「蝶々夫人」開幕前夜

三澤洋史 

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「蝶々夫人」開幕前夜
 以前、ニューヨーク・シティ・オペラの公演を見に行ったことがある。演目は「ラ・ボエーム」だったが、ムゼッタ役で出演していたソプラノ歌手の田村麻子さんから、合唱がいないと聞いていた。それであの合唱の見せ場である第二幕をどうやってやるのか疑問に思って出掛けたが、なんと街の群衆が描かれたパネルがあるだけで、管弦楽は合唱パートなしでそのまま進んでいた。「なんて乱暴な!」と思って最初はやや腹を立てていたが、曲が進んでいく内に、
「あれえ、合唱がなくても成立しているぞ!」
と気付き始めた。

 そうなのだ。イゾルデがいなくても「イゾルデの愛の死」が管弦楽作品として成立するのと全く同じ原理でプッチーニの音楽も書かれているのである。これはプッチーニの音楽がいかにワーグナーの影響を色濃く受けているかということの証明。

 ワーグナーにおいて、声楽と管弦楽は究極的な関係を築く。劇の進行は管弦楽に委ねられている。雄弁な管弦楽が、今テーマとなっている事柄をライト・モチーフや楽器の色彩感などで彩っていくと、歌のパートは、一見それとは全く無関係にドラマの間や抑揚を持って朗誦風に歌われる。
 そうしたオペラの作曲の仕方は、ワーグナー以後の作曲家に、それ以外の方法などあり得ないと思わせてしまった。ワーグナーの弟子で、「パルジファル」のパート譜作りを手伝った「ヘンゼルとグレーテル」のエンゲルベルト・フンパーディンクしかり。先日この欄でも書いたリヒャルト・シュトラウスしかり。「ペレアスとメリザンド」のドビュッシーしかり。そしてヴェリズモ・オペラのマスカーニやレオン・カヴァッロしかり。その中で最も成功した例として僕はプッチーニを挙げたい。

プッチーニの管弦楽法
 「蝶々夫人」を指揮していると、プッチーニがいかに管弦楽に精通しているかに驚く。それにドビュッシーの全音階や近代作曲家達の新しいオーケストレーションの技法をまるでファッションのように巧みに取り入れて、自分の言葉として語っているのに感心する。 逆に言うと、まさにその事によって、プッチーニは、「真似ばかりしてオリジナリティのない作曲家」と評価されている感もあるが、プッチーニのオリジナリティは、歴然と存在するのだ。

 有名な蝶々さんのアリア「ある晴れた日」のスコアを開いてみると、冒頭の管弦楽の薄さに誰しもが気付くだろう。メロディーをなぞっているのはソロ・ヴァイオリンとクラリネット。それとハープがハーモニクスで響きを添えている。和音を支えているのはフルートとオーボエ及び第一ヴァイオリンの残りの人達だけ。
 「白い船は港に入り」という箇所に来ると、なんとBフラットとDフラットの二音で和音を支えているホルン以外は全員歌のメロディーをなぞる大ユニゾン!このユニゾンが「ある晴れた日」の特徴だ。いやこのアリアだけでない。ホルンやクラリネットといった楽器だけに和音を奏させて、他の全ての楽器がみんなでユニゾンを奏するという大胆なやりかたこそがプッチーニ・サウンドの秘密なのである。特にそれは後期になるに従って顕著で、「西部の娘」のジョンソンのアリアや、「トゥーランドット」のリューのアリアなども同じ方法で書かれている。
 プッチーニ以外ではチェイコフスキーが何オクターブにも渡るユニゾンを多用している。有名なピアノ協奏曲の冒頭のあの華麗なるサウンドは、弦楽器大ユニゾンの成せる技だ。

 蝶々さんの登場直前、ゴローが飛び出してくる場面では、ヴァイオリンにスル・ポンティチェロと呼ばれる奏法を要求している。これは弓を駒に近づけて乾いた音を出す方法だが、プッチーニがやったようにトレモロと一緒に使うと、まるで昆虫の羽根音のように聞こえる。第二幕で蝶々夫人が領事のシャープレスにゴローのことを「悪い人よ」と語るときにもこの奏法が出てくるから、ゴローというキャラクターと関連があるのだろうな。

 ハープを多用するのもプッチーニの特長。今ちょっと中断しているが、「ジークフリートの冒険」を編曲しているので、「ニーベルングの指輪」のスコアに親しんでいる。ワーグナーでもハープはよく使われるが、全く使わないところがとても多く、ハープにふさわしい場面だけにかなり限定されている感がある。
 それとは対照的に、プッチーニはまんべんなく使っている。先ほども少し触れたが、ハープの直接音だけでなく、倍音のハーモニクスもよく使い、そのピュアーな響きの効果に熟知している。オーケストラというものは、基本的に音の伸びる持続系の楽器ばかりなので、ハープのような減衰系の楽器はとても貴重だ。ハープのアルペジオに乗って弦楽器がのびやかなメロディを奏する美しさもプッチーニ音楽の魅力。
 
 減衰系の楽器には、他にグロッケン・シュピールなどもあるが、これは効果優先という感じなので、ハープのような曲の根幹に関わる感じではない。でもプッチーニはグロッケン・シュピールの使い方もとても上手。
シャープレスに、
「花嫁は美人かね?」
と聞かれて、ピンカートンの代わりにゴローが、
「そりゃもう、新鮮な花の冠か金色の光の星のようでさあ。」
というところでハープと一緒にグロッケンがキンコンという感じで入ると、まだ登場しない蝶々夫人の美しさが予感されるようでとても効果的だ。こういう何気ない使い方が上手なのだ。蝶々夫人の登場や第一幕の終幕でもミソソミラミソのメロディで使われて、メルヒェン的な世界を作り出している。

 プッチーニの管弦楽法で一番感心するのは強弱の設定だ。プッチーニの管弦楽は基本的に三管編成のぶ厚い響きを持つので、歌手がオケに埋もれやすいという印象を持たれるが、作曲家の書いたダイナミックを忠実に守るならば、実際に声楽部分がオケに埋もれる箇所はほとんどない。それほど演奏効果を考えて緻密に強弱が設定されているのだ。
 イタリアオペラというと、熱情でなにもかも押し切っていくべしみたいな常識があるが、プッチーニが筆をおろしていったスコアを熟読していくにつれて、彼がかなり繊細な音の世界を構築していったことが感じられる。だからプッチーニのスコアを指揮するにあたっては、この中に書かれたものを冷静に読み込み、具体化していく冷静さと知性が必要になってくる。

 時々ユニークな音響感覚が見られる。それは地味だが和音の構成音に顕著だ。第一幕、蝶々夫人が登場する前にのピンカートンとシャープレスの会話で、二人があらためて乾杯し、
「遠く離れた貴方の家族に乾杯!」
とシャープレスが歌う前の間奏。チェロから上の柔らかい弦楽器全体を支えるバス声部は、コントラバスではなくファゴットわずか一本だけ。
 第二幕第二場への間奏曲で、ヴィオラのメロディーを支えるのはクラリネットとファゴット。しかし通常と反対に低声部を受け持つのはクラリネットの最低音。その上にファゴットが乗っている。僕もオーケストラ練習で直したが、指揮者は周到にバランスを計らないとファゴットばかり大きくなってしまい、正常な和声が築けない。ここでファゴットを抑えると、とても柔らかいサウンドが得られた。ふーん、よく知っているな、やるな、プッチーニ。

 それにしても、蝶々夫人を指揮するのは、マラソン・コースを走るに等しい体力が要求されるが、この管弦楽の音の洪水に身を任せる快感は、指揮者でないと得られないものがある。僕は、やはりドイツ音楽の低音に支えられた弦楽器のどっしりした響きが好きなので、気がつくとどうしてもドイツ的な響きになっている。間奏曲もシンフォニックと言われるかもな。本人の気質はどう考えてもラテン的なのに・・・・。

いよいよ殺人的多忙に突入
 昨日(7月7日土曜日)は、蝶々夫人A組オケ付き舞台稽古の後、群馬にやってきて新町歌劇団の練習。今日これからまた初台に戻り、B組の稽古に出なければならない。新町歌劇団の演奏会は次の日曜日。みんな僕のいない間に頑張って上手になってきた。あとは主役の中村恵理さんが来れば演奏会が成立するが、僕はプレゼン・ソフトAGREEを使って字幕や映像を完成させなければいけない。でも時間があるかなあ?間に合うかなあ?

 9日月曜日から14日土曜日まで毎日蝶々夫人の本番。10日以降は、本番後5時から「スペース・トゥーランドット」の練習だ。今年の「スペース・トゥーランドット」では何人かの新人がいるので、音取り稽古や音楽稽古及び暗譜練習を沢山つけてあげたいのだが、今は僕も副指揮者の城谷正博君も蝶々夫人にかかりっきりだ。それで今年は帰国早々の長女志保がひとりで新人達に稽古をつけている。同じ新国立劇場内にいるのに、僕達親子は行き違いでほとんど会わない。
 志保は、パリ国立地方音楽院の伴奏科修了試験を無事プリミエ・プリ(一等賞)でディプロマを取得し、7年間に渡る留学生活を終えて帰国した。伴奏科というのは、ピアノ演奏をするだけではなく、初見演奏や移調演奏、それに音楽史の試験などもあったというから、よく頑張ったと思う。一応完全帰国ということなのだが、まだヨーロッパ生活に未練があるし、杏奈もパリに残っているので、先のことはよく分からない。
 昨年「スペース・トゥーランドット」の成果を買われて音楽ヘッド・コーチ岡本君の前でオーディションを受け、今年の秋の「カルメン」のプロジェクトにピアニストとして参加することとなっているので、12月初めまでは日本にいることは確実なのだけれど。
 でも杏奈は杏奈で、お姉ちゃんと練習するための部屋の争奪戦をする必要もなくなって、今や新しいアパルトマンでのびのびと暮らしているから、今更志保に転がり込んでこられても迷惑だと予防線を張っている。パリに行ったばかりの頃は、お姉ちゃんが帰った後一人で暮らしていけるのかなと心配していただけに、たくましくなったものだ。杏奈は、もう授業は終わったのだが、この後南フランスの講習会に出て7月末に帰国。
 8月12日のくにたち市民芸術小ホールでの演奏会「素顔のモーツァルト」では、二人の共演でモーツァルト作曲「クラリネット協奏曲」第一楽章が演奏される。志保はソロでイ短調のピアノ・ソナタを弾く。

 さあ、例年のごとく殺人的多忙な夏。元気で乗り切ろうと思う。まずは蝶々夫人の初日の幕を開けなければ。




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