炎のコバケンの第九

三澤洋史 

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炎のコバケンの第九
 10月31日(水)は、NTTドコモ主催のクリエイティブ・キッズコンサート。これはドコモがキッズ携帯を持っている子供を対象にしていて、キッズ携帯から申し込みをして親子で無料で聴ける演奏会だ。
 第一回は8月始めに金聖響指揮の東京フィルハーモニー管弦楽団で行われた。我が新国立劇場合唱団も参加して、ヴェルディ作曲「アイーダ」凱旋行進曲とか、ワーグナー作曲「タンホイザー」大行進曲とか、「ふるさと」などのなつかしい曲でお馴染みの「ふるさとの四季」などを演奏し、最後に「世界に一つだけの花」をやった。
 その評判が良かったので、合唱団は早速第二回目の演奏会の仕事をもらった。「カルメン」の立ち稽古の最中なのだが、スケジュールをいろいろやりくりして、なんとかこなしたのである。

 今回の合唱団の演目はなんと「第九」。しかも指揮者は炎のコバケンこと小林研一郎。新国立劇場合唱団は今年の暮れに読売日本交響楽団と一緒に第九を演奏するので、この演奏会はその前哨戦のようなもので丁度良かった。

 第九は勿論よく知っている。「志木第九の会」などで定期的に指揮しているし、横浜サウンドブリッジを連れてブダペストに行き、ブダペスト歌劇場でMAF管弦楽団と演奏したりもした。
 2001年、バイロイト音楽祭でティーレマンの指揮で第九が演奏された時、僕はドイツ人達の歌う第九を間近で味わった。彼等のドイツ語の発音や、声の響き、表現のニュアンスなどが鮮明に頭に残っているので、それ以後、東響コーラスを初めとして、その経験をいろんなところで生かして指導してきたが、同じプロである新国立劇場合唱団でどのように具現化させることが出来るかはひとつの勝負でもあるのだ。

 面白いのは第九の場合、下手をするとプロになって年月が経った今となっても、何故かみんな学生時代のまんまに戻ってしまうことだ。まだ発声的に稚拙な時の癖が抜けなくて、Seid umschlungenのところなどは、まるで学生のように声がひっくり返っている。
「学生モードに戻らないように。今のみんなのテクニックだったらひっくり返るはずないんだからね。」
なんて変な注意を出さなければならない。

ドイツ語のER
ドイツ語の語尾のerの発音は悩ましい。我が国では、最初に外国語を輸入する時に誤った発音を植え付けられてしまった例が少なくない。例えば、アイロンと言えば洗濯の後に衣服のしわを伸ばすものだが、元来はiron(鉄)から来ている。後にゴルフ用品が輸入された時は、よりネイティブに近いアイアンという発音と共に入ってきた。このアイロンとアイアンを同じ単語だと思っている人は案外少ないのではないか。
 ドイツ語の世界でも最初に輸入された時はワグネルなどと発音されていたこの語尾のer。昔の指導者は第九を指導する時、何の疑問もなくダイネ、ツァウベル、ビンデン、ヴィーデル、あるいはブリューデル、リーベル、ファーテルと語尾を巻き舌して発音させていた。 新国立劇場合唱団のメンバーも、学生の時代にはみんなそういう風に教え込まれていた。しかしそのように発音してしまうと、本来アクセントがあるツァウベルのツァウの部分よりもベルの方に重点が行ってしまい、アクセントが正しく発音されない。さらに日本語風に表記されるとベルと二つシラブルがあるので、巻き舌にさらにウの母音がついてしまい、あたかもタンタタというようなリズムになってしまう。これはもうほとんどドイツ語とは言えない。

 本場のドイツではどうかと言うと、日常会話では全く巻き舌をすることなく暗めのアーという感じで発音される。つまりヴァーグナーやツァウバーという感じになるのだ。現代では歌う時でもほぼそうで、バイロイトの合唱団もそういう風に発音していた。
 そうした発音や、様々なニュアンスに留意しながら練習を重ねていく内に、新国立劇場合唱団は、かなりバイロイト祝祭合唱団の響きに近くなってきた。これまで自分が指導してきた第九で最も自分の理想に近かったのは東響コーラスで、これはこれでひとつの世界が築けたと自負しているが、新国立劇場合唱団で出来つつある第九は、またそれとも全然違う色を持っている。言っとくけど、これはちょっと日本においては他で聴けないものだぜ!興味のある人は今年の年末の読売日響の第九を聴きに来て下さい。6回もやります。
 合唱団員達も、
「今までこんな風に第九の発音を指導された事ない!」
と言うメンバーもいれば、
「でも考えてみれば、『マイスタージンガー』も『タンホイザー』も、何の疑問もなくこんな感じでやってきたよね。第九だけ別ということもないか。」
と気付くメンバーもいる。

困った!
 さて、30日は午後の「カルメン」立ち稽古の後、上野の東京文化会館に移動。小林氏とのオケ合わせだ。うーん!さすが炎のコバケン。パッションがあってなかなか良い音楽作りをする。言葉遣いが極端に丁寧で、何か注意した後で合唱団がうまく出来た時には、
「ナイス!」
と叫ぶ。それがおかしくて、女性団員達が下向いて笑いをこらえている。
「ここはもっとおもいっきり出しましょう。その方が大きな感動を呼ぶと思います。」
と言ったらとうとう合唱団員達が、
「あははははは!」
と笑い出した。

 しかし小林氏が、
「ツァウバーやブリューダーではなくて、ツァウベル、ブリューデルと発音していただけないでしょうか?その方がドイツ語という感じがします。」
と言った時は一同固まった。小林氏は驚いて客席にいる僕の方を振り向き、
「三澤さんどうでしょうか?」
と言う。僕はそんな一瞬で説明出来ることでもないので、
「暗めの発音ならば巻き舌してもいいと思います。」
ととりあえず答えたが、合唱団員達はとまどっている。で、何度繰り返しても彼等は相変わらず巻き舌をしない。小林氏は何度も、
「みなさん、リーベル・ファーテルと発音して下さい。」
と言う。その度にみんなは固まる。その内だんだん小林氏の言う通りリーベル、ファーテルとなってしまう者や、意固地に僕の言われた通り守っている者などでバラバラになってきてしまった。

 練習が終わってダメ出しをするためにみんなを集めると、即座にパート・リーダーが、
「三澤さん、発音どうしたらいいですか?」
と聞いてくる。
「今説明するから落ち着いて聞いてね。」
と僕は答える。それから僕は説明を始めた。

ドイツ語ではBuhnen-deutsch-aussprache(舞台用ドイツ語発音)というものが昔からある。シラー劇場などを中心に行われていた発音で、語尾のRを巻き舌にする。日本で言えば歌舞伎の世界の発音のようなものだ。歌もそれにならってい た。
しかし戦後それはどんどん変化していき、日常会話に近くなっていった。現代では僕の知っている限り、語尾のerを巻き舌にして発音している演劇の劇場は何処にもない。つられてオペラ界の発音も変化してきた。バイロイトでも、録音を聴く限り、すでに60年代ヴィルヘルム・ピッツの時代には、もう巻き舌をしていない。ただ巻き舌をすること自体はオールド・スタイルだけれど間違いではない。


 小林氏の世代は、まだRを巻いていた世代なのだ。この年代の人に今の様子を説明するのは難しい。僕は楽屋に行き、小林氏に説明したが、彼はそれでも、
「私はRを巻いて欲しいのです。」
と言う。Rを巻く事は現代的ではないけれど間違いではないから、僕は合唱団員にこう説明した。
「それでは語尾のerは、ゆっくりの時だけ巻き舌にしましょう。注意が二つあります。一つは、決して明るいエの母音になってしまわないこと。eをひっくり返しにしたような『曖昧母音』と日本では呼ばれる発音なのでツァウベルではなく、どちらかというとツァウバールです。もう一つの注意は、巻き舌にすることによって語尾の方にアクセントが来てしまわないように。あくまでツァウにアクセントがあり、バールは影のように弱く。」
これでみんなやっと落ち着いた。

さすが炎のコバケン
 さて、演奏会が始まった。朝岡聡さんの司会で楽しく進んでいく。第九の前には、キッズ携帯の呼び出し音に入っている「ツァラトゥストラはかく語りき」の冒頭や、「ウィリアム・テル」序曲、それに「カルメン」前奏曲などが演奏された。子供達の反応はかなり良い。
 そして第九が来た。コバケンは驚くべき緊張感で曲を進めていく。なんというか、まるで仙人のようというか天狗のようと言うべきか、とにかくこの人は普通じゃない。炎のコバケンという言葉はオーバーではないのだと納得した。子供達もね、あまりの熱気にあっけにとられている。ベートーヴェンの想いが子供達にもひしひしと伝わっていくのが肌で感じられる。まるで奇跡だ!素晴らしい演奏だ!

 本番が終わって楽屋に行くと、小林さんはニコニコ笑いながら、
「これまでやった中で最高のコーラスです。見事な統率力です。機会があればこれからも何度でもやりたいです。」
と言ってくれた。僕は半ば踊りながら文化会館を後にした。

兵士達
 今週からもう来年の五月に上演されるオペラ「兵士たち」の練習が始まった。これはツィンマーマンという現代作曲家による難曲中の難曲。18人の合唱団員は6つのテーブルに三人ずつ座り、それぞれがコーヒーカップやテーブルやお盆などを叩きながらリズムで叫ぶ。それが変拍子の上に3連符、5連符など入り交じった超複雑怪奇な音楽なので、打楽器奏者だって難しい音楽だ。それをよりによって声楽家達にやらせるというんだから無茶だよな。
 最初譜面を見た時には、
「うちのメンバーがこれを上演できる日が果たしていつの日か来るのだろうか?」
と思ったが、そうも言ってられない。とにかく早めに練習を始めなければいけないと思って稽古を設定したのだ。

 「マイスタージンガー」の喧嘩の合唱くらいだと、この難しい音楽をなんとかみんなに覚えさせようと結構ナーバスになるのだが、ここまで来るともう出来なくて当たり前ダメモトなので、やけっぱちになってかえって陽気になってしまう。
「はい、今テラッチ間違えました。はい今度はシオちゃん落ちましたね。さあ、気を引き締めてもう一度いこうね。」
なんてやってたら、休み時間にみんなが言う。
「これ、本番の事考えなかったら、ソルフェージュの授業みたいでなかなか楽しいですよね。」
「学生時代を思い出すね。」
そうなんだよね。本番さえなかったらお気楽なんだけどね・・・・あああ!だけどいつかは出来るようにさせなければいけないんだ。どうしましょう!

パソコンの緩慢な自殺と国家の陰謀
 前のテレビはビデオと一体型だったので、最近買った地デジ対応テレビではビデオが見れない。そこでビデオとDVDが一体となったレコーダーを買いに出掛けた。テレビがシャープのAQUOSなので、同じシャープのVHSビデオ付きのDVD、ハードディスク・レコーダーを買おうと思っていた。ところがビック・カメラでいろいろ見ている内に考えが変わった。理由はつまりこうだ。

 きっと僕は将来ハイビジョンを良い画質で撮りたくなるに違いない。しかし現在のDVDは4.7GBしか入らないから不満になるだろう。そうなると25GB容量のある次世代DVDのブルーレイやハードディスクDVDのレコーダーが欲しくなるに決まっているのだ。ところが、かつてビデオがベータかVHSかでしのぎを削っていたように、次世代DVDはブルーレイかハードディスクDVDかでしのぎを削っていて、まだ世の中の情勢がどちらに軍配が上がるか結論が出ていない。ここで判断を誤ると、かつてベータのレコーダーを買ってしまった人のように馬鹿を見ることになる。ということはだよ、この際少し成り行きを見守って、もっと値段も下がってからレコーダーは購入したほうがよいなという結論に達した。

 でも差し当たってビデオは見たいし録画はしたいので、2011年には終了するアナログ放送用チューナーを内蔵したVHSビデオ付きDVDプレイヤーを見に行った。DVDは見るだけで焼くことは出来ないが別に構わない。なんと1万2千円台で売っている。近くではアナログのテレビが、やはり格安の値段で並んでいる。1万円を切る製品もある。将来がない製品は、このように蔑まれ嘲られる運命にあるのね。
 とにかく一時的なので、その1万2千8百円の製品を買ってきた。それを普通にアンテナからつないだらアナログ放送しか録画できないので、どうせ2011年で使い物にならなくなるアナログ・チューナーはこの際見棄てて、テレビ自体の出力プラグから直接つないだ。これでBSでもWOWOWでもビデオに録画することが出来るんだ。勿論標準画像のアナログ録画だけど別にこだわらなければかまやしないさ。

 一方、自作パソコンのテレビ・キャプチャーで地デジ対応チューナー付きのがあったら、パソコンのハードディスクにいくらでも取り込めるのになと思ってお店で探したがない。アナログ放送対応製品しかないのだ。なーんで?デジタル製品の最先端のパソコンだろ?ところがね、地デジ対応キャプチャーは、現在の時点では販売のメドは立ってないそうなのだ。
 地デジ対応のテレビを持っている人はみんな知っているが、地デジ対応チューナーは、コピー・アットワンスの問題があって、B-CASカードがないと映らないようになっている。そのB-CASカードは、テレビやDVDレコーダなど完成品としての製品では発行されるが、パソコン部品の単体では発行しないことに決められているそうだ。
一方ではメーカー品パソコンは、地デジ対応テレビ・パソコン、つまりテレパソとしてどんどん宣伝している。
 ま、いっか。それにしてもメーカー品パソコンはテレパソの方向に走りすぎて道を誤っているようにも見えるね。横に長いワイド・ディスプレイも、ワードなんかやるには不便だと思うのにテレビを見るためにみんなそうなっている。僕なんか譜面作成ソフトのFinaleでスコアを書くのに、逆に縦に長いディスプレイないかしらと思っているくらいなのに。

 しかも、そうしたテレパソの売り文句ったら、
「パソコンを起動しなくてもテレビが見れます。」
だってよ。おいおい、それってただのテレビじゃん。そもそもパソコンあるだけ邪魔ということかい。

 でも業界って馬鹿だな。自分でパソコンの向かいつつある『緩慢な自殺』を煽っている。僕は、将来パソコンというものは、添付書類のやりとりをしたり、専門的な仕事をする会社での使用は除いて、一般の家庭からはなくなっていく運命にあると思っている。
 パソコンは何でも出来る夢の箱と言われて1999年から2001年くらいの間に爆発的に家庭に普及したが、実は何をするにも中途半端で、しかも不安定な欠陥品だった。特に致命的なのは起動時間の長さだ。
 若者達を見てみると分かるが、あの当時高いお金を払って無理して買ったものの、今パソコン離れが加速度的に進んでいる。デジカメのユーザーにとっては、SDカードなどの容量の増大と値下げで、たまったファイルをパソコンに取り込む必要がなくなっているし、プリントアウトも、パソコンを起動しなくても出来る。業界もそう宣伝している。電気屋の店先でプリントアウトすることも出来るしね。

 もっと深刻なことは、携帯電話の普及と機能の充実がパソコンの存在を脅かしている。デジカメも音楽プレイヤーも携帯で事足りる。このホームページも携帯から見ている人が多いというし、メールも携帯メールの方が受信がオンタイムだから、場合によってはお手軽にチャット状態に入れる。新国立劇場合唱団員も、メルアドをみんなパソコン・メールから携帯メールに変更している。
他のことをするのも、パソコンでやるより、用途に合わせて限定された機器を使う方が速いしエラーもない。

 あと数十年経って、きっとこんな会話が聞かれるんだろなあ。
「昔、パソコンというものがあって、みんな高いお金を払って買ったよね。フリーズにも耐え、変なエラーが出ても自分のせいと反省ばかりさせられたが、あの理不尽な機械は一体何だったんだ!」

 ええと、でも面白そうだから、アナログ・チューナー付きテレビキャプチャーを一万円以下で買って、MPEG2で録画してパソコンのハードディスクに取り込んでみようかな。2011年までの命だけど・・・・。

 ここまで分かっていてこんな事言っている僕って、完全に病気?って、ゆーか、もっと基本的な疑問なんだけど、どうしてアナログ放送やめなければいけないの?あまり将来のないお年寄りにまでが、お金出して新しく地デジ対応のテレビ買い換えたりチューナー買ったりしないと、テレビが全く見えなくなるなんて、国家の陰謀?誰か教えて!



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