富士山を求めて

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

健康が戻ってきた!
 健康って素晴らしいね。今週は体調が戻ってきてやる気が出てきた。浜松の演奏会が終わって、あと今年自分で指揮をする本番が東大コール・アカデミーの演奏会の一ステージだけとなって気持ちに余裕が出てきたこともプラスに働いている。
 僕の場合、適当に何もない時期があって生活に空気が入らないといけないんだ。勿論指揮者なので指揮をする本番がなくなると淋しいのだが、本を読んだり調べ物をしたり、執筆したり作曲をしたりする“ゆとり”の時間が不可欠なので、それが出来なくなるほどスケジュールが過密になるとストレスがたまってくる。今週は努めてゆったりと過ごしたので、体の中にエネルギーがたまってきている。

富士を求めて
 12月8日土曜日の東大コール・アカデミーの演奏会では、OB合唱団であるアカデミカ・コールとの合同ステージを受け持ち、多田武彦作曲、男声合唱組曲「富士山」全曲を指揮する。高崎高校グリークラブ時代に多田氏の曲に親しんだ僕だが、「富士山」だけは歌った事も指揮した事もないので、今回初挑戦だ。 富士山が見えてきた
 11月13日火曜日は新国立劇場の仕事は休みの日で、夜アカデミカ・コールの練習だけ。朝、タンタンの散歩に出て、甲州街道から国立インターへ入るT字路に架かる歩道橋から眺めると、快晴の空に富士山がくっきり見える。そこで僕は妻にお願いして富士山を見るためにドライブすることにした。ちなみに僕は運転免許を持っていないのでドライブは常に妻の運転。

 予定はこうだ。まず、西湖の近くにある「富士眺望の湯ゆらり」に行き、富士を見ながらお風呂に入る。それから山中湖に行き、ほうとうを食べて帰ってくる。夜にはアカデミカ・コールの練習に行かなければならないので、ゆっくり一日コースというわけにもいかないのだ。僕の家は国立インターのすぐ近くなので、高速道路を使って出掛けるのにはとても便利だ。
 中央高速に入ってすぐ圏央道開通と書いてあるのが目に入ってきた。八王子ジャンクションまで家から約10分。いつも群馬の家に帰る時、これまで一時間くらいかかって入間インターまで行き、そこから圏央道に入っていたが、八王子ジャンクションが開通したとなると、中央自動車道~八王子ジャンクション~圏央道~関越自動車道という方法で行くなら画期的に早くなる。距離は逆に増えるし、料金も高くなるけどね。
 さて、中央自動車道河口湖インターまでも一時間弱で行けた。目の前に雄大な富士山が迫ってくる。富士急ハイランドのジェットコースターの鉄骨が妙にワイルドに富士山の眺めに絡み合っている。そのコンビネーションは悪くないぜ。富士急ハイランドって良いところに建てたね。

富士眺望の湯ゆらり
 河口湖インターを降りて国道139号線を本栖湖方面に向かう。河口湖を通り過ぎ、道の駅なるさわの裏に「富士眺望の湯ゆらり」があるはず。車は鳴沢町に入って来た。妻が何気なく言う。
「東響コーラスのソプラノに『なるさわさん』ていたよね。」
「あれは『なりさわ』。これは鳴沢だけど、あの子は成田の成って書くの。でも最初の頃は間違えて『なるさわさん!』って呼んでよく直されてた。そういえば東響コーラスにはしばらく行ってないな。今年の第九指導も新国合唱団の読響の為に断っちゃったし。みんな元気かなあ。」
 そんなたわいのない会話を夫婦で続けている内にあっという間に道の駅なるさわを発見し、「富士眺望の湯ゆらり」に到着。ここでまず45分間の個室風呂を借りた。
「効能風呂のためシャンプーや石けんは使えません。」
とお店の人に言われた。入ると脱衣所と岩風呂があるだけの極めてシンプルな作り。でも窓の外には 東富士五湖有料道路 富士山の絶景がある。しかし湯船に入った瞬間びっくりした。
「ぬ、ぬるい!」
勿論体温よりは温かいが、ぬるくて一度湯船にはいるととても外に出られない。
「これはここでじっとしているしかないな。」
そうして妻と二人で湯船にとじこめられたが、これがとても体に良かった。体の内部からじわっと汗が出てくる。なんともゆったりした気分。よく考えてみると僕の場合、せっかちなのか家では5分と湯船に入っていない。
「こんなに長く湯船に入っていることなんかないや。」
 個室風呂を出て鍵を返し、今度は大浴場の方に行った。おお、いっぱい風呂があって楽しい。露天風呂では雄大な富士山を我がものにしながらの入浴。とても贅沢な気分。

 「富士眺望の湯ゆらり」には、館内にも食事処があってほうとうも食べられるのだが、僕達はここで食事を取らずにここを後にした。一度河口湖インター近くに戻り、ひとつ向こうの富士吉田インターから東富士五湖有料道路に入る。この有料道路からの富士山の眺めは圧巻だ。そして山中湖畔に着き、ほうとうを食べて帰途につく。
 ほうとうは、妻が知っている専門店が閉まっていたので、近くのお店にあてずっぽうに入った。まあ、まずくはなかったけれどとりたてて言うほどじゃないので、店の紹介は省く。
 食後、先ほどの有料道路を逆に走って今度は左側に見える富士山を見て驚いた。写真で言うと完全に逆光状態になっていて、つい先ほどとは全く違う荒々しい姿を見せる富士山。一面のススキ野原と相まって異様な光景が見られたので思わずデジカメのシャッターを押した。うまくはとれていないが、是非皆さんに見てもらいたいと思ってあえて掲載してみた。 時間により刻々と変わる

富士山という大存在
 物理的に見るならば、富士山とはたまたま火山活動で隆起した地表の一形態に過ぎないのだろうが、こうして間近で見ると、どう考えてもひとつの魂を持った有機体に思えて仕方がない。その壮大なたたずまい。その息を呑むような美しさ。そして四方に発しているもの凄いエネルギー。このような気高い山が日本で最も高い山であるというのは決して偶然ではない。富士山こそは、日本の象徴であるべく運命を担った大存在。

 詩人草野心平はその富士山に魅せられて詩集「富士山」を作った。その詩には、富士山の存在感や崇高さに打たれて、これを何とか言葉で表現しようとする甲斐なき苦労が見られる。甲斐なきというのは、言葉に置き換える事など所詮無理だという無力感を感じながら、それでも詩人としては、その感動を言葉にしてみようという涙ぐましいほどの努力が見られるのである。

 たとえば多田武彦の組曲には乗っていないが、作品第参の、

遙かとほくに
ギーンたる
不尽の肉体

というくだりの「ギーン」というカタカナ表現の素人っぽさよ。
 また作品第拾壱の
抱きつきたい実にズバリと裸の富士だ

などは笑ってしまう。ズバリなんていう表現は、まるで「ちびまるこちゃん」の丸尾君のようではないか。

 作品第弐拾弐では、
屋根屋根の下の遙かの底では
でろでろのマグマにえたぎり
万怒を蔵し
天光る

となんとかカッコ良く表現出来た。表面には見えないけれど内包するエネルギーを「でろでろのマグマ」と表現し、さらに「万怒を蔵し」で、人間が怒りを内心でこらえているような内部の緊張状態をうまく言い得ている。

 今日僕が富士山の近くに来たことによる最も大きな収穫は、あまりにも圧倒的な存在感に言葉を失うほど惹きつけられてしまった草野心平の無力感を理解出来たことだ。比較するのも恥ずかしいが、僕が撮ったいくつものデジカメ写真を後で見てみると、みな情けないほどつまらない写真になっている。あの富士山を直接目の当たりにした身も震えるような感動から比べると、全ての二次的表現は、このように取るに足らないものなのだ。だからこそ、草野心平の滑稽なほどの稚拙な表現を理解する為には、滑稽になってしまうほどの感動を直接富士山から得、草野心平とその無力感を共有する必要があると思った。

 その晩、アカデミカ・コールの練習で、僕は再び多田武彦氏の組曲「富士山」に向かい合った。するとこれまでと何かが違った。今まで見えていなかったものが見えてきたのだ。僕は初めて。
「自分の『富士山』が出来るかも知れない。」
と思った。

ボジョレ・ヌヴォー解禁
 11月15日木曜日は、約一ヶ月ぶりの休日。と言っても、前の休日は東京バロック・スコラーズのチケット売り上げ上位四人を招待した食事会だったので、厳密には休日とも言えない。さらにその前の休日といったら、一体いつだ?夏のオフ日は「ジークフリートの冒険」の編曲などで忙殺されていたので、ゆったり過ごした休日というと何ヶ月も前にさかのぼる。証人喚問を受ける国会議員ではないけれど、
「記憶にございません。」
という他はない。

 本当はこの日にひとりで富士山を見に行こうと思っていた。電車でのんびり御殿場でも行って、日帰り温泉に入って御殿場高原ビールを飲んで帰って来ようなどと思っていた。でも火曜日に行ってしまったので、たまっているメールの返事を書いたり、原稿を仕上げたりして過ごした。

 「カルメン」の立ち稽古に通っている長女の志保も今日は休日なので、お昼まで寝ていた。今、次女の杏奈も帰国していて、三澤家はフルメンバーだ。僕が富士山を見ながらお風呂に入った話をすると、杏奈は、
「パパ、富士山まで行かなくてこの近所でいいから一緒にスパに行こうよ。」
と言う、調べてみると府中の近くにスポーツ・センターのような所があり、サウナや何種類ものお風呂を備えたスパがある。
「それに今日はボジョレ・ヌヴォー解禁日だよ。帰りに買ってこようよ。」
「いいね。じゃあ夕飯もワインに合うものをしよう。何がいいかな?」
と僕が訊くと、
「チーズ・フォンデュなんてどう?」
と杏奈は言う。
「うーん、チーズ・フォンデュって、これまでおいしいと思った事がないよ。」
「大丈夫、大丈夫。おいしい作り方知ってるから任せて!」
「本当?」
ということで半信半疑ながらチーズ・フォンデュに決めた。

 スパに入り、すっかり気持ちよくなって府中の伊勢丹の地下で買い物をした。
「あのね、ボジョレ・ヌヴォーはヴィラージュっていうのがいいんだよ。」
「ふうん、そうなの?」
いつもよりちょっと高めのボジョレ・ヌヴォー・ヴィラージュを買って、フォンデュ用のチーズなどを買った。帰り際に一階のKaldi Coffeeでピクルスとシードル(リンゴ酒)を買うことも忘れなかった。

 チーズ・フォンデュは、予想に反してうまかった。まず伊勢丹のフォンデュ用チーズが少し高めだったけど良い品だったのだ。白ワインをたっぷり入れ、にんにくを一片すり込んで入れるのが秘訣だという。それに杏奈の主張に従って、サイコロ状に切ったバケットだけでなく、ボイルしたじゃがいもやカリフラワーなども用意し、これらを浸して食べた。 また、切ったハムをお好みに応じてパンと一緒に刺してチーズに浸す。さらに口直しにピクルスをかじる。こうしてフォンデュにありがちな単調さに陥らずに食が進んだ。他にドライトマトを入れたサラダなども作って、なかなか豊かな夕食になった。

 「来年の東京バロック・スコラーズのチケット成績優秀者の食事会のメインメニューは、チーズ・フォンデュにしようか。」
しかし、問題がひとつだけあった。それは・・・・微妙にボジョレ・ヌヴォーと合わなかった。むしろシードルの方がマッチしていた。ボジョレ・ヌヴォー自体はおいしかったんだけどな。

ボジョレ・ヌヴォーがきっかけで始まった話だったのに・・・・。



ウィーンの「ジークフリートの冒険」大成功
 マティアス・フォン・シュテークマンから電話が入った。ウィーンからだ。声が興奮している。
「ヒロ、とにかく言いたいんだ。今日プリミエだった『ジークフリートの冒険』が大成功の内に終わった。報道陣や総監督のホレンダー氏も熱狂してくれて、みんなこれまでにない素晴らしい作品だと言ってくれている。ヒロの力なしでは絶対に達成出来なかったことなので、第一に知らせたかった。」
 11月17日が初演だと知っていたので、どうなったかなとは思っていた。ああ、これで今年の夏のあの狂気じみた忙しさが報われた感じがした。人間、苦労しなければ何かを掴む事は出来ないんだ。本当はウィーンに駆けつけたかったんだけどな。でもいいさ。マティアス、ありがとう!僕の思いを受け継いで孤軍奮闘、頑張ってくれた。来年の夏はまた日本で一緒にやろうね。




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