東京バロック・スコラーズ演奏会大成功!

三澤洋史 

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東京バロック・スコラーズ演奏会大成功!
 どんどん面白くなってきたぞ!僕の人生。
演奏が終わり、楽屋で汗を拭いていると、先日の講演会の講師である礒山雅先生が入ってきた。
「いや驚きました。本当に素晴らしかった。こんな風にバッハを演奏して欲しいと思いながら、これまで叶わなかったものに今日出会えました!」
そう言って礒山先生はさらに、
「打ち上げに出るつもりはなかったんだけれど、どうしてもこの気持ちを一言皆様に伝えたい。」
と言ってくれた。

 昨日は東京バロック・スコラーズの第二回演奏会。「バッハとパロディ」のレクチャー・コンサートだった。団員の皆さんが本当によくチケットを売ってくれたお陰で場内は満席。客席が一杯だとやる方も気合いが入るね。

「いい演奏会だった。」
と言ってくれた人が多かった。僕にはこの言葉が一番嬉しい。勿論、どこが良かったと具体的に言ってくれるのは、それはそれで嬉しいのだが、オペラでもミュージカルでもコンサートでも、終わった後の全体の印象が一番大事だと思うのだ。そして僕が一番大切にしているのは、終わった後、皆さんが満ち足りた気持ちになってくれること。このために演奏家になったと言ってもいい。

 もうひとつ嬉しかったのは、前回の演奏会からオーケストラのメンバーとして乗ってくれているファゴットの鈴木一志さんと、今回初登場の東フィル首席オーボエ奏者小林裕さんの二人を始めとして、オーケストラの人達が、我々の活動に非常に賛同してくれているという点だ。
「お金払ってでもバッハをやりたい。」
と言ってくれる彼等の気持ちは、本来の意味のアマチュアリズム(芸術を愛好すること)そのものだ。こういう風に彼等を思わせることを可能にした背景には、東京バロック・スコラーズがアマチュアを超えようとする方向性を持っていることがあるのだ。

 だって、プロから見て、
「ああ、アマチュアが自己満足でやってるなあ。」
と思えたら、
「まあ、ギャラもらってるから付き合ってやるか。」
となるじゃないか。

アマチュアとプロの壁
 だから僕は、もっともっとアマチュアとプロの垣根を取り去りたい。公開レッスンを企画したのもその表れ。僕の目から見てアマチュアの人達は、音符を正確に歌ったり合わせたりすることに対する関心の高さに比べると、発声法への関心が低いのだ。その点がアマチュアとプロの間に歴然と立ちふさがっている大きな壁。
 しかもその壁の存在に気がつかないのか、しばしば耳にするのは、プロの演奏を聴いた時の感想。
「なんだい。プロと言っても意外と合わないなあ。たいしたことないなあ。」

 確かに、譜面を読むのがあまり得意でなかったと言われるパバロッティーよりもソルフェージュの良くできるテノールは沢山いる。でもパバロッティーの価値はどこにあるのかというと、声の素晴らしさだ。声がきれいなだけじゃない。テクニックを持っていると、それを持っていない人には決して出来ない様々な表現が可能になるのだ。つまり表現のキャパシティが広がるのだ。これに気付いて欲しい。いや、気付いても、自分の問題じゃないさと思っているアマチュアの人に、自分の問題となってもらいたいのだ。

 一方、新国立劇場合唱団の練習で最近僕がよく言っていること。
「あのねえ、皆さん。合唱コンクールに行ってごらんよ。音程、ハーモニー完璧だよ。皆さん、タンホイザーの巡礼の合唱で音程が下がってる場合じゃないよ。 もし全国大会に行くような高校の生徒が聴きに来ていたら、確実に馬鹿にされるからね。アマチュアを甘く見てはいけない。」

 先日テレビで、某プロ・オーケストラが、ホルスト作曲、吹奏楽のための組曲第一番を演奏していた。この曲は高崎高校の時代、合唱部で練習していた隣の練習室で、吹奏楽部が一生懸命練習していた名曲で、隅から隅までよく知っている。その後もいろいろな吹奏楽の名演奏を聴いたけれど、オーケストラ曲の編曲というわけではないので、プロのオーケストラで聴く機会などなかった。だからもの凄く楽しみにして聴いた。しかし・・・・。

 しかし・・・・それは予想に反して下手だったのだ。音程は合わないわ、ハーモニーは決まらないわ、何より腹が立ったのは、一丁上がりという感じで曲を仕上げていたことだ。 きっと一番の原因は、わずか2,3日で仕上げるプロの日程にあるのだろう。これでは一つの曲に半年も一年もかけるアマチュアとは、曲に対する想いの面ではレースにならないのは当然かも知れない。でも、それを技術と感性の高さ等々で補って、アマチュアをウーンと唸らせるのがプロってもんだろ。あれを聴いていたほとんどの吹奏楽団員は深く失望したと思う。そういうことでアマチュアにつけいる隙を与えるから、アマチュアが、自分たちとプロとの間にある壁を越えたような気になって、いい気になるんだ。

 僕はアマチュアとプロと両方関わっている者として、アマチュアにあるアマチュア故の甘えも、反対にプロにあるプロ故の甘えも許さない。そして真の意味でアマチュアとプロとの壁を取り去りたいのだ。
 僕が東京バロック・スコラーズで本当にやりたいことはそのこと。だから東京バロック・スコラーズの活動をめぐって鈴木さんや小林さんがああいう発言をしてくれたということが、僕にとってどれほど大きな意味を持つことか。
 さらに僕の取りたい壁はそれだけにとどまらない。今回、礒山先生が打ち上げに現れて最大の賛辞を下さった。こうしたバッハ研究者達をも巻き込んで、東京バロック・スコラーズは、アマチュア、プロの演奏家達、バッハ研究者達の集合による、我が国におけるバッハのセンターとなりたいのだが、そのためにはまず、東京バロック・スコラーズ自身が、そこに集まってくれる人達に評価されないといけないのだ。

 つまり僕の長期に渡る大構想は、まず東京バロック・スコラーズの演奏がみんなの賛辞を受ける非凡なものでないと、“捕らぬ狸の皮算用”でなんにも始まらないということだったのだ。
 団員には勿論最初からそう言っていたよ。だけど、たとえば昨年「ロ短調ミサ曲」の本番に向かって邁進している時に、
「今度の演奏は最高のものに!」
と言うとみんな食いついてくるだろうが、
「目標は数年後!」
と言っても、説得力に欠けるから、あまりしつこくは言わなかった。

 でも、こうして礒山先生が評価して下さり、オケのプレイヤーたちがああいう発言をしてくれたりすると、団員達もこれでだんだん僕が「数年かかる」と言っていることの意味を理解してきたのではないかな。
「あそこは凄いぜ。普通の演奏じゃない。それに演奏だけでなくいろいろ面白い活動をしていて実にユニークだ。」
と、その内自然にあちらこちらからみんなが言い出すようになると希望している。団員達が自分たちで必死になってチケットを売らなくても、チケット・ピアで自然にどんどん売れて、なんてね。それからCDを出してDVDを出して、ヨーロッパ公演に行って、フェスティバルに出演して・・・・おほほほほ、夢はどんどんふくらむが、まだまだ“捕らぬ狸の皮算用”だからね。

 数年後のこの「今日この頃」で、
「あの頃、ああ書いた時は、まだ三澤は頭がおかしいのかと周囲は思っていたが、今やそれが現実のものとなった。」
と言えるように頑張ります。

嘘を言ってしまった!
 さて、演奏会の成功とは裏腹に、僕はちょっと失敗をやらかした。しかもプログラムでも書いてしまったので、資料となって残ってしまう。どうしよう!これは礒山先生に即座に指摘されて分かったことだが、要するにみんなの前で嘘を言ってしまったということである。

 冒頭のブランデンブルク協奏曲の話をした時に僕は、
「ブランデンブルク協奏曲はカンタータ第174番のパロディ」
と言ってしまったが、これは逆で、カンタータの方がブランデンブルク協奏曲のパロディだったのだ。
 いいわけがましいんだけど正直に白状します。僕は、いつもはもっと時間をかけて綿密に資料を調べるのだけれど、ちょうどこの原稿を書いていた時期は、高校生のための鑑賞教室の「蝶々夫人」と子供オペラ「スペース・トゥーランドット」が重なり合っていてものすごく忙しかったのだ。しかも「ジークフリートの冒険」の編曲も止まっている不安の中で締め切り催促されていたので、時間が全く取れなかった。そこで安易に、シギスヴァルト・クイケンとグスタフ・レオンハルトのCDの解説の資料を頼りに書いてしまったのだ。

 そのCDの解説によると、

6曲の協奏曲は、献呈にさいして新しく書き下ろされたものではなく、既作の再編であった。各曲の成立年代もばらばらで、なかにはヴァイマル時代(1708-1717) まで遡ると考えられるものもある。

さらに第三番の項では、

この編成はいささか特異なものだが、カンタータ第174番(1729年作曲)のシンフォニアにホルンとオーボエを加えた形で第一楽章が姿を見せていることからすれば、もともとは標準的な編成の管弦楽協奏曲として書かれたものかもしれな い。


 この時、カンタータ第174番のすぐ後の(1729年作曲)という年代にもっと注意がいきさえすれば、そんな過ちをおかさないで済んだのにと思うと悔やまれる。つまりブランデンブルク協奏曲はケーテン宮廷楽長時代(1717-1723)の作品で、カンタータ第174番の1729年は、ライプチヒの聖トーマス教会楽長時代。それだけでも明らかに協奏曲の方が先なのだ。

 しかしパロディという観点から材料を探っていた僕は、解説者の「既作の再編」という言葉に飛びついてしまったのだ。さらに第三番の項の文章の曖昧さが(それは解説者のせいではないけれど)僕を過ちに導いてしまった。  ひとつだけ解説者に苦言を述べるとすれば、「もともとは標準的な編成の管弦楽協奏曲として書かれたものかもしれない」という見解は、もし第三番がオリジナルだとしたら、それは三本ずつのヴァイオリン、ヴィオラ、チェロと通奏低音を想定して書いた以外には考えられないので、ありえないだろうと思う。こういうことを学者が書いてはいけない。

 まあ、会場での僕の話では、どちらがパロディかということよりも、片方を協奏曲と名乗り、もう片方を同じ曲なのに対立する概念であるシンフォニアと名乗ったという点に重点が置かれていたので、聞き流していた人にとってはそう大きな問題ではにのかも知れないが、プログラムに残ってしまったのはなんとも失態だった。
 とにかく、きちんと調べなかった僕のせいなんだけど、こんなことなら、いっそのことプログラム原稿は全部礒山先生に書いてもらえばよかったなあ。中途半端に学者気取りするからこういうことになるんだ。自分は単なる一演奏家だからと逃げるつもりもないんだけど、学者だったら忙しくてもまさかCD解説を拠り所には記事を書かないだろうからね。

 それで、このホームページにも、東京バロック・スコラーズのホームページにも、それを直したレクチャー原稿が載っているので、みなさん読んで下さい。さらに最後のレクチャーは、時間がおしていたので、途中で原稿から離れ、中をカットして3分くらい稼ぎましたが、その際失われた結構大事な部分が予稿集の方に載っています。そこは是非読んでもらいたいなあ。



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