多田武彦さんからの電話

三澤洋史 

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眼鏡
 今週はかなり疲れがたまっていて、体調がよくなかった。どうしてだろうと思っていたが、どうやらそれが新しい眼鏡のせいだと分かってきた。言っとくけど、テレビの見過ぎじゃないよ。
 特に先週から今週にかけては新しい眼鏡をかけながらピアノに向かうことが多かった。浜松の演奏会の為の勉強を始めたし、ソリストとの合わせを、自分でピアノを弾きながらやった。また、新国立劇場合唱団がNHK交響楽団と共演してネルロ・サンティ指揮でやる演奏会の練習が今週から始まったので、そのための勉強をピアノ弾きながらやった。それに来週早々始まるツィンマーマン作曲「軍人達」の練習のための勉強と、根を詰めてやるものが多かったのだ。
 そのうち、ピアノを練習した後に目がくらくらするようになった。新しい眼鏡は。前のに比べて度が二つくらい進んでいる。それで遠くを見るのはいいのだが、近くを長時間見続けていると、その分だけ目に負担がかかるのだろう。疲れは目から背中に行き、首の下がバリバリに張ってきてしまった。
 そこで再び古い眼鏡を取り出して、必要に応じて使い分けるようにした。僕にしては珍しくお酒も控えるようにし、夜も早めに寝た。これで少しはましになってきた。
「疲れがたまっているのよ。休めればいいのにね。」
と妻は言う。本当は一週間くらい仕事から離れて温泉でも行ってのんびり出来れば言うことないんだけど、なかなか休みがないんだ。

 それにね、指揮者って本当に勉強ばっかりしている。もうこれは一種の病気だね。
 

多田武彦さんからの電話
 先週の日曜日の晩、「タンホイザー」マチネ公演を終わって帰宅し、ウィーン国立歌劇場の「ジークフリートの冒険」の書き忘れた分の楽譜を早く仕上げなくてはと思っていたら、電話が鳴った。
出てみると、
「多田です。」
と言う。はて、多田という人は何人か知っているが、どの多田さんだろうと思っていたら、僕が躊躇している気配を察知して、
「多田武彦です。」
と言うではないか。うわあ、大変だ。タダタケ本人やんけ!つまり、あの男声合唱組曲「柳川風俗詩」や「雨」の作曲者である。多田氏は、僕が男声合唱団アカデミカ・コールの新聞に寄稿した文章を読んで感動したと言って電話をかけてきて下さったのだ。

 アカデミカ・コールは、東大コール・アカデミーのOB合唱団だ。12月8日のコール・アカデミーの定期演奏会に1ステージだけ現役とOBとの合同ステージがあり、そこで多田武彦作曲、組曲「富士山」を演奏する。その指揮を僕が引き受けたわけだが、その際アカデミカ・コールの新聞に「富士山」を指揮する想いを綴った。それを多田氏本人が読んだのである。その内容とはこんな風である。

僕は高崎高校の時代、グリー・クラブに入り、男声合唱の世界にのめり込んでいた。その時多田武彦氏は自分にとって神様のような存在だった。しかし「富士山」だけは演奏する機会がないまま男声合唱から離れてしまった。
その後、僕はヨーロッパに渡り、ベルリン芸術大学指揮科で学んで、帰国してからはオペラの世界に身を投じた。もし、アカデミカ・コールが自分を呼んでくれなかったら、男声合唱の世界は遠い青春時代の想い出にとどまっていたであろう。 しかしアカデミカ・コールのお陰で、再び男声合唱に胸を熱くする日々が自分に 蘇ってきた。そして今回、自分としては初めての「富士山」全曲に挑戦する。 
 多田さんとは、以前OB六大学演奏会で楽屋が一緒になり、意気投合した想い出があるが、とにかくお話し好きな方だ。今回の電話も楽しいお話でとどまるところを知らない。なんだかんだで40分くらい電話した。
 僕が、
「『夕映えの富士』というくだりは、展覧会の絵からヒントを得たと以前おっしゃいましたよね。」
と言うと、
「その前の『平野すれすれ』のくだりはね。ストラヴィンスキーの『火の鳥』なんですよ。あの頃ストラヴィンスキーをよく聴いていましたからね。」
なんて、自分のネタバレをどんどんする。
 話せば話すほど、多田氏の物の見方や、音楽の中で何を大切にするべきかという価値観が似ているので、あらゆるところで意気投合する。
「今度の演奏会は是非行きますからね。」
と言って多田さんは電話を切った。さて、これは大変だ!是非とも「富士山」としっかりと向かい合い、それなりの説得力のある演奏をしなければ。  


「タンホイザー」と「フィガロの結婚」無事終了
 「タンホイザー」が10月24日水曜日に終わり、「フィガロの結婚」が27日土曜日に終わった。28日からは「カルメン」新制作がスタートする。

 「タンホイザー」の合唱はかなり好評だったのでホッとしている。なにせ僕自身が誰よりもシビアなワグネリアンなので、どこにもないくらいのものを作ろうと意気込んでいたが、やっている本人からしてみると完璧ということはあり得ないのだ。巡礼の合唱のピッチだって、ドイツ語の発音だって、細かく見れば見るほどいろいろ気になるところが出てくる。
 でも第二幕大行進曲の賑わいや、第三幕巡礼団の、罪を許されて故郷に帰ってきた歓びなど、大事な表情のポイントは押さえたと思うし、終幕の走り込んでくる女声合唱とテーマを歌う男声合唱には胸を打たれるものがあった。
 僕があまり音程などの注意ばかりしていると、かえってそうした表情がおろそかになってしまうので、近視眼的にばかり見ないようにも心がけたつもりだ。その両面において、しっかり僕の要求に応えてくれた合唱団には心から拍手を送りたい。
 「さまよえるオランダ人」とか「タンホイザー」のような作品は毎年やればいいのにな。そうすれば合唱団もワーグナーの語法に慣れてどこまでも上手になるのに。

 「フィガロの結婚」では、アンドレアス・ホモキの演出の中にある“毒”が、数年経った今でも色あせることなく僕達に迫ってくるのに驚かされた。伯爵は単なる好色な貴族だけではない。
 第三幕終わりで伯爵はバルバリーナを陵辱する。せっかく伯爵夫人を追い詰めたと思ったのをバルバリーノの機転でかわされた仕返しである。犯されたバルバリーナが放心状態で「失っちゃったの・・・。」とカヴァティーナを歌うのは、キッチュなわざとらしさがあるが、そうしたことを通して、貴族という存在が、当時の人々にとっては決してまともに手向かえない相手であることを僕達に示してくれた。だからこそ、反対に貴族をギロチンにかけるところまでやってしまう必要があったのだ。
 そうした当時の民衆にとっての脅威であった貴族に対して、フィガロがはっきり「ノー」を突きつける瞬間をホモキは設定した。
「お前も飛び降りたというのか?」
「勿論です!」
疑う伯爵にフィガロが決然と答える瞬間である。相手を真正面に見つめ、足を踏みならして答える。取り巻く民衆が派手なリアクションをする。二人の間に緊張感が漂う。一発触発の危機。すると裏から音楽。
「婚礼の行進曲だ。行きましょう。」
一同ホッとする。

 ホモキは当時、
「これが民衆の立ち上がる瞬間だ。」
と言っていた。まさにこの作品がフランス革命前夜の物語であることをホモキは強調したかったのだ。
 初演時は、ロココ調の舞台美術や衣裳を期待していた聴衆を失望させて、「段ボールフィガロ」と呼ばれた演出だが、本当はこうした外面的なことはどうでもいいのである。ドラマの中身をどう読み、どう作り込むか、この劇で何がいいたいのかといったことが演出家に問われることなのだ。そういう意味では、アンドレアス・ホモキは、僕の最も尊敬する演出家のひとりであるし、このプロジェクトは、新国立劇場のこれまでの制作の中でも白眉のものであると信じている。

 今回の公演では、伯爵夫人を演じたラトビア共和国出身のマイヤ・コヴァレヴスカはわずか28歳。練習の時は、美声だけれどなんとなくパットしなかったのだが、本番になったら急にハジけた。今までにない若々しくおキャンな伯爵夫人。
 こういう風に演じられてみると、第二幕でケルビーノに言い寄られて我を忘れそうになる場面などが、「セヴィリアの理髪師」に始まるボーマルシェ三部作の三作目でケルビーノの子供を身ごもる伯爵夫人のキャラクターにつながり、これまで見えなかったドラマの流れが見えてくる。つまり、このドラマはある意味、無防備でインモラルな貴族達と、かえってマトモな市民の対立劇なのである。
 スザンナも伯爵に言い寄られたりはするが、伯爵夫人と対照的なのは、上手に立ち回ってはいるものの決してその手には乗らないのだ。特に中村恵理が演じるスザンナは理知的で、市民の良識を際だたせることになる。

 オペラって、こんな風に演じる人達によって全く違うように見えてくるから不思議だ。こういう楽しみを覚えるとやめられないよな。

今度は「カルメン」
 さて、28日からはカルメンの新制作がスタートする。演出は演劇部門の芸術監督に就任したばかりの鵜山氏。どういう切り込みでカルメンというドラマに迫ってくるのか楽しみだ。
 私事になるが、このプロダクションには娘の志保がピアニストで入る。昨年、「スペース・トゥーランドット」本番が終わった後に正式にオーディションを受けたので、親の七光りで横から滑り込んだわけではないからね。とは言っても、上手に弾いてもらわないと人から何言われるか分かったもんじゃないから、僕は本人以上にドキドキしているよ。
 彼女の場合、フランス語がしゃべれるから、「カルメン」がフランス語のオペラで、指揮者のジャック・デラコートもフランス人だということもあって、このプロダクションに入った。これからしばらくは劇場内でも毎日顔を合わすことになる。



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© HIROFUMI MISAWA