加藤浩子さんとの早くも脱線対談

 

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

適役!初鹿野君のアルチンドロ
 こんなに適役はないだろう。でかい図体と丸刈りの頭。首の後ろは4重にもくびれている。若い時からすでに年齢からは場違いな風貌を持ち、ひたすらおじさん道を突っ走って来た我らが初鹿野剛(はつかの たけし)君に、今こそぴったりな役が現れた。「ラ・ボエーム」のアルチンドロだ。
 塩田美奈子さん扮するムゼッタが車に乗ってやってくる。ムゼッタのパトロンである年老いたアルチンドロは、彼女が買い物をした大きな荷物を持って後からついてくる。初鹿野君の姿は出てきただけで聴衆の笑いを誘うだろう。

「ルル、おいで!」
と犬のように扱われているパトロン。意外と身の軽い初鹿野君は、
「ホイ、ホイ!」
と尻尾を振ってムゼッタにまとわりつく。
 でもムゼッタの本命はマルチェロ。ちょうど隣のテーブルに鉢合わせしたマルチェロの気を惹こうと、彼女はわざと大声を出して群衆を騒ぎに巻き込む。
「なんだ、なんだ、どうした?」
「痛いの、痛いの、ズキズキするの!」
「ど、どこ?」
「足なの。」
スカートをたくしあげる。ムチムチした太腿があらわになると周りの男達が笑いながら寄ってくる。
「や、やめろ!見るな、コラッ!」
「これがきついの。別の買ってきて!」
と言われてムゼッタの靴を買いに店に急ぐアルチンドロ。そのすきにムゼッタはマルチェロの腕の中に飛び込む。
「いやあ、大芝居の幕切れだ!」
と音楽家ショナールは叫ぶ。
 それから彼等は鼓笛隊の行進と一緒にパレードして行く。後から駆けつけたアルチンドロを待っていたのは、ギャルソンから突きつけられたロドルフォ達全員の勘定。照明ブラック・アウト直前に舞台中央でスポットライトを浴びるのは、なんと我らの初鹿野君なのだ。踏んだり蹴ったりのおじさんの驚いた表情が痛々しい。

青春の危うさ
 こうしたムゼッタとマルチェロとの関係でも分かる通り、「ラ・ボエーム」というオペラが表現しようとしているのは、まさに青春の不確定さ、危うさだ。ミミとロドルフォだって同じだ。深く愛し合っていながらも、別れはすぐそばにある。指の間から砂がこぼれていくように、若者達の幸せは、つかみ取るそばからすり抜けていく。

 考えてみると、人は最も輝く美しい時期に誰か一人と契りを結び、互いを縛り合い、永遠の愛を誓い合う。誓い合っているそばから、
「もっと素敵な人いないかしら。」
と思ったって何の不思議もない。そして恐らくもっと素敵な人は沢山いる。そしてきっと誰とでも新しくやり直せる。でもだからこそ、愛し合う者の嫉妬は激しい。その激しい嫉妬で束縛し合わなければ、恐らくお互い糸の切れた凧のようになってしまうからだ。

 それなのに、いや、それだからこそと言うべきか、親よりも誰よりも、愛する人に若者達はかけがえのない関係を求める。どこの馬の骨とも知れない赤の他人なのに・・・。そしてこの人のために死んでもいいと思う。時には、実際に相手のために本当に死ぬ。聖書にも書いてある。
「人はそれゆえ親を離れて一体となるのである」

 そんな渦中にある若者に、
「君たちの情熱は一過性のものだよ。」
なんて年寄りが言ったって、なんの意味もない。
 でも残酷に言うならば、ミミを亡くしたロドルフォは、その後ミミのことだけ思って一生恋人も持たずに過ごすかというと、そんなはずはない。若い肉体のほとばしるような生命力がそれを許すはずがない。一年後にロドルフォが別の美しい女性を抱いていたからといって誰がそれを責められようか。少なくとも、宗教的に言ってもそれは罪ではない。

 こんな風に青春は危うい。いや人生は、本当はこんな危うくもろいものなのだ。特に情熱は・・・・。だから人は互いを思いやり、許し合い、情熱ではない愛をはぐくんでいかなければならない。砂よりも硬いもの。それは信頼と誠実。
僕くらいのおじさんになると、もう一時の情熱は信じられないのさ。それでもあえて言おう。
もろくとも危うくとも、青春の愛は美しい!

新国立劇場「ラ・ボエーム」は、本日1月20日が初日。26日まで4回公演。

加藤浩子さんとの早くも脱線対談
 19日土曜日、音楽評論家加藤浩子さんと会う。4月12日に行われる東京バロック・スコラーズ主催の講演会「若き日のバッハ」の打ち合わせだ。今回は対談形式の講演会という新しい試みで、メインは勿論加藤さんなのだが、僕と二人で行うため、「内容はお任せ」という訳にはいかない。これから何度か事前の打ち合わせをして内容を詰めていこうと思う。

 最近の加藤浩子さんの活躍はめざましい。僕が彼女のことを知ったのは、コレギウム・ジャパンの指揮者でオルガニストでもある鈴木雅明氏との対談集「バッハからの贈りもの」春秋社を買ったのがきっかけ。
 そこで興味を持った僕は、「バッハへの旅(その生涯と由縁の街を巡る)」東京書籍という著書を買ってみた。これには若月伸一氏の豊富な写真が掲載されていて、3千円とちょっと高めだけれど立派な装丁のきれいな本だ。題名のごとく、誕生の地アイゼナハを初めとして晩年のライプチヒまで、バッハゆかりの地を訪ねながら彼の生涯を辿ってゆくという、初心者にも読み易い内容。

 特に感心するのは、加藤さんの文章だ。たとえば最初のアイゼナッハの紹介文。

  アイゼナッハでは星が瞬く。

寒い夜だった。
(中略)
部屋に帰り、そのまま眠った。
眠りが深く、短かったのは、屋根を包む冷たい夜気のせいだったのだろうか。それとも町にひたひたと押し寄せる、森のせいだったのだろうか。
早朝の散歩を楽しもうと、夜の明けるのを待ちかねるようにホテルから出た瞬間、冷気がわななきながら襲ってきた。
ドイツに来たんだ。
暖かなドアのなかに逃げ込みながら、その実感がわきあがって胸をついた。
1685年3月21日。星の瞬く夜空もまだ冷たいアイゼナッハの一角に、ヨハン・セバスティアン・バッハは生まれた。

 自分の肌で感じたアイゼナッハの体験を、遠い昔のバッハの誕生と結びつけるこんな文章は、学者じゃ絶対に書けない。こうした加藤さんの感性とアプローチの仕方が、僕にはとても新鮮だった。
 そこで、そんな加藤さんの特質を生かして、今回の「若き日のバッハ」第一部では、彼女に写真などを使って説明してもらいながら、バッハの若き日を取り巻く環境を描き出してもらおうと思っている。

若き日のバッハの意外なる側面
 若き日のバッハは、一般に思われている聖人君主のイメージからはほど遠く、いろんな逸話に事欠かない。たとえばアルンシュタットのオルガニスト時代、あるファゴット奏者に、
「お前のファゴットの音は年取った山羊のようだ。」
と言って剣を抜く喧嘩騒ぎになるなど、結構鼻っぱしが強く短気だったようだ。
 また、オルガンの名手ブクステフーデの演奏を聴きに、休暇願を出してリューベックまで行ったはいいが、ちっとも帰ってこない。帰ってきたらきたで、賛美歌の伴奏をするのにブクステフーデ風の即興演奏を勝手に付け加えて、しかもいつまでたっても終わらない。会衆はあっけにとられ、ついにバッハは聖職会議にかけられてしまった。

 こんなバッハを後ろから温かく見つめている女性がいた。それが最初の妻マリア・バルバラである。バッハはドルンハイムという村ともいえないほどの集落のちっちゃなちっちゃな教会でささやかな結婚式を挙げた。でも生活は本人曰く、
「必要なものの出費を差し引くと、生きているだけで精一杯」
なものだったそうだ。

ね、「若き日のバッハ」って、楽しそうでしょう。

 で、加藤さんにそんな風に話してもらって、僕は僕で彼のミュールハウゼン時代の傑作カンタータ第106番「神の時は最上の時なり」の簡単なアナリーゼをして、バッハがわずか22歳でいかに円熟した作曲技法を身につけていたか解明していこうと思っている。

敵は数枚上手
 第二部は、前回礒山雅(いそやま ただし)氏の講演の時も大いに盛り上がった「三澤洋史の爆弾対談」だ。副題は「加藤さんにいっぺん訊いてみたかった!」で、とにかく興味あるこんなことあんなことを、加藤さんに何でもズバズバと訊いていこうという企画である。僕はこれを名物にしていこうと思っているので、なるべくエンターテイメントに徹してやろうと思っている。

 ところが・・・・ところがである。加藤さんと打ち合わせをしていた最中に、予想外のことが起こった!
確かに、
「今日は第一回目だし、雑談のつもりで。」
と思って打ち合わせに臨んだのは事実なのだが、気がついてみると、逆に僕がインタビューを受けているような状態になってベラベラ一人でしゃべっているではないか。

 ハッと思ったのだが、加藤さんって類い希な“聞き上手”なのだ。だから鈴木雅明さんを初め、いろんな人から対談を通してあれだけ興味深い話を聞き出せたのだ。それを忘れておった。で、僕もまさにミイラ取りがミイラになったって感じで、爆弾対談させられてしまったわけだ。しかも、しかもだよ。気がついてみたらバッハをどんどん離れてヴェルディとベルカント唱法の話になってるやんけ。
 彼女のもうひとつの専門はヴェルディなのだ。バッハとワーグナーが好きだという人は多いのだが、バッハとヴェルディという組み合わせで好きになる人は少ないような気がするので、今回の「爆弾対談」でも訊いてみようと思っていたのだ。それで、
「どうしてバッハとヴェルディなのですか?」
と訊いたまでは覚えているのだけれど、どうやらいつの間にか、
「では三澤さんはどうしてバッハとワーグナーなのですか?」
と持って行かれて、お人好しにホイホイと答えている内に、いつの間にか、
「ヴェルディって歌手にとって発声法の試金石みたいなものじゃないですか。」
と言わせられて、
「どうしてですか?」
と訊かれると、
「つまりヴェルディは、初期においてはベルカント・オペラの流れを受け継ぎながら、後期のドラマチックな歌唱法はヴェリズモ・オペラの先駆を成している。だからヴェルディを歌うためには、その両方をうんぬんかんぬん・・・・。」
と答えていると、
「あたしの知り合いの学者は、最後にヴェルディかロッシーニに行くと言っているのですが、どう思いますか?」
なんてけしかけてくるのだよ。そこでまたいい気になってベラベラしゃべっていると、
「ふんふん、成る程・・・。」
なんて聞いている。
 どうも敵の方がインタビューにかけては三枚くらい上手なようだ。で、打ち合わせ初日は完全に加藤さんのペースに乗せられて帰ってきました。今頃加藤さん、「三澤洋史ヴェルディを多いに語る」なんていう原稿を書いていたりして・・・・。

 でも彼女、ひとつ意外ないいこと言ったなあ。
「あたしはバッハにとても土着の要素を感じるのです。バッハが活動していた街は、最後の職場だったライプチヒという大都市をのぞいては、行ってみると分かりますが、みんな地方の小都市に過ぎません。しかもアイゼナッハ、オールドルフ、アルンシュタット、ミュールハウゼンと、ドイツの中でもとても限られた地域の中で活動していたのです。それは、ドイツを離れてロンドンのような大都会を中心にインターナショナルな活動をしたヘンデルなどとは対照的です。」

 ふうん、土着ねえ。要するにバッハは田舎ッペだったっちゅうことだな。おっとっと、これ以上ネタバレしてしまうと、もうこの「今日この頃」を読んだだけで満足してしまって、誰も講演会に来なくなってしまうので、この辺にするが、今度の講演会は間違いなく楽しいものになるという予感がバリバリしてきたぞ!

 特に今回は、バッハおたくを満足させながらも、初心者の人にも分かるような内容にしたい。楽しくてためになるというエンターテイメントが僕のモットーだからね。是非みなさん来てね。それから加藤さんの本は面白いから読んでみてね。



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