あほちゃう

三澤洋史 

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あほちゃう
 13日金曜日は京都ヴェルディ協会で講演会。天気は良いが、風が強い。夜には雨になるという天気予報。京都府文化博物館には沢山の人が集まってきた。
「先生の人気はやっぱ凄いですな。面白いですからね、先生の話は。仰山人が集まって来ました。」
と主催者が言った。こういう時のせんせーという発音は、京都の場合ファドドーという感じで言葉の頭が極端に高い。この抑揚を聞くと、ああ、京都に来たなあと思う。

 今回の演題は「アイーダにおける通俗性と芸術性」。講演も、自分の身の上話でもしていれば何の準備も要らないんだが、何々について語るという内容だと、きちんと下調べをしないといけないので、準備はそれなりに大変なのだ。今回もかなり前からぼちぼちと資料集めにかかっていた。

 資料も、その時だけと割り切ってしまったら、例えば図書館で借りて講演が終わったら返せばいいという考えもあるだろうが、やはりねえ、後々のことを考えると自分の手元に置いておきたいものなので、いろいろ本やCDやら買うことになる。こうやってどんどん本ばかり増える。悪いことではないんだけれど、僕の狭い家はもはや飽和状態なのだ。

 飽和状態と言えば、この四月後半には、ベーレンライター社から、新バッハ全集のペーパー・バック版カンタータ全集(附:コラール、モテット)スタディ・スコア・セットが届くのだ。どうしよう!
 東京バロック・スコラーズのライブラリアンが、美人の上に優秀で、
「実はこういうのが出ます。取引している楽譜屋さんが、三月中に予約するとかなり安く購入出来ると言っていますが、どうしますか。」
と知らせてくれたのだ。
 ベーレンライターの全集は、バッハを演奏している以上、本当は全巻そろえて手元に置いておきたいところだが、なにせ重いしでかいし高いしの三重苦で、これまでとても手が届かなかった。だがペーパー・バックだと手軽でいい。そこで衝動買いではないが、即OKしたのだ。
 しかしね、手軽と言ったって、この全18巻+別冊セット重量約25kgを我が家の一体どこに置いておくのか、だんだん考えてみたら、とても手軽どころじゃなかった。これから東京バロック・スコラーズなどでいろいろなカンタータを演奏したり、研究したり、パロディーのことを調べたりするのに、いつでも好きな曲を引っ張り出せるのはとても便利だけど、お金があったら、場所の心配せずに本でも何でもどんどん買って置いておける大邸宅に引っ越ししたい。

 お、話が横道にそれてしまった。そんなわけで周到な準備をして講演会に臨んだ。講演会の内容に関しては、同時にアップした予稿集の「アイーダ」のところを読んで下さい。

ツッコミ
 講演が終わって、いつものようにレストラン「イゾルデ」で打ち上げをした。その時、ヴェルディ協会の一人の会員さんが、
「いやあ、先生のツッコミがおもろかったです。」
と言ってきた。僕は最初何のことか分からなかったが、彼の話を聞いていったら、どうやら、僕が講演の途中で指摘した、ストーリーの中の疑問点のことらしい。

「そもそもエジプトの奴隷として捕らえられているアイーダが、どうしてあんなにうろうろ動き回れるのかいなとおっしゃっていたのが傑作です。」
「あ、そうですか?」
「でも先生、もし今度このようなツッコミをなさる時はですねえ、どうか『なんでやねん!』と言うて欲しいですわ。」
「なんでやねん、ですか・・・・?」
「もっとおもろかったのは、次の戦争で身分を隠して捕らえられたアイーダのお父さん、つまりエチオピアの国王アモナズロが、我が軍は再び軍備を供えて次の闘いの準備を整えているとアイーダに言いますが、囚われの身なのにどうして分かるんだと先生は言わはりましたよね。味方と連絡を取る携帯電話でも持ってるのかいなと。」
「はいはい。」
「あれ、めちゃくちゃ受けましたわ。その後でラダメスからエジプト軍の手薄な場所を聞き出せと国王が言って、まさにラダメスがその場所『ナパタの峡谷』をバラした瞬間、アモナズロは物陰からナパタの峡谷と叫んで出て来はりますね。」
「はいはい。」
「しかもその直後、自分は国王アモナズロだと大声でバラしてしまう。なんて馬鹿なんだと先生はおっしゃったけど、あれには笑い転げてしまいましたわ。」
「あははは。」
「アモナズロは自分だけで物陰で聞いて、後で秘かに携帯電話でものろしでもなんでもで味方に知らせればいいのに、なんでわざわざ出て行って身分を明かしてしまうのか・・・・、でもね、先生、こんな時は出来れば『アホちゃう?』と言って欲しかったですなあ。」
「アホちゃう、ですかあ?」

 やっぱりここは関西なのだ。言語は通じても異国の地なのだ。京都であってジャスト大阪ではないものの、やっぱり吉本興業の地なのだ。別に僕は「アイーダ」で吉本的ギャグをかますつもりは毛頭なかったのだが、予想に反して妙な受け方をしてしまった。こうなったら、僕がただツッコむだけでなくて、ボケの役の相方がいないといけないなあ、今度誰か連れてくるか・・・・いやいや、別に講演会は漫才ではありませんて!
 それにしても関西は東京とは違いますなあ。面白いですなあ。メンタリティのこの違い。僕は通常はね、せっかく京都に行ったって、新幹線でツーッと乗り付けて、あとは仕事して打ち上げして、ホテル泊まって、またとんぼ返りだけの生活なので、どこに行ったってみんな同じような気がするのだが、こういうちょっとしたことで地方の香りをかぐことが出来るのが楽しい。

ツッコミまくり
 「アイーダ」の台本は、ヴァルディを信奉していた作家兼バリトン歌手のギスランツォーニが書いた。すでに名作曲家として知れ渡っていたヴェルディは、台本に関してほとんど自分の思い通りにギスランツォーニを動かして仕立て上げた。しかしそこがまさにこの作品の台本的に弱いところで、このオペラにはいろいろつじつまが合わないところがあるのだ。

 第一、戦争に敗れて連れてこられた捕虜の中に国王が身分を隠して紛れているなんて考えられない。一国の王様だろ。戦争に敗れて自分の居所まで敵が攻めてくるような状況に追い込まれたら、自分だけ助かろうなどと思わないでもう自害するかなんかしか道はないのではないか。身分を隠してノコノコ敵国にまで来るなんて、まるで吉良上野介のように潔くないね。
 それに、敵国に連れてこられても誰もそれが王だと気づかない、顔も知られていないなんて寂しい王様だね。さらに第三幕のように自由に味方の情報を手に入れたり、アイーダに会ったり出来るように野放しにさせとくなんて、エジプトって国も鷹揚というか相当お間抜けな国だね。サダム・フセインを誰も気づかないでアメリカ国内に連れてきて野放しにしているのと一緒だ。
 しかもアモナズロの意識は、もうとっくに王を取られているのに、まだ将棋を勝てると信じて試合を続けている人のようだ。

 ラダメスはエジプトの勇士、アイーダは敵国エチオピアの王女。もし、その二人の間に深い恋愛関係があったら、それだけで悲劇が予想されるし面白い物語が出来そうではある。 しかし、そもそもこの二人に恋愛関係は成り立ちにくい。仮にアイーダの中に、ラダメスに対する愛情が芽生えたとしても、その時点で相手が自分の国を滅ぼす敵国の勇者であることに彼女は耐えられなかったはずである。「勝ちて帰れ」のアリアの時になってはじめて気がついたとしたらアイーダも相当おめでたい女だね。
 一方、ラダメスにとっては、この時点でアイーダがエチオピアの王女であるとは知らなかったので、つまりは単なる敵国の奴隷にしか過ぎない。愛情は感じたとしても、一人の女性として対等に扱って、妻として迎えようという真面目な恋愛に発展した可能性は、当時の常識からすると薄い。もしラダメスがアイーダに、普通の奴隷にはない気品を感じたとすれば、必ず一度は、
「あなたは何者なんだ?」
という問いを発したはずだ。

 まあ、あげつらえばきりがないのだが、要するにヴェルディは、愛情とそれを阻む立場の亀裂が欲しかったのだから、すでにこのオペラが始まった時点で、アイーダとラダメスはもはや抗いきれないほどの強い気持ちで結ばれていないと、そもそも物語は成立しないわけだからね。

 こんな話を周りの人としていたら、
「先生、今度ツッコミだけで一晩お話ししてくださいな。」
とさっきの彼が言うではないか。
「いやあ、こういうお話を聞いていると、逆にオペラのドラマの流れが良く見えてきますわ。」
確かにそうかも知れない。ツッコミが出るためには、相当台本を読み込んでドラマの流れを理解していないと不可能だからね。

イゾルデの夜
「先生、飲み物はまずアレでんな。」
Kさんは、僕の大好物のバイロイトの地ビール、マイゼルス・ヴァイセを出してくれた。それから僕は、すっきりしたシャルドネを始めとして何種類かのワインをかなり飲んだ。

 レストラン「イゾルデ」を仕切っているKさんの奥さんが出してくれる料理はうまい。生の白アスパラガス料理に驚いていると、
「今日採れたてのタケノコですよ。」
とタケノコ料理をドーンと持ってきた。うーん、うまい!
 京都でタケノコを食べていると、思わず、ここのところ東大アカデミカ・コールで終曲「雨も悲し」を練習している多田武彦作曲、男声合唱組曲「藁科(わらしな)」の第二曲目「筍(たけのこ)」を思い出してしまうよ。といってもマイナーな曲なので誰も知らないだろうね。

 
毘沙門堂から筍がきたぞう
山科の名物のよ
竹の子ヤーイ 竹の子
毘沙門堂の竹の子
荒目の籠に笹をしいて
細縄でからげてある
ゐのししのよな二十本
土まみれのころころ
竹の子ヤーイ 竹の子
毘沙門堂の竹の子
この竹の子はうまいぞ
毘沙門堂の竹の子
詩   中 勘助

 昔、高崎高校合唱部の時、この曲をやった。「この竹の子はうまいぞ」のところでトップ・テノールが絶叫するんだ。それを冷ややかに聞いていたバリトンの同級生が、
「竹の子なんて、そんな絶叫するほどうまかないや。」
と言ったのが印象的だったが、イゾルデの竹の子だったら絶叫してもいいなと思った。

 「イゾルデ」を経営は奥さんに任せて、輸入業者をしているKさんは、元々ワグネリアンで、バイロイトで知り合った。僕は京都に呼ばれて、最初の頃は、この「イゾルデ」で十数人相手にこじんまりとワーグナーについて講演していたのだ。

 ある時Kさんから電話がかかってきた。
「先生、ワシ今度京都ヴェルディ協会というの立ち上げました。」
「ええ?ヴェルディですかあ?」

 それで今度は僕をヴェルディの講演会の講師として定期的に呼んでくれている。会場も変わり、集まる人数も多く、僕のギャラもずいぶん上がった。たまに祇園に連れて行ってもらって芸子さん達とおしゃべりもした。
 でもイゾルデに来ると、レストラン内には所狭しとワーグナーの古いLPレコードやレーザー・ディスクやCD、DVDなどが棚の中に並んでいる。それを見ていると、ワーグナーへの愛着がふつふつと湧いてくる。
「Kさん、ヴェルディもいいけど、僕今度またワーグナーでお話ししたい。」
「いや、ワシも聞きたいんやけど、先生の今日のお話の通り、ワーグナーはヴェルディと違って通俗的でないので、なかなか人が集まらんのですわ。」
すると周りにいた人が、
「先生のワーグナーのお話、聞きたいわ。京都ヴェルディ協会特別例会ワーグナーって駄目?」
「あかん、あかん。ワーグナー、目の敵にしてる人もいるさかいに。」
「でも、やりましょうよ。」
「やろうやろう!」
「分かった。考えときまひょ。」
その内、僕もだんだん酔っぱらってきて、その話はうやむやになってしまったようだな。

 確か次のヴェルディの演題は、個々の作品を離れて、「ヴェルディのグランド・フィナーレの変遷」とか「ヴェルディと合唱」とかいうものだったような気がするが・・・。まあ、酔った席での話はいずれにしても当てになりませんな。

このようにしてイゾルデの夜は更けていった。
 

西部の娘、いよいよ初日!
 「西部の娘」の舞台稽古に入ってから何日か目、何気なく舞台監督助手がたまっている場所を通ったら、ニックが食べ物や飲み物を運んでくるワゴンが置いてあった。タバコやらなんやらいろいろな物が置いてあって楽しそうなので立ち止まって中を見ながら、
「こういうのって、一体どうやって調達すんの?」
と、そばにいたスタッフに聞いた。
「こういうのは特注で作ったらかえってお金がかかるので、本物を買ってきて中身を抜いて使っているんですよ。」
「へえ?じゃあ、このウィスキーもそうなの?」
と、僕は沢山置いてあるVallantine'sの瓶を指さした。すると舞台監督のチビタが寄ってきて言う。
「そうなのよ。これ本番までにもっと増やさなければいけなんですよ。中身が入ってると重たいので、今日までみんなで必死に飲んだんですが、ウィスキーだからねえ、なかなか飲めないのよねえ。あっ、そうだ!三澤さん、この中身飲んでくれない?」
「はあ?」
チビタは僕をVallantine'sがまだ沢山入っている箱のところに連れて行き、一瓶抜き取って、
「これ家に持って行って、中身を何かの瓶に入れ替えて明日空瓶だけ持ってきてくれない?」
「え、いいの?」
「いいのじゃなくてお願いなの。」

 というわけで、今僕の家には中身だけのVallantine'sがあって、毎日ちびちび飲んでいるんだ。僕は正直言ってウィスキーの味というのはよくわかんないんだけど、ソーダで割って飲むのは結構好きだ。氷は自分の家の冷蔵庫で作るのは臭いがついてしまうので、近くのコンビニでかち割りを買ってくる。

 さあ、15日(日曜日)は、いよいよ「西部の娘」初日だ。楽しくて四週間の稽古があっという間だった。この公演が27日まで続くと、僕はいよいよ名古屋の演奏会に引き続いて、六本木男声合唱団倶楽部を連れてモナコ演奏旅行だ。体調を整えて頑張らねば!




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