超多忙状態果てしなく続く

三澤洋史 

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メシアンのめくるめく世界
 読売日本交響楽団定期公演、若杉弘指揮によるメシアン作曲「われらの主イエス・キリストの変容」が無事終了。僕は新国立劇場合唱団を連れて合唱指揮者として参加。この合唱団が劇場外で他のオーケストラの定期に出るということはこれまでなかったので、各界から注目を浴びていたらしい。それにしても外部出演初体験がこんな難曲かよと思ったが、まあ終わってみると、今更当たり前のヴェルディ・レクィエムなんかでデビューするよりかえってインパクトがあって良かったのかも知れない。

 いやあ、大変だった。ゲネプロまで音程のあやしいところが気になって、本番30分前の直前練習でも音程の修正に終始した。でもね、本番になって初めて楽譜を見ないで聴衆のひとりとなって聴いてみたら、個々の音がどうのこうのよりも、メシアンの神秘的な世界に身を浸すことの心地よさを体験した。ゴングやタムタムといった打楽器や、トーン・クラスターの世界は、キリスト教というよりもチベットの密教を体験しているよう。十声の超恐ろしい無調からスッとホ長調に戻ってみたりすると、これまでの濁った響きさえ、まるでステンドグラスの光のきらめきのように感じられるから不思議だ。

 新国立劇場合唱団はオペラの合唱団だけど、常日頃から僕が過度のヴィブラートや押したり揺れたりする声が嫌いなので、こういう作品をやっても違和感は感じなかった。それでいてプロの声の厚みやしなやかさがあるから、メシアン特有の響きの艶やかさによくマッチしていたと思う。みんな本当によくやったよ。ご苦労さんでした!

三澤ワールドの原点
 6月30日(土)はアカデミカコール主催の演奏会。 ホスト役の東大OB合唱団アカデミカコールに京都大学グリークラブOB会と東北大学男声OB合唱団がジョイントして、それぞれの団体の演目をやり、最後に総勢120名の合同演奏を披露した。
 僕は第一部プーランク作曲「アッシジの聖フランチェスコの四つの小さな祈り」と第四部「ドイツ・ロマン派の夜」、そして合同演奏「多田武彦男声合唱曲」を担当した。

プーランクが大好き
 無伴奏男声合唱曲「アッシジの聖フランチェスコの四つの小さな祈り」は、短いけどいい曲だ。イタリアのアッシジの街の雰囲気よりも、むしろフランス・カトリシズムの柔らかい光を作品全体に感じる。空虚な五度から始まる冒頭などは、修道院の奥からグレゴリオ聖歌が漏れ聞こえてくるようでいいなあ。演奏する側から言うと、メシアンほどではないが、アマチュアにはかなり音取りの難しい難曲だ。

 僕はプーランクという作曲家は結構好きだ。今年の一月に次女の杏奈が演奏したクラリネット・ソナタも面白かったし、無伴奏混声合唱曲「悔悟節のモテット」など秀逸な曲が沢山ある。以前東響コーラスで演奏した「グローリア」も、ドイツの宗教曲の重さが無く軽やかで新鮮だ。
 オペラでは「人間の声」という作品がある。これはアパルトマンの一室でひとりの女が電話するだけのモノ・オペラで、台本はジャン・コクトーが書いた。電話の相手は別れた男。最初は強がりを言っているが、だんだん本心を話し始め、最後は電話線を首に巻き付け自殺を図っていくという凄惨な作品だ。
 昔、ピアニスト兼副指揮者として東京オペラ・プロデュースで仕事するため、家でピアノ弾きながら歌っていたら、隣の部屋で聴いていた妻が泣いていたというエピソードがあるほどリアリティに富んだ作品だ。いつか時間があったら、プーランクという作曲家のことを突っ込んで研究してみたいと思っている。

曲順間違えた!
 京都大学と東北大学OBの演奏をはさんで、第四部は「ドイツ・ロマン派の夜」。演奏はうまくいったんだが、僕はちょっとした失敗をしてしまった。でも多分お客様には分からなかったと思うが。
 このステージの4曲ある内の後半2曲では4本のホルンを使用した。ホルンは新国立劇場「ファルスタッフ」公演で舞台裏のホルン・ソロの吹いていた若くて優秀な友田雅美君にトップを吹いてもらい、残りのプレイヤーを集めてもらった。

 ゲネプロでは何の心配もしていなかったのだが、本番になったら、前の曲がピアノ伴奏なので一度ピアノを片付けてホルン奏者達のための椅子を並べなければならないので、転換に予想外に時間がかかっていた。僕は、きっとその時、お客さんは長いと感じているだろうな、早く始めなければな、とあせっていたと思う。
 やっとのことでホルン奏者達が入場すると、僕は、いつもは絶対に忘れたことない団員の楽譜を開かせることも忘れて、指揮棒を振り下ろした。すると僕の目の前に予想も付かないような世界が展開した。一瞬何が起こったのか分からなかったが、約0.1秒後、それは判明した。つまり僕は曲の順番を間違えて、別の曲だと思って振り始めたのである。
 逆にホルン奏者達にしてみると、「リュツォウの勇猛な軍勢」で、狩りの音楽に通じるホルン五度の速い八分の六拍子の音楽を吹き始めようと構えていたら、いきなり僕が「森の中での夜の歌」のゆったりとした棒を振り始めたというわけだ。びっくしただろうな。でも友田君のアンサンブルはさすがプロ。何食わぬ顔で一糸乱れず吹き始めてくれたので、いやあ、助かったよ。ということで曲自体には何の支障もなかったし、前奏での出来事なので、僕が打ち上げで白状しなかったら、気がつかない団員の方が多かったと思うが、危ねえ、危ねえ!

120人でタダタケ
 最後の合同合唱は、あのステージの上で最も多田武彦の音楽をエンジョイしていたのは間違いなく僕だったと思う。いやあ、楽しかったあ。120人の男声合唱を前に自分のやりたいように大好きなタダタケを料理する醍醐味!やーい、やーい!悔しかったら指揮者になってみろってんだ!(誰に言ってるの?このセリフ)

 このステージは暗譜で振った。暗譜で振ると面白いんだ。楽譜から目が離れるから、楽譜よりも音楽の方がリアリティを持って迫ってくる。「夕映えの富士」あるいは「平野すれすれ」という歌詞で知られている「作品第貳拾壹」の中で、「その絶端(ぜったん)に」のフェルマータの直後、「いきなりガッと」というくだりが四分休符をはさんで来る。この四分休符を僕はどうしても待てなかったのだ。「いきなりガッと」は文字通り「いきなり」来るべきだと感じたのである。
 こういう所は楽譜を見ていると、楽譜の通りに演奏してしまうのだ。まあ、当たり前なんだけど。でも、恐らくそこの箇所は今日僕が演奏したようにやる方がいい。いや、むしろそう演奏するべきであると言ってしまってもいいかも知れない。

 このステージの曲目は、みんな擦り切れるくらい歌った愛唱歌のようなものだが、その中に一曲だけ馴染みのない曲が入っていた。「藁科(わらしな)」という組曲の中の「雨も悲し」だ。最初はこの曲はカットしようという声も上がったほど無名でしかも難しい曲だったが、僕は、
「この曲だけは絶対にやる!」
と強行した。何故なら高校時代歌いながら涙した曲だったからだ。それだけに、打ち上げの時、何人もの団員から、
「先生、あの曲の『たぐひなき善良柔和の人はゆきて帰らず』のコラールを歌いながら、こみ上げてくるものを抑えることが出来ず、ついに涙してしまいました。」
と言われた時は嬉しかったな。こういう体験がタダタケの醍醐味。やはり僕の合唱人生の原点だ。  


泣ける!蝶々夫人
 さて、7月に入ったぞ!毎年の通り究極の超多忙月。今週はとりあえず「蝶々夫人」鑑賞教室の練習に明け暮れる。明日から東フィルのオケ練習が始まり、オケ合わせ、舞台稽古、オケ付舞台稽古へと進んでいく。
 僕はプッチーニ大好き人間だからね。プッチーニの音楽の中には、ワーグナーのライトモチーフと朗誦法が、イタリア・ベルカントと不思議な方法で融合している。ドラマが音楽的に進行していくという意味ではワーグナーよりもスムースだ。勿論ワーグナーの思想性、哲学性はないが、オペラはヒロインを描くことにあると徹底しているので、過度の期待もしないし、それはそれで割り切って愛情のドラマを描くことに専念出来る。

 「蝶々夫人」では日本音楽が随所に取り入れられているが、僕が最も日本的だと感じて惹かれる音楽は、「君が代」でも「お江戸日本橋」でも「かっぽれ」でもない。終幕、ティンパニーがフリーのテンポでドンドンドンドンと歌舞伎の音楽のように叩き始めると、チェロが何の和音の色づけもなく単音でメロディーを弾く。この音楽こそ、まさに日本的緊張感に満ちている。ここを聴くと僕はいつも、
「プッチーニは日本を知っている。日本的精神の持つあの凜とした世界を理解している。」
と思うのだ。
 この音楽が盛り上がり、そして静まっていくと、短刀を手にした蝶々夫人がつぶやく。
「誇りを持って生き遂げられない者は、誇りを持って死ぬ。」
この毅然とした態度はそれだけでも大きな感動を呼ぶのだが、このオペラが他に追従を許さないのはその直後。

 子供が走り込んでくる。その瞬間、あの誇り高き蝶々夫人は全てをかなぐり捨ててただのひとりの母親となる。子供を抱きしめ、
「お前、お前、お前、可愛い子よ!」
と歌う。誇りの為に死ぬことは厭わないが、この子を残していくのは耐えられない。誇りと愛との相克にくしゃくしゃになる蝶々夫人。こうなったら客としたら泣くしかないのだ。ここで泣かなかったら人間ではないのだ。
 それにしても「動物と子供にはかなわない」とよく言われるが、この一番良いところに子供を使うとは全くずるいよ。あと一歩で泣きそうになりながら、かろうじて引っかかっていたつっかえ棒を、この子供がいとも簡単にポンと後ろから押して号泣の海に落とすのだ。恐るべしドラマティカーのプッチーニ!

 オペラだから勿論本番で譜面は置くが、僕は二年前にやはり鑑賞教室で6回公演を指揮しているから、ほぼこのオペラを暗譜している。だから稽古場でも本番でも、常に歌手の顔を見て、歌手の作るドラマや呼吸を感じながら指揮をすることが出来る。譜面に首っ引きの状態でオペラを振る指揮者もいるけれど、僕はこのくらいスコアが頭に入っていなくては、オペラで音楽的なドラマを構築するのは難しいと思っている。今後は稽古場あるいは舞台稽古で、いかに終幕に向かってドラマを盛り上げていくか葛藤していく。
 公演では満場の高校生を絶対に泣かせてみせる。泣くだけがオペラではないという意見もあるだろう。いいや、僕はそうは思わない。このオペラはお客に泣いてもらうために作られた作品だ。

重要なお知らせ!!
 このホーム・ページを御覧になっている皆様にお知らせがあります。
7月9日から14日まで毎日上演される「蝶々夫人」鑑賞教室公演では、高校生でない一般の方には、残件がある場合のみ当日券を販売します。高校生の場合、学校単位で申し込んでいるので、現在空席がある場合、これからなんとなく増えるということはあまりないように思うので、日によってはかなりの確率で当日券で入れます。
 営業部で確認したところ、11日(水)13:00、13日(金)13:00、14日(土)14:00の公演に関しては、このホーム・ページを読んで大量のお客様が殺到してしまわない限り、当日券で入れると思います。勿論100パーセントではないので、もし入れなかったらごめんね。
高校生は2100円ですが、大人の場合は4200円です。

 オペラを見て泣きたい方は是非どうぞ!もし泣けなかったら料金はお返しします。ただしその場合、さっき僕が「ここで泣かなかったら人間ではないのだ」と書いたように、非人間の扱いを受けることも覚悟しておいた方がいいかも知れません。ですから自分が人間かどうか確認するために足を運ぶという選択肢もあります。自分の感性のバロメーターとして「蝶々夫人」鑑賞教室をお使いいただくとすれば、4200円は決して高くはないと思います。



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