4月30日(月)
僕と妻を乗せた送迎車は、ゆっくりとオーケストラの練習会場であるオーディトリウム・レニエ三世に入っていった。三枝成彰さんはじめ関係者達一同が驚きの目で僕達を迎えた。時刻は10時15分。練習開始15分前だ。奇跡的に間に合った!
危ないスケジュール
今回ほどタイトなスケジュールはなかった。4月29日(日)の名古屋モーツァルト200合唱団演奏会終了が16時ちょっと前。それから新幹線に乗り成田空港まで行って、21時55分のエール・フランスに乗ることだって、新幹線や成田エクスプレスにもしものことがあったら出来なかったかも知れない。
さらにパリ・シャルル・ド・ゴール空港から7時30分発ニース・コート・ダジュール空港行きの飛行機がもし遅れたらもうアウトだった。なにせ、まともに着いても9時着だ。荷物を取るのには早くても15分くらいはかかるだろう。なにかアクシデントがあって荷物が出てこない可能性だって否定できない。ニース空港からモンテカルロにある練習場までは車で約40分かかる。そして10時30分から始まるオケ練に間に合わなければならなかったのだから、この行程がいかに危ないものであったか分かるだろう。
練習が始まる前、オケのマネージャーからいきなり言われた。
「コンサート・マスターがスペイン人なのですが、飛行機が飛ばなくて午後にならないと来ません。」
「ええっ?コンマスがいないの?考えられない。」
ガクッときた。それでも文句は言ってられない。とにかく始めなければ。
今回僕は決心していた。なるべくモナコの公用語であるフランス語で練習をつけようと。最初の練習で気弱になって英語で始めてしまったらおしまいだからな。だから練習開始の時、勇気を出して言ってみた。
「メダムゼメッシュー!ボンジュール!」
そこから全てが始まったんだ。
リズム練習と分奏
「今日の練習は最初からではなく、『レクィエム』五番の『サンクトゥス』から始めます。しかもインテンポではなくゆっくりから。何故なら変拍子で難しいからです。」
来る飛行機の中で一生懸命考えた言葉を、僕は一気にしゃべった。おお、つっかえないで言えた言えた!
僕は、ヨーロッパのオーケストラのリズム感の悪さをよく知っているので、先手を打ってこの曲を最初に持ってきた。ゆっくりなテンポから始め、いきなり分奏をさせて何回も繰り返した後で徐々にテンポを上げていった。
予想通り日本のオケに比べて、リズム感は悪かった。チェロのトップのお兄さんなんか、四分音符の中に入る八分音符の三連音符と普通の八分音符三つの区別がつかなかったし、弾いていないプレイヤー達は、間に変拍子が入るともう休みの小節数を数えられなくなって、次のアインザッツを出しても、ボーッとしていて誰も出ないなんてしょっちゅうだった。
一番ボーッとしているのはパーカッションの連中だった。五人もいるのにお互い役割分担すらきちんと決めていなかった。あんたら音程ないんだからピシッとリズムを決めろよな、と何度か腹立たしく思った。
「そこサスペンディッド・シンバルがあるんだけど。」
「あっ俺か・・・。」
「そこウッドブロックがあるんだけど。」
「あっ俺だ。」
全く、いいかげんにしろよ。中学校の吹奏楽じゃねんだからな。
「サンクトゥス」は最後まで日本のオケのようにはピシッとは決まらなかったが、まあなんとか出来てきたので、次に難しい「聖フランシスコの平和の祈り」の第一、第二ヴァイオリンをまたゆっくりから始めた。うわあ、ぐちゃぐちゃだあ。
えっ?いいオケ?
こうして最初の一時間が終わって休憩に入った。
「ふうっ、なかなか手こずりますね。」
と近くで聞いていた作曲家の三枝成彰さんに言うと、三枝さんは、
「いやあ、うまいオケだねえ。今まで自分の曲を演奏した全てのオケの中で一番いいよ。」
と言うではないか。
「あれっ?」
控え室に戻ると妻がやってきた。
「なんてきれいな音のオーケストラでしょう。」
と言う。
「あれれっ?」
そうか、そうだったよな。いやいや勿論僕だって聞いていたんだ。でも変拍子を解決することにとらわれていて、むしろ聞くまいとしていた。弦楽器は厚みを持って艶やかだし、金管楽器はパワフルなのに柔らかくまろやか。特にトランペットの音が澄み切っている。フルートは夢見るように美しい。僕が知っているオケだとベルリン・フィルにタイプが似ている。つまり、リズム感を除いてはかなりレベルの高いオーケストラなんだ。こんな風に指揮者のもののとらえ方って変わっている。「自分がこだわっていること以外注意がいかない」っていうのは悪い癖だな。
おっとこうしてはいられない。
「ちょっと携帯でパリにいる志保か杏奈を呼び出してくれる?」
「なに?」
「大至急聞きたいことがあるんだ。」
電話がつながった。
「あのさ、フランス語でアウフタクトってなんて言うの?それから木管楽器って何?十六分音符ってなんだっけ?」
と立て続けに質問した。全く、そんな言葉も知らないで稽古をつけようというのだから無謀だよな。
「では203番の3小節前から、アウフタクトつけて木管楽器だけで。そこの十六分音符を正確に。」
覚え立てのフランス語を使って練習再開。今や僕は娘をブレーンに持っている身。身を削って子供を育てた親である恩恵を多少は味わわなければね。
日本のオケは、よく説明されたりすることを嫌がって、
「振ればついていくから。」
などと言うが、こちらの人達はある意味不器用だから、逆に意味が分からないと上手く弾けない。むしろひとつひとつ意味を説明しながらやっていくと喜んでくれるのだ。そして楽員が「あっ、分かったぞ!」と思った瞬間というのがはっきりこちら側にも伝わってくる。音にも現れて見違えるようになる。
こうしたことを繰り返していくうちに、オーケストラの人達の雰囲気がとても良くなってきた。日本と逆だな。僕の場合、しつこいので日本ではしばしば嫌われるのにな。
「お昼休みにします。メルシー・ボクー。」
と言ったら大きな拍手が楽員から湧き起こった。やった!ここまで気持ちをつかめれば、あとはうまくいく。
物価が高い!
お昼休みの間にホテルに行ってチェックインを済ませ、旅行社の人のはからいで、急いで海辺のテラスのレストランに行った。た、高い!シンプルなスパゲッティだけで三千円近くするよ。しかもイタリアなんかの量ではなく、日本の高級レストランくらいの上品な量。うっ、足らないかも。モナコは高級リゾート地だから、特にモンテカルロの中心街カジノ近辺は高いと聞いていたけれど、これほどだとは思わなかった。しかも今ユーロが馬鹿高いからよけいそう感じる。
劇場にもカンティーネのようなものはないらしい。演奏会までタイトなスケジュールが続くので、中心街よりは安いと言われる郊外まで行く時間もあまり取れない。この近辺で滞在中食事など生活しないといけないんだ。これからが思いやられるな。
ラテン系
午後になったらコンサート・マスターが来た。スペイン人らしくめちゃめちゃラテン系のお兄ちゃんだが、物凄くうまい。彼が入った途端、弦楽器全体にまたひとつ輝きと艶が加わった。彼とはたちまち意気投合した。
僕は振りながら、
「今まで、良いオーケストラと仕事した時もあったし、良い雰囲気で練習をした時もあったけれど、その二つの要素がこんなにそろった事はなかったのではないかな。」
と思った。
とにかくラテン系気質の彼等は明るく、同じくラテン系の脳天気な僕とよく合って、つたない僕のフランス語のジョークも受け止めて声を出して笑ってくれる。温かいな。日本では僕がおじんギャグを飛ばすと、しばしば冷たく引かれる・・・・。
熱海とディズニーランド
練習が終わって、ピアニストの岩井美貴さん達と、あさってから練習で入る歌劇場を外側から見に行った。モンテカルロ歌劇場は、なんとグラン・カジノと同じ建物なのだ。街の一等地にあり、斜め左は豪華なオテル・ド・パリ、右側はカフェ・ド・パリを従えて堂々と立っている。
街にはゴミ一つ落ちていないし、建物はどこもとてもきれい。あまりきれい過ぎて生活の匂いというものがこの街には全く感じられない。なにかに似ているな。あ、そうだ。ディズニーランドだ。街全体が一種のテーマ・パークという感じなのだ。至る所に警官がいて治安はとてもよいと聞くが、やはりここは一種の別天地で、落ち着いた日常生活からはほど遠いな。
このあたり一帯は、石灰岩の岩山が海にせり出していることで景観が良く、それがモナコの独特な風光明媚なたたずまいを作っている。山側を向くカジノの正面玄関から丘を見上げると、高台に沢山の建物が建っている。高層ビルも少なくない。その眺めもどこかに似ていると考えて、思い立った。
「そうだ。熱海だ。つまり、熱海をずっと高級にして、それにディズニーランドを加えるとモナコになるんだ。」
と言ったら、岩井さんが、
「早く着いた他の団員さんも同じ事言ってましたよ。」
モナコ中心街に一件だけあるスーパー・マーケットを探した。滞在中の水などを調達するためだ。ショッピング・センターの下の方にあると、さっき車で送迎してくれたガイドさんが言っていた。でもそのショッピング・センターにはブランド品の店ばかりあって、どんどん地下に下がっていってもいっこうに見つからない。
「おおい、カルチェやルイ・ヴィトンだけでは人は生きられないんだよう!昔、手に触るものがみんな金になってしまって飢え死にしそうな王様の話があったな。」
あきらめて帰ろうとした頃、一番の地下の底にSPARというスーパーを見つけた。まるで日常生活のことを考えるのすらこの街では許されないかのように、ひっそりとスーパーは店を構えていた。
ここで水や間食のおかしなどを買い込み、一週間の滞在に備えた。ホテルに戻り荷物を解いて、ベッドに倒れ込んだ。
名古屋の回想
長い一日がようやく終わろうとしていた。名古屋の演奏会がもう果てしなく昔のことのように感じられる。
夕食は妻と二人でショッピング・センターのそばのル・ビストロケというレストランで取った。ガイドブックなどにも載っているところで、おいしくて他の所よりはリーズナブル。といっても高いが・・・・。
初日が無事済んだことを祝って、静かにパルマ産生ハムと赤ワインで乾杯。それからミラノ風カツレツを食べた。バイロイトのゾンネンホーフというレストランのウィーン風カツレツを思い出した。
再びホテルに帰ると、まるで深海に吸い込まれていくように睡魔が襲い、そして泥のように眠った。
5月1日(火)
今日はメーデーなので練習はお休み。本当はこの日も練習したかったのだが、メーデーでどうしもさせてくれなかったのだ。今となっては逆に僕のモナコ滞在中唯一のオフ日が嬉しい。
朝、志保と杏奈がパリからやって来た。彼女たちは3日の演奏会を聞くために来たので、モナコにはこれから三泊して4日の午前中に帰る。早朝のチェックインを済ませると、急いで朝食バイキング会場へ直行。お皿に山のように盛ってテーブルに戻る。驚くべき食欲。若さっていいなあ。ロクダンの団員達が珍しそう
に全員集合の三澤家を見ている。
部屋に入って一息すると、今日の計画を練った。二人の娘は、すでにそれぞれ講習会やらなんやらでニースに来たことがある。それならと、二人に案内させてまずニース観光と決まった。お昼は海辺で魚介料理だな。その後、時間があったらエズとか他のところを回ろうと話した。
ニースへ
モナコにはフランスの国鉄であるSNCFが入り込んでいる。電車の発着時には、どの駅も共通なSNCFの音楽が流れる。
スープ・ド・ポワソン
「お腹すいた。」
と、誰ともなく言いだして、さっき海辺に出る前に決めておいたレストランに行った。海の
幸が満載しているレストラン。ここならいわゆる土着の地中海料理が食べられる。時間を見ると、もう2時を過ぎている。志保はさっきから、
「スープ・ド・ポワソン!」
を連発している。
日本では一般的には地中海料理と言ったらブイヤベースだろうが、僕達家族にとってブイヤベースはそれほど興味を惹かなかった。それよりもスープ・ド・ポワソンだ。つまり「魚のスープ」。これこそは、日本ではなかなか食べられないしろものだ。何故なら、これには好き嫌いがあるからだ。
もしあなたが「かにみそ」が嫌いだったら、ス
ープ・ド・ポワソンは食べられないに違いない。ちょっとそんな感じの味なのだが、これが好きな人にはたまらないのだ。魚がスープの中に浮いているわけではなくて、全て裏ごししてトロっという感じ。エビ蟹類の甲羅の香ばしさと、魚の匂いがただよっているので、高級料理の雰囲気ではないけれど、これぞまさに海辺の料理!カリカリに焼いたバケットに独特のサフラン・バターのようなものをつけて一緒に食べる。写真に撮ってみて分かったのだが、何故ブイヤベースほど有名でないかというと、見た目ちっとも華やかでないからだ。
それから僕達は魚のミックス・グリルを食べた。イタリアのようにドッカーンと無造作に皿に盛られてくるのではなく、センス良く盛られていて味も上品だった。
その後旧市街に入り、いろいろな店を冷やかして歩いた。その中でも妻が入ったハーブ専門店は、日本にないような様々な品があって僕が見ても楽しかった。やっぱり南仏はハーブの宝庫というわけか。
SBM主催歓迎パーティー
結局、他の街には寄らずに、ニースの街だけ味わってモナコに戻り、その夜はSBM主催の六本木男声合唱団倶楽部歓迎パーティーに出席した。SBMとは、モナコを訪れる者は決して避けて通れない巨大産業会社で、カジノを始めとして、オテル・ド・パリ、オテル・エルミタージュ、オペラ劇場のサル・ガルニエなど一流施設をすべて所有しているのだ。一時はマリア・カラスとも浮き名を流したギリシャの海運王オナシスが株を買い占めようとしたが、それに危機感を感じたレニエ三世が国によって買い戻し、現在でも持ち株の半分以上を国が保有しているという半国営企業でもあるのだ。
僕達はみんなおめかしをして、SBMの社長などと会見した。ミーハーな娘二人はテノール歌手の樋口達也君がカッコいいとか言ってしきりに彼にまとわりついている。その内ロクダンの勇士が初谷敬史君の指揮で「いざ立て戦人よ」を歌い出した。おう、おう、日本の恥だぜと思っていたら、ホテル中の窓という窓から宿泊客が顔を出していて、
「もっとやってえ!」
と言っている。
「うるせえー!」
と言われるかと思っていたのに。さすが別天地モンテカルロ。みんな暇人で刺激を求めているんだなあ。
5月2日(水)
14時。いよいよロクダンの入った「天涯」の練習だ。オケはおとといの練習の成果あって良い感じに練習が進んでいるが、ロクダンときたら、すでにその前のパリでの遊び疲れが出たのか、それとも慣れないホールと慣れないオケの響きに圧倒されたのか、ちっとも声が前に出てこない。彼等はオケの後ろ側にいるの
で、指揮台にいる僕との距離も、いつも練習場のようではなくとても離れているから心許ないらしい。こういうところがアマチュアの悲しさ。
オケのメンバーは、どんな上手な合唱団が来るのかと思ったら、アレッて感じで、なんだかだんだん盛り下がって来た。僕はあせった。でも、だからといってここでオケを待たせてロクダンの練習をガシガシするのは得策ではない。結局、合唱自体に問題があるところはそのままにして、オケを仕上げることと、合唱とのアンサンブルに重点を置いた。練習は17時に終了。
夜の練習は、横山幸雄さんとショパンの協奏曲第二番の合わせ。その後再びオケ付でレクィエムというわけだったが、17時の時点で、夜はショパンだけと団員には告げ、横山さんとの合わせ終了後は、岩井美貴さんのピアノ伴奏で再びロクダンのみの練習に切り替えた。「天涯」にだけ出演する楽員達は大喜び。オケにはやることはやったので、あとはロクダンが頑張るのみなのだ。
20時30分協奏曲練習。
横山さんとはすでに一度合わせてあったので、練習はスムースに運んだ。ところどころ細かいニュアンスのずれはあったが、この練習で僕は彼の音楽を完全に掴んだから、明日はもうピタッと合わせてあげられる。オケは、この曲をやるのは初めてだと言うが、よく付いてきた。
ショパンの二番協奏曲は良い曲だ。
オニの特訓
その後ロクダンとの合わせ。僕がオニになる瞬間だ。ロクダンは忙しい人ばかりなので、普段の練習をどんなにしっかりやっても、通常練習をほとんど出ないで直前で練習参加する人が少なくなく、アンサンブルを乱してくれる。だから、今ここで捕まえて仕上げないといけないんだ。
いろんな意味でもこの練習時間こそが、僕が出来得るラスト・チャンスだ。ここでみんなの気持ちを一つにしておかないと、本番は間違いなく崩壊する。だから僕も気合いを入れる。
自分たちでは気付いてないだろうけど、すでに彼等の体の中には、午後の練習によってこのホールとオケの音が染みついている。だからもう以前の状態とは違う。そこへもってきて明日本番だという緊張感が漂ってきた。この瞬間なんだ。彼等が僕の注意を最もよく飲み込むのは・・・。こうした風を読むことが指導者の最も大切なこと。
「譜面を見るために下を向くと、声がみんな下に行ってしまうではないか。どうせろくに譜面も読めないくせに、何故今になって譜面にかじりつくのだ。こうやって歌えるということは、もう覚えている証拠だ。僕の方をみなさい。歌詞を全部口で言ってあげてる。曲の表情も全部振っている。こんなに情報をあげているんだから、この情報を使わない手はないだろう。だから前を向いて声を客席に飛ばしなさい!」
そうすると見違えるように声が出てくる。ようし、その調子だ!
ロクダンがアマチュアだからってあなどってはいけない。本当の指導力が問われるのはアマチュアを相手にした時なのだ。自分の言った通りにやらせて何が出来るか、それは怖いくらいに自分自身をさらけ出すことでもある。特にロクダンは、各界の第一線で活躍している人達の集まりだ。言ってみれば、“音楽に対してだけ素人”で、いわゆる凡人の集まりとは違うのだ。そしてもっといいことに、彼等は音楽に対してはある意味ウブなので、実に素直に僕達指導者の言うことに従うのである。
午後の練習の自信のなさとは打って変わって、僕には、彼等がみるみるこのホールと僕との距離に慣れてきて、のびのびと歌ってくるのを感じていた。
「ようし、これならなんとか明日のゲネプロが成立するぞ。」
23時、練習終了。僕は帰り際に彼等にこう言った。
「これから練習前、及び本番前は禁酒にします。」
当たり前のことだと思うが、海外に出るとお昼にワインとか飲んでしまって、酔っぱらって練習に出て、文句を言うと、
「自分で高い金を払って来ているのだ。何が悪い。」
と逆切れする輩もいるという話を、キューバやハワイの演奏旅行から帰ったばかりの初谷君から聞かされていたからね。先手を打って言っておいた。まさか指揮者の僕が言ったことで逆切れはされないだろう。
「ふうっ、今日は絞られたあ!疲れたあ!」
と口々に言いながらロクダンの連中は帰って行く。
僕も帰ろうと思って後ろを見たら、妻と娘達がいた。横山さんとの協奏曲を聴いた後、ホテルに帰ったのとばかり思っていた。
「あれ?最後まで残ってたの?ロクダンだけの練習なんて、つまんなかったろうに。」
「ううん。面白かったよ。みんながパパの注意を聞いた後、どう変わっていくのかみるのがとても楽しかったよ。」
と志保。
杏奈も、
「パパ、怒りまくってたね。でも勉強になったあ。」
だって。
「勉強になるんかよ。こんなんで。」
「なるよ。どう言うとどう変わるのかってね。」
ふん、二人ともパリで苦労しているらしく、少しは分かったような口をきくようになったな。
5月3日(木)
10時からゲネプロ。ピアノ協奏曲の合わせが終わって楽屋に入って汗をかいたTシャツを取り替えていると、妻が入ってきた。
「オケの音が見違えるようにきれいになっているわ。」
不思議だよな。オケというのは、なにもしなくても一晩寝ると音が変わるのだ。今日の楽員達は、やっと自分たちの弾いている音楽の意味が分かってきて面白くなってきたところなのだ。
ショパンのピアノ協奏曲の管弦楽の部分は、弦楽器が長い音をただ伸ばすばかりで、細かいパッセージを華やかに繰り広げるピアノ独奏の陰で完全に伴奏という役目に追いやられている。でも僕はその中から細かく表情をつけてみた。昨晩の練習で横山さんの呼吸はつかんでいるので、それを先取りする形でフレージングを形成した。それが功を奏したのだろう。オケは独奏を聴きながら大きく呼吸するように音楽的に伴奏してくれた。
さて、心配したロクダンだが、「天涯」のゲネプロに入ると、合唱の声が昨日とは見違えるように自信に満ちて出てくるようになったので、楽員達がびっくりして振り返っている。
僕がアインザッツをあげようとすると、結構みんな僕の方を見ている。ようし、いい調子だ。
午後はお昼寝と、スコアの最終チェック。そして本番。
最初の演奏会
横山さんは、ゆるぎないテクニックで鮮やかにショパンを弾いた。オケはゲネプロよりもいっそう音楽的になっており、さらに音色の変化が抜群だった。音色は指揮棒では表しきれない。みんながこの曲を感じてくれなければ決して出ない音がそこにあった。素晴らしいオケだな。
第二楽章に入る時に、僕はそっと楽員達に(客席に聞こえていたかも知れないけれど)、
「美しく、やわらかく。」
とつぶやいた。そしたら第二楽章の出だしで、彼等は信じられないような音を出してくれたんだ。僕の棒もちょっとカラヤンのパクリで、包み込むようなしぐさで振り始めたのだが、あまりに美しい音なのでそれだけで感動してググッときてしまった。
横山さんのピアノも、それにつられるようにゲネプロよりももっと情緒豊かに弾いてくれた。ラテン語のConcertoという言葉は、もともと競争という意味だけれど、それがイタリア語になると現在の“協力して奏する”協奏曲の意味になった。こんな風にお互い刺激し合って創り上げるプロセスを確認すると、これこそまさに協奏曲の醍醐味なんだなと思う。
そして「天涯」。やってくれたぜロクダン!
字幕がついていたので、ロクダンのメンバーでもある作家島田雅彦氏のメッセージが客席にしっかり伝わっていくのが肌で感じられる。オケが重厚な音で支え、ロクダンはみんな僕の棒に集中し、素晴らしい出来になった。
終演後、ビールで乾杯!みんなの顔も晴れやか。
「一生懸命歌っていたんですが、途中で泣いてしまって歌えなくなりました。こんなの初めてです。」
と弁護士のM団員。
乾杯した後、団員達はそれぞれ二次会に散っていった。ビールがかなり残っていたので、何本かもらってホテルに帰り、昼間スーパーで買っておいたハムやチーズ、バケット、シャンパン、ワインなどと共に、家族で静かに初日打ち上げ。明日の朝には娘達はパリに帰る。妻はモナコ公演の後一週間ばかり娘の所に滞在するけれど、日本に直行する僕は、娘達とは夏までバイバイだからね。
5月4日(金)
朝、娘達をバス停まで見送ると、僕は再び部屋でスコアの勉強。せっかくモナコにいるのに、演奏会のために来ている以上、残念ながら観光はあきらめなければならない。ホテルと劇場との往復ばかりだ。でもこれが僕の運命。その代わり、他の人には味わえない歓びがあるからね。
14時。レクィエム。うわあ、オケが昨晩の緊張とは打って変わってたるみきっている。ロクダンはというと、これがまた昨晩の成功に酔いしれて飲み過ぎたのか、寝不足なのか、声が全然出てこない。「天涯」練習初日状態よりもっとひどい。アインザッツをあげようとすると、再び楽譜にかじりつきになってこっちを見ていない。全く、オケもロクダンもなんて分かり易い連中なんだ。
「顔上げてこっちを見なさい!」
と大きな声で叫んだら、オケの楽員達がびっくりして僕を見た。つまりロクダンよりもオケの方が反応した。これまで彼等の前では一度も怒るところを見せなかったからちょっとビビッているようだ。
僕の声でオケがいきなり締まった。つられてロクダンもちょっとはましになってきた。アマチュアの場合、普通逆だろ。プロがたるんでいても、アマチュアとはいつも締まっているもんなんだ。技術の低さを規律で補うものなのに・・・・・。ま、悪気はないんだけどね。
オケは、明日になればまたテンションが上がってくるのは分かっているので、ポイントだけ押さえて練習を進めた。その代わり、今やっておかないと危ないところは何度でも練習した。ロクダンは夜またオニの特訓だな。みんなも変に期待していて、夜また締めてもらえばなんとかなるさという顔をしている。ここは究極の他力本願合唱団なのだ。
5時の練習終了時、2日の時と同じように、夜の練習のオケ付「レクィエム」練習をトリにし、中丸三千繪さんのアリアの練習だけと決定し、楽員に伝えた。ロクダンには、初谷君が別室で練習を始め、中丸さんの練習終了後、再びステージで僕によるピアノ伴奏の練習と決定した。
中丸さんとの合わせは楽ではなかった。彼女とは、一度ピアノで合わせてあったし、CDを聴いていたので、こうくるかなと思ってテンポを出すと、全然違うテンポで歌い出す。ブレスが長いのは彼女の長所とは思うが、気をつけないとどんどん伸びてくるので、間奏などで意図的に少し巻いてあげる。でも歌い始めるとまた伸びる。
妻に頼んでビデオを撮ってもらっているので、仮に今日合わなくても、ホテルに帰って研究すれば、彼女のやりたいことに合わせてあげられるだろうと思って、オケ練のつもりで練習を終えた。
それから2日の時と同じようにロクダンの必殺集中稽古。また同じように落ち着いてピアノ伴奏でやるとかなりまとまってきた。
5月5日(土)
いよいよ最終日。10時から始まるゲネプロで、僕は中丸さんに完璧につけてあげた。ただやってみてちょっとこれでは音楽として成立しないなあと思っていたら、彼女曰く、
「今以上ゆっくりやると、もうブレスがないので今くらいまでにしてね。」
だって。あれれ、彼女につけてあげたのに・・・・。
僕には彼女の思っていることは分からないでもない。彼女はブレスの長いのを誇示したいのだけれど、なくなりそうなところでは助けて欲しいのだ。でも、僕が対応出来てもオケがなあ・・・。日本のオケほど棒に即座に反応出来ないからなあ。
レクィエムのゲネプロはかなりうまくいった。ただやはり変拍子の箇所はオケがリズムについていけてないので、全部通してからそこだけ抜き出してやった。楽員の中には、
「もう出来ているのに・・・。」
と言っている者がいる。ゲゲッ、あれで出来ていると思っているのかよ。日本のオケマンだったら逆に、
「こんなんで本番に突入しちゃっていいの?」
なんて言うのに。
明日は早朝から出発なので、観光するとしたら今日がラスト・チャンス。昼食を取った後、妻と二人でバスで旧市街に出た。大聖
堂、王宮を始めとして旧市街は、カジノ近辺の中心街とは全く違ったクラシックな雰囲気を持つ。街は狭く、細い路地裏にはなんともいえな い味わいがある。この王宮前広場からながめるモンテカルロ中心街方面の景色は絶景だ。下を見ると、もうすぐ始まるF1レースの折り返し点が見える。そう
いえば、街全体がF1に備えて観客席やテントや防御壁を作って着々と準備を進めている。
そして・・・・。
スタンディング・オベイションの演奏会
いよいよ本番の時がやってきた。今日は国王であるアルベール2世がご臨席なされる。出番を待っている時、複数のオケのメンバーからこう言われた。
「みんな、あなたと一緒にやってとても喜んでいます。またゲストとしてあなたを呼びたいと言っているのですが、あなたの方はどうですか?このオケが気に入ってくれているといいんだけど・・・。」
「勿論ですとも。素晴らしいオケなので是非機会があればまた一緒にやりたい!」
ひとりの楽員が、
「だったらオケのマネージャーに一緒に言いにいきましょう。」
と言って僕をマネージャーのところに連れていってくれた。
演奏会が始まった。まずは中丸三千繪さんのアリア集。ゲネプロであんなに合わせてあげたのに、彼女ったらまた全然違うように歌った。しかもその振幅が並大抵ではない。自由奔放、声の赴くまま。オケも、ゲネプロでやっとこういうコンセプトでいくのねと理解したのに、それを根底から揺るがせられたので、彼等の対応能力をはるかに超えていた。
また最高音を好きに伸ばしてから降りてくる時は、通常、指揮者やオケに分かるように歌うものだが、ぎりぎりブレスが無くなるまで歌っていきなり降りるものだから、ドッカーン!誰もついていけましぇん。つまりルール違反です。いくらプリマドンナでも、なんでも好きにやっていいわけではありません。
そうはいっても、彼女はテクニックはあるし、表情豊かなので、演奏会自体に破綻があったわけではないよ。そんなレベルでの話ではない。最終的には彼女のアリアなんだから、指揮者は可能な限り、彼女の歌い易いように配慮したつもりだ。聴衆も満足していた。
さてレクィエムだ。これは、おそらくロクダンの歴史の中でも最上の演奏だったのではないかな。静かで温かく曲は始まった。管楽器のまろやかさや弦楽器の音の厚みはなんて表現していいか分からない。変拍子も決まった。
最後のオケの音が静かに終わる。僕の指揮棒が、かつてのドイツ・レクィエムの演奏会の最後のように高く頭上に止まると、しばし沈黙。それから割れるような拍手が起こった。
会場中にブラボーの嵐が飛び交う。見ると一人また一人と聴衆が立ち始めている。スタンディング・オベイションだ。うわあ、やった!
舞台袖に戻って楽屋に行こうとしたら、作曲家の三枝成彰さん及び今日の指揮者、ソリストなどは、すぐに大公アルベール2世の謁見があるという。うわっ、汗びっしょりなのに服を取り替える暇もないのか。でも、モナコにいてモナコの国王が会いたいといっているのだからな。問答無用だ。断って、
「いうこときかないなら死刑!」
と言われてもヤだし。ま、言わないだろうけど。
SPに案内されて謁見のために用意された部屋に行く。どんなものものしいものかと好奇心でわくわくしたが、謁見といってもシャンパンとカナッペが振る舞われ、立ったまま普通におしゃべりするんだ。アルベール2世は国王とは思えないほど気さくでやさしそうで、僕達と同じ普通の人という感じだ。
「死刑だ!」
とはどう見ても言わなそうだ。
でも相手が大公とくれば、何を話していいか分からなかったとみえて、みんな社交辞令の後で話が止まってしまって、大公自身も間をもてあましている。僕が隣の人と英語で話し始めて話がはずんでいるのを見つけて、いつの間にか大公が会話に加わってきた。
自分はアメリカ留学時代にグリークラブにいたので合唱をやる人の気持ちが良く分かるとおっしゃったので、どんな曲をやったのですかと聞くといろいろ話し始めた。今日の演奏会のことを目をキラキラさせてとても褒めてくれたが、そのトーンには、あながちお世辞だけとも思えないものがあった。
謁見が終わり、打ち上げ会場にそのまま連れてこられた。燕尾服を脱いで汗を拭きたいのにな。打ち上げ会場に入ると合唱団はめちゃめちゃ盛り上がっていてなにがなんだか分からないほどだ。僕の姿を見つけるとみんな寄ってきて、
「先生のお陰で素晴らしい公演になりました。」
と口をそろえて言ってくれた。
だが僕の目は妻を追っていた。人混みをかき分けてもみくちゃになって、讃辞をくれるために寄ってくる人に中途半端にうなずきながらも、僕は必死で彼女を捜し続けた。どうやらここには案内されていないらしい。一番大切な人なのに・・・・。
僕は秘かに打ち上げ会場を抜け出し、全速力で楽屋に戻った。部屋には妻がぽつんと一人で座っていた。
「帰ろう。」
「え?打ち上げに行かなくていいの?」
「大丈夫。もう一通り挨拶はしたからね。それよりも二人だけで今日の成功を祝おう。」
誰にも見つからないように僕達はホテルに戻った。
シャワーを浴びて一息つき、冷蔵庫からビールと昼間買っておいたサラダやつまみを出す。
「乾杯!」
妻と二人だけで乾杯した。
結婚して27年間、僕のやることを見つめ続け、僕を支え続けてくれた唯一の人。僕の挫折や弱点を全て知っている人。二人の娘を育み、共に音楽の道を志した彼女たちを励まし、遠いパリにまで送り出した希有なる母親。
今夜はただこの人だけが僕を祝ってくれればもう誰もいらない。今僕に必要なのは大声での賛辞ではなく静かなひとときだけ。僕の頭の中には、エンドレスにレクィエムが鳴っているけれど・・・・。
5月6日(日)早朝
「先生は少しはお休みになったのですか?」
とみんなが聞いてくる。
7時フロント前集合。僕達夫婦はみんなと一緒のバスに乗り、ニース空港まで行く。
「寝ました、寝ました。疲れたので失礼してホテルに早々と引き上げたのです。」
「どうりで姿が見えないと思いました。あの後とても盛り上がって、みんな早くて4時頃でしたよ。5時半にモーニングコールで6時15分までに荷物を部屋の前に出さないといけないので、一時間ほど横にはなりましたが、ほとんど寝ていないに等しいです。三枝さんは初谷さんなんかを連れてオールナイトのディスコに行って、初谷さんは踊り狂っていたという話です。」
「「あはははは。若いっていいね。彼等はもう一泊するんだろう。」
ニースの空港をゆっくり眺めるのは初めて。
なにしろ“行き”は空港を眺める間もなく、練習場に直行だったから。海がすぐ近くまで迫っており、反対側はなだらかな丘陵。こんな景色の良い空港も珍しい。
パリのシャルル・ド・ゴール空港では、トランジットで外に出ないで東京便の待合所まで行けるのだが、杏奈が迎えに出るというので、僕はわざわざ一度外に出た。
「あれっ?なんでパパがいるの?」
「可愛い杏奈ちゃんに会いに来たんだよ。」
妻はこれから一週間ばかり娘達のところに滞在する。僕はその間東京で一人暮らし。
「元気でね。夏まで頑張るんだよ。」
と言い残して彼女らと別れ、僕は再び搭乗口に入っていった。
5月7日(月)
早朝に成田空港着。急いで国立宅まで帰り、シャワーだけ浴びてまた外出。この日は14時から「ファルスタッフ」の合唱音楽稽古、その後「薔薇の騎士」の稽古なのだ。もうモナコの余韻はどこへやら。容赦なく新国立劇場合唱団という日常の中に舞い戻った。
実はもっと恐ろしいことが僕を待っていた。5月10日の夜から、読売日響の定期、オリヴィエ・メシアン作曲「われらの主イエス・キリストの変容」の合唱稽古が始まるのだ。しかし、僕は自慢じゃないけど、モナコの勉強にとらわれていて、メシアンの勉強は全くしていないに等しかった。飛行機の中で勉強しようとも思っていたが、一方では7日午後からの練習で寝ないようにするために、睡眠時間も取らなければならず、結局何もせずにひたすら寝た。
だから、これから死にものぐるいでメシアンの勉強をしなければいけない。現代音楽だからことの外時間がかかるのだ。指揮者というものは、練習初日までの間に全ての勉強を完了しておかなければならない。僕は、空いている時間を全て投入して、メシアンの勉強をしてしてしまくった。時差ぼけでぼんやりすることは許されなかった。
5月10日(木)
18時。目の前に100人の合唱団員が並び、メシアン練習初日。ふうっ、我ながらよく勉強したぜ。「薔薇の騎士」の練習と食事と寝るとき以外はただただメシアンという日々だった。でも難曲なので、僕自身が勉強に間に合ったと喜んではいられない。これから本番に向かってどのようにみんなの音取りをし、音楽を覚え込ませ、能率的な練習を組んでいけばいいのか、考えれば考えるほど悩ましい限りだ。
駆け足の日々
という感じで半月ばかりめまぐるしい日々が続きました。妻が今週半ばに帰ってくるまで、まだ一人暮らしは続く。愛犬タンタンは妻の母親のところに預けられている。会いたいのだが、もう少しの辛抱。この「今日この頃」もやっとこうして復活して、徐々に日常生活に戻りつつある。
ロクダンのマネージャーからメールが入っていた。オケのマネージャーからの連絡で、
「モンテカルロ・フィルハーモニーの団員達は、みんな三澤マエストロのことをとても愛してます。」
だって。
いつかあのオケでワーグナーでも出来るといいな。