直感的であることに起因するのだ。つまり強いエネルギーを持つ者が弱いエネルギーの者に対して支配的となるのである。

 思い返してみると、幼稚園の頃僕はいじめられていたんだ。僕をいじめていた奴は僕よりずっと体が発達していて、腕力もあった。僕は早生まれだったので、4月生まれの同級生とは一年近く離れていたから、体も小さかったんだ。
 でも小学校に上がってから僕は全くいじめられなくなった。何故か?それは自分で言うのもおこがましいが、勉強が他の誰よりも良く出来たからなんだ。先生をはじめ周囲の目が変わってきたのだ。それによっておそらく僕から出るエネルギーも負から正に変わったのだと思う。つまり体力という純粋動物的価値観に加えて、知性というもうひとつの価値観が小学校以後の自分を守ってくれたのだ。
 それと正直に白状するが、僕も友達をいじめるというほどではないが仲間はずれにした経験がある。その友達は、当時の僕から見ると、なんとなくいじめてもらいたいと思っているような負のエネルギーを出していた。こんな時、子供はあまり深く考えずにいじめてしまうものなんだ。何故か?それが動物的本能だからだろう。

ホモ・サピエンスは賢明で優しく思いやりにあふれたリーダー、ときには愛らしいリーダーに従う、地上で唯一の種です。そんな人間には理解しがたいことかもしれませんが、動物の世界ではリーダーを選ぶとき、キューバ国家評議会議長フィデル・カストロが、もっとも貧しい人に尽くし続けたマザー・テレサに勝つのがつねなのです。動物の王国には道徳はなく善悪もありません。

 こんなにいじめ問題が深刻になっている背景には、子供の社会が昔より“動物的”になっていることがあるのではないかと思う。そしてそれは大人社会の反映でもある。人間には本来、動物にはない別の行動へのモチベーションがある。人間は自殺もするが、時には他人のために自らの命を投げ出す。
 僕が友達を仲間はずれにした時、それ以上にならないよう自分を止めたものは何だったのだろう。それこそ、
「これって、よくないことだよな。」
と思う倫理観や善悪の判断だった。
 それがなくて無制限になっているとしたら、これは問題だ。人間がこの世に生きる限り、動物的側面を捨て去ることは不可能だが、同時に人間は、人間として教育され育てられることによって「人間らしく」作られる(sophisticateされる)ものなのだ。それが正しく作られていないで動物的な次元にとどまっている事が、いじめがここまでエスカレートしている原因なのではないだろうか。

 それと親が子供に対して「穏やかで毅然とした」エネルギーを出し続けていないということも大きいだろう。親はリーダーでなければならないのだ。溺愛したり、子供にNOと言えないような弱い存在であってはいけないのだ。
 子供が親に対して畏敬の念を持てないということは、実は子供にとって不幸なことばかりではなく、子供の最も根本的なトラウマを形成してしまうのかも知れないと僕はこの本を読んで思った。もしかしたら今どきの子供は、潜在的に「叱られたい」願望を持っていて、それが彼等を過度な暴力的行動に駆り立てていると考えたら考え過ぎだろうか・・・。



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